第六話
村人の大半から蔑まれていることを、アニィは自覚している。
だが『死なれたら寝覚めが悪い』とすら思われていないことは、流石に予想外だった。
この異常な状況によって、アニィに対する村人たちの考えが如実になった形だ。
彼らは、アニィのことは存在価値すら無いものと思っているのだ。
―――この人達は、助かって良い人達なのだろうか?
―――ここまで他人を邪険にする人達に生きる価値はあるのか?
決定的に自らの倫理を揺さぶる自問だった。
だが、考えている暇はない。せめて、友達であるチャムとフータは助けなければならない。
きっと学校に閉じこもり、恐怖に震えていることだろう。
幸いにも怪物たちはアニィの事を見ていない。今なら、と駆け出そうとした。
その行く手を、一際大柄な一頭の怪物が阻んだ。邪悪な視線を前にアニィは怯む。
その視線に宿るのは敵意だ。こいつは殺さねばならぬという、敵意に満ちた視線だった。
敵意。裏を返せば、アニィへの警戒、あるいは恐怖を意味する。
だがそれを知ってどうすることもできず、アニィは立ち止まっている。
迂闊に動けば攻撃される。怪物と闘えるほどの能力など、今のアニィには無い。
せめてドラゴン乗り達が帰って来れば、追い払うくらいはできようか。
(パル、早く来て…!)
そう願った時、上空にいくつかの影が見えた。美しくも力強い体躯を持つ超生物。ドラゴンの群れだ。
先頭にいるのはパッフ、そしてその背に乗るパルだった。
普段はおとなしいパッフが、今まで見たこともないほど険しい顔をしていた。
視線は怪物たちに向けられている。つまりパッフにとって、怪物たちは明確な敵なのだ。
他のドラゴン達も同様に怪物を威嚇している。だが、アニィの眼前で予想外の事態が起こった。
ドラゴン達は、背中に乗ったドラゴン乗りを突如振り落としたのである。
「うわぁぁっ!」
「いってぇ! 何しやがる!」
怒りと落下の痛みから口々にわめき、ドラゴンに追いすがろうとするドラゴン乗り達。
しかしドラゴン達は人間を一切無視し、地上の、そして空中を飛ぶ怪物たちに向かっていく。
パッフに乗ったパルがドラゴン達を率いているような構図だ。
(どういうこと…?)
だがアニィが疑問に思う暇もなく、ドラゴン達は怪物どもを相手に闘い始めた。
しかもいつもの狩りの時のゆったりした飛翔からは想像できない超高速飛行で、怪物に突撃しては殴りかかり、叩きのめしていく。
その最中、パッフの背に乗ったままのパルが地上のアニィを呼ぶ。
「アニィ! 行って!!」
パルが指すのはいつもの湖の方角だった。
「先に行って、あのドラゴンと一緒に!
あたし達もこいつらを片づけて、チャムとフータを連れて追いつく!!」
「でもっ…パル!」
「死ぬ気はないから、大丈夫!」
おぞましい怪物どもを前に、パルは気丈にそう言う。
直後、パルは弓に矢をつがえて引き絞り、すぐさま放った。
強烈な一矢が怪物の頭を貫く。怪物はその一撃で絶命し、地上に落下。
肉体は崩れ溶けだし、地面にしみ込む前に消えた。
パルは十分に怪物どもを相手に闘える…その事実が、アニィの決断を促した。
「…待ってて、パル!」
アニィは走り、いつもの湖へと向かう。途中で横から怪物が噛みつかんとしてきたが、肩からあたって弾き飛ばした。
その背後から村人たちの声が聞こえた。
「あいつ逃げたぞ!」
「何一人だけ逃げてんだ、おい!!」
思わず止まってしまいそうになる足を、アニィは無理やり動かして走った。
背後から何人かの足音が聞こえてくる。だがアニィが走る速度が勝り、村人たちは置き去りにされた。
罵声を背に、アニィは耳をふさぎながら駆け抜けた。
ネイヴァ姉妹、そして姉妹の相棒のパッフとフータを助けるべく、白いドラゴンに助力を願うため。
その間も、パルはパッフの背中から跳び、怪物の一頭の首筋に蹴りを叩き込んだ。
身体強化魔術抜きにして恐るべき跳躍力、そして膂力の一撃で怪物は頭をふらつかせる。
だが命を奪うにはほど遠い。先刻のように頭部を確実に破壊する必要があると、パルは悟った。
それをパッフも同じく理解したらしい。大きく開いた口に何かが輝く。
パルはすぐさま怪物を蹴って跳び、パッフの背中に戻った。
「グルァアアアア!!」
パッフの口から水流が放たれた。それがただの鉄砲水ではない証拠に、怪物数頭の頭部をまとめて貫通した。
他のドラゴンも、怪物に噛みつき、時には爪で翼を引き裂くなどして闘っている。
ドラゴン達に頭部を粉々に破壊され、力を失った怪物たちは次々と地に落ちては崩れ、消えていく。
パルは身体強化魔術を使えるようになってから、ドラゴン達とともに闘う格闘術を独学で身に着けた。
空を飛ぶドラゴン達の背中を足場とし、跳び撥ねながら空中の的を蹴る、あるいは弓矢で射る、短剣で斬るという闘い方だ。
パッフのみならず複数のドラゴンに助力を願い、4ネブリス(4年)ほどかけて完成させた。
名付けて『テンペストアーツ』。嵐の如く舞い、必殺の一撃を叩き込む格闘術である。
身体強化魔術が無くとも、超人のごとき跳躍力と膂力によって、ドラゴン相手の組手でも充分に闘える腕前だ。
「だぁらァッ!!」
パッフの背中から跳躍し、5分の1ドラフラプ(約10メートル)離れた怪物の頭上に一瞬で跳躍。
空中で身をひねり回し蹴りを叩き込む。骨格の無い体にめり込み、怪物は一瞬意識を失い、空中でバランスを崩す。
その間にパルは背中の短剣を抜くと、怪物の脳天に突き刺した。
完全な頭部の破壊には至らないが、動きを停めるには十分な効果がある。
すぐに短剣を引き抜きつつ怪物の頭部を蹴り、近くのドラゴンの背中に着地。その間に別のドラゴンが怪物に接近し、前脚を叩きつけた。
「ゴォォオオオ!!」
裂帛の咆哮と共に、ドラゴンの打撃が怪物の頭を砕いた。また一頭の怪物が絶命する。
だがその直後、その背後からまた別の怪物がドラゴンの首筋に嚙みついた。
ドラゴンは振りほどこうとするが、噛みつかれた傷から大量の血液が噴き出す。
立て続けに複数の怪物が集まり、ドラゴンにのしかかって噛みつき、あるいは爪を突き立てる。
「パッフ、水!」
「グルァアア!!」
別のドラゴンの背から跳んだパルが、怪物に向けて矢を放つ。同時にパッフが水流を吐くと、矢と水流が群がった怪物の頭部を貫いた。
ドラゴンは解放されたものの、翼も引き裂かれたことで力なく地上に落下した。
この一連の流れが、人の眼では捉ええぬ速度で行われている。そこらのドラゴン乗り程度では到底間に入れぬ闘いであった。
まともに怪物と闘える人間は、この中ではパルだけであった。
地上にいる村人たちは、上空の光景を呆然と眺めていた。理解が追い付かないからか、避難という適切な行動すらとらずにいる。
バカどもが…とパルは内心で毒づいたが、避難させてやる余裕は無かった。
単純な戦闘能力ではドラゴンと怪物は同等。
そこにパルの高い機動力とパッフの水流の破壊力が加わることで、一見するとドラゴン達の方が押しているように見える。
だがパルとドラゴン達が倒しても、怪物はまた新たに姿を現し、その数は一向に減らなかった。
「学校は―――!」
「クルル!!」
パルはパッフの背に着地。共に学校に視線を向けた。幸い、学校はドラゴン達に守られている。
だが、いずれ数の暴力に押されてしまうだろう。ドラゴンの方は一頭たりとて増えないのだ。
そして地上の人間たちは、戦力として到底頼りにならない…それはドラゴン乗りとて例外ではない。
その時、大地を揺らして何かが走る足音が聞こえた。大量の群れだ。
地上の動物が怪物たちに刺激されたか、と思ったパルは地上を見下ろし、愕然とした。
ドラゴン達と闘う怪物どもと酷似した、より小さな怪物たちが、どこからか走ってきたのだ。
「仕方ない… ごめんみんな、空の方頼む!!」
「クルルル!」
パルは空中で闘うドラゴン達に呼びかけた。一部のドラゴン達が、視線だけで任せろと返答を返す。
パッフがパルを乗せたまま、地上へと降下した。
アニィは息を切らして走り、湖に辿り着いた。目の前には静かな湖面が広がっている。怪物どもはここに近づく気が無いようだ。
遠くないはずの湖が、やけに遠く感じた。だが、ここにいるドラゴンに助力を願えば―――
アニィは湖面に向かって声を張り上げた。
「ドラゴンさん!!」
返答は無い。諦めず、アニィは呼びかける。
「白いドラゴンさん、力を貸して! お願い!!」
すると、二度目の呼びかけに応じて湖面が揺れた。しぶきが上がり、夜明けに出会った純白のドラゴンが湖から顔を出した。
その美しい姿、そして超然とした視線に、アニィは一瞬気圧される。だが歯を食いしばり、何とか声を絞り出す。
「ドラゴンさん、助けて欲しいの! 村に、怪物が―――」
《ほお。怪物ですか》
意外にも返答があった。低い女性の声だ。アニィは周囲を見回し、自分以外に目の前のドラゴンしかいないことから、声の主を悟った。
「……あなた、お話しができるの…?」
驚愕しながら問うアニィに対し、ドラゴンは悠然とした…そしてどこか意地の悪い話し方で答える。
《発声器官は使いませんが、思考を伝えることはできます。それで?》
「それで、って」
《あなたは何を望むのです》
一瞬答えに詰まった…が、アニィは思い直した。怪物が、としか言っていない。
話せば事情は理解してくれるだろうと、アニィは状況を説明しだす。ドラゴンは村の方角を眺めた。
「わたしの村に、ドラゴンに似た怪物が現れて、襲ってきたの」
《ふぅん―――ふむ。確かに怪物がいますね》
「その怪物をやっつけるのを、手伝ってほしい!」
このようにドラゴンと会話したのは、アニィにとって初めての体験であった。
即ちドラゴンの道徳や倫理観などは全く知らない。理解の範疇外のことだ。
ただ、会話が通じるなら助力の要請は理解してもらえるだろう。希望的観測だが、アニィはそう考えていた。
だが白ドラゴンの返答は、想像以上に冷たいものだった。
《それがあなたの望みですか?》
アニィに向き直り、そう尋ねた―――それだけであった。愕然として、アニィは今度こそ返答に詰まった。
「……え」
《さきほど訊いたでしょう。あなたが何を望んでいるのかと》
「…それは」
《それがあなたの望みなのですか?》
より詳細な…誰を助けたいのかという返答が必要か。アニィは必死になって言葉を選ぶ。
思い出したのはパルとチャムのネイヴァ姉妹、彼女達の相棒の事だ。
「友達が―――友達が闘ってるの。他の村の人たちのことはいいから、その子達を」
《違う》
だがパル達のためと説明しようとしたところで、ドラゴンに遮られた。
思念の声は冷たく、それでいて明らかに苛立っている。
《違う、違う違う違う違う!》
「何が違うって言うの!?」
《だから言ったでしょう。私が訊きたいのはあなたの望みなんですよ》
ドラゴンは身を乗り出し、アニィの目を覗き込んだ。全てを見透かさんばかりの眼に、思わずたじろぐアニィ。
《目が泳いでますね、やはり。私が訊きたいあなたの望みとは、他の者なぞ一切無視し、誰の邪魔も許さぬ願いなのです》
「…じゃあ何を言えば良いの。どうすればあなたは、村を…パル達を助けてくれるの?」
《むしろ訊きたいんですがね、あなたそれが本当の望みなんですか? 友達を助けてというのが、本当の願い? 違うでしょう》
ドラゴンの声からは、いつの間にか威厳が失せていた。だがそれ故、生々しい言葉にズキリとアニィの胸が痛んだ。
アニィの願い。それはパルやチャムのことも、まして村のためなどということは一切考えない望みだ。
そして、村で罵詈雑言を浴びせられるうち、いつの間にか見失ってしまった願い。一生叶うことの無い望みでもある。
口にすれば嘲笑されるからと、笑われるよりは気持ちが楽だからと、今の今まで無理やり押し黙りつづけた。
今もなお、言葉にしようとすれば唇が…そして膝が震えてしまうほどに、アニィは自身の望みへの嘲笑で傷ついていた。
アニィは今の自身の行為を顧みた。道徳的な言葉を並べれば助けを請えるだろうという、打算的な行為であったことに気付く。
否、最初から気づいていた。情に訴えるのが確実だろうと、目の前のドラゴンを相手に勝手に期待していた。
それはドラゴンに対し、余りに不誠実な行いであった。
卑劣な言動であったと、アニィはあまりの罪悪感に顔を青くしてうつむいた。
そんなアニィの表情を見て、ドラゴンは何を悟ったのか、打って変わって優しい声で尋ねる。
《お嬢さん。あなた、自分の心を押しつぶすのに慣れてしまったんじゃありません?》
村人からの罵詈雑言に耐え続けるうち、アニィは自身の心をひたすら押し殺していた。
だが心を持ち幸福を願う一人の少女が、そんな日々に耐えられるわけが無い。だからこそ朝、限界を実感したのだ。
そんなアニィをドラゴンは諭す。
《己の望みを託すこと。それがドラゴンへ助力を請うにあたっての誠実さであり、それこそがドラゴンを愛するということなのです》
「誠実…愛する…」
《当たり前でしょう、生命として格が違いすぎるんですから。助けを願うならそのくらい正直になれってことです。
ただ一度助けを願うだけでも、人がドラゴンにすがるなら、それだけの対価と信頼を見せねばなりません》
判るような、判らないような…だが誠実であることは、まさに格上に対しての最低限の礼儀でもある。
ドラゴンは半ば笑いながら話を続けた。
《あなたの目の前にいるのはドラゴンなんですよ。クソ浸たしの便所虫みたいな村人なんか鼻息で吹き飛ばす、偉大な存在なんです》
「………うん」
《その偉大な存在が、望みを言えと言ってるんです。ちゃんと聞きます。言わない理由があります?》
アニィは首を横に振った。
そうなのだ…目の前にいるのはドラゴン。しかも思考を言葉にして伝える、超常能力を持つドラゴンだ。
村人の罵詈雑言など、彼女の助言に比べたら雑音にすらならない。
アニィは顔を上げ、ドラゴンの目を正面から見つめた。今改めて、ドラゴンを見つめるとともに、自身の望みに向き合う。
深呼吸すると、アニィは口にした。
「……………飛び…たい」




