第六十六話
メグの問の直後、その場は完全に沈黙した。
目が点になったプリス。げんなりしたままのバルベナ。いろいろと察したらしいメグ。
三者三様の視線が交わされ、全員の考えがここでやっと伝わる…そして一番に疑問の声を上げたのが、問われている当のプリスであった。
《 は? え、私が? アニィを?
いえ、まあ嫌いではないというか、心配する程度には好きですが》
「ではなく、こう…慈愛、恋愛、そういった深い深い愛情を。
バルベナがわたくしに向けてくれるのと同じ視線を、あなたもアニィさんに向けていらしたから」
《え? いえ、だから、え? は?》
堂々たるのろけすら聞き流し、疑問符をぼんぼん放り出すプリスを見て、バルベナがまたも深いため息を吐きだした。
「心当たりすらありませんの…!?」
《そおなんだよ、こいつ。全然自覚しちゃいねえ…》
「本当ですわね…あっ、言わない方が良かったかしら!」
《もう遅ぇよー》
好き勝手に喋るバルベナとメグを前に、プリスは呆然としていた。
ドラゴンには心がある。生育環境によっては、人類とも良好な関係を築ける。
だが、そういった条件無しでドラゴンが人類に強い感情を抱くことは、少なくとも観測されたことは無かった。
ドラゴンと人類は、共存はするが余程のことが無い限り深い関係にはならない。それがこの世界の常識である。
それを今、『葬星の竜』の宿命を持つプリス自身が破壊しつつある…と、いう状況らしい。
《…なる、ほど…? バルベナがお嬢さまを愛するように、ねぇ》
《ばばバカヤロお前ェそこ繰り返してんじゃねェよお前ェ!》
「バルベナ………!」
慌ててプリスの話を遮ろうとしたバルベナだが、その慌てっぷりでむしろ本心を表したようなものだ。今度はメグの熱い視線で自分が黙り込んでしまう。
観念したバルベナは、ため息をついて語り出す。
《……まあな、こいつと会ってるうちに何か、こう、ほら。わかるだろ?》
《わかりません》
《察しろよ! あ、無理だったっけ…気持ちがこう…ドンッってしてな、何かが生まれた感じでな。
恋って奴なんだろうな…オレも、こいつに会いたくなってた》
「ば、バルベナったら…もう……」
すっかりもじもじして、顔を赤く染めて照れるメグ。
バルベナも、感情表現が人類と同じなら、メグと同じ仕草をしていたのだろう。
《恋…》
人間が言う所の恋愛感情。ドラゴンが人間に対して抱くことが無い筈の感情。
それをバルベナは、抱いていると堂々と言った。
ただそれでも、メグの行動に影響されてのことらしい。
自身はアニィから、そんな熱心なアプローチは受けていない。
にもかかわらず、アニィを愛しているというのか。
何度考えても心当たりは無い筈―――否、あった。
ヒナを連れ戻す依頼でボルビアス島に赴き、アニィ達3人が食事をしていた時だ。
野外料理を食している時のアニィの幸せそうな顔を、プリスは思い出した。
幸福にほほ笑むアニィの顔を見た時。その時から、体の中に今までにない温かな感情が溢れている。
その一方、人間になってアニィに触れたいと、彼女は考えたことが無い。
アニィと同族になりたいなどとは、微塵も思っていない。
あくまでも1つのドラゴン…否、プリスという存在して、アニィを愛しているということなのだろう。
《…これが愛》
プリスは自身の内にある感情を、この瞬間にやっと理解した。
それを見て、メグとバルベナが苦笑して顔を見合わせる。
厩舎の外からは、バルベナの登場を待ちわびる町民たちの声が聞こえた。
皆ドラゴンの義足という、未知の器具への期待を胸に抱いているらしい。
「さて、では皆さまにもお披露目に参りましょうか」
《だとよ。ほれ行くぞ、プリス》
バルベナ達に促され、プリスもともに外に出た。予想通り、町民たちが一斉にバルベナの周りに集まった。
プリスはその喧噪を無視し、アニィを探した。
ヒナと同じ席で、協会の荒くれ者や子供達にせがまれ、似顔絵を描いてはプレゼントしていた。
ほほえましい光景に、プリスはまたも自身の中に、温かい気持ちが溢れるのを感じた。
我知らず、プリスは微笑んでいた―――いつもの高慢ちきで皮肉っぽい表情が、アニィを想う時だけは鳴りを潜める。
《ああ―――なるほど》
プリスは人ごみを避け、アニィのそばへと歩いて行った。
足音に気付いたアニィが、助けを求めてプリスを呼び、手を振る。
「プリス!」
その幸せそうな顔に、プリスの中で生まれた温かさが、大きく膨らみだした。
これがそうだ。これこそがそうなのだと、プリスは実感する。
《―――私は、アニィを愛しているんですね》
その声はしかし、喧騒に紛れてアニィには聞こえなかった。
プリスがアニィの隣に立つと、子供達や荒くれ者たちが、白く輝く美しい巨体を見上げた。
20人近くの町民たちの似顔絵を描き終えたアニィは、疲れ切った顔でプリスに縋りついた。
「プリス。バルベナさん、どうだった? ちゃんと義足で歩けてた?」
《……》
「…プリス……?」
アニィはバルベナの事を尋ねるも、答えずに自身を見下ろす穏やかな視線に首をかしげ、目が合うと慌てて視線を逸らした。
じっと見られて恥ずかしがっているようだ。頬が朱色に染まっている。
その気配に気づき、ヒナとクロガネも不思議そうに首をかしげていた。
「あ、あの…プリス…」
《ああ、すみません。バルベナならちゃんと歩けてましたよ。お嬢さまの義足、しっかりドラゴンの体を支えられるようです》
「本当!? すごい…!」
「そりゃ、ウチらの姫町長だからな。ずっとドラゴン用の義肢のことを研究してたから」
そうですよね、とアニィは町民の言葉に同意した。バルベナのために努力したことは、当人から聞いている。
それが恋であることを、彼らは知っているのかどうか。今知らないとしても、両者の関係を知れば祝福するだろう。
一方、プリスはアニィの様子を観察した。丸薬と固形栄養食、そして長時間の睡眠で、心身ともに回復したらしい。
似顔絵も集中して20枚少々描き終えたほどだ。動く分には支障はないだろう。
《じゃあバルベナとメグの似顔絵でも描いて、後は買い物をして、ちびっ子どもに送りましょう》
「うん…そう、だね」
アニィとヒナとクロガネは立ち上がり、町民たちに軽く挨拶すると、バルベナの方へと向かっていった。
町民の昼食を作り終えたパルとパッフは、アニィとヒナに声をかけ、病室に置いた荷物を持ってきていた。
全員が一堂に会したところで、アニィはバルベナとメグの似顔絵を描き始める。
ヘクティ村に残ったセンティと子供達に、ドラゴンと人間が友達…
それ以上の関係になったと、アニィ達は教えてやるつもりだった。
もちろんアニィはメグの許可を取ってからにするだろうが、メグはむしろ全世界に伝えることを良しとするだろう…バルベナの意向を無視して。
アニィが描き終えた似顔絵を見せると、メグは大喜びし、バルベナは照れまくっていた。
《バカおまえ、オレぁこんなキレイじゃねえよ! 描き直せ早く!》
「え…でも…その……」
「あたしは2人ともキレイだとおもうよ、このくらい。ねえヒナ?」
「どれ……うむ、アニィ殿がそう見たのなら、それほどお美しいのだろう」
「クルクル!」
「ゴゥ…」
拒絶するバルベナに委縮しかけるアニィに、パルとヒナが助け舟を出す。
ヒナは絵にじかに触れて指先で色鉛筆の感触を確かめたのだが、彼女の指には絵柄がはっきり判るらしい。
パッフとクロガネも同意し、モデルの片割れだったメグも助勢した。
「バルベナ。あなたはアニィさんがお書きになった通り、とっても綺麗ですわよ!」
《綺麗とか言ってんじゃねえよかじるぞ》
「綺麗ですわ。バルベナは―――とても綺麗なんですわ!」
恥じらいからそっぽを向きかけたバルベナの顔を、力を籠めてぐいと引き寄せ、真正面からメグが見つめる。
普段なら文句の一つでも咆えるだろうバルベナが、真剣な瞳に何も言えず黙り込んでいる。
「綺麗ですわよ。わたくしのバルベナ…」
《―――………お、おう》
そこにはいつの間にかモフミネリィとジャッキーチュンも訪れ、揃って座り込み、顔の前で手を合わせていた。
「尊厳…尊厳…人類と竜の尊厳…これは姉妹たちに報告せねばならぬよ…」
「ちゅん…」
幸か不幸か、彼女たちの念仏は誰にも聞かれることは無かった。




