第六十一話
《はっはっ、ハァァ!?》
思念を伝える魔術故、その慌てっぷりは音声として明確に外部に伝わった。
その叫びを聞いたパル、そしてパッフまでが思わず吹き出す。
バルベナが向けた怒りの視線は、しかし照れているだけとすぐに分かり、全く恐ろしくはなかった。
《アホかテメェら、誰があんなクソお嬢と友達か!》
「でも、少なくともメグをメグだと認識してるね? ドラゴンなのにさ」
《ぐぬっ…》
―――ドラゴンは、通常は人類を個体名や個体ごとの属性では認識しない。
『ドラゴンラヴァー』の選定か、パルとパッフのように幼いころからともにいるかしなければ、まずありえないことだ。
ドラゴンにとって、人類が『人類である』以上の認識は、生育環境で覆されないかぎり、まず無いのである。
しかしどちらとも異なる関係でありながら、バルベナは明確にメグのことを「お嬢」と呼んでいる。
「ドラゴンが人間をその人自身だと認識するってのは、その人がよっぽど嫌いか…
それとも、よっぽど好きかって時だけらしいよ」
反論しあぐねたバルベナは、今度こそぷいとそっぽを向いてしまった。
敵意ではなく、明らかにこれは照れ…好意の裏返しであった。
その気配にヒナは嬉しそうに微笑んだ。
「なるほど、アニィ殿の言うとおりだ。お二人の関係は素敵だな」
《ほっとけ!》
「いいじゃない。あたしそう言うの好き」
「クルクル♪」
「ゴゥ~♪」
《ほっとけっつってんだろテメェらコノヤロかじるぞ》
パッフとクロガネまでが楽しそうに笑う。バルベナは怒りと照れくささに、パル達を背後から尻尾でぺしぺし叩いた。
彼女の表情が人類と同じなら、首から上が真っ赤になっていたことだろう。バルベナは、間違いなくメグを愛している。
邪星獣に襲われたとしても、彼女は今の全身全霊でメグを守るはずだ。
そして―――メグもバルベナを愛している。両者の間には、間違いなく愛がある。
お互いに向けあう瞳の深い優しさ、慈しみ。何物も間に入れぬ愛情が、間違いなく存在していた。
その優しい目が、相手をいつくしむ目が、いつしかプリスからアニィに向けられていたことに…
メグ達を見たパルは、この時初めて思い至ったのである。
ヒナの危惧とは裏腹に、一行は無事アグリミノル町に辿り着いた。
到着した頃には雨が止んでおり、代わりに風がだいぶ冷たくなっていた。
程よいタイミングで目が覚めたアニィは、門を抜けた向こうの景色に目を丸くした。
町の中心の商店街には石畳が敷かれ、建築物は木の骨組みと塗り固めた土でできている。
商店街の露店には新鮮な肉や野菜が並び、それ以外にも様々な武具や生活用品の店が並んでいる。
ほぼ孤立した山間にありながら、シーベイやヴァン=グァドほどではないにしろ、ここもまた文明的な土地だ。
「みなさま~、ただいま戻りましたわ~」
メグは町民たちに向かって手を振った。途端、町民たちが歓声を上げて手を振り返した。
「お帰りで、姫町長!」
「そちらの皆さんは? ここにお引越しで?」
集まってきた町民たちの好奇の視線は、アニィ達、そして後列で2頭のドラゴンの背に横たわるバルベナに向けられる。
獣車から降り、メグはアニィ達を順々に紹介した。
バルベナの紹介だけ、少しだけ長くなってしまったのはご愛敬だ。
客車の中からアニィはその様子を見ていた。
「旅の方たちと、わたくしの命の恩人のドラゴンですわ。
それで、おひとり具合の悪い方がいらっしゃるの。病院は開いてまして?」
メグに問われて出てきたのが、白く清潔な服を着た初老の男だった。
ふと、その男の姿に違和感を覚える。何かが他の人間と違う…
(何だろう…腕…腕が変なのかな…?)
それは白服の男だけでは無かった。集まった町民、全員がどこか立ち姿に違和感がある。
だが体調不良で眩暈のするアニィには、それどころではなかった。
「開いておりますよ、姫町長。すぐ運んでください、だいぶ具合が悪そうだ」
「判りましたわ。アニィさん、少しだけお待ちくださいましね!」
そう言うとメグは再びひらりと御者台に乗り、手綱を引いて町の片隅の建物の前で停めた。
当然プリスも、そしてパルとヒナ、パッフとクロガネも横についてくる。
パッフらの背に乗せられたバルベナも同様だ。
看板には「ドクトル・クリンの魔力診療所」と書いてあった。
プリスと同じく横についてきたのは、先刻の白服の男だ。どうやら彼がドクトル・クリンらしい。
「この方はニクラス・クリン先生ですわ。アニィさん、もう大丈夫ですからね」
「ん…はい……」
パルとヒナが客車からアニィを下ろし、診察室まで運んでいる間、メグはクリン医師を紹介すると、てきぱきと診察の準備を始めた。
自ら獣車でバルベナを迎えに行ったことと言い、姫町長という呼び名に反し、彼女はなかなか活動的らしい。
パルとヒナがアニィの靴を脱がせ、マントも外して診察台に寝かせる。
プリス達ドラゴンが、窓の外から診察室を覗き込む。
幾分か具合が良くなっていたとはいえ、まだアニィの顔色は悪い。
アニィの額の上に手をかざし、クリン医師は診察を始めた。
「む……!」
途端、医師は手を放した。驚愕に両目を見開き、彼はもう一度アニィの額に手をかざした。
《どうしたんです、ドクトル?》
「うぅむ…これはもしかすると、私の手には負えんぞ」
《いきなり職務放棄ですか》
「いや―――アニィさんと言ったか。最近好戦的になったり怒りっぽくなったり、そんなことは無いかね?」
「え…えっと、判らない…です…」
真顔で医師に尋ねられてアニィは首をかしげたが、心当たりがありすぎるその問いに、代わりにプリスが答えた。
《好戦的なのかは判りませんが、邪星獣との戦闘に入る時、やたら簡単に気持ちが切り替わるんです。
何のためらいもなく闘い始めるというか…》
「む…なるほど」
プリスの答えを聞き、続けて医師はもう一つ問う。
「では、心身の疲れはひどい?」
「はい…でも、この手袋をはめてからは、体の疲れは大丈夫なんですけど…」
「今の具合は? 正直に」
「ええと………少しだるい、くらいです…」
《…何が少しですか、全身泥のカタマリみたいになってるくせに》
アニィとプリスの返答に、クリン医師は診察台から離れ、書架の横に詰まれた本の中から、1冊を取り出した。
凄まじい速さでめくり、あるページで止まった。
「やはりそうだ…何度か症例は見たが、私のような凡才ではどうにもならん」
《どういうことです?》
「恐らくこの症状だ。御覧なさい」
ドラゴンが会話している事実も淡々と受け流し、クリン医師がプリス達にページを見せた。
そこに書かれていたのは、魔力の干渉で起こる精神の変調症状であった。
あまりに強大な魔力を持った場合、それが脳に影響して、時に過剰に攻撃的になったり、逆に虚脱状態になる時がある…という症状だ。
また、慢性的かつ過度な心身の疲労は、この症状に起因していることが多いらしい。
詳しい原因や治療法は判明しておらず、医学的な治療は困難ないし不可能とされている。
「つまり、今のアニィは心の病気ってこと…?」
「少し違うが、変調がひどい場合は病気と考えた方が良い。
応急処置としては、とりあえず眠らせて、心を落ち着かせるくらいだね」
「クル~……」
不安そうにアニィを覗き込むパルとパッフに、クリン医師は苦い顔で答える。
「では先生、入院病棟に運びましょう。パルさん達はアニィさんの荷物をお運びになって。
アニィさん、ちょっとだけ揺れますわよ」
「え? はい…」
担ぎ上げられて運ばれるのかとアニィは思ったが、メグが頭側、クリン医師が足側に回り、診察台の端のレバーを押し下げた。
ガチャリと軽金属の音が鳴ると、アニィ自身が横たわるマットレスが、1ドラクローほど持ち上がった。
突然のことに驚く間もなく、ガラガラと音を立てて診察台はメグに押されていく。
台を支える脚には車輪が備え付けてあった。
それこそワゴンの如くメグはアニィを乗せた診察台を乗せ、入院病棟の小さな部屋に入ると、部屋の隅で医師と共にレバーを押し上げた。
再び金属音が鳴り、診察台が低くなる。車輪が診察台の脚の内側に折りたたまれたらしい。
初めて見る設備にアニィは驚き、思わずメグに尋ねた。
「メグさん、これって…?」
「移動式の診察台ですわ。患者さんを運ぶのに便利なんですのよ」
現代社会で言う所のストレッチャー、つまり移動式の診察台である。
ヴァン=グァドですら見たことの無い設備に、アニィ達は感心するばかりであった。
アニィに毛布と枕を手渡しつつ、医師が尋ねる。
「ところで、現時点で何か薬は飲んだのかね?」
「私が今朝差し上げたものを。マウハイランドで摘んだ、メディスリ草で作った丸薬だ。
解熱と軽い睡眠導入、それから滋養強壮の効果がある」
「ほお、あの山脈でメディスリを見つけたのか! それならしばらく大丈夫だな。
では固形栄養食と、何か飲み物くらいでいいか」
ヒナが作ったという丸薬に、クリン医師はいたく感心した。
医師は棚の引き出しから木の箱を取り出すと、蓋を開き中味に木のナイフを入れ、いくつかに切り分けた。
ケーキか何かを焼く途中のような芳香が漂った。
火の魔術を応用し、加熱しながら切っているようだが、一体何を切っているのか…
クリン医師がその中から一片をアニィに手渡す。手のひらと比べてもだいぶ小さい一片だ。
どう見ても焼き菓子であるそれは、医師によれば栄養食であるという。
パルの手伝いで体を起こしたアニィは、栄養食を受け取ると上から下から眺めまわした。
「これを食べて、お茶を飲んだらしばらく寝ていなさい。
ただ、あくまで応急処置であることを忘れずにね」
「はい…」
小さな栄養食を一口で食べ、予想外の味わいに、アニィは小さく目を見開いた。
「おいしい…」
「だろう。小麦農家や菓子職人と一緒に作った物だ」
栄養食であって薬ではないらしく、ヒナの丸薬のような苦みは全く無かった。
火の魔術でカットしながら側面を焼いたためか、焼き菓子特有の香ばしさが強く舌に残る。
クリン医師が言う通り、まさに菓子の触感と味だ。子供でも食べやすいだろう。
本格的な薬品ほどの効力は無いのだろうが、口の中に苦みが残ったまま眠れないよりはだいぶ良い。




