第五話
ネイヴァ姉妹の家に辿り着くと、チャムは自分達の寝室にアニィを招いた。
姉のパルと妹のチャム、そしてもう一人分のベッド…時折遊びに来ていたアニィの分のベッドがある。
アニィは自分用に用意されたベッドに座った。
「ちょっとまっててね、朝ご飯持ってくるから」
「フニ~」
「え、いいよ…べつにわたし、お腹すいては」
拒否しようとしたアニィの腹がグゥゥと鳴った。
恥ずかしさに思わず自分の腹を押さえ込もうとするアニィを見て、チャムが笑う。
「ほら、やっぱり。…あんまりご飯食べてないんでしょ。ちゃんと食べなきゃ」
「うん…」
アニィがうなずくと、チャムとフータは台所へと向かった。
しばし待っていると、チャムが朝食を乗せたトレイを、フータがスプーンとフォークを持って戻ってきた。
トレイとスプーン・フォークを受け取り、アニィは膝の上に乗せる。
少し冷めているが、充分においしそうな…しばらくぶりのまともな朝食だった。
だがアニィは朝食のパンとスープには手を付けず、チャムに尋ねた。
「…さっき、教室で何をしていたの?」
「さ、さっき?」
「うん。何か作ってたんじゃない?」
アニィにしてみれば、それは何のことも無い質問だった。
だが、チャムは急に眼を逸らした。
「……チャム?」
「あーっ…えっとね、そのね…」
「わたしには言えないこと?」
アニィの悲し気な目に、慌ててチャムは否定する。
「ち、ちがっ…ちがうの! あのね、アニィちゃん!」
チャムがアニィの手を握った。栄養不足のアニィのやつれた手が、チャムの健康的ながら傷を負った手に包まれる。
今しがたできたばかりの新しい傷だった。何か作業でもしていたのだろうか。
「…ごめんなさい、まだ言えないんだけど」
「チャム?」
「アニィちゃんのこと、キライになったわけじゃないの。ホントだよ。誓う」
「フニ~」
チャムとフータに正面から見つめられ、呆気にとられつつアニィはうなずいた。
パルと同じく、チャムはアニィのことを正面から見つめる。
「ねーちゃんに言われたよね。いつかこの村を一緒に出ようって」
「うん…今夜行くって言ってた」
「今夜……? そっか、じゃあアニィちゃん、もしかして!」
チャムの顔がパッと明るくなった。
アニィがおずおずとうなずくと、チャムはフータと顔を見合わせ、抱き合う。
自分の事のように喜ぶ両者を見て、アニィは少しだけ救われた気分になった。
一頻りよろこび、チャムとフータは体を離してアニィを見る。
「よし、行く時にそれあげるからね!
じゃアタイ達、ガッコに戻る。アニィちゃんはお留守番おねがい!」
「フニ~」
それだけ言い残して、チャムとフータは家を出た。
残されたアニィはベッドに座ったまま、部屋の中を見回す。
子供の頃に何度も訪れた部屋だ。
ネイヴァ姉妹が共同で使う、広くないがどこか心安らぐ空間。
アニィは朝食を食べ終えて横になった。
恐らく大量ではなかったのだろうが、小食が過ぎて胃が縮んでいるのか、少し腹が苦しい。
親友の部屋の寝台で横になりながら、アニィはやっと落ち着いて物を考えた。
(……ドラゴンと、触れ合った…)
目の前に迫る白いドラゴンの顔が、胸に焼き付いている。
決してドラゴンに嫌われているわけではないという事実と、
初めて触れ合ったドラゴンの美しさへの憧憬が綯い交ぜになる。
(あのドラゴンに乗って、空を飛べたら)
陽光を受けて虹色に煌めくドラゴンに乗り、遥か天空を飛ぶ。
そんな光景を想像して、アニィの胸がまた高鳴った。
(出る時、あのドラゴンに声をかけてみようかな…)
答えてくれるだろうか…そんなことを考えながら、アニィは目を閉じた。
しばらくは住む場所や収入源を探して苦労するかもしれないが、
それでもこの村を出れば確実に希望がある。
親友姉妹が共にいてくれれば、自分も何かできることが見つかるかもしれない。
チャムと子供達も、どうやら何かを用意してくれているらしい。
夜になるのが待ち遠しい。温かい気持ちが、久しく溢れてアニィの胸を満たした。
その気配にアニィが気づいたのは、太陽が真上に昇ったころだった。
ふと、何か黒い影が差した…気のせいかと窓から顔を出して空を見上げる。
狩りに行った者達が戻ってきたのか、ドラゴンが上空を旋回し続けていた。
だがアニィの直感が、それを否と告げていた。
降りてこないというだけではない。真下から見上げた際のシルエットが、ドラゴンのようで異なる。
具体的には左右に広がった頭部、そして翼の付け根がドラゴンのそれより後ろにあること。
不吉な予感に駆られ、アニィは外に出た。
ドラゴンに似た怪物の影が、悠々と空を飛んでいる。村の他の住人達も、外に出てそれを見上げていた。
「なんだ、ありゃァ?」
「変わった格好のドラゴンだな。降りてくるかな?」
「降りてきたら捕まえようぜ。動きはノロそうだ」
呑気に会話する村人たちの視線を追い、アニィも同じく空を見上げた。
怪物がアニィを見下ろすと目が合った。途端、アニィは異様な悪寒に身を震わせた。
(なに…何、この感じ? 視線? 顔なんかちゃんと見えなかったのに!?)
鋭利で冷たい視線がアニィに突き刺さる。それはドラゴンが持ちえない感情であった。
悪意。あるいは殺意。
思わず口をついて出たのは、自分でも予想外の言葉だった。
「ドラゴンじゃない」
「はァ?」
アニィの声を聴いた村人たちが振り向く。
その冷酷な視線に、しかしアニィは上空の怪物ほどの恐怖など感じなかった。
あの怪物に比べれば、彼らの害意など木のささくれ程度の脅威だ。
だがそれに勘付いているのは、ここにいる中ではアニィだけだったようだ。
村人の一人が、いつも通りアニィを罵る。
「何言ってんだお前。アホじゃねえの?」
「ドラゴンに乗れない人が言ってもねぇ。お前、ドラゴンの事なんか判らないだろ」
汚らしい声で村人たちが笑う。
するとその声に気付いたのか、急激に怪物が降下し、大地を揺るがして着地した。
その直後、村人達の手がアニィの背に伸びた。突き飛ばされたアニィは怪物の前に倒れる。
「うっ…」
「ドラゴンじゃないなら、お前でも乗れるかもな。ほれ、乗ってみろよ」
起き上がり、アニィは初めて怪物の顔を真正面から見た。
左右に伸びた頭部の中央に、唾液を垂らし続ける乱杭歯だらけの口。
その左右には三対、合計6個の鋭い目が一直線に並ぶ。
ドラゴンでは絶対にありえない顔だが、それ以上に先刻も感じた悪意が目の前に突き付けられる。
直感的に理解した。この怪物は、村を破壊しに来たのだ。
アニィはゆっくり立ち上がり、怪物と改めて正面から対峙した。
『VHWRRRRRRR…』
文字に表すのが困難な、何とも形容しがたいうめき声。
一体何に警戒しているのか、明らかに脆弱なアニィに対して身構えている。
村人たちはそんな事にも気づかず、笑って様子を見ている。
妙なドラゴンがアニィを見て困っている…その程度にしか考えていないのだろう。
(ドラゴン乗りなのに、どうして気づかないの…)
怪物の危険性に、彼らは全く思い至らないのだ。当然避難もしない。
見慣れぬ怪物への危機感など失せ、ドラゴンを飼い慣らす自分達ならどうとでもなると、高をくくっているのだろう。
パルが彼らを嫌うのはこの慢心、そして己を助けてくれるドラゴンへの敬意や愛情を捨てた所にある。
皮肉な話だが、目の前の怪物の存在によってアニィは初めて心底から理解し、呆れた。
(……馬鹿じゃないの、この人達!)
ここは逃げるべきだ。アニィは判断し、一歩だけ下がった。
直後、怪物が動き出した。乱杭歯が無数に生えた口を大きく開き、噛みつこうと迫る。
その動きは一瞬の事で、40分の1ブリス(0.05秒)ほども無かった。
先刻のパッフの高速移動に匹敵する速度だ。そこらの村人の眼で追える代物ではない。
だがアニィはそれを自身の眼で見て、咄嗟に後ろに飛んだ。
僅かに乱杭歯は届かず、アニィは頭突きで吹き飛ばされる形になった。
「げふっ―――!!」
4ドラフィー(約20メートル)ほど後ろに立っていた物置小屋に激突し、分厚い木の壁が粉々に砕けた。
派手な金属音を上げ、倒れたアニィの体に農具が積み重なる。
同時に村人たちの笑い声が聞こえた。何が起こったのか、彼らは全く理解していない。
一方でアニィは自らの動きを思い出し、僅かな戦慄を覚えた。
40分の1ブリスで迫る巨大な頭部を視認し、僅かに遅れながらもそれに合わせて後ろに跳んだ。
恐るべき身体能力だ。危機に際し、肉体が本人の意思以上に動いたのか…
だが考える間に、村人の一人が怪物に近づき、真正面に立った。
手なずけられると思っているのだろう、彼はあまりに無防備に手を伸ばした。
「結構凶暴なドラゴンですけど、まあ教えてやりましょうよ。誰がえらいの」
彼が言い終わらぬうちに、ボヅッ、と重い音が聞こえた。
同時に、怪物の前に立った村人の上半身は消え失せ、赤黒い肉の断片が周囲に飛散した。
アニィには見えた。怪物は先ほどと同等の速度で村人に食いつき、噛みつぶしたのだ。
顎の力も恐ろしいものだった。それこそドラゴンに匹敵するだろう。
当然、そんな強大な力で噛まれた人体が、無事なわけが無い。
「え おい」
「は? えと…」
他の村人たちは、この期に及んで状況を理解せず、周囲の者に問いかけていた。
何が起こったのかと。だが、目の前で倒れた下半身を見て、やっと飲み込めたようだ。
「…うわあああああああ!!」
絶叫が響く。だがそれより先に怪物が前足を伸ばし、尻尾を振り、村人を叩き潰した。
そして怪物が天に顔を向け、叫んだ。
『GXHAAAAAAA!!!』
しわがれたようにも聞こえる、不気味で邪悪で形容しがたい咆哮。
直後、空にいくつもの黒い影が発生した。一体どこから現れたのか。
それは目の前の怪物とほぼ同じ姿…そして、その数は村のドラゴンを大きく上回る。50頭はいようか。
その怪物たちが、一斉に地上に降下してきた。
「逃げろおぉぉ!!」
家屋に逃げようとして村人たちが右往左往する。当然アニィが飛び込んだ物置にも入りこんできた。
蹴飛ばされ踏みつけられつつ、アニィは隅に逃れて壊れた壁面から外を見た。
怪物は逃げ遅れた村人を踏みつぶし、長い尾で殴り、噛みついては手足をちぎっている。
悍ましい光景だったが、何より彼女を不安にさせたのは、怪物が学校の方を見ていることだった。
村では最も堅固な建物だ。子供達が避難している事であろう。
だが、怪物の膂力をもってすれば枯れ枝で組んだ小屋…あるいはただの屠殺場にも等しい。
(チャム…!)
不幸にも、狩りに行った一団とパルはまだ帰ってこない。何とか隙を見つけてチャムとフータを助け出さねば…
そう思った直後、アニィの背を何者かが蹴り飛ばした。先ほどアニィを罵った村人の一人だ。
「いたっ…」
「お前何とかしてこいよ! ドラゴンじゃないって判ってんだろ!」
「そんな、無理…」
「うるせえ、お前ならできる! ほら行け!」
しつこく蹴り飛ばされ、アニィは物置小屋から追い出された。
途端にアニィが空けた穴に土嚢や材木が積み重ねられ、バリケードが組まれた。
恐慌状態の村人たちは、わずかでも怪物の情報を持ったアニィにすべて押し付け、この状況から逃れようとしているのだろう。
要するにアニィ一人を囮にして、怪物たちの気を引き、出て行くのを願っているのだ。




