第五十九話
携帯食とメグの弁当で予想外に豪華な朝食を終え、アニィが2個目の丸薬を飲むと、準備に取り掛かる。
荷物と即席のかまどを片づけ、マントをパルとヒナが羽織った所で、メグは目ざとく3人の会員証に気付いた。
「あなた達、厄介事引受人協会の会員ですの?」
「うむ。何か依頼でも?」
ヒナが聞き返すと、メグはしばし考え、厩舎の奥の方を覗き込んだ。何も無い。
藁の山を越え、厩舎奥のドラゴン用出入口前まで探してみたが、何も無かった。
「こちらにドラゴンが1頭、いたはずですわ…そちらの護送を協会にお願いしようと思ってましたの」
「ドラゴン? あたし達が来たときはいなかった…いや、ヒナ?」
ここでパルが思い出したのは、昨夜ヒナが感じたという屋外の気配であった。
少なくとも攻撃的な意思は無かったというが、夜が明けた現在は…
「うむ。我ら以外にも一つ気配がある…まだ消えていない。
メグ殿のおっしゃるドラゴンかも知れぬな。探してみよう」
どうやらここから移動していないらしい。パルとパッフ、ヒナとクロガネ、そしてメグが厩舎を出る。
アニィとプリスはその場に残り、皆が帰るのを待ちつつ考える。
ヒナが感じた気配と言うのがメグの言うドラゴンであれば、つまりここはドラゴンが住んでいる集落というわけだ。
「ここもドラゴンの牧場とか、あるのかな…」
《かも知れませんね。ここなんかドラゴンが3頭詰まっても楽に寝られましたし》
プリスはひょっと奥側出入口から顔を出し、集落を見回した。
《他にもドラゴン用の厩舎があります。ただ、どの建物もそうとう傷んでますね。全く手入れがされていない》
「じゃあ、ここは廃村…」
《でしょうね。まあこんな、周りが山ばかりじゃ暮らせないでしょう…だから連れ出すんでしょうけど》
挙句、付近には邪星獣まで棲んでいたのだ。人間どころか、ドラゴンが休むにも適しているとは言い難い。
メグの依頼とは、恐らくそれを危惧してのことだろう。こんな場所ではいずれ立ち行かなくなると。
つまり、メグはここにそのドラゴンが居座っていることを知っている…
そしてそのドラゴンと何かしらの縁があり、かつ知り合いなのではないか。
アニィとプリスはそう推測した。
《ここに通って世話を続けていた、って所ですかね。あのお嬢さま》
「うん…それで、やっとそのドラゴンさんが落ち着ける準備ができたんじゃないかな…」
ただの世話好きか、それともドラゴンと何かしら深い関係でもあるのか。
アニィ達がそう考えていると、パル達が厩舎に戻ってきた。
「ごめんあそばせ。お連れいたしましたわ」
そう言ってメグが引きつれていたのは、確かに全身真っ赤な鱗に包まれたドラゴンであった―――
左の翼を引きちぎられ、同じ側の脇腹には抉られた傷跡、右の前脚が肘から先を失っている。
両目の間には斜めに走る傷、2本あった角の片方が折れて、更には背中にも引き裂かれた傷跡がある。
アニィとプリスの目は、全身の傷跡に轢きつけられた。壮絶な戦いの痕であった。
いずれの傷跡も、同程度の大きさの怪物の爪、牙で引き裂かれたものとわかる形だ。
ドラゴンと同じサイズの巨大な生物。それも肉弾戦のみで、ドラゴンの肉体を損壊しうる膂力の持ち主。
間違いなく邪星獣だ。
「メグさん、そのドラゴンさんの傷って…」
「何マブリスか前、わたくしが怪物に襲われた時、守ってくださったの。
相手が何だったのか、結局教えてはくださいませんでしたが…」
「え、教え…?」
メグは自慢げにドラゴンに寄り添って答えた。
「ええ。この方、お話しできますのよ!」
《てめぇ、さっそくばらしてんじゃねえよ!》
文句を言ったのは低い女性の声だが、明らかにプリスとは異なる声質の、赤いドラゴンの声であった。
しかも思念を音声に変えて周囲に聴かせる、プリスと同じ魔術だ。思わずアニィとプリスは顔を見合わせた。
それにかまわず、赤いドラゴンはプリスを睨みつけながら言った。
《そこの白い奴、てめぇもお話しできるんだろ。
隠してんじゃねぇよ、何か言ったらどうだ。あ?》
「え、そうなんですの?」
赤いドラゴンとプリスを見比べるメグ。アニィがパル達の方を見ると、苦笑して様子をうかがっていた。
どうもこのことを言いふらさないようにと釘を刺されたようだが、恐らく一番に刺されたのはメグだろう。
プリスは小さくため息をつき、赤いドラゴンの要求にこたえることにした。
《………知り合いでもない人間の前で話すのは、あまり好きじゃないんですがね。
どうやらお嬢さまが理解ある方のようですので、まあ今は良いでしょう》
「あら、本当でしたのね。バルベナ以外にお話しされるドラゴンさんがいらっしゃるとは、わたくしビックリですわ」
《ナニ名前までバラしてやがんだ、このクソお嬢!》
赤いドラゴンことバルベナは、すさまじく口が悪い。
バルベナはメグのことが嫌いなのだろうか…
アニィはそう心配して見ていたが、彼女の目に悪意を見出すことはできなかった。
パル達もどうやらそれを知っているらしく、呆れた笑いを浮かべている。
「あの2人、話すときはいつもあんななんだって。楽しそうにさ!」
そんな風に話すパル、そして見守るヒナも、どこか嬉しそうだ。
そう言われてよく見ると、確かにバルべナの表情は明るい。
少なくとも、ヘクティ村の人々のような悪意は、メグにもバルべナにも無い。
加えてよく考えれば、バルべナはメグにだけは名前を、そして会話ができることを教えているのだ。
仲が悪いわけではなく、単にバルべナが普段から粗暴な話し方をしているのと、照れてしまっているだけのことなのだろう。
口喧嘩…とも言えない言い合いをする2人の姿は、じゃれている姉妹や友達同士のようにも見えた。
そんな二人を見て、アニィの頬がほころぶ。
「仲、いいんですね」
「そうなんですのっ!」
《なわけあるかボケ!》
全く同時にメグの肯定とバルべナの否定の返答が返ってきた。全く同じタイミングだ。
「素敵です。何だかいいな…」
「あらっ…」
《んなっ…》
そして、照れるのも二人同時であった。
返答に詰まっただけではない、バルべナの方は僅かに震えていた。
怒りではないのは、目を泳がせつつもちらちらとメグを見るバルべナの視線で分かった。
やはり照れているのだ。決してメグを嫌っているのではない。
何やら言い争う二人を、プリスが咳払いの一つで収めた。思念の咳払いに意味があるのかは判らないが。
《おほん。じゃあ運ぶ前に、お嬢さまにお聞きしますが。
今回、アニィ達を指名した受注依頼ということで良いですか?》
「ええ。うちの村にも協会支部はございますから、そちらで事後承諾の形で書類を提出させていただきますわ。
報酬額については町の協会職員と精査してからお渡しいたしますから、1ディブリスだけ宿泊してくださる?」
プリスは一度アニィの顔を見た。メグとバルべナの仲の良さに微笑んでいるが、顔色はまだ良くない。
最低でも明日までは休ませた方がいいだろう。
《構いませんよ。では依頼については現地で。で、その子はどうやって運ぶんです?》
「馬車に荷台とかは無いんだよね?」
パルが厩舎の前に置かれた馬車…というより、引いているのがヘヴィージャガー2頭のため獣車というべきか。
御者はおらず、後部に荷台などを取り付けられている様子はない。
が、客車の中には紐やいくつかの荷台、工具が詰まっている。
どうやらこの場で道具を用意する気だったらしい。
しかも自ら作るつもりだったようだ。無計画なのか、器用さに自信があるのか。
しかし、そんなことをしていては翌日までかかるだろう。仕方なく、プリスが運搬を申し出ようとするが。
「クルクル!」
「グオゴゴゴ!」
そこで主張したのが、パッフとクロガネであった。
「何とおっしゃってるの?」
《この2人が背中に乗せて運ぶと。良いんですか、2人とも?》
「クル!」
「ゴゥ!」
双方とも首肯で快諾を示す。それを見たバルべナは、猛烈に嫌そうな顔をした。が、プリスは勿論無視した。
両者の『ドラゴンラヴァー』であるパルとクロガネもまた、それぞれ相方のドラゴンにバルべナの事を任せることにしたらしい。
それぞれの相方に、任せたとばかり肩を軽く叩いたり鼻先を撫でたりしていた。
「じゃ、あたしたちはパッフとクロガネに乗ってく。
アニィは馬車に乗って、プリスが横についてあげてて」
「え、わたしも…」
自分だけそんな楽をしては申し訳ないと、アニィは抗議するが。
「まだ雨が降っている。体を濡らさぬ方が良いぞ、アニィ殿…かまわぬな、メグ殿?」
「もちろんですわ。中は狭いですけれど、乗り心地自体は最高ですわよ!」
ここでもまた、押し切られてしまった。具合が悪いにもかかわらず、アニィは自らも働こうとする。
却って体を壊してしまうので、ここは強引に押し切ってでも休ませるべしと、アニィ以外全員が考えている。
ある意味ではメグのマイペースさは、今はプリス達の助力になっていた。
そしてそこまでまとまったところで、プリスは一度全員の顔を見回した。
バルべナの全身の傷跡から、アニィ達はバルベナが邪星獣と闘ったことを既に勘付いている。
昨夜はこの集落の南側で、アニィ達自身が邪星獣と闘った。
さらに上空の敵の気配が未だに残っている、とヒナが言う。
この意味では、メグも邪星獣と全くの無関係ではいられないのだ。
彼女には事情を説明する必要があった。
《お嬢さま。邪星獣という怪物はご存知ですか?》
「協会の広報で読みましたわ。ドラゴンに似てるくせに、悍ましい怪物なのですってね」
《私達は夕べ、そいつらと闘いました。ですが、まだ全て滅ぼしたわけではないんです
それとあくまで推測ですが、バルベナが闘った相手もそいつらです》
そこまで言われ、メグは何かを思い出したらしい。
「では、あの派手な土砂崩れと地割れは…」
「私たちが闘った跡だ。そして、まだ上空の気配が一つ残っている。この雨はそいつが降らせているらしい。
道中で、そして町でも襲われる可能性はまだある…それだけはご理解いただきたいのだ」
メグはヒナの言葉を一切否定しなかった。広報の事と外の惨状から、すぐに邪星獣の脅威を理解したらしい。
「判りましたわ。護衛はお願いいたしますけれど、わたくしも充分に気を付けます」
《それがいいです。―――よし、じゃあ行きましょう》
プリスに言われ、メグはアニィを連れて馬車に乗せた。申し訳なさそうな顔で、アニィはプリスの顔を見る。
プリスは何も言わず、軽く前足を上げて答えるのみだった。




