第四十六話
ヴァン=グァド居住区上空、アニィはついにヒナとクロガネ、そしてガ=ヴェイジの姿を発見した。
クロガネが吐き出す鉄の散弾は、ガ=ヴェイジが散布する粒子で別種の金属に変えられ、塵と化す。
迂闊に振るえば刀も分解させられるだろう。ヒナは手を出しあぐねている。
戦闘能力自体が高いことに加え、あらゆる生命体を金属化する微粒子…視覚を失ったヒナの天敵とも言える相手だった。
「ヒナさんっ…!」
「アニィ殿、来るな!」
だがアニィの助力を、ヒナはあくまで拒絶する。
「こいつは私が討つ! プリス殿も、手を出すな!」
「でも、ヒナさん達だけじゃ…!」
『ソウハ…言ウガ……ククッ、全ク、デキテオランデハ…ナイカ……! ハハハ!』
そして、ガ=ヴェイジの嘲笑に、ヒナはますます怒りを募らせていく。
ついに我を忘れ、彼女は刀の柄に手をかけ、ヒナは必殺の居合いを繰り出そうとした。
怒りをもてあそばれた末に、明らかに必殺の瞬間を逃した技は、当然回避された。
刃が当たる寸前に姿を消したガ=ヴェイジが、真上からヒナとクロガネに体当たりし、叩き落す。
「ぉああああっ…!」
「グゴァアッ!」
ヴァン=グァド要塞前の広場に落下するヒナとクロガネを助けるべく、アニィとプリスは降下しようとした。
だがその真正面から、ガ=ヴェイジが強烈な拳打をプリスの顔面に叩き込む。
プリスとアニィもまた吹き飛ばされ、こちらは住宅街の真っただ中へと落下した。
硬い石畳の道路にプリスの巨体がめり込む。
「ぐはっ!」
《どわぁっ! …痛ったぁ…アニィ、大丈夫ですか!?》
「うん、でも…」
起き上がった二人の周囲で、ドラゴンに乗った騎士団が邪星獣と闘っていた。
どうにか倒せる者もいるが、抵抗空しく叩きのめされる者達の方がはるかに多い。
邪星獣の数は住宅街を埋め尽くすほどだ。そして数に押され、ヴァン=グァドの住人達は次々斃れていく。
「………こいつらっ…」
《アニィ…?》
血まみれで倒れ伏した者達、逃げ惑う途中で肉片と化す者達の姿を見て、アニィの中に凄まじい怒りが沸く。
プリスはそれに気づき、ヒナの二の舞にしてはならぬと、意識を自らに向けさせるべく、アニィを呼んだ。
《―――アニィ!!》
「ぁ…っ……プ、プリス……」
《憎悪ばかり湧いては殺されます。あなた自身、ヒナに似たようなこと言ったでしょ》
プリスに指摘され、アニィは自分の内心を顧みた。
何かを切り替えたかのように、一瞬にして頭の中に強烈な怒りと憎悪が湧いた…
シーベイの街を邪星獣が襲った時と同様、どす黒い感情が一瞬にして心を満たしていったことに初めて気づく。
正常な判断力を失うところであった。飛び掛かってきた邪星獣を光の盾で弾き飛ばし、アニィは心を落ち着けた。
「ごめん…」
《気にしないで、それより周りの奴を何とかしないと―――》
「―――いた! おおい、アニィ・リム!」
周囲を見回した直後、聞こえたのはアムニット服飾店店主の声だった。
どたどた走りつつ、邪星獣の攻撃を回避している。大した運動神経の持ち主だ。
大きくごつい手には左右1組の白い手袋が握られていた。
アニィとプリスの前に辿り着き、息を荒げつつ、店主はアニィに手袋を手渡した。
「完成したぞ、お前の手袋だ!」
「アムニットさん……」
受け取ると、アニィはすぐ両手に手袋をはめた。
指ぬきの手袋で、手の甲の部分には磨き上げた白いプロテクターが縫い付けられている。
異様な程に滑らかな生地から、手袋が手の一部になったかのごとく一体感を感じた。
「これは……!」
「布状に加工した顕現石製だ。
甲のプロテクターのみ輝ける鋼、他は全て顕現石でできている。
俺の全身全霊を注いだ。お前の魔術、思うままに行使できるはずだ」
彼が鉱石を糸状に加工できる事はオーサーらが言っていたが、それ以上のことをやってのけたらしい。
顕現石を、編み込んだのではなく生地として全体に使っている。
つまり石そのもので作られているのだ。にもかかわらず、上質の布と変わらぬ柔らかさ。
ランスが書いた材料表は、アムニットの技術を理解した上でのものだったようだ。
試しに両手の指先に向けて魔力を集中してみると、瞬時に手全体が魔力で満たされた。
手から出す魔術だけではない、この手袋によって魔力そのものをより繊細にコントロールできた。
「……ありがとうございますっ…これなら、何でもできる気がする…!
アムニットさん、プリスの下に隠れて!」
店主がプリスの腹の下に避難した所で、アニィは全身の皮膚に魔力を流した。
そして両腕を胸の前で交差させ、力を籠めて広げる。
「消えろぉぉぉぉっ!!」
アニィの全身から、七色に光る極細のプリズムの線が無数に放たれた。
シーベイで試作品を使った時、アニィとプリスの体をつないだ糸と同じものだ。
それを先刻の光の針の散弾の応用で、一気に全ての方位へと放ったのである。
プリズム線は市民や騎士団を避け、街全体の邪星獣だけを次々に貫いた。
『GYHAAAA!?』
『OOOOGHEEEEE!!』
『BHWAAAA!!』
『AAAGHWAAAA!!』
醜い断末魔の叫びをあげて、邪星獣は全身に穴をあけられ、切り刻まれ、崩れ消滅していく。
存命している一般市民を誰一人巻き込むことなく、アニィは市街地の邪星獣の群れを全滅させた。
何よりもこれだけ広範囲に、そして大規模に魔術を行使したにもかかわらず、微塵の疲労も無かった。
膨大かつ強力ゆえに不安定だったアニィの魔術は、この手袋を装備したことで、完璧に制御下に置かれたのだ。
上空を見ると、邪星獣の群れの進行は終わっていた。
海上でパルが指揮官個体を倒したことで、ここに向かっていた群れは消失したのだ。
指揮官個体の撃破によって群れ全体が消滅することは、この時点で推測から事実へとなった。
だが、要塞前からは騎士団の声や邪星獣の咆哮が聞こえる。また別の指揮官個体がいるようだ。
「これは…おお、アニィ君か! アムニット君の補助器具が完成したのだな!」
「隊長さん!」
丁度そこにやってきたのは、ドラゴンに乗ったダディフであった。
顔や鎧が傷だらけで息も荒くなっているが、それでも後ろに自分の隊を連れて生き延びている。
彼が助けたらしい市民たちが避難所に逃げる姿も見えた。
ダディフを乗せたドラゴンがアニィとプリスに駆け寄る。
「アニィ君! 要塞前広場でカゲサキ君が闘っているようだ。行ってやってくれ」
「はい…!」
「オーサーもそっちにいるはずだ。我々は避難を済ませてから行く!」
返事をしてすぐにプリスが羽ばたき、要塞へと飛んでいった。
ダディフはプリスの腹の下から出てきたアムニットと、何やら話しながら避難所へ向かっている。
他の団員も一般市民を誘導していた。
「…で、君も避難するんだよアムニット君。こんな危険なところまで、何をしに来たのかね?」
「アニィ・リムに手袋を渡しに来た。丁度白いドラゴンが見えたからな」
「なんて危ない真似を! 君がいくら元騎士団の強者だからって、引退した身だろうに!」
「あれは俺の生涯最高の傑作なのだぞ! 他の奴に預けて、途中で破損でもしたらどうする!」
「そう言う奴だったな君は。じゃなくてだな、せめて騎士団か協会の者を連れて行けと…」
昨日の朝はアムニットの方が喧嘩腰だったが、実はそこまで仲が悪くは無いようだ。
他方、ダディフが連れている兵隊たちは、機敏かつ自主的に動き、市民を助けている。
助けた市民たちとも親し気に話しながら誘導していった。
この空気が全体に満ちれば、騎士団も幾分か人々と近づけるだろうに…と、アニィは少々もったいなく思った。
要塞前広場を上空から見下ろすと、ヒナとクロガネがガ=ヴェイジと、オーサー達騎士団が他の邪星獣の群れと闘っていた。
どちらも邪星獣の方が押していた。騎士団が1頭を殺しても、いつの間にか補充されて群れの数が減らない。
加えてガ=ヴェイジの戦闘能力が高すぎる。膂力の強さに加え、吐き出す鉄の散弾は威力が高い。
更に肉体や無機物を金属化させる微粒子のせいで、迂闊に手を出せない。他の能力を隠している可能性もある。
何より、ガ=ヴェイジは他の邪星獣には無い、高い知力を持っているのだ。
ガ=ヴェイジがいる限り、形勢逆転はほぼ不可能だろう。
そして2人が発見した直後、ヒナとクロガネは強烈な頭突きで吹き飛ばされたところだった。
角の一撃がクロガネの横腹に直撃したようだ。空気が震動したかと錯覚すら感じる程、激突の重い音が響く。
頑強な皮膚である程度防げたらしいが、それでもかなり深く刺さっている。
「グゴォァアッ…ガハッ…!」
「クロガネ……クロガネ、しっかりしろ、立ってくれ!」
起き上がったのはヒナだけで、クロガネは凄まじい痛みから地に伏していた。
傷口からは大量の血が溢れ、助け起こそうとするヒナの足元を濡らしていた。




