第五十二話
空がオレンジ色に染まる時刻。地面に立つアニィ達の前に、無数に連なる山々が広がる。
ヴァン=グァド北方の海を渡って辿り着いたそこは、マウハイランド山脈である。
アニィ達がいるのはその山脈の端だ。山脈はその先、北方へと続いている。
ここを通り抜け、アイゴール大雪原を渡り、「星を呼ぶ丘」近辺の都市に一度立ち寄るコースである。
今日の所は山脈の洞窟か何かで野宿し、夜が明けたらすぐに大雪原の手前にある街まで行く予定であった。
雄大な山脈を見上げ、特にアニィはその大きさに驚嘆していた。
「すごい…」
それ以上の言葉では現わせない大自然の雄大さに、アニィはただひたすら見とれていた。
斜面を覆う緑の木々、灰色の岩肌、むき出しの土…
高い山の山頂は白い雪で覆われ、あるいは雲の上に隠れている。
山と山の間を通り抜けた冷たい風が、アニィ達6人の頬を撫でる。
「ん…寒い」
《アニィ、大丈夫ですか?》
小さく身を震わせたアニィに、プリスが問いかける。
上空の冷たい風が平地まで届いている。
凍えるというほどではないが、それでも防寒具は必要であろう。
村にいた頃の栄養不足と初めての遠出の影響もあり、ヴァン=グァドを出てから、僅かだがアニィの体調が思わしくない。
未だ体の強くないアニィにとって、僅かな寒さも命取りになりかねないと、プリスは常に心配している。
「大丈夫…プリス、ここを越えればアイゴールに着くんでしょう? 早く行こう」
「そこなんだが」
と、アニィが答えた直後、後方からヒナとパルが進言する。
「山頂付近で強風が吹いている場所がある。飛ぶより、山中か低地を歩く方が安全かも知れぬ」
「特に標高の高いところがあるね。そこじゃないかな、ヒナ」
視力を奪われた代わりに鋭敏な神経を持つヒナには、どうやら風の向きや強さもある程度読めるらしい。
パルが地図を広げ、アニィにも見せつつヒナに尋ねた。
「恐らくそうだ。その風も急に向きなどが変わるか、雨雲を呼ぶかもしれん。
飛んでいる最中に巻き込まれては、場合によっては命に係わる」
《う~む…じゃあなるべく、低い所を行きましょう。
雨宿りのできる洞窟とか見つけやすいでしょうしね》
ヒナの意見を採り入れ、プリスは地上を歩く方を選択した。
何よりもアニィの安全であるということは、何となく恥ずかしくて言えなかった。
山のふもとを歩き始めると、プリスがまず地面の硬さを確かめた。
足元の地面は硬く、ドラゴンであるプリスが力を入れても、特に地滑りを起こす心配はなさそうだ。
とはいえ、他の山ではどうなるか判らない。
《とりあえず、歩いていけそうですね…気を付けていきましょう》
「クル!」
「ゴォゥ…」
それぞれの相棒を背に乗せたまま、3頭のドラゴンは歩き出した。
山麓は風が弱く、鳥や獣が周囲の木々を飛び回っている。
ふもとには広く森が広がり、日光が遮られるからか土もわずかに湿り気がある。
野生動物には過ごしやすい環境なのかもしれない。
先頭にパッフが位置する。パルと共に主に前方を注意し、全員を先導する。
最後尾にはクロガネがいる。ヒナは周囲の音の内、邪星獣の声や気配に注意を配っている。
そして間にプリスが陣取った。これはどちらかと言えば、アニィを護るためのポジションでもある。
アニィが気候の影響を受け、体調不良を起こす可能性を考えてのことだ。
前方をパルとパッフに引っ張ってもらい、後方はクロガネに見てもらう…という算段である。
「やっぱり日陰になってるからかな、街中よりちょっと寒いね。アニィ、大丈夫?」
先頭のパルが振り返り、アニィに尋ねる。
上空程ではないが気温は低く、長袖長ズボンでちょうどいい程だった。
彼女は時折地面から落ち葉を拾い、空中に投げては上空の風の強さを確かめている。
「うん、大丈夫…気にしなくていいよ。ちゃんと前見てて」
《我慢しても無駄ですからね。後ろからクロガネとヒナが見てますから》
「ゴゥ!」
後ろから聞こえた声にアニィは振り向く。クロガネが前足を上げて自己主張し、ヒナが穏やかに笑っていた。
「病の気配は私にも分かるよ。しっかり見ておいてやる」
「もう…心配し過ぎだよ、みんな」
苦笑しながらアニィは言うが、皆の心遣いは有難かった。
このように心配させたくないと思う一方、仲間達から優しさを向けられ、心地よくもあった。
つい頬がゆるむ。それを振りむいたプリスに見られてしまった。
《おや。何か良い事でも?》
「あっう、ううん、あの…なんていうか、みんな優しいな、って…」
《そりゃあ皆さん、あなたの事が大好きですからねえ》
照れてうつむきながら答えると、意外にもプリスは優しく微笑みながらそう言った。
そんなもん当たり前でしょう…などと楽しそうにからかわれるかと思ったが、予想外の反応にアニィは呆気にとられた。
目を丸くしたアニィに、今度はプリスの方が首をかしげる。
《……え、何です。どうかしました?》
「その…そういうこと言われたの、初めてだから…」
そして、プリスの穏やかな顔を見たこと自体は、これが初めてではない。
だが意識して見たのは、この瞬間が初めてだった。
アニィの指摘に対して全く自覚の無いプリス、プリスの穏やかで優しい笑顔を呆然と見つめるアニィ。
お互いにそれに気づき、小さくクスリと笑い合う。
パル達にもその会話が聞こえていたようだ。背後からヒナ、前からパルがその光景に微笑んでいた。
その一方、パルにはどうにも気になることがあった。
パルとパッフは会った時から仲が良かったが、ヒナとクロガネは、時間をかけて友情をはぐくんでいた。
アニィとプリスはどうなのだろうか…パルとパッフのように、出会った時点で仲良くなれていたのか。
村を出た日に2人は初めて出会い、共に過ごしたのはその後7ディブリス(1週間)程度だ。
にもかかわらず、多少の距離はあれどもだいぶ親しくなっていた。
アニィの方からプリスに全幅の信頼を寄せるのは、願いを聞き届けてくれたからだ…と、パルは推測している。
今一つ判らないのは、プリスがアニィに対して優しく接していることであった。
基本的に、ドラゴンは人類に対して興味関心を一切抱かない。生物として格下だからだ。
シーベイ街の住民たちのように、生活環境によっては良好な関係を築くことができる…
しかしそれは「築く」ための時間があることが前提だ。
だが、プリスはアニィと出会ってすぐに親しげに話していた。
ただの信頼や気遣いだけではない、表に出さない強い感情でもあるのではないかと、パルは思っている。
(アニィと仲良くなってくれたのは嬉しいけど)
前方に向き直ったプリスと目が合うと、考え事をしていたパルは軽く笑ってごまかした。
(プリスは、アニィの事をどう思っているんだろう…?)
プリスは普段、自分の気持ちを口にすることはほとんどない。
たまに冗談交じりで怒ってみせたり、辛辣な物言いで相手を煽ったりはするが。
時折アニィに対して優しくなる事はあるが、それも彼女自身の心情を全て表しているのかは判らない…
「ねえ、プリス―――」
思い切って尋ねようとしたその時、パル自身の体がガクリと揺れた。パッフが突如立ち止まったのである。
パッフは前足で地面を何度か踏んでいる。
首をかしげ、困った顔で、足元の土に指先を突っ込んでいた。
パルはパッフの背中から降り、同じく地面に触れた。
列の最後尾のヒナに、アニィが状況を説明している。
「この土…」
「クルル~…」
パッフの説明を受け、やや後方の地面にパルは触れた。やや異なる感触に、パッフと揃って首をかしげる。
《どうしたんです?》
「パッフがね、土が何だか柔らかいって。確かに柔らかいっていうか、中に空気の層がある感じがする」
「空気の層…?」
ヒナもクロガネの背から降り、足の裏で土を踏んで硬さを確かめた。
それまで歩いてきた地面と違い、妙にあっさりと足がめり込む。先刻もパッフの前足、パルの手ともに同様だった。
それこそ中に空気の層があり、僅かに浮き上がった土を踏んでいるような柔らかさだ。
「む…確かに」
「ねえ」
そこに、周辺の木々を見上げていたアニィが声をかけた。
どうしたのかと、パルとヒナが顔を上げる。アニィは傍らの木の幹に触れ、顔をしかめていた。
《アニィも何か感じました?》
「うん。木、傾いてないかな…ここだけじゃなく、この先北に向かってずっと」
アニィが指し示すのは北方向…これから進もうとしている方向だ。
全員が後方を一度振り返り、もう一度前方を見返す。
パッフが近くの大きな木に触れ、軽く押す…と、軋みを上げて僅かに傾いた。
ドラゴンの膂力とはいえ、大木がこうもたやすく傾くことに、全員が首をかしげる。
地面を見ると木の根が露出し、土から抜けかかっていた。周囲の木も同様だ。
「ちょっと見てくる」
パルは跳躍し、木の枝から他の木の枝から枝へと跳び移り、大木の頂点に立つと弓の望遠鏡をのぞいた。
直後、大木の根元で見上げていたアニィ達の耳に、パルの「うぇっ!?」と言う叫びが聞こえた。
続けて周囲を見渡したパルの顔がより深刻になったのは、アニィ達にも見えた。ヒナも気配で勘付いたらしい。
降りてきたパルの表情は困惑に満ちている。
「アニィの言うとおりだ。この先の木が全部、北の方向に向かって傾いてる」
北方向。最終的には旅の目的地、「星を呼ぶ丘」がある方向だ。
―――即ち、邪星皇が現れるであろう場所。




