第六十話
客車の中は足場にいくつかの材木と長い紐が積まれ、メグが言った通り少々狭い。
当のメグ自身は御者台に座り、2頭のヘヴィージャガーの手綱を取った。
冷たい霧雨が降っているが、御者台にもちょっとした屋根が取り付けられているため、気にはならないようだ。
アニィはもう一度振り向いて外を見た。
パルとヒナは、それぞれパッフとクロガネの背に座り、プリスがバルベナをパッフ達の背に乗せるところだった。
物凄く嫌そうな顔をしたバルベナを、プリスが両前脚で抱え上げる。
《ぁどっこいしょ》
「ぶふーーーー」
純白に輝く美しいドラゴンのあまりに所帯じみた掛け声に、アニィはつい噴き出してしまった。
うずくまりヒィヒィと笑い声をあげるアニィを、何事かとプリスが覗き込む。
《何ですアニィ。何かおかしなことでもありましたか》
「ご、ごめ…でもプリスが、プリスがどっこいしょ…ぶっふぉ!! げっほげっほ」
いわゆるツボにはまってしまった状態で、プリスのどっこいしょが相当効いたらしい。
「こらプリス! アニィが窒息死したら責任とってもらうからね!」
《不吉なこと言わんでくださいよ! だいたい、アニィの趣味にまで責任取れませんって!》
「ちょっとー。遊んでないで、そろそろ行きますわよー!」
《何が悲しくてこんな、狩られたてのボルトグリズリーのケツみたいなカッコせにゃなんねぇんだよ…》
外からプリス達の楽しそうな会話が聞こえた。
晒しもののように担がれたバルベナが愚痴をこぼす。
全員の準備ができたことを確かめ、メグが獣車を前に進めた。
プリスがその横につき、パッフとクロガネが後に続く。
アニィは馬車の窓から顔を出し、プリスに声をかけた。
「プリス。護衛、よろしくね」
《もちろんです。あなたはゆっくり休んでなさい》
プリスの気遣いに首肯で答えるアニィ。
まだ体の具合は良くないが、プリスを真横から見ているおかげか、然程気にはならなかった。
マントを体に掛け、座席に積んであったクッションを抱え、できるだけ体を温める。
座席には柔らかなシートが敷かれており、メグが言った通り座り心地は抜群であった。
薬の効果に獣車の震動、雨天による涼しい空気、そして柔らかな座り心地もあり、アニィは眠気を感じ始めた。
メグは、アニィとプリスを見つめていた。
自身とバルベナのそれに似た、それでいてどこか淡い感情で通じ合う2人…
出会ったばかりという2人の会話に、彼女はかつての自分自身とバルベナの遭遇の時を思い出していた。
バルベナは照れてしまい、当時の事を話そうとしてもはぐらかされてしまう。
だがメグはよく憶えていた。
優しいまなざしで、正体不明の怪物から彼女を守ってくれた、赤いドラゴンのことを。
鮮やかな花の色のドラゴンとの、真夜中の遭遇の事を。
当時の相手とは、プリスが言っていた通りに邪星獣なのだと、メグは内心で断定している。
ドラゴンをねじ伏せうる怪物など、他にこの地上には存在し得ないからだ。
そんな悍ましい怪物を相手に、バルベナは傷つきながらも立ち向かった。
その姿に恋したのが、つい先日のように思い出される。
一方、パルとヒナは、パッフとクロガネの背に座りながら周辺を見張っていた。
マントのフードをかぶり、顔に雨が当たらないようにしている。
視界は昨夜と比べてだいぶ良くなっている。その分、周囲は良く見えた。
即ち、邪星獣がいても見つけやすい。このことに、二人はむしろ不安を抱いていた。
「…道中より、むしろアグリミノル町に到着してから気を付けた方が良いかも知れん」
「やっとアニィが休める、ってところでか。そうだね、気が抜ける時こそだね…」
「クル……」
これは常々アニィ達自身が不安視していることだが、邪星獣は後発になればなるほど知能が高くなる。
先発から引き継いだ記憶で、アニィ達との闘い方…
それは戦闘行為だけではなく、アニィ達を追い詰める作戦の立案にもつながっている。
蟲型を生み出し、森林や地中に隠れながら追跡していたのが、その証左の一つだ。
いかに見つからぬよう追いかけ、見慣れぬ攻撃を仕掛け、追い詰めるか…
彼らがそれを常に考えているとしたら、こうやって道中では襲い掛からずに油断させることも考えるだろう。
《…あいつら、そんなにアタマ良いのかよ》
「バルベナ。やっぱりあんた、邪星獣と闘ったんだ」
《多分な。ドラゴンに似たカッコの奴らなんだろ? 頭が平べったくて、目玉が6つある奴》
「その通りだ。奴らは邪星皇を通じて知識を後発に引き継ぎ、徐々に高い知能を得ている…と、我々は思っている」
その名にバルベナは聞き覚えが無かったらしく、特に反応は無い。
彼女が反応を示したのは…それも決して良くない反応を示したのは、むしろ邪星獣の知力の方だった。
憎悪と侮蔑が籠った瞳でぎろりと睨まれ、パルは思わず身をすくめる。
《アタマ自体は良いみてェだな。だが、知識を引き継いでるのが事実ならよ。
―――そいつらを調子づかせてんのって、テメェらじゃねえのか?》
そう言われ、推測を述べたヒナは押し黙ってしまった。
邪星獣がアニィ達の行動を学習しているというなら、その行動の進化はアニィ達の対応が原因と、確かに言える。
であれば、対応策を講じれば講じる程彼らは進化していく。
進化では防げぬ技や武具を揃えなければ、やがて泥沼と化す可能性もある。
それでアニィ達だけが相手をするのならまだいい。だが、バルベナは邪星獣と闘った身だ。
彼女が翼や腕を喪うほどの傷を負わされた原因が邪星獣の進化なら、アニィ達に怒りが向くのも当然だ。
「………」
《図星か。どうすんだかね、連中がオレ達並みにアタマ良くなったら。
誰があのバケモノどもを退治するんだよ。アテはあんのか》
「無い…な。正直、我々のせいというのも、確実ではないが否定はできない」
口ごもるヒナの答えに、バルベナは嘲りの笑みを浮かべた。
その直後、パルがバルベナに訊き返す。
「じゃあそれが事実だとして、あんたはどうする?」
《なに? 責任逃れか?》
「違うよ。あたし達は邪星獣も邪星皇もやっつける。けど、全部に手が回るわけじゃない。
あたし達が闘ってる時だって、奴らがあんたとメグさんを襲わないとは限らない。
あいつら、親玉にとって危険なものを排除しているからね。あたし達だけじゃあない」
そこまで言うと、パルは一度言葉を切る。ヒナとバルベナ、両者が自分を見ているのを再度確かめ、話を続けた。
「そういう時、アンタはどうするのかって訊いてるの」
パルに訊かれ、今度はバルベナの方が口をつぐんだ。
そもそもバルベナが邪星獣であろう怪物と闘ったのは、アニィ達とは一切関係の無いことだ。
アニィ達が闘うかどうかに関わらず、邪星獣は危険を感じた存在全てに襲い掛かるという。
そして闘いの結果を知識として後発に引き継ぐ。
アニィ達が闘っていなければ、他の誰かの知識が継がれる。
その脅威は全世界に及ぶ。即ち、バルベナの問…
無関係な者が常に問う「誰が退治するのか」は、最初から成り立たないのである。
「こういう言い方は嫌だけど、最初から『誰か』じゃないんだよ。
闘ってるのが、まともに闘えるようになったあたし達、ってだけのこと。
あんた達だって、もし闘う力と意思があるのなら、あたし達みたいに旅に出たかもしれないよ」
答えを待たず、パルは話を続ける。
だがその口調からは、先刻までの責めるような棘が失われていた。むしろ罪悪感すらにじみ出る程だった。
その調子に鼻白んだバルベナは、小さく笑った。
《確かにな。あのクソお嬢なら旅に出たろうよ。町とやらを放っといてな》
「そしてあんたもついてっただろうね。例え今みたいになってても」
《………ハ。違いねえや》
前脚片方に翼までもがれた今、そう言われても今更遅いのだとばかり、バルベナはそっぽを向いた。
が、ヒナの狼の面の下に覗く傷に気付いたのか、視線だけでヒナの横顔を見た。
《…お前、目ェどうかしたのか》
それに対し、ヒナは爽やかに笑って答える。
「邪星獣にやられたよ。光も涙も奪われ、故郷の里も民も滅ぼされてな。
私はどうにか生き延びて、クロガネやアニィ殿達と出会った」
「ゴゥ」
バルベナが驚き、どう言葉を掛けるべきか迷っていることが、気配からわかった。
程度は異なるが、同じく邪星獣によって一生治らぬ傷を負わされた者の言葉だ。聞かずにはいられないだろう。
だが朗々と語るヒナの口調に、バルベナは困惑を隠せないでいた。
「アニィ殿達のおかげで仇を討てた。ここにいるのはその恩返しだ。
そして、これから先を生きていくために。私はここにいる」
《…何でそこまでできるんだよ。こいつらに腹立たねェのかよ?》
「全く無い。そうだな…何故と理由を強いてあげるなら―――友として、かな」
前方を見ていたパルが、ブホォとむせて顔をそむけた。
相当照れているらしく、顔をそむけても耳が赤くなっているのが判った。
アホかこいつらはと思ったバルベナは、しかし振り向いたヒナの言葉で自分が慌ててしまう。
「バルベナ殿、そなたはメグ殿と共に在りたいと思っているのだろう?
特に理由なく。私と同じようなものじゃないかな」




