第七話
苦し気に吐き出された言葉に、ドラゴンはうなずく。
一度口にした途端、堰を切ったように次々とアニィは言葉を吐き出した。
《ふむ》
「…わたし、あなたに乗って飛びたい! 綺麗なあなたの背に乗って、どこまでも、遠く、高く!
魔術も使いたい。何でもいい、生活の役に立たなくてもいいから!」
《なるほど》
「こんな村にいるのももう嫌! わたしをずっと閉じ込めて、心を殺そうとする村なんて、もういたくない!!
この地上がわたしの存在を、ドラゴンに乗れず魔術も使えないわたしを許さないなら、私の方こそ許さない!!
そんな世界は滅びたってかまわない、自分の手で滅ぼしたってかまわない!!
わたし―――」
「わたしはっ!! 飛びたい!!」
力いっぱい、アニィは叫んだ。同時に心の中で何かが壊れた―――とても心地よい破壊の感覚が、胸の内にあった。
ずっと己を抑圧し続けた心の枷が、この瞬間に砕け散ったのを感じた。
何者にも阻まれず罵られず、自由でありたいと望む彼女の心の叫び。
目の前のドラゴンはそれを聞き…そして再びしぶきを上げて湖から出ると、ついに地上にその全身を現わした。
陽光を受けて虹色に煌めく鱗。翼も同じ色に輝き、僅かに透けている。
屈強にして優美なその体躯。すらりと長い四肢と尾、首。
1ドラゼン(約15メートル)の中に、アニィの理想とする美しさ全てが詰まっていた。
《聞き届けました、あなたの望み。今よりあなたは私の半身、竜愛づる者です》
「ドラゴンラヴァー…?」
《詳しい話はあの怪物を片づけてからにしましょう。さ、乗りなさい》
白いドラゴンは翼を下ろした。アニィが乗るのを受け入れたのである。
アニィは軽々と跳躍し、ドラゴンの背にまたがった。
背に触れると奇妙な感覚があった。不思議な一体感、とでも表せば良かろうか。共にある存在として、何かがつながった感覚。
《そう言えばあなた、名前は?》
視線だけで背に乗ったアニィに振り向くドラゴン。自分からは名乗らないのが、いかにも格上という風だ。
「アニィ。アニィ・リム。あなたは?」
《私はプリス》
「プリス……。綺麗な名前だね」
《そりゃどうも》
白いドラゴンことプリスは翼を羽ばたかせ、上空に浮き上がった。
村の上空ではどす黒い怪物を相手に、ドラゴン達が懸命に闘っている。
「プリス。さっきはああ言ったけど、友達を助けたいのは本当。
一緒に村を出ようって約束してくれたの。わたしも、あの子達と一緒に村を出たい」
《つまりあなたの望みに必要な人材と。いいでしょ、助けて差し上げますとも。
少し飛ばしますよ、落とされないように気を付けて》
言うや否や、プリスは高速で飛行し始めた。
眼下の景色が猛烈な勢いで通り過ぎ、初めて見たその光景にアニィは目を奪われた。
だが、ドラゴン達の咆哮を聞いてすぐに気を取り直す。
両手に魔力を籠める。初めてにもかかわらず、全く違和感なく魔力の操作ができた。
ドラゴンに乗り、魔術も行使できる。求めていた物が実現した。
怪物どもに立ち向かうための勇気も自然と湧いてきた。
腐り果てる寸前だったアニィの運命が、ついに動き出したのだ。
(―――戦える!)
彼女の顔に、それまでの怯えた影は微塵も存在しなかった。
鍛え抜いた身体能力を更に身体強化魔術で底上げし、パルは空中回し蹴りで怪物の頭を砕いた。
更に死骸を蹴り、跳躍して低空にいた怪物に飛びつくと、短剣で頭部を突き刺す。
既に矢は射尽くした。あるだけ邪魔な弓は地上に捨てた。
地上に落下した骸は小型の怪物を吹き飛ばし、村人たちがわずかながら逃げる隙を作った。
だがドラゴン乗り達の中には、自分達でも対処できると思っている者達がいた。
ゲイスがかざした両手から、炎の魔術で火炎の散弾を連射し、小型の怪物に浴びせていた。
その隣では、彼の恋人でアニィの姉でもあるジャスタが、風の刃を手刀から撃ち出していた。
「ドラゴンどもめ、このオレをバカにしやがって!」
地上を走る小型の怪物を撃ち抜いたゲイスが、ドラゴン達への罵声を口にする。
ドラゴン達が何故自分達を放り出したのか、目の前の光景を見てもまるで理解できていないようだ。
村どころか人類の中でも抜きんでた魔力の持ち主と言われる二人が、怪物を屠っている。
一見すると確かに何とかなりそうだが、怪物たちは次第に魔術を回避するようになり、村人たちに襲い掛かっていた。
「ザコが! バケモノごとき、オレ達に敵うかよ!」
「そうよ、こんな連中さっさと片づけちゃいましょう!」
ゲイスとジャスタはそう言いながら、地上の怪物たちを魔術で殺していく…
しかしその物量に対し、彼らは二度か三度の魔術で一体ずつしか倒せていない。
怪物は学習能力を持っているらしく、少しずつ魔術を回避し始めている。
加えて地上の怪物は、空中の物より小型とはいえ、体格はバルカンボアやヘヴィージャガーなどの獣くらい…つまり人間より一回り大きい。
さらに筋力と運動能力はそれらの獣を上回り、柔軟な表皮は魔術の弾丸や刃を逸らしていた。
「クソっ死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね!!」
怪物の防御に苛立ち、二人は揃って魔術を連射する。だが怪物の体に当たるたび、炎の弾丸も風の刃もかき消えた。
果たして何十発目か、二人の眼の前で炎の散弾と風の刃が消失した。過度の連射による魔力切れだ。
「ウソ―――ぃぎゃあ!!」
その一瞬の隙を突き、怪物が体を回転させ、ジャスタに自らの尾を叩きつけた。吹き飛んだジャスタは顔面から地面に落下する。
さらに怪物は頭部を掴み、ジャスタの頭部を近くの岩石に叩きつける。
そして一瞬だけ意識を失った彼女のしかかり、乱杭歯だらけの口を大きく開くと、吐き出した液体を顔面にぶちまけた。
直後、ジャスタの顔面の皮膚が溶解し、煙を上げて焼けただれた。
「ぎゃああああああ!!」
醜い金切声の悲鳴が響く。怪物は更に、焼けただれたジャスタの顔面を左右の拳で殴りつけた。
重い打撃音とともに溶けた肉が飛び散り、地面に赤いシミを作る。
「いだっ、いだい! いだい! やめで!! あだじのがおが、がおが!!」
「ひっ…」
おぞましい光景にゲイスが後じさりする。ジャスタは必死に手を伸ばし、助けを求めたが。
「だずぶっ、だずげでえ、げいずっ!げいずっっ!! あごぁああ゛!!」
「ひいいい!」
肉がそげゆがんだ顔、そしてつぶれた喉から出される醜い声から、ゲイスは身をひるがえし、逃げ出そうとした。
魔術は通じず、ドラゴン乗りさえもたやすく叩きのめす怪物。更に、醜く変貌したジャスタの姿。
村一番のドラゴン乗りを自称していた彼は、生まれて初めて本物の恐怖に囚われた。
生存と心身の安寧を求め、彼は逃走を図った。だが怪物がそれを許さなかった。
足がもつれ転倒しかけた彼の背を怪物が蹴る。ゲイスは吹き飛び、転がって仰向けに倒れた。
その体に怪物がのしかかり、顔面に拳を振り下ろす。硬く重い拳で鼻面を撃たれ、ゲイスは悲鳴を上げた。
「あぶげっ!!」
怪物の拳は的確にゲイスの顔面を捕らえた。これが普通の人間だったら一撃で頭部がつぶれていただろう。
ドラゴン乗り由来の頑強な肉体は、拳の連打を受けても破壊されず、しかし抵抗できるほどの膂力も無く彼はいたぶられ続けた。
「あぶっ、いべっ、うぼ! えげ、おぼぁっ!!」
頬が張れ、歯が折れ、口の中の肉が切れ、ついでに髪も何本かまとめて引きちぎられる。
激痛と恐怖のために抵抗する余裕は無く、ゲイスはいたぶられた。両手で拳打を防ごうとするが、その腕も折られる。
「やめ、やべっ、やべでっ! やべでっ! いだぶびっ!!」
懇願するも怪物は拳を停めず―――と思ったところで、突然顔面への攻撃が止んだ。
目を開けて怪物を見上げると、視線が合う…しかし怪物はゲイス自身を見ていない。
おぞましい視線だった。ゲイスを含め、人間に対して全く感情を抱かない無機質な目だ。
だが、怪物はゲイスに何かを見出したようだ。三対の目を細められ、嘗め回すように彼の体を見ている。
助かる気配があると見て、ゲイスは怪物に命乞いをすべく、はれ上がった顔で愛想笑いを浮かべようとした。
が、その期待は裏切られた。怪物はゲイスの体を持ち上げ、裏返してうつ伏せで地面に組み伏せる。
「うぶっ!」
背中を押しつぶさんばかりの重みにゲイスは呻く。這って逃げることもできず、強靭な肉体の下でもがくことしかできない。
そして怪物はゲイスの服…ズボンに手を掛け、いきなり下着ごと引きはがしたのである。
怪物の視線が彼の尻を捕らえた。怪物が何を考えているのか、ゲイスはすぐに気づき、今度こそ悲鳴を上げた。
「うわああああああ!!」
必死に体を動かして逃げようとするが、のしかかる怪物の重みに彼の膂力では抵抗など叶わない。
ゲイスは怪物から視線を逸らし、腫れあがった目元や鼻から涙と鼻水を垂らしながら懇願した。
「やめろ! やめてくれ!! 嫌だ!! 何で俺なんだあああ!!」
懇願する言葉を、しかし当然ながら怪物は理解などしなかった。
ドラゴン乗りどころか男としての尊厳すら破壊される恐怖に、彼はとうとう失禁した。うつ伏せになった腹の下の地面に染みが広がる。
怪物は抵抗するゲイスの頭部、そして両脚を押さえた。
「いやだあああああ!! 助けろドラゴンどもぉぉぉ!!」
しかし助けを求めても、ドラゴン達は怪物の相手で手一杯であった。主人であるはずの彼らの言葉は、ドラゴン達にとってただの雑音でしかないらしい。
人間はドラゴン達に見捨てられたのだ、とゲイスは気づいた。絶望に恐慌状態が強まり、彼の頭から思考を奪う。
助からない―――そう思った瞬間、尻に硬い物体がめり込むのに気づいた。
「いぎっ…」
強烈な異物感と激痛に悲鳴が上がる…が、重い打撃音とともにその感覚が消失した。
頭部を破壊されて吹き飛んだ怪物が、離れた場所に倒れこんだ。ジャスタを襲っていた方も既に頭部を破壊されていた。
助かったのかと顔を上げると、そこにはパルが立っていた。彼女が怪物を蹴り殺したのだと、直感でゲイスは気づいた。
「ひ、ひぃっ、ひっ、ひ…ぱ、パル…」
「死にたくなきゃ逃げな」
冷たくそう言って、パルはゲイスの腹の下の染みを見ると、ハンッと鼻で笑った。
失禁した現場を見られたと知り、ゲイスの醜く腫れた顔が紅潮する。
「て、てめぇっ…」
「わかったわかった、黙っててあげるから。ほら、そこの嫁さん連れて避難しなよ」
「…言ったら殺すからな!!」
ゲイスは露出した股間を隠しつつ、どうにかジャスタを担ぎ上げ、近くの小屋に逃げ込んだ。
パルは彼らにかまうことなく、今度は学校の方へと走った。学校前と上空で怪物たちと闘っていたドラゴンは、既に地面に倒れている。
数頭の怪物が学校に迫ろうとしていた。否、既に一頭が跳び込んだらしく、壁が破壊されていた。
「パッフ、手伝って!!」
「グルルゥ!!」
パルは大きな瓦礫を拾って投げ、同時にパッフが水を散弾状にして吐き出した。
瓦礫と水の弾丸は、学校に襲い掛からんとしている怪物の頭部を粉々に破壊した。パルは短剣を抜き、校舎に飛び込む。
そこでは教師のセンティが、噛みつかんとする怪物相手に抵抗していた。
彼が突き出した左腕を守るように、魔術と思われる円形の光の盾が生まれ、噛みついた怪物の顎を阻んでいた。
だが、数秒の抵抗の後に盾はくだけ、怪物の歯がセンティの腕に突き立った。
「ぐぁぁぁっ!!」
「―――先生!」
怪物の背後からパルは飛び掛かり、短剣で怪物の首を切断し、顎を開いてセンティの腕を解放した。
「パルくん…!」
「先生、大丈夫!?」
すぐさま怪物の頭を踏みつぶすと、パルはベルトのポーチから消毒液を取り出し、センティの腕にかけて包帯を巻いてやった。
「助かりました…君こそ怪我はありませんか?」
「あたしは大丈夫。子供たちは…」
「ねーちゃん!!」
「パルおねえさん!!」
センティが腕を押さえて座り込むと、恐怖に泣き出した子供達がパルにしがみついた。その中にはチャムとフータもいる。
「せんせいが、せんせいがまもってくれた…」
「フニ~」
「うん…先生、ありがとう。でももうムチャはしないで」
「判っています。いえ、それより」
センティは倒れた棚の中から何かを取り出した。マントが二枚、短剣と腕輪。
美しく磨き上げられた金属で作られていた。腕輪にはいくつかの宝石が埋め込まれ、それを囲んで文字列が刻み込まれている。
パルはそれを受け取った。センティ、そして子供達たちの視線がパルに集まる。
「君たちが村を出る前に渡すつもりでした。短剣は君に、腕輪はアニィ君に。マントは二人のお揃いです」
「これ…先生、いいの?」
「そのために作った物です。…チャム君から聞きました。君たちは村を出るそうですね」
パルが見ると、チャムも自分の物らしいマントを抱えていた。
「この短剣は君の魔術を通します。強化の魔術によって、切れ味も頑丈さも大きく上昇します」
「わかった。こっちの腕輪は?」
「相手の力を倍にして跳ね返す、魔術の盾を生み出します。…アニィ君でなければ、恐らく使えないはず」
アニィのために作った腕輪。つまり、センティはアニィが魔術を使えることに気付いていたということだ。
彼の眼は悲し気だった。悔恨に満ちた視線から、センティの後悔と罪悪感をパルは感じた。




