第四十五話
「いた…あの眼差し、憶えている…! クロガネ、追え!! 早く!!」
「グッ…」
一瞬だけためらったクロガネは、アニィとプリスの方を見た。
いざとなれば止めてくれと、その目は懇願していた。直後、クロガネが加速して角付きを追いかける。
群れの真っただ中を突っ切り、ヒナが高速で刀を振るい、邪星獣の兵隊たちを切り捨てていく。
「グゴォォッ!!」
クロガネが鋼鉄の散弾を吐き出し、行く先を切り開く。
一瞬のうちに、ヒナとクロガネは大きく前進していた。
止めようとしたアニィの手は、クロガネの尾にすら触れることなく、虚空をつかんだ。
海上からはパルが呼ぶ声も聞こえる。だがヒナはアニィもパルも完全に無視し、角付きのみを追っていった。
鉄の覆面に目元が覆われてこそいるが、それこそ怪物のごとき怒りに満ちたヒナの顔に、アニィは一瞬恐怖すら覚えた。
そして直後に訪れたのは、強烈な不安だった。
「―――駄目。プリス、あれじゃヒナさんは勝てない…殺される!」
《完全に冷静さを失ってますね。追います!》
「お願い!」
ヒナとクロガネを追うべく、プリスも加速しようとした。
だがヒナたちに気を取られた一瞬、背後から兵隊の邪星獣が迫り、魔力弾を放った。
連射された弾丸をプリスは回避するが、最後の2発がアニィとプリスの背中を直撃した。
「ぐぁああっ…!」
《ぐぅっ…アニィっ!》
どうにかプリスがバランスを取ってアニィの落下は免れたが、それでも2人は大きく下方へ落下した。
海面に落下する寸前で、パッフが空中に海水のクッションを作って2人を受け止め、水没は免れた。
「アニィ、プリス、大丈夫!?」
「クルル!」
「うん、でもヒナさんが…!」
アニィ達は行先、ヴァン=グァドがある方向を見た。
かなりのスピードで飛んできたためか、既に巨大な城塞都市の姿が見えている。
邪星獣の群れが向かった地点も。そこは要塞から離れ、港湾や民家が並ぶ、居住区画であった。
そして群れから外れ、角付きを相手にヒナとクロガネが空中で闘う姿も見えた。
「アニィとプリスはヒナを止めて! あたし達は群れを少しずつ削ってって追いつく!」
「お願いね、パル、パッフ!」
《2人とも気を付けてくださいよ! 指揮官の奴は早めに見つけるように!》
プリスが飛び立つと、パッフは海水のクッションを分解し、海面を泳ぐ魚類型の群れにぶつけた。
無数の散弾と化した水の球体が頭部を破壊、消滅させていく。
「グルォァアアアッ!!」
更に海水から巨大な円盤を何枚も作り出し、上空に飛ばして飛行型の群れを真っ二つにしていく。
邪星獣たちは肉片と化し、次々と落下していく。
海の上と言う、水を操るパッフにとって最も有利なフィールドだ。
水の形状のコントロールに長けるパッフの実力が、いかんなく発揮される。
「パッフ、シーベイで考えた奴! あの時使わなかったけど、今ならいける!」
「クルっ!」
パルは跳躍し、パッフが作り出した水の回転円盤に乗って高く飛ぶと、飛行型の群れの真っただ中に突っ込んだ。
短剣を鞘から抜き、振りかぶる。その刃に海面から水が集まり、1本の長大な鞭を成型した。
その長さは10ドラゼン(150メートル)。水が超高密度で凝縮し、硬度と柔軟さを兼ね備えた刃でもある。
パッフの魔力が宿る水にパルの魔力を通すことで、両者の魔力により形を維持。
更に独学の格闘術『テンペストアーツ』の空中機動と合わせることで、広範囲と高い殺傷力、殲滅力を兼ね備えた武器になる。
「おりゃあっ!!」
鋭利な水の刃が蛇の如くのたうち、周囲の邪星獣数頭を切り裂いた。
消える直前の死骸を蹴り、パルは群れの列の真っただ中を駆け抜けつつ、敵を切り捨てていく。
戦闘中に矢が尽きた時のために開発した技だが、直線状の群れに対しては思った以上に有効であった。
「アニィ、頼むよ!」
暴走しかけた新たな友を、パルは親友に託した。
爆発する怒りは、的確に敵に向けてこそ真の強さを発揮する。
シーベイの海上で、アニィはそれを実現した。ヒナの復讐心もまた、制御すれば角付きを倒す原動力となる筈だ。
角付きが吐き出した魔力の砲弾を、ヒナとクロガネはそれぞれ刀と鋼鉄の散弾を用いて、空中で打ち消した。
直後、角付きはクロガネの眼前に迫り、真正面からぶん殴る。
筋肉質な腕と硬質な拳により、他の邪星獣とは比較にならない膂力を誇る腕の一撃だ。
「グゴぁああっ!!」
吹き飛ばされ、距離を取られる。頭部に乗ったヒナも当然体勢を崩され、角にしがみついて落下を防ぐ。
更に追いすがった角付きは、クロガネの真下に突如潜り込み、真下から野太い角を叩き込もうとした。
「クロガネ!」
「ゴォォッ!!」
腹を狙った突きを、咆哮と共にクロガネは真横に避ける。
上方に突き出された角をクロガネが掴み、お返しとばかり顔面を殴り返した。
『VGOWAA!!』
「ゴォウッ!!」
続けてクロガネは角付きの背中を蹴る。体勢を崩された角付きは、空中で身をひるがえし、立て直そうとする。
その一瞬を逃さず、ヒナは一度刀を納め、姿勢を低くして刀の柄に手を掛けた。必殺の居合いの構えだ。
クロガネが魔術を行使し、すさまじい速度で角付きに迫る。さらに加速の魔術でヒナが刀を抜いた―――
だがその直後、ヒナの周辺の空間に黒い煙が湧いたかと思うと、2人の動きは空中で固定されてしまった。
「ぐっ…何だ、これは!」
「ゴゥゥっ…!」
ヒナに気配を感じさせず、角付きは何かしらの攻撃を仕掛けていたようだ。
関節が固まったかの如く、ヒナもクロガネも身動きを取れずにいる。
2人の皮膚や衣服が、徐々に鈍く輝く金属色に変化、そして硬化し始めていた。
そこで初めて、ヒナは空中に漂う鉄の臭気を感じた。
鋭敏なヒナにも感じられぬほど、ごくわずかな臭気である。
角付きの翼から散布された、魔力の微粒子であった。生物の細胞を変質させ、肉体を徐々に金属質に変えていく魔術だ。
臓器が固まれば呼吸も血液の循環もできなくなる。無理に体を動かそうとすれば、骨も筋肉も引きちぎれる。
意識を保ったまま全身を固められる…里では見たことの無い魔術だった。
「おのれっ…!」
『VHWAAHAHAHAHAHA!!』
角付きが醜い哄笑を上げ、硬化していくヒナとクロガネを拳で吹き飛ばした。
「ぐぁあああっ!」
「ゴゥァアアア!!」
吹き飛ばされ、身動きを取れずに落下していく2人。角付きはそれを笑い、身をひるがえしてヴァン=グァドに向かおうとした。
その時、白く輝く光の網が、2人を空中で受け止めた。
プリスが魔術の糸で編んだ網であった。飛来したプリスの翼が輝き、金属化した細胞を元に戻していく。
「ヒナさん、クロガネ! しっかりして!」
《言わんこっちゃない。怒り狂った頭でアレに勝てるわけがないって、判ってたでしょうに》
「アニィ殿、プリス殿…」
アニィとプリスの声を聴き、ヒナとクロガネは冷静さを取り戻して、空中で体勢を整えた。
「ヒナさん、あの角付きの奴は強いし頭も良い。考えなしに闘っても、ただ殺されるだけだよ!」
「判っているのだ、そんなことは! 判っている…だが…!」
ヒナは見えぬ目で角付きを睨みつけた。角付きは先ほどと同様、悪意に満ちた笑みを浮かべている。
そして、目元にある傷を見せつけるように、軽く掻いた。
無論ヒナにその動きは見えないが、挑発している気配は感じられたのか、ギリリと怒りに歯を食いしばる。
「このままでは里の者達が浮かばれぬ…私は、奴を討たねばならんのだ!」
「ヒナさん…!」
怒りに燃えるヒナを止めるすべを、今のアニィは持っていない。何を言っても彼女の復讐心を加速させるだけだ。
アニィの中に迷いが生じる。むしろ今は、その怒りに身を任せるべきではないのか、と。
その時、アニィはふと角付きを見上げた。悪意に満ちた笑みを浮かべるその顔を。
シーベイで遭遇した指揮官個体と、一見すると同様の表情。だが―――直後、異様な声がその口から漏れ出た。
『フ…ハハ……。オマエ、憶エテ、イル、ゾ…』
邪星獣としては極めて異様な声。否、明確な言語であった。驚愕にアニィ達は面を上げる。
シーベイの個体のそれはたどたどしい、いわば人語を真似ただけの発音であった…と、アニィは思っていた。
だが、間違っていた可能性はある。邪星獣は悪意と敵意を以ってアニィ達を攻撃し、記憶を受け継ぐ。
ならば人語を理解する知能、会話に必要な発声器官を作り出す発想力もあるのではないか。
『アノ里ヲ、壊シタ…時ノ…死ニゾコナイ……ハハハ…待ッテイタ…ククッ…』
「貴様っ…待っていただと…!」
『ワタシノ、名ハ…"ガ=ヴェイジ"…
…コノ傷…残シテオイタ…ヤハリ…追ッテキタナ…』
《名前持ちですか。邪星皇の手足代わりと思っていましたが…これは驚いた》
プリスが驚くのも無理は無かった。使い走りのけだものと思っていた邪星獣が、自ら名乗ったのである。
名乗るということは、邪星皇から独立した自我と高い知能を持つことの裏付けでもある。
それは同時に、角付きことガ=ヴェイジのような個体が、複数存在する可能性の示唆でもある。
そしてヒナはガ=ヴェイジの言葉の意味に気づいた。
彼はヒナの事を記憶し、待っていた。すなわち意図をもって泳がせていたのだ。
『オマエガ…死ネバ……人類ノ、守リ手…
ソシテ、連レノ…娘ドモモ……サゾ、悲シム…ダロウ……クク…』
自らを追わせ、そして復讐心をたぎらせた彼女を、復讐を果たさせず殺害しようという腹積もりだ。
そして仇討ちを果たせぬ屈辱の死を、人類の守りの要とされるヴァン=グァドに、アニィ達に見せつけ、心をへし折ろうとしている。
竜愛づる者ですら怒り狂い、絶望し、そして容易く殺されると思い知らせ、人類を絶望へと導くために。
ヒナへの悪意であると同時に、シーベイで邪星獣を討ったアニィへの意趣返しでもあるようだ。
自身の復讐心を絶望をもたらす道具にせんとするガ=ヴェイジに、ヒナの怒りは限界に達した。
「―――斬るッ…!! クロガネ、行けッ!!」
「ゴウゥッ…!」
ヒナに促され、クロガネはやむなく突撃する。ガ=ヴェイジは身をひるがえし、ヴァン=グァドの方角へと飛んでいった。
ヒナとクロガネは高速飛行で追う。アニィとプリスも追いかけようとしたが、行く手を名も無き邪星獣の群れが阻んだ。
アニィは一度だけパルとパッフの方を振り向く。
2人とも特に危なげなく闘っていた。だがこの場には指揮官が見当たらない…
そう思い、アニィは思い直した。もしや、と真下の海面を見る。
海面を泳ぐの邪星獣と比べ、一際大きな黒い影が海中を泳いでいた。
「パル! 指揮官、海の中かも!」
「あいよっ! ヒナと街の方は任せた!」
「うん!」
パル達の方は大丈夫であろうとアニィは確信し、群がる邪星獣たちに向けて右の掌を広げた。
「どけぇっ!!」
無数の光の針が飛び散り、邪星獣の全身にいくつもの穴をあけ、粉微塵に崩壊させる。
アニィが道を開くと、プリスはすぐさまヒナたちを追い、ヴァン=グァドへと飛んでいった。
邪魔をされているうちに、ヒナたちの姿はいつの間にか見失っていた。
だがガ=ヴェイジは、ヴァン=グァドでヒナを殺害するのが目的だと言った。
ならば、間違いなく行く先はヴァン=グァドである。
「プリス、急いで!」
《いいですとも!》
高速で飛ぶアニィとプリスを、邪星獣が阻もうとする。
その全身に突如無数の切れ目が走り、いくつもの断片となって消え去った。パルの水の鞭が切り裂いたのである。
「海の中か…あのでかい奴だな。パッフ、引っ張り出して!」
「グルァアアッ!!」
パルが背に乗ったタイミングに合わせ、パッフが一際大きな咆哮を上げた。
途端に海水が巨大な塊となって打ち上げられる。その勢いで、海中から魚類型の指揮官個体が引きずり上げられた。
体型は他の魚類型と変わらないが、体格は二回りほど大きく、翼の代わりに背びれの横に腕が生えていた。
ドラゴンを真似しそこなったような体の構造に、何者かの邪悪な意思を感じ、パルは生理的嫌悪を覚える。
『GHYOOOO!!』
魚類型指揮官が醜い声で咆えた。パッフも負けず、すさまじい形相で威嚇する。
周囲には魔術で成型した水の回転円盤が散布され、パルは水の鞭を構えた。
「グルォオオオ!!」
「恐いのがアニィだけだと思うなよ。お前達は、あたし達全員を恐れることになるんだ!」
宣言と共にパルがパッフの背中から跳び、指揮官個体に向けて水の鞭を振るった。




