第四十九話
群れの中心にいる指揮官個体と、アニィ達は対峙した。
指揮官個体の周囲の景色がゆがんで見える。ガ=ヴェイジと同じく物質分解の魔術をバリア状に展開しているようだ。
それなら、とアニィが真っ先に右の手刀を突き出した。
「やァッ!!」
揃えて突き出した指先から、楔の形をした結晶の矢を発射する。
光の魔術であればバリアを抜けて直撃するはずだ。目論見通り、分解魔術の防壁は抜けた。
だが、指揮官個体の表皮で結晶の矢が弾かれた。
「魔術防壁…!」
「村に来た奴のより、ずっと強い」
パルが言う通り、アニィが最初に斃した指揮官個体のそれより、遥かに強固だ。
いかにアニィが魔術を自在に扱えるようになったとして、必殺の光剣さえも弾かれては元も子もない。
どれほどの威力を発揮できるか判らない今、迂闊に全力で魔術を使うのも難しい。
《ガ=ヴェイジと同じく分解魔術も使えると。両方消さないと、私達だけでは無理ですね》
一方、判明したこともある。
ガ=ヴェイジの分解魔術が、ヒナの居合いで無力化されたことが、目の前の指揮官個体に伝わってはいないようだ。知っていたら使ってなどいないだろう。
それを悟ったヒナがアニィ達の方を向く。
ヒナはこの中でただ一人、魔術の防壁を破壊できる技能を持っている。
刃に魔術など込められていないにもかかわらず、彼女とクロガネの居合いは、速度と鋭利さだけで魔術の防壁を切断できる。
その代わりに限界まで速度を上げるため、一度必殺の域まで達してしまうと、魔力切れの危険性が生じる。
今は防壁さえ消滅できれば充分と、アニィは視線だけで伝えた。
アニィの意思を悟り、ヒナは構えていた刀を一度鞘に納め、再び居合いの構えを取る。
「任せろ」
「ゴゥっ!」
クロガネも了承の意を示した。それを合図とし、まずはパルが短剣を抜いた。
城壁が崩されたことで、水分を多く含んだ海上の空気が流れ込んでくるようになった。
即ちパッフがより多くの水分を扱えるということだ。
短剣に身体強化魔術を通し、さらにパッフが水を集めて海水の鞭を形成。
飛び掛かってきた指揮官個体に対してフルスイングで叩きつけた。
『VHEESHSHSHSH!!』
指揮官個体が汚らしい笑い声と共に振り下ろした前足で、水の鞭はかき消える。
無駄だと嘲笑う声であった。嘲けりという感情を、彼らは既に学習している。
だがパッフの顔面を引き裂く寸前で、振り下ろされた前足をアニィの結晶のリングが捕らえた。
リングから伸びる糸はプリスの翼につながっている。プリスが後方に翼を引くと、当然指揮官個体も引っ張られた。
「ぃああああッ!!」
裂帛の気合と共に、アニィが拳を振るう。その真上から巨大な光球が振り下ろされ、後頭部に叩きつけられた。
光球は防壁によって消滅したものの、殴打の圧力までは消せなかったのか、指揮官個体は地面に盛大にめり込む。
しかしすぐに起き上がり、今度はアニィに向かって飛び掛かった。
そこへパルが水の鞭を振り下ろす。直接当てるのではなく、地面を叩いて土の塊を跳ね上げたのである。
『BHOWWAAA!?』
いくら分解魔術の防壁があるとはいえ、大量の土はすぐには消えず、一時的に視界をふさいだ。
「プリス!」
《はい!》
その間にプリスが高く跳躍する。視界が開けた直後、指揮官個体もそれを追って高く跳んだ。
正に今、その時こそが狙い目であった。
「ハッ!!」
銀色の閃光が地上から跳び立ち、指揮官個体と交差。
跳躍したクロガネ、そしてヒナの居合いの双方が魔術によって加速し、必殺の居合いを放つ。
指揮官個体が全身に張った防壁は、分解魔術と魔術防御、両方が消失した。
全員の目論見通りだ。
「ヒナ、あとはあたし達に任せて!!」
「頼む…っ!」
限界まで加速魔術を行使したことで、ヒナもクロガネも魔力切れを起こし、地上に降下していった。
それに合わせ、パルが真下で矢をつがえ、弓を構えた。
パッフの魔術によって鏃に大気中の水分が凝縮し、超高密度の水の鏃が成型される。
弓に取り付けたレンズ越しに、パルは下あごの裏側を狙い、矢を放った。
矢は頭部を縦に貫通、下あごから頭頂部まで突き抜ける。
『GHWWUUUU!!』
悲鳴を上げる邪星獣。その目の前に停止したプリスの背で、アニィが両手を天に向かって突き上げた。
頭上に浮かんだ光剣は、以前よりもさらに長い6ドラゼン(90m)まで延びている。
幅も倍、縁取る刃は空気中に溶け込むほど薄く鋭利だ。
魔力の繊細なコントロールにより、アニィが思い描くサイズ、鋭利さ、形状など、規模が大きくなっている。
形状は本物の剣に近く、しかしその大きさは人間が手にする剣とは桁が違う。
地上に先端が届くか届かないかのぎりぎりの高度である。どうやら兵士たちを巻き込まずに済みそうだ。
「おお…あれが……!!」
地上で闘っているオーサー、そして騎士団たちが感嘆の声を上げた。
目の前の指揮官個体の邪星獣に対し、アニィが向けたのは怒りの目であった。
絶対に存在を許さぬという怒り、ためらいなく死を宣告する冷酷さが混ざった、冷たい殺意の籠った視線。
対して指揮官個体が浮かべた表情は、怯え…あるいはまさしく、アニィが叩き込まんとしている恐怖そのものであった。
「―――喰らえェェェッ!!」
アニィが光剣を振り下ろした。円弧状に帯を引いた軌跡が、ヴァン=グァド全体を照らすほどの強烈な光を発する。
真正面から刃で切断し、更に軌跡の光が爆裂して、邪星獣の巨体を完全に消滅した。
『GHAAAAAVAAAAA!!! …―――』
醜い絶叫はすぐに途絶え、後には止んでいく光と、死骸の断片だけが残された。それも2ブリス(4秒)程度で消滅した。
直後、兵隊の邪星獣たちがもがき苦しみ始めた。騎士団が見ている前で邪星獣たちの肉体が崩れ、消滅していく。
状況を正しく理解できた者はアニィ達以外にいなかったが、それでも敵が全滅したことは判ったらしい。
全ての邪星獣が消滅すると、騎士団は歓声を上げ、ゆっくり下りてきたアニィを迎えた。
「―――アニィ殿!」
騎士団を差し置いて、ヒナを乗せたクロガネが駆け寄ってきた。
地面に降り立ったアニィとプリスの隣には、いつの間にかパルとパッフがいる。
アニィ達はヒナを迎え、差し出された手を握った。
「ありがとう。ありがとう…ありがとう……―――」
ヒナの声が震えた。泣いているのだと、アニィ達は気づいた。
クロガネの背でうずくまる彼女には、ボルビアスで出会った時のような鬼気は微塵も感じられない。
悲願を達成し、生きる意味を一つ見失って虚脱して…しかし里の者達は二度と帰ってこない。
突き付けられた現実に、ヒナはやっと向き合えた。彼女の里は滅びたのである。
そして、もし彼女の両目が無事であれば、きっと涙を流していたのだろう。だが…
「嬉しい…嬉しいのに…クロガネ…とうとう仇を討ったのに…
里のみんなのために、いっぱい泣きたいのに…こんなに、私は泣きたいのにっ……」
声が震えしゃくり上げるだけで、光を失った彼女の瞳からは、一滴の雫もこぼれていなかった。
「涙が、涙が出ないよ…もう私の目から、涙なんて出ないよ、クロガネ……!」
鉄の覆面に隠されたヒナの目は、眼球のみならず涙腺も失われてしまっていた。
そしてそれが二度と治らないことは、既に証明されている…
負傷したクロガネを、プリスが翼の光で治癒した時。そばにいた彼女も、僅かに光を浴びていた。
だが、両目は光も涙も取り戻さなかった。
見えぬだけではない。弔いや喜びの涙を流すことも、二度と叶わなくなってしまったのだ。
「ああ…ぅあああああ……ああああああ…!!」
両手を放し、クロガネの首筋に縋りついて、ヒナは慟哭の叫びをあげた。
騎士団もそれを聞き、沈痛な面持ちでうつむく。
項垂れたクロガネに、プリスとパッフが身を寄せた。
「……ヒナさん」
「ヒナ…」
アニィとパルが、ドラゴン達の背の上でヒナを抱きしめた。
2人の腕の中で、涙を流せぬヒナが泣き叫ぶ。
幸せに暮らしたであろう日々を失くした空虚さに。里の者達のための涙を失ってしまったことに。
その哀しみを知るクロガネも、空を見上げてわずかに鳴き声を上げた。
晴れた空の下、少女の慟哭は続いた。
その日、アニィ達は無事に残った協会職員寮に一泊して、翌朝に街を出ることにした。
心身ともに疲れ切ったヒナを協会で休ませ、ボルビアスに放置した荷物を回収。
戻ってきてから、鳥や魚などの肉汁を付けて焼くと、携帯食が美味になることをオーサーとダディフに説明した。
2人とも大いに驚いていたが、その日の夕食で実践し、騎士団に食べさせたところ大好評だったという。
これを機に携帯食の味付けを変更することになった、と連絡があった。少しは騎士団の環境も改善するだろう。
ゆくゆくは一般市民にもレシピを公開し、一般販売もするつもりらしい。
市民との関係が、これが切っ掛けに良い方向に向かってほしいと、アニィ達は思っている。
アニィの手袋の料金はドライズ貨幣250枚。普通の魔術補助の手袋よりだいぶお高い値段だ。
アムニットによると、マルシェ夫人の署名もあって、これでもギリギリまで値下げしたということだった。
報酬の受け取りと合わせて支払いを済ませ、アニィが礼を言うと、アムニットは不愛想にこう答えた。
「やりたいことをやっただけだ」
そう言っていたのだが、アニィの戦果と魔術制御の話を聞くと、華麗なステップを踏みつつ営業するほどご機嫌になったという。
この支払いで、ヒナを連れ戻す依頼のアニィの報酬は、丸ごと飛んでしまうことになった。だが、それを含めても得難い装備である。
また、オーサーによると依頼の成否については相当悩んだようである。
騎士団に入隊させるべく連れ戻したヒナが、以前と変わらず入隊を拒否しているからだ。
だが依頼はあくまで「連れ戻すこと」となっていたので、達成という扱いになったようだ。
実はオーサーにの依頼は入隊までだったのだが、ダディフとモフミノーラが共謀して外したらしい。
その後バレてしまったらしく、怒るオーサーにダディフは平身低頭平謝りしたのだった。
休み終えたヒナは、改めて協会支部に邪星獣討伐の定期依頼受理を申し出た。彼女はこれまでにも邪星獣を斃してきたが、正式に報酬を得られるのは受理したこの日の分からである。もっともそれまでにも様々な依頼で稼いだらしく、口座にはそれなりの金額が入っている。生活には困らないだろう、とは彼女の弁。
そして、ごたごたした後片付けをまとめ、夜が明けて。
「……できた…!」
協会の前でヒナとクロガネに向かい合い、アニィは画用紙を掲げた。
画板で留めた画用紙には、椅子に座ったヒナと、その隣に寄り添うクロガネの絵が描かれていた。




