第七十二話
メグを落ち着かせてやると、バルベナは続けてプリスに尋ねた。
《…テメェの相方はどうだ? あんだけ空中飛んで、ビビりまくってたんじゃねえのか?》
どうやらバルベナにも、アニィとプリスの空中戦が見えていたようだ。
半分揶揄するような言い方だが、彼女なりに心配はしていたのだろう。その声音は優しかった。
広場にいるアニィの方を一度振り向いてから、プリスは答えた。
《体の傷は治しましたが…町の人間に怖がられたのが効いてるみたいで。
あと、あなた達を守り切れなかったと思ってるんでしょうね。落ち込んでます》
「………」
バルベナは特に気にしていないようだが、メグの方は"結晶砲"を放つアニィを見た時のことを思い出したのか、うつむいている。
アニィの姿に怯えた彼女の目を、プリスも見ていた。
内気でおとなしい少女が、血まみれで凶暴な顔をして、邪星獣を皆殺しにした直後だ。恐ろしくもなろう。
が、すぐに立ち上がり、意を決してプリスに告げた。
「…アニィさんに謝ってきますわ」
メグは涙をぬぐい、一度バルベナと目を合わせると、広場の方へと走っていった。
駆けていく背を見送り、バルベナはぐったりと横になった。
心身ともに疲労が重なり、話すのも億劫であったようだ。眠たげに瞬きをしている。
埃をかぶったクッションや毛布を集め、頭の下に敷くと、ひとつ大きなあくびをした。
《テメェらも大変だよな…あんな悪意のカタマリを相手にしてんだからよ》
《まあね。我々の苦労、判ってもらえます?》
《イヤっつうほど判ったぜ。…まさか今更探しに来るとはなあ…》
《アニィも、村にいた時の心の傷を抉られたんです…それで気持ちが折れかけました》
哀しげな横顔で話すプリスを、バルベナは複雑な表情で見つめていた。
護送中、彼女は邪星獣が知恵をつける原因はアニィ達にあると、つい文句を言ってしまった。
だがその悪意が自分自身にふりかかり、アニィも傷ついていることが判った今、文句など言えなかった。
アニィ達は、邪星皇の悪意を一身に受け止めようとしている。無論、悪意の全てを退けられるわけではない。
だが心が折れかけても、何とか立ち上がっている。道中で幾人もの人々に助けられたのだろう…と、バルベナは推測した。
今もそうだ。アニィは激烈な怒りの真っただ中にありながら、バルベナ達をどうにか救ってみせた。
ならば、守られた者の一人として、少しでも彼女達を支えてやるべきであろう…
《…テメェのお友達に言っといてくんねェか》
《何をです?》
バルベナは疲労から来る眠気にこらえられず、目を閉じた。
《がんばれ、でも無理すんなってよ》
そう言った直後、バルベナは盛大ないびきを立てて眠りについた。
雷のごとく町に響くいびきに、何事かと町民たちがあつまる。
アニィとの話が終わったらしく、メグも走って戻ってきた。
人々の注目が集まる中、プリスは静かな声でつぶやく。
《ええ。しっかり伝えておきましょ、あなたが言ってたって》
結局、アニィ達の出発は昼頃になった。
見送ったのはメグ、そしてモフミネリィとジャッキーチュンだけだった。
クリン医師や町民は村の復興作業で忙しく、町長のメグやモフミネリィはその監督をしなくてはいけない。
挨拶は簡単に済ませ、アニィ達はアグリミノル町の北口から飛び立った。
上空を飛びながら、プリスはアニィの顔を振り返った。
アニィは苦し気な顔で頭を押さえていた。体調不良による頭痛ではないようだ。
その正体は明らかだった。
《…まだ、気分は落ち着きませんか?》
激烈な怒りは、戦闘が終わっても収まらぬほどに膨れ上がりつつある。
これではアニィの精神に無駄な負荷がかかり、心労からまた体調を崩しかねない。
「うん…頭の中がまだ、グツグツ煮えたぎってる感じ…」
そして、自分の気持ちだけではコントロールできない事への苛立ちが、アニィをさらに苛む。
パル達もアニィのことを心配げに見ていた。
特にパルなど、苦しむ親友を支えられずに悲しそうな顔をしていた。
「ね、急ごうよ。邪星獣に見つかる前に、早くその魔法学園に」
「そうだな。奴らと闘っては、またアニィ殿が苦しむ。上空の奴も、まだあきらめたわけではないようだ」
切羽詰まったパル、雨を降らせた邪星獣が未だいるという上空を不安げに見上げるヒナ。
ここで戦闘に入っては、たとえ敵を殲滅できたとしても、アニィの怒りがまた爆発してしまう。
そしてプリスには気がかりなことがあった。
山脈の木々が、『星を呼ぶ丘』の方向に引き寄せられたように傾いていたことだ。
整然と、それゆえ不自然に、木々が一斉に北方向に傾くという、異常な光景を思い出す。
《ええ。パッフ、クロガネ、急ぎましょう。―――アニィの事だけでなく、気になることが色々ありますし》
「クルッ!」
「ゴゥ!」
3頭のドラゴンは飛行速度を上げた。その背にのるアニィ達は、次の場所に思いを馳せる。
学園都市。都市が丸ごと学園となっているらしい。
村や里の学校とは違う、遥かに規模の大きい学校のようだ。
そして、そこにある『図書館』の管理者は、医学の心得もあるとクリン医師が言っていた。
アニィの怒りの暴走を押さえられるかも知れない…根拠の乏しい希望に縋る行為だ。
それでも、アニィの健康を願うプリス達にとって、管理者の存在は確かな希望だ。
《がんばれ。でも無理はするな。バルベナが言ってました》
「バルベナさんが…」
バルベナの本質である、優しさに溢れた言葉だった。
アニィにはやや意外だったようだが、それでも彼女がメグに愛情を抱き、優しく触れ合ったことは知っている。
メグへの愛情や優しさこそ、バルベナの本質であった。
《邪星皇のことは大事ですが、今はアニィの方を優先します。意見は聞きませんよ》
「………うん。わかった」
半ば押し切られる形となったが、気遣ってくれるバルべナに答えるべく、アニィはうなずいた。
目指すは学園都市。―――そこに新たな出会いが待っていることを、アニィ達はまだ知る由も無い。
目覚めると、いつもの学校の天井が真っ先に視界に入った。
昼食の後、チャムは無性に眠くなって、フータと一緒にベッドで横になり、眠ってしまったのだ。
隣には当然フータが横になっている…と思いきや、フータはチャムに縋りついていた。
柔らかな毛並みと体温のぬくもりが心地よく、チャムは再び眠ってしまいそうになる。
だがフータを抱き寄せた瞬間、脳裏に先刻見た夢の光景がよみがえった。
フータのような柔らかな生き物を、草原の真っただ中で抱きしめ、名を呼ぶ夢だった。
家族の優しい視線、そして抱きしめた生き物の温かさに、夢でありながら得も言われぬ幸福感が胸の内を満たした。
どことなく懐かしい光景であったように思う。一体いつのことだったか。
「フニ~」
フータも目を覚まし、おもむろに顔を上げてチャムを見つめた。
「フータ」
視線が合った途端、チャムは不思議な懐かしさを感じた。
フータと出会った日の記憶はなく、亡くなった両親からも当時のことは聞いていない。
いつの間にかフータは隣にいた。気づいたら親友になっていた。
それがまるで、いつとも判らない昔には既に出会っていたかのような、不思議な懐かしさがこみ上げる。
「フータ…」
もふ、と額と額が重なった。フータからメッセージが送られた時と同じ姿勢だ。
今は特に何も伝えることは無いらしく、ただお互いが触れ合うだけだった。
そして、先日頭の中にメッセージを送られた後も、フータに対するチャムの気持ちは変わらなかった。
不思議で、恐らく重大な秘密があり、しかし大事な親友。
「フータ!」
親友にして自身の半身とも言える存在が、何故だか無性に愛おしくなり、チャムはフータをぎゅっと抱き締めた。
フータもチャムに抱き着き、互いに頬ずりをする。
「フニ~」
「もう起きよっか。みんな、お昼のお勉強してるころだし」
「フニ~」
2人はベッドから降り、センティや他の子どもたちがいるだろう教室へと向かった。
外を見ると、日差しは僅かに黄色く染まり、既に昼を過ぎていることが判った。
今頃アニィ達はどうしているのだろう…眠気の中でおぼろげに考えていたことを、チャムは再び思い出した。
途中でどこかに立ち寄っているか、それとも空高く飛んでいるか。手紙を書いてくれているか。
思いを馳せると、アニィ達のことが恋しくなる。
その時、アニィはチャムと同じ光景を夢に見ていた。
チャムが幼い少女の視点であったのに対し、アニィは彼女に抱きしめられた何者かの視点で。
果たして偶然か。それとも何者かが、不可思議な力で二人に同じ夢を見せたのか。
プリスに乗るアニィの姿や早朝の郵便を予見したチャム、ドラゴンと推測されたフータ。
2人の秘密は、やがて少しずつ紐解かれていく。
―――アニィ達がアグリミノル町に到着した日の、昼の事であった。
年明け後、1月1日から3日まで連続投稿となります。




