第四十二話
そこにパルとパッフが帰ってきた。
パルが全長1ドラームほどの魚介型モンスター、トロピカルマッスルサーモンを一尾。
そしてパッフが同じサイズの鳥、定期依頼にも書かれていたガストホークを背中に担いでいる。
どちらも三人が食べる分には十分な大きさだ。
パルは魚と鳥を下ろすと、焚火の前に座り込み、さばき始めた。
近場で拾ってきたらしい枯れ木の枝を研ぎ、軽く炙って消毒。串代わりに切り身に差し、熱された金属板の上に置く。
焼ける肉と染み出る肉汁から、食欲をそそる野性的な芳香が立ち上る。アニィとパル、そしてヒナの腹の虫が盛大に鳴いた。
「いや、ここで鳥が捕れるとは思わなかった。パッフが見つけてくれてさ!」
「クルルっ!」
自慢げにパッフがふんぞり返る。小さく拍手するヒナとクロガネ。
ふと、アニィは金属板の上で焼ける肉を見て、荷物の中から携帯食を取り出した。
「これ、焼けば少しは美味しくなるかな…? 肉汁とかつけて…」
「むっ…」
余りの不味さに食べる気を失くしていたが、パルはアニィの提案を聞いて考え直した。
目の前には恐るべき美味を思わせる芳香が立ち上る肉。
この油や肉汁をしみこませれば、少なくとも木の皮の味は消えるのでは…
「やってみる価値はあるかもね。誰が食べる?」
「わ、わたしが食べてみる…!」
アニィは自ら立候補すると、パルから短剣を借りて携帯食を半分に切る。
焼いている鳥の肉汁に浸し、全員が見守る中、思い切って一口かぶりついた。
その途端、硬く不味い携帯食が柔らかなパンのように変わり、肉のうまみが口の中に広がった。
「お、お、美味しい! なにこれ!?」
練り合わされたパンと肉と野菜がふやけ、しみ込んだ肉汁ごと焼き上げられて、奇跡的にうま味を呼び戻したようだ。
何の成分がどう作用しているかはさっぱりわからないが、そんな細かいことはどうでも良かった。
美味いものは美味いのである。
「2人とも、食べてみて! 本当に美味しいから!」
「ホント!? あたしもやってみよ。ヒナもほら」
「うむ…」
恐る恐るパルとヒナも食してみると、2人もまた意外なうま味に驚いた。
「うンまっ! 何だこりゃ!」
「おお…この携帯食、私も食べたことはあったが、こうも美味くなるとは…
アニィ殿、騎士団の連中にも教えてやらねば」
「う、うん!」
画板と画用紙を取り出し、アニィは急いで携帯食と鳥肉、魚肉の絵を描き、横に簡単な説明書きを添えた。
続いて魚の方の肉汁を付けてみると、こちらはやや塩味が強く、あっさり目で鳥とは違う爽やかな味だ。
アニィはこちらについても書いてまとめた。
奇跡のうま味を堪能していると、横からプリスが声をかける。
《そろそろ肉が焼けた頃じゃないですか?》
「おお、そうだ。かたじけないプリス殿」
「どれどれ、焼けたかな…?」
パルが串を刺した鳥と魚を裏返すと、適度な焦げ目がついて油が泡立ち、じゅうじゅうと音を立てた。
反対側も程よく焼き、焦げ目がついたところで、焼けた鳥肉をパルがアニィに手渡す。
「うっし、焼けた。アニィ、食べて!」
「え…いいの?」
「いいの! ほら!」
遠慮がちにアニィは受け取り、いただきますと小さく言ってから、小さな一口を食べる。
判ってはいたがこちらも美味。焼きたての鳥肉である、味付けしなくとも美味い。
「ん~~~…美味しい!」
「どれ、あたしもいただきます! もぐ」
「私も…」
パルとヒナがそれぞれ鳥と魚を一口食べ、美味しさに舌鼓を打つ。
熱さで口を火傷しそうになると、水筒の冷たい水を一口飲んで口の中を冷やし、また食べる。
たったそれだけの、料理とも言い切れない料理が、3人には信じられないほど美味しく感じられた。
横ではそれぞれの相方のドラゴン達が、良かった良かったとうなずき合っている。
特にプリスなど、初めての野外の食事に夢中になるアニィを見て、いつしか慈母のごとき笑みを浮かべていた。
《アニィ、美味しいですか?》
「うん。ヤードさんのご飯も美味しかったけど、このお魚や鳥もすごく美味しい…」
《そいつは良かった。遠慮なんかせず、食べられるだけでいいから食べなさい。
あなたは体を丈夫にしないといけないのですからね》
プリスの言葉に、本当に良いのかと一度手を止め、ヒナとパルの方を見る。
小食ではあるが、それ以上に遠慮していたのを見透かされ、驚いたのもあった。
ヒナもパルもうなずき、焼けた肉を勧める。
「ちょっとずつで良いから、食べられる量も増やしていきなよ。
美味しいものいっぱい食べて、心も体も頑丈にしなきゃ」
「…………うん。ありがとう」
少しだけしんみりして、アニィは食事を続けた。
村にいた頃、日々の食事に苦労していた頃には、決して味わえなかった野外料理。
そんな初めての幸福を、プリスやパル達に感謝しつつ、アニィはいつもより少しだけ多めに食べた。
夕食を終え、残った肉はパルとヒナが燻して保存食にした。
明日の朝はこれをもう一度焼き、携帯食と一緒に食べるつもりである。
満ち足りた腹を休めるべく、アニィ達はそれぞれ相棒のドラゴンに寄りかかり、夜空を見上げていた。
歯を磨き洗顔も済ませた。入浴は出来ないので体は拭くだけで済ませてある。後は眠るだけだ。
しばらく星を眺めた頃、ヒナが切り出した。
「…アニィ殿達は、村でどんな風に暮らしていたのだ?」
尋ねられ、アニィの表情がわずかにこわばった。
口に出せば当時の気分も思い出してしまう。だからこそ、アニィは親しくなったシーベイの人々にも殆ど話していない。
ヒナの質問は、その意味では無神経、無遠慮ですらあった。
そう感じるのは、自身の苦痛に満ちた過去を、大した苦しみではないと切って捨てられることへの恐怖からだ。
先に答えたのはパルだ。
「あたしは妹と一緒に暮らしてた。両親はもう亡くなって、2人…
と、フータっていうモフルタイガーの一匹でね。妹達は村に残してきちゃったけど。
パッフと狩りに出て、ご飯にしたり、行商のおじさんに売ってたよ」
ほうほう、とヒナはうなずきながら聞いていた。その間、アニィは考えていた。
―――過去を心の中に閉じ込めたままで本当に良いのか。
出会ったばかりでもすっかり仲良くなったヒナになら、話しても良いのではないか。
アニィは少しずつ、考えを改め始めている。
村を出る直前、怒りと憎悪を全てぶちまけた時のように、苦しい過去も外に吐き出すべきではないか。
「なるほど。アニィ殿は?」
ヒナがアニィの過去を聞いて、きっと馬鹿にはしないはずだと、弱い心の持ち主だと、そう言わないことは勘付いている。
プリス、そしてパルとパッフがアニィを見る。答えるのか、と視線で3人が問う。
アニィはうなずき、少しずつ話し始めた。
「わたしは―――わたしね、村で、ずっといじめられていたの…」
それを聞いたヒナの表情がこわばった。アニィは訥々と話を続けた。
プリスと出会うまで魔術が使えず、ドラゴンにも乗れず、村の住人どころか家族からまでなじられていたこと。
唯一できたのは、ドラゴンの絵で子供達を喜ばせることくらいだったこと。
ずっと罵られ続けたせいで、何をしても馬鹿にされる気がして、村を支えるための農業などにも手を付けなかった事。
家族からの疎外に耐え兼ねて食事での同席も避け、残り物を野良犬のようにあさっていた事…
「では、今魔術が使えているのは…?」
「プリスがわたしを『ドラゴンラヴァー』に選んでくれて、それから使えるようになったの。
だから、使えるようになったのは本当についこの間。使えても下手くそだし」
「『ドラゴンラヴァー』…とな」
《まあ、我らドラゴンの一生涯の相棒みたいなもんです》
ヒナが聞いているのを確認し、アニィは話を続ける。
「そんな生活ばっかりしてたから、狩りに出たことも、野宿したことも無かったから…
だからね、色んなことができるみんながうらやましくて、自分が情けなくて…」
「そうだったのか…」
続けたばかりの話が途切れ、その場は沈黙に包まれた。
気まずい話をしてしまったと、アニィは自らの行為を顧みて、取り繕おうとする。
「ご、ごめんね…つまらない話…」
「いや。………アニィ殿、よく話してくれた。
今日出会ったばかりの私に話すには、勇気が必要であったろう」
アニィの自虐をヒナは遮った。
辛いと家族に訴えようと、彼らは他の村人たちと同じく、アニィの事をなじるのみだったのだ。
この日初めて出会ったヒナが、その苦痛を理解したことに…
自らの過去が重く受け止められていることに、アニィは驚きを隠せない。
ヒナは話を続ける。その声は優しい。
「苦痛に満ちた過去とわずかでも向き合うのは、とても辛いことだ。
それに耐えたそなたは、強い人なのだな…」
思わぬ賛辞にアニィは慌て、助けを求めるようにプリスを見る。
「そ、そんなこと…わたし、強くなんか…ねえ、プリス!」
《は? 何言ってんです。ホントに強くないなら、私ゃあなたをドラゴンラヴァーになんて選びやしませんよ》
「えぇぇぇ…!?」
《言ったでしょ、人格も見て選んでるって。本物のヘナチョコだったら村に放り出してます。
だいたいあなた、村の連中もズタボロにしてきたんですから。弱いわけがないじゃないですか》
あわあわと慌てるアニィと、辛辣なようでいてひたすらにアニィを誉めそやすプリス。
そしてそれを見て笑うパルとパッフ。そんな穏やかな光景に、ヒナとクロガネもいつしかほほ笑んでいた。
アニィが思った通り、ヒナとクロガネはアニィの過去の話を真剣に聞いてくれていた。
里の民を皆殺しにされた自分よりマシ…などと、切り捨てもしなかった。
出会った当初こそ、騎士団への嫌悪から冷たい態度であったが、本来は穏やかで優しい人物だ。
復讐心を胸にたぎらせている事実が、嘘ではないかと思うほどに。
だからこそ、アニィは気になった。
ヒナはヴァン=グァド騎士団の勧誘を拒み、ここで修行している。
必殺の居合いも完成が近く、明日はその技を組み込んだ闘い方の訓練を行う。
仇討ちの目途は立ったのだ。ならば―――その後は?




