第四十三話
「ヒナさんは、仇討ちを終えたらどうするの…?」
穏やかな笑みを浮かべていたヒナの顔がこわばった。
「どうする、か。考えたことも無かったな」
《騎士団に入る気も無いんですよね。……まさか無職…!?》
「クルルゥ…」
さすがにそれは…と、パッフが何とも言えない表情を浮かべる。
そこでヒナはひも付きの金属プレートを見せた。アニィ達の物と同じ、『厄介事引受人協会』の会員証だ。
「協会入ってたんだ?」
「うむ、口座にもそれなりの額がある。まあ、各地で依頼を受ければ、収入源は確保できるだろう。
その後は…まあ、どうにかする。その時に考える」
それだけ言って、ヒナは会員証をしまい込んだ。
少なくともどこかに定住する、あるいは特定の国家や都市などに所属する気は無いようだ。
差し詰め、ゆく先々で人を助ける流浪の剣士と言ったところか。
それも悪くはなかろうし、本人が希望しているのなら構わない。
だがヒナのそれは、どちらかと言えば無計画、あるいは生きる動機を失うことを見越した、自暴自棄のそれに近い。
ヒナ自身が本当に望んでいるのか。覆面で目元を隠した穏やかな笑みからは、アニィには読み取れなかった。
ならば、とアニィは決断した。
「じゃあヒナさん、あの! わ、わたし達と」
「いや。―――気持ちは有難いが」
だが、言い切る前にすげなく断られてしまった。
ヒナが申し訳なさそうな顔をしているのは、断ることでアニィが強いショックを受けると知っているからだろう。
「彼奴を討った後で闘う気は無い。私は民の仇を討てればそれでいいのだ。
復讐の後の事を誰かに委ねる気も無い。…気持ちは有難いが。済まない」
そしてアニィのショックを承知の上で、それ以上勧誘を受ける気は無いと、ヒナはアニィの申し出を拒絶した。
それ以上何も言えなくなったアニィは、黙り込んでうつむいてしまう。項垂れた頭をプリスが撫でた。
暗くならぬよう、パルはややわざとらしく大きな声で言う。
「そっか。んじゃまあ、応援はしてるから。頑張りなよ!」
「ありがとう。……私達はそろそろ眠るとするよ。クロガネ」
ヒナはクロガネに声をかけ、自分のテントに戻った。横に張った屋根の下にクロガネが潜り込む。
空は晴れ、地面も暖かいので眠りやすいだろう。
クロガネの目は、何かを懇願するようにアニィ達に向けられている。
それはまるで、ヒナの本心を現わしているようにも見えた。
「ゴウゥ…」
その真意を、プリスとパッフは理解している。だが説明を求めたアニィの目に、2人は敢えて答えなかった。
テントの中からヒナの声が聞こえ、アニィは振り向く。
「お休み。また明日、お願いする」
「うん…おやすみ、なさい…」
落ち込みつつ答えたアニィの肩を、パルが軽く叩いた。
「あたしたちも寝よう。明日のためにもさ」
「うん…」
鳥と魚の切り身の燻製は、空いた携帯食用の容器に入れた。
食料は3人分併せて3ディブリス分くらいはあったはずが、気付いたらいつしか大半が無くなっている。
主にパルとヒナが食べたのだが、アニィもアニィでいつもより少しだけ多く食べた。
楽しい時間だった。ヒナに申し出を断られるまでは。
火を消し、アニィとパルがテントの中へもぐり、プリスとパッフは横に張った屋根の下にうずくまった。
寝具が無くとも充分に暖かいため、アニィもパルも寝袋を敷布団替わりに体の下に敷き、マントを体に掛ける。
アニィはパルに背を向け、体を丸めて目を閉じた。
ヒナのどこか自暴自棄な言い方が、クロガネの悲しげな眼が、忘れられなかった。
…だが、他人の将来を左右する資格など、自分には無い。騎士団にヒナの将来を縛る資格が無いのと同じように。
(ヒナさんのためなら、それしかない…のかな…)
頭の中で渦巻く思考を無理やり押さえ込み、アニィは目を閉じた。
やがて疲労と満腹感、そして地面から伝わる心地よい暖かさに、徐々に眠りに落ちていった。
翌日の朝。やや気まずい朝食を終え、歯を磨いて洗顔も済ませると、アニィがプリスの背に、ヒナがクロガネの頭に乗って向かい合った。
先日決めた通り、ヒナが必殺剣を確実に当てる練習…つまり組手である。
角付き代わりに相手になるのはプリスで、アニィが魔術で攻撃しつつ、必殺の一撃のみ光の盾で剣戟を防ぐ、手荒い特訓だ。
アニィは、自ら相手役を申し出た。
《真っ二つとか勘弁してくださいよ。防御は任せましたからね、アニィ》
「…… うん!」
気持ちを切り替えてアニィはうなずき、片手に光の剣を出現させた。
いつもの必殺の剣よりは小さいが、それでも人体を紙のように真っ二つにする切れ味がある。
昨日の練習の成果か、この程度では特に疲労は無い。
一方のヒナは刀を鞘から抜き、正面に向けて構えた。
必殺の『居合い』は、鞘に納め、力をため、一瞬のうちに抜いて斬り付ける…というプロセスが生じる。
すぐには使えず、まずは通常の剣技で隙を作ってからでなければ当てられない。
組手であると同時に、ヒナが最適な闘い方を組み立てるための練習でもある。
そしてヒナとクロガネはといえば、やる気十分であった。
「アニィ殿もプリス殿も、隙あらば遠慮なく攻撃を仕掛けろ。その方が身が引き締まる」
「グオォウ!」
「怪我しない程度にね! 死んだら元も子もないから!」
放っておけば命に係わるほどの訓練になりかねないと、あらかじめパルは二人に言っておいた。
そして開始の合図を出そうと、パルが両者に準備の成否を尋ねようとした時。
「…いくよヒナさん、クロガネ!」
《はっ!? ちょっとアニィ…あぁもう!》
アニィの一方的な合図でプリスが走り出す。
突き出された光の剣を、ヒナは紙一重でかわした。
突然のことに驚く風もなく、ヒナは至って冷静な無表情。
「―――はぁッ!!」
アニィは連続で突きを繰り出す。邪星獣との戦闘で養われた勘か、的確にヒナの急所を狙って繰り出される。
しかし戦闘経験では一日の長があるヒナ相手に、悉く捌かれる。
「甘いッ!」
ヒナは刀を振り抜き、光剣を弾き飛ばそうとする。が、刃が交わる寸前で輝く刃が消えた。
光剣の消滅にヒナの視線が一瞬だけ囚われた瞬間、プリスが水平に回転し、クロガネの顔面に尾を叩きつける。
クロガネは垂直に跳躍して尾の一撃を回避した。
《邪星獣がこの程度で済ますとお思いですか!》
途端、上空に跳んだヒナとクロガネに向け、アニィが後ろ手に光の散弾を発射した。
クロガネは鋼鉄の散弾を吐き出し、全て相殺。同時に飛び掛かってきたプリスの爪、アニィの剣をヒナが刀で弾く。
眼前で吐き出された光線も、大上段から振り下ろした剣で真っ二つにして散らした。
直後、クロガネの頭突きがプリスの鼻先を直撃した。
《ぐぬっ…》
「隙あり!!」
頭突きと同時に刀を納めたヒナが、腰を低くして構え、居合いの態勢に入り―――
が、狙いすましたかのように、ヒナの真横から巨大な光球が襲い掛かった。拳打の動きに合わせた、アニィの技だ。
光球はクロガネの脇腹に激突し、ヒナの居合いの体勢を大きく崩した。
「ぬっ…!」
2人が大勢を整える前に、アニィとプリスが真正面から突っ込んだ。
プリスが連射する光の弾丸を、クロガネの鋼鉄の散弾がかき消す。
弾丸同士が衝突し、強烈に発光しながら消滅。クロガネの視界が一瞬奪われ、ごく短時間の混乱がヒナにも伝わった。
「やああッ!!」
狙いは視界ではなく、クロガネを困惑させることにあったのだ。
その一瞬を狙い、アニィが右の掌を突き出し、光の壁をヒナにたたきつける。
瞬間、刀を持つヒナの手が消失した。銀色の弧が光の壁を真っ二つに断ち割り、アニィとプリスを無防備にした。
光の壁はすぐに再生し始めるが、ヒナはそのわずかな時間を見逃さない。
「ハァ!!」
真正面から刀が振り抜かれる。むろん本当に斬ることなく止めるつもりではあった。
が、プリスが体を傾けると、刀が途中で止まった。
光り輝くアニィの掌で掴まれたのである。恐るべき動体視力と反射神経であった。僅かに裂けた皮膚から血が滴る。
防壁で包まれたとはいえ、鋭利な刃を掴むという行為に、流石のヒナも、そして地上のパル達も驚いていた。
《そぉりゃっ!!》
動きを止めたクロガネの顔面をプリスが蹴る。落下しそうになったヒナはクロガネの角を掴み、どうにか頭の上にとどまった。
不利と見て一旦クロガネは距離を取る。逆に態勢を立て直したプリスが追う。
真正面から動きを止めた相手に対し、必殺の居合いがむしろ使えないことを、ヒナは悟った。
今しがたアニィが掴んだように、眼前で掴まれる可能性があるからだ。
そしてもう一つ。完全に断ち割らなければ、先ほどの光の盾のように、再生を許してしまうことも考えられる。
お互いが動きを止めず、動きが交差する一瞬でこそ決めねばならない。ならばどうすべきか。
「クロガネ―――行けるか」
「ゴウゥ!」
吐き出された光線を刀で弾きながら、迫るプリスとアニィに向かって両者は突進する。
両者の間の距離が約1ドラゼンまで縮まった瞬間、ヒナは刀を鞘に納めた。
「今だ!!」
「ゴゥォォオオッ!!」
クロガネの咆哮。同時に、ヒナとクロガネ、両者の姿が完全に消えた。
ドラゴンラヴァーの視力をもってしても、その動きは捉えられない。
―――銀色の閃光がアニィの真横を通り過ぎたその瞬間。
アニィとプリスの背後、5ドラゼンほど後方に突然ヒナとクロガネが現れた。
刀を水平に振り抜いた直後の姿勢のヒナが、やや待って刀を再び鞘に納める。
同時にアニィが張っておいた光の盾が真っ二つに断ち割れ、消失した。再生の間もなく消滅させられたのである。
命の危機に一瞬にして晒されたと気づき、アニィの額から汗が流れた。
「…………これだ」
ヒナがつぶやいた。
必殺の一撃を決める瞬間に、彼女は開眼したのである。




