第五十五話
すぐさま水平に刀を振り抜き、動きを止めた蟲型を切り捨てる。
続けて吐き出された鉄の糸を跳んでかわし、再びクロガネの頭部に乗った。
「いたぞ、地下だ!!」
表面の岩と震動の仕方が異なる、かなり大きな塊があるのを、彼女は感知していた。
地面から伝わる震動を足の裏に感知して、岩の下の状態を感知したのである。
まさしく地蜘蛛の如く、岩石の中に潜りこんで待ち伏せていたのだ。
そしてヒナが発見した途端、足元の岩が震動し、割れ始めた。
「出てくる気だ…! みんな、集まって! 土砂崩れになる!」
アニィが叫び、全員が集合した。
そして全く同時に、巨大な岩の塊の層を破壊し、爆発的な勢いで巨大な蟲型邪星獣が、岩の下から飛び出して来た。
『GESHSHSHEEEAA!!』
薄気味悪いうなり声を乱杭歯の間から漏らし、ぎこちない笑顔を浮かべる指揮官個体。
どうやらガ=ヴェイジのような高い知能はもっていないらしい。
だが、そのサイズは過去の指揮官個体や大型と比べてもだいぶ大きい…
否、長大な四肢と副脚によって巨大に見えた。
体躯では大型と変わらないサイズだが、前脚1本とっても全長と同等のサイズ。
副脚に至っては目測でその3倍はある。
それが岩盤を粉々に破壊する膂力を持っている。恐るべき破壊力であった。
そして同時に、アニィ達には無視できぬ事態が起きつつあった。
指揮官の蟲型は、岩盤のみならず、より深くにある土の層をも破壊したのである。
噴出した大量の土、そして岩石がふもとの方へと転がりつつある。
大雨によって、既に中腹では地滑りが起こり始めていた。
この破壊、そして震動によってそれが加速する。
地図を見たパルの記憶によれば、山脈と山脈の間に小さな集落がある筈であった。
近辺の村から出奔した者達が集まった集落であろうか。アニィは起こりうる被害を想像した。
「このままじゃ、集落が土石流に飲み込まれる…!」
《全員手近な岩に乗って!》
プリスの叫びに答え、パッフとクロガネは目の前に転がってきた岩石に飛び乗った。
ドラゴン3頭はそれぞれに巨石に乗り、雨に濡れた岩肌を滑り始めた。
滑らかな岩肌のおかげか、ガリガリとこすれたり激突で割れたりすることも無く、波乗りの如く滑降していく。
上空への退避を選ばなかったのは、視界不良の中で指揮官個体を見逃さぬため。
即ちこの山脈から逃がさず、確実に仕留めるためである。
一方で蟲型の群れは、転がる岩石から岩石へと飛び移りながらアニィ達を追っていた。
中心に指揮官個体が陣取り、その周囲を兵隊たちが防護するように囲む隊列を組む。
指揮官が上空に向けて糸を吐き出すと、鋼鉄の繊維の塊が隊列を跳び越え、アニィ達の頭上から降り注いだ。
繊維の塊は空中でばらけ、ほぼ不可視の糸と化して飛び散る。
「やぁああっ!!」
アニィは両手を大きく広げ、全身からプリズムの線を放出。繊維を全てかき消した。
極めて正確なコントロールにより、極細の鉄の糸1本1本を消し飛ばしたのである。
「やった、流石! ―――アニィは上空頼む、あたし達は正面のを落とす!」
「グルァァッ!!」
真正面から飛んできた鉄の糸を、パッフの水の散弾とクロガネの鉄の弾丸が落とし、パルの矢が次々に邪星獣を撃ち抜く。
一方、ヒナは刀で時折地面叩き、地質を調べていた。
数ブリス下れば、岩の層から土の層へと変わる。すなわち、足元がより不安定になる。
アニィ達は想像もしていまい。ならば集中を切らされるよりはと、ヒナは視線だけ送って説明は省いた。
群れの中から数体が飛びだし、上空からドラゴン達に向けて糸を吐き出す。
アニィが左腕のブレスをかざして結晶の盾を出現させ、糸を反射する。糸は襲い掛かる蟲型を貫いた。
が、その直後。別の個体が群れの中から放った糸が、上空を向いていたアニィの脇腹を抉った。
噴き出した大量の血が滴り、濡れた岩盤ではじけ飛ぶ。
「ぐぅっ…!」
《アニィ!!》
光線を吐き出そうとしていたプリスの動きが止まる。
その隙をついて、プリスに噛みつかんと数頭が列から飛びだしてきた。
ヒナがクロガネの頭部から跳躍し、飛び出した蟲型数頭を、刀の一振りでばらばらに切り刻む。
着地地点を失ったと思われたヒナは、上手い事転がってきた岩を蹴ってクロガネの頭部に戻った。
「プリス殿、アニィ殿の治癒を!」
《助かりました―――アニィ、すぐ治しますからね!》
プリスの翼が光り、アニィの抉られた脇腹がすぐさま癒えていく。
だが予想外に強烈な痛みに、アニィは一瞬意識を失いかけていたらしい。
数度瞬きし、深く呼吸してやっと目を開いた。
皮膚を切り裂かれただけではなく、その中を無数の金属繊維で抉られたのである。
常人なら気を失ってもおかしくない激痛の筈だった。
「ごめっ…だいじょうぶ、もう大丈夫だから」
《アニィ……!!》
あくまでも気丈に無事を主張するアニィの姿に、プリスは言いようのない不快感を覚えた。
アニィの事を不愉快に思ったわけではない。
アニィが痛みを無理に我慢しているのが、無性に不快であった。
意識が不快感に傾きかけたところを、ヒナの声でプリスは我に返った。
「アニィ殿! 起きて早々済まぬが、しっかり捕まっていてくれ!」
何かあると察し、アニィとパルがそれぞれプリスとパッフの背にしがみついた。
直後、ドラゴン達は身をかがめる。
「―――跳べ!!」
ヒナの合図でドラゴン達が跳躍、すぐに降り立つと、爪が深く地面にめり込んだ。
既に土砂崩れが起こり、土の層の地面はどろどろにぬかるんでいたのである。
先刻まで乗っていた巨石は、泥にめり込むとあらぬ方向に転がっていった。
飛び降りなければ後方に転倒していたことだろう。
プリスは光の糸を生み出し、手近なところの巨大な倒木3本に巻き付け、引き寄せた。
プリス自身、そしてパッフとクロガネが幹に乗り、大量の土砂とともに泥の斜面を滑降していく。
蟲型の群れはなおも追いすがった。だが足先は泥にめり込み、跳躍も歩行もままならず、群れの進行が一度止まる。
だがすぐに彼らは方針を切り替えた。大きな腹で指揮官個体が滑降し、他の個体はその体にしがみつき始めたのである。
集合したことで重量が指揮官一体に集まり、滑走する速度が上昇した。
パルはふもとの方を振り向く。
雨に視界を遮られているが、強化魔術を目に施すと、さびれた集落が遥か下方に見えた。
遥か下方ではあるが、滑降の速度は土砂とほぼ同じ、1ジブリスに半ドラカイリ(時速50キロ前後)を越える。
長くとも5フブリス程度あればふもとまでたどり着くだろう。
そして土砂は既に集落の付近に堆積しており、その上にこの量が積み重なれば、間違いなく被害は発生する。
土石流の被害を防ぐこと、邪星獣の群れを全滅させること、二つを両立するには―――
「みんな、わたしに考えがあるの!」
逡巡していたパルの思考を遮ったのは、アニィの声だった。
「麓近くに到着したら全員飛んで! それからあの指揮官の奴を仕留めて!
それまで悪いけど、何とかしのいで!」
《―――よし、まかせましたよアニィ!》
真っ先に同意したのがプリス、そしてパル達も首肯で同意を示した。
幾分変わり出したとはいえ、自己否定を常に胸に抱くアニィにとって、この作戦を伝えることにも勇気は必要だったはずだ。
それが証拠に、彼女の口元は不安と緊張で引き結ばれ、言い終えた後も不安そうにうつむいている。
起死回生の作戦が失敗したら…発案に対し頭の中に渦巻く自己否定を、アニィは意志の力でどうにか制した。
友を失うかもしれない恐怖、己の意思を口にすることの恐怖を抑え、それでも不安を拭いきれないでいる。
ならば、成功のためになおさら任せなければいけないと、プリスはアニィのアイディアに真っ先に賛同した。
アニィの光の魔術は強力だ。使い道によっては、直接の攻撃以外にも大きな効果がある筈だと。
『GHEEESHEEE!』
それをあざ笑うかのように、一塊になった蟲型が、一斉に鉄の糸を吐き出した。
雨あられと注ぐ金属繊維を、全員が魔術の弾丸で打ち消し、あるいは武器で払い落す。
流れ弾で泥が飛び散り、木の根が断たれる。
全て防ぎ切った…そう思った直後、指揮官個体は長い副脚を伸ばし、アニィに先端を突き刺そうとした。
「どりゃぁっ!!」
「ハァッ!!」
それを両脇から、パルが短剣で、ヒナが刀で斬り払う。
硬質な刃が強固な爪を弾き飛ばし、赤い火花を飛び散らせた。
安全が確保されたところで、アニィは両手を胸の前で合わせ、魔力を集中し始めた。
既に作戦の準備に入っているのだ。
《パルは下見て、タイミングを計りなさい! ヒナとパッフとクロガネはアニィの防護!》
「あいよっ!」
「任せたぞ、アニィ殿!」
パルは後方に集中。他のメンバーは邪星獣への対処を担うこととなった。
作戦が決まった途端、指揮官にしがみついていた蟲型が3頭飛びだし、アニィに襲い掛かる。
ヒナがクロガネの頭から跳び、たちまちのうちに3頭とも切り払う。
吐き出された糸はパッフとクロガネが、それぞれ水と鉄の散弾で叩き落した。
この時点で既に麓にだいぶ近づいている。魔術抜きでも集落が見える程であった。
1ブリス半(3秒)あればふもとに突っ込む、という所まで来た瞬間。
「―――今だっ!!」
パルの叫びで、ドラゴン達が上空に素早く飛んだ。飛行に気を取られた邪星獣たちは、堆積した土砂にめり込んだ。
アニィの魔術が完成したのは、正にそのタイミングであった。
アニィの頭上に巨大な結晶の剣が出現する。その長さはヴァン=グァドで見せたものを上回る、9ドラゼン(135メートル)。
「ぃあああああああっ!!」
アニィはそれを地面に深々と突き刺し、振り上げて大きく大地を抉ったのである。
生身の人間が落下したら、まず這い上がれない深さだ。
堆積した土、新たに発生した土石流、そして邪星獣の群れが、その谷間に全て飲み込まれた。
『GHOWAAAA!!』
突然のことに邪星獣たちは悲鳴を上げ、割れ目にしがみついて這い上がろうとする。
しかしぬかるんだ土はしがみつくたびにぼろぼろと崩れ、無駄に終わった。
当然鉄の糸は引っ掛かることなく、土を削り取るだけであった。
『GXEEEEE!!』
悪あがきとばかり、道連れにしようと指揮官個体が糸の塊を吐き出した。
アニィを狙った金属の糸の塊は、高速でアニィの前にクロガネとヒナが現れ、振り抜いた刀で斬り払われた。
立て続けに、深い穴に落下した指揮官個体の真上にパッフが飛ぶ。
その真上では、指揮官個体に向けてパルが弓を構えていた。
鏃の先端に雨のしずくが集まり、超巨大な水の塊の矢と化す。
「ぶち抜けっ!!」
放たれた水の矢は、狙いをたがえることなく指揮官個体を直撃、爆散した。




