第六十三話
まだ幼い頃、それこそ物心つく前は、決して自分と家族との仲は悪くなかったのでは…と、アニィは思っている。
だがドラゴンに乗れず魔術も使えないと発覚するまで、自分が家族にどう扱われていたのか。
アニィはふと先刻の夢を思い出し、プリスに尋ねた。
「ねえプリス。プリスって、村を出る前にわたしと会ったこと、ある?」
《いえ、ありませんけど。どうしました?》
アニィは先ほどの夢の事を説明した。何者かが赤子の少女に抱き着かれ、共に在ることを誓った夢。
その中で、アニィは「何者か」の視点で夢を見ていた。
《へえ。妙な夢ですねえ》
「うん…それに何だか、その姉妹の顔に見憶えがある気がして…」
窓辺に寄りかかり、アニィは夢の中の姉妹の顔を思い出そうとする。
だが夢の中の出来事であり、記憶からはすぐさま消えてしまう。今では姉妹であったという印象しか残っていない。
アニィは思い出すのを諦めて、この話題は結局うやむやの内に終わってしまった。
と、窓辺の前を2人連れで誰かが通りかかった。
一人はクリン医師だが、もう一人は見覚えの無い女性だ。作業着を着て、防塵用の布で顔を覆っている。
初対面の筈の彼女が、アニィに親し気に声をかけた。
「あらアニィさん、お目覚めですのね。お具合はいかが?」
「え…あの……?」
「どうかなさいまして?」
いきなり見知らぬ相手に名を呼ばれ、アニィは思わず身構える。
一方、相手の女性はその様子に首をかしげるだけであった。
だがすぐにその理由に気付き、女性は防塵の布を顔から外した。
布の下から現れたのは、見覚えのある顔であった。
「メグさん…!?」
《いやいやいや。あなた町長なんでしょう、何で労働階級みたいな格好を?》
「そりゃ、わたくしが労働してるからですわよ」
そう答えた彼女の手には、半ドラームほどの長さの金属製の棒やリング、針金らしきものが握られている。
これを見た時、アニィは町を訪れた時の違和感…クリン医師を含む住民たちの腕や脚に感じた、妙な違和感を思い出した。
アグリミノル町は、農業で生計を立てる土地ではなく…
「ここは傷病者の町なんだ。ほら、私もこの通り。姫町長が作ってくれた、新しい腕だ」
メグの隣にいるクリン医師が、自らの左腕を見せた。
軽金属のパイプ、細い針金をまとめた鉄の紐が複雑に組み合わされた義手だった。
指は曲げた金属の板でできており、親指と人差し指に相当する指は独立している。
動作自体は掴むか開く程度しかできないようだが、先ほどナイフで固形食を切った姿を思い返すに、不自由はないようだ。
また一般住民たち、商店街の商売人なども、片手か片足が金属製の義肢になっている者が多く居た。
「もともと、西の方にある工業都市直営の大病院だったんだ。
都市が怪物に…今で言う邪星獣に襲われて、傷病者が逃げてきたが、病院では狭すぎて。
解体して町にしてしまい、今ではこの通りだ」
《へえ》
「そうだったんですか…」
無関心なプリス、いたく感心するアニィ。その反応を見て、医師は自慢げに話しを続けた。
「姫町長はそこの首長の娘でね。前から義肢作りを勉強していて、町を作り設計・開発・配布したんだ。
だから『姫』で『町長』なのだよ」
《へえ》
「そうだったんですか!?」
「先ほどの移動式の診察台も、義肢の応用で彼女のお手製さ。
で、今度はドラゴン用の義足も作り始めたんだ」
「ちょ、ちょっと先生…!」
驚くアニィの視線に照れて、慌てて義肢のパーツを背に隠すメグ。
その反応でプリスは気づいた…住民の義肢が既に町内で一般流通したということは、義肢の技術が完成したということでもある。
ではその先に何をするか。改良、製品仕様の変更など様々にあるだろう。だが、メグが行おうとしているのは―――
《バルベナですね》
指摘され、メグがビクリと肩を震わせた。
どういうことかとアニィが視線でメグに回答を求めるが、当のメグは顔を真っ赤にしてうつむくのみであった。
クリン医師は隣で苦笑するのみ。どうやら彼には事情が分かっているようだ。
「バルベナさんの…それは、義足なんですね」
姫町長ことメグが持つ義足のパーツは、改めて見ると人間の身長よりも大きい。
金属パイプ一本の太さも、人の頭ほどもある。人間が使う物ではなかった。
「…そうですのよ。今のわたくしの技術では、まだ歩ける程度のものしかできませんけれど。
でもバルベナがせめて自分の意志で歩けるように、くらいは…してあげたいんですの…
きっとわたくしの押し付けでしょうけれど。けれど…その……」
恥ずかしそうにうつむくメグ。つぶやく声に申し訳なさが混ざる。
「…素敵です」
だが、アニィは素直に彼女の好意を賞賛した。うつむいていたメグが顔を上げる。
他人のことでありながら、アニィは自分のことのように幸せそうに笑っている。
「メグさんは、バルベナさんのことが、とても…この世界で一番…大事なんですね」
「せ、せかい……… ……ええ。ええ、大事ですわ」
つられたメグも、うつむき気味ではあるが、花が咲いたように幸せな微笑みを浮かべた。
アニィが一瞬、悲し気に目を伏せたのは、家族に愛されなかった過去を思い出したからか、それとも愛し合う2人への羨望か。
そして二人を見ながら、プリスはパルとの会話を思い出していた。
自分はアニィのことが好きだ。少なくとも、種族や『ドラゴンラヴァー』としての関係抜きに、心配するくらいには。
ボルビアス島でヒナを交えた夕食の時、アニィの幸せそうな顔に、ふと自身も気持ちが暖かくなるのを感じていた。
心配するくらいには、という程度の好感ではない。感じたことの無い温かな感情。
《……何なんですかねえ》
「プリス…?」
プリスの小さなつぶやきに、アニィは振り向いて何事かと問う。
しかし自らも回答を持ち合わせていないプリスは、曖昧に笑ってごまかし、話題を変えてはぐらかした。
《時にお嬢さま、バルベナはどうしてます?》
「あちらの厩舎にお迎えしましたわ。これから体のサイズを計って義足を組み立てるのですけど、お会いになります?」
メグが差した「厩舎」とやらの方を見た。
明らかに他のドラゴンの厩舎、あるいは先ほどの集落の厩舎よりもだいぶ大きい。
確かにバルベナは、この町のどのドラゴンよりも大柄な体格ではある。
彼女を休ませるには、相応の大きさが必要なのであろう。
遠目に見た限り、彼女が暴れ出しても崩壊しないよう、金属を多用してかなり頑丈に作られている。
…それはいいが、何の意味があるのか、信じられないほど華美な装飾も施されていた。
外壁や屋根も美しい花の彫刻で飾られ、いったいどこの王国の離宮かと思わされる豪奢さであった。
バルベナはまさにその中に放り込まれたわけで、居心地が悪くないか、そして町民の反応はどうなのかと、プリスは気になって仕方ない。
《………町の人から苦情来ませんでした? こんなもんに俺達の血税使ってんじゃねえウスラボケって》
「た、多少…いえ、全て私財から出しましたもの。それは大丈夫でしたわ」
《ならまあ、良いんですけど。アニィ、どうします? バルベナに会います?》
「ん…先に協会に行ってからかな」
そういえば、とプリスは思い出した。山脈で邪星獣を斃した分の報酬を、まだ受け取っていない。
そちらの事務手続きを済ませてからでも良いだろう。プリスはアニィについていくことにした。
「では、後でいらして。バルベナもきっと楽しみにしてますわ」
《…楽しみにねェ…じゃ、あとで行ってみましょうか、アニィ》
「うん」
アニィは診察台から降り、マントを羽織ってブーツを履き、画板などが入ったバッグを肩にかけ、外に出た。
プリスの背に乗り、姫町長ことメグとクリン医師に見送られて協会へと赴く。
すれ違うたび、道行く人々が好奇の目でプリスを眺めては通り過ぎていく。
プリスは、あらためて町を見渡した。
人間の農業をドラゴンが手伝い、大きな農具を引いて畑を耕している。
シーベイやヴァン=グァドでも似たような物だった…と、思う。
畑の持ち主とは仲が悪くないようだが、通りすがりに挨拶をしていく人間には何も返さない。
これがドラゴンの通常の姿である。共に生活した人間とは農業の手伝いをする程には仲が良いが、それ以外は無関心。
人間が羽虫の生涯に思いを馳せることなど無いのと同じだ。パッフやクロガネ、そしてバルベナが例外なのだ。
そしてこうまで考えている自分自身は、やはりアニィに対して強い関心を持っているのだと、改めて実感した。
その関心はとても暖かく、心地よい―――ドラゴンとして生を受け、初めての感情だった。
ふと軽くアニィの方を振り向く。何事かと小首をかしげるアニィ。
「どうかした?」
《何でもありません》
ただアニィの顔を見てみたかっただけと、自身でも理解できない衝動だった。
それゆえに返事は冷たくならず、アニィも何も言わずほほ笑んだ。




