第四十一話
「……アニィ、これって」
「クルル…」
出来上がった絵を見て戦慄する一同の気配に、ヒナも気づいたらしい。
顔を上げてどうしたのかと問うヒナに、アニィが答えた。
「ヒナさんの里を襲ったのは、邪星獣という怪物…
わたし達はこの邪星獣を、そしてその親玉の邪星皇を倒すために旅をしているの…」
「じゃせいじゅう…じゃせいおう…? そういう名なのか、プリス殿?」
《ええ、邪悪なる星の皇。…ただ名前を知ってはいますが、その姿までは知りません》
プリスが代々の「葬星の竜」から知識を受け継いでいることも、自己紹介の時に合わせて話していた。
そしてこの瞬間、ヒナとクロガネは、自分達がアニィ達と同じ相手を敵にしていると悟ったのである。
《確かなのは、邪星皇がこの星を滅ぼさんとしていること。そして邪星獣がその配下であるということです。
そして邪星皇は、辺境から滅ぼし始めているようです。あなたの里も、恐らくアニィ達の村と同じく…》
「そなた達の村もか…?」
「…………」
返答が無いことを、ヒナはいかに受け取ったのか。刀の柄を握る手が震えている。
彼女が顔を挙げたのは、パルの言葉を聞いた直後だった
「それより長って奴の方。こいつ、昨日ヴァン=グァドに来たよ」
「何…!」
ヒナは大股で歩み寄ると、パルにつかみかかった。
気配と声の方角だけでそこまでできるのだから、大したものだ。
「そいつ、どこへ行った!」
「わかんないよ。あたし達と騎士団長で相手しようと思ったら、急に逃げられた」
「でも、また来るかもしれない…」
アニィの言葉に全員が振り向く。
アニィを狙った邪星獣が再びシーベイに訪れたのを、プリス達はよく憶えていた。
もし邪星獣がヴァン=グァドを要衝の一つと、あるいは逆に弱点と見ているのなら、再び襲来する可能性はある。
ヒナもその可能性に気づいたらしく、掴んだパルの服を放してヴァン=グァドの方を向く―――
遠く半ドラカイリ先だが、少なくともそちらへ向かう邪星獣の姿は見えない。
再び来襲するにしても、もう少し先という可能性はあった。
「ヒナさん、技を完成させた方が良い。完成しないうちに行っても、殺されるだけだよ…」
「ゴウゥ…」
アニィとクロガネがヒナの肩に手を置き、なだめる。怒りにゆがんだ口元が落ち着きを取り戻していく。
「判っている…判っているとも……」
「ゴウ…」
「…すまない、アニィ殿、クロガネ。では特訓を始めよう。何をしたらいい?」
呼吸を落ち着けたヒナ尋ねると、パルが答えた。
幼いころからヒナは剣術を鍛えていたが、邪星獣相手の訓練方法なら、ドラゴンを相手にしていたパルの方が先輩である。
「今日の残り時間を使って、徹底的に必殺の動きを体で憶える。
多分一番強い技みたいなのを習ったと思うから、それを突き詰めるんだ」
「なるほど…それなら……」
パルのアドバイスを聞き終えると、ヒナは一度刀を鞘に納めた。
デモンストレーションを行うのか、クロガネが直径半ドラゼン(約7.5m)の大きな岩を一つ持ってきてヒナの隣に置く。
ヒナは岩石を前に腰をかがめ、柄に手を掛けた。
何が起こるかと見守るアニィ達の前で、ヒナは一気に刀を引き抜き―――
「ハァッ!!」
銀の閃光が走ると、ほぼ同時に金属音が響く。刀は微塵も動いていないように、アニィには見えた。
直後、大岩が上下に両断され、上半分がずれ、地面に落ちた。
一瞬で刀を抜き、岩を真っ二つに斬り、再び鞘に納める一連の動きに、アニィ達は揃って拍手した。
「これが父上から学んだ必殺剣―――『居合い』だ。なるほど、これを邪星獣相手に出せれば」
アニィ達が岩の断面を見ると、磨き上げたかの如く艶やかに輝いている。
一見して刃物で断った物とは思えぬほどの美しさだ。
「絶対いける。今はこれを、邪星獣を真っ二つにできるくらいまで鍛え上げて。
きちんと当てる練習は明日しよう。その時はあたし達が相手代わりになる…パッフ、いい?」
「クル!」
パッフがグッと拳を握って、肯定の意を返す。
続いてアニィがプリスの方を見ると、先ほどダディフの依頼を受けた時と同じ、困ったような顔でうなずいた。
《しょうがないですね…私も手伝いますよ》
「ごめんね、プリス…我儘で」
《いえ。アニィはむしろ我儘を言った方が良いです、今まで我慢してたんでしょ》
プリスはそう言って、爪の先端でアニィの頭を優しく撫でた。
「あ……う、うん…」
普段高慢で皮肉っぽいプリスの優しい仕草に、アニィは顔を赤くしてうつむいてしまう。
何事かとプリスは首をかしげるが、アニィはぶんぶんと首を振って気を取り直し、顔を上げてプリスを見た。
《……どうしました。大丈夫ですか、アニィ?》
「ん、大丈夫…うんっ」
アニィ自身にも、なぜ自分の顔が赤くなったのか、何故自分の胸が高鳴っているのか、今一つよく理解できない。
ただ、シーベイでの空中散歩の時のような、不思議な高揚であった。
アニィはそう言うと恥ずかしそうに眼を逸らし、ヒナの方を向いた。
「が、がんばろうね…ヒナさんっ」
「うむ。よろしく頼む」
わずかにアニィの声が上ずっていたのだが、そこに籠る感情には、どうやらヒナは気づかなかったらしい。
一方パルとパッフは、アニィの声の変化に気付いた。が、その原因にまでは思い至らなかったらしい。
そして目の前のプリスはと言えば、やはり何も気づいていなかった。
ともあれ、ヒナの必殺剣の特訓は最終段階に入ったのである。
ヒナが大空洞で居合いの特訓をしている間、アニィ達も何もしていないわけではなかった。
身体能力を強化し、テンペストアーツを用いることで、パルは動体視力も強化している。
しかし空中を動き回るだけに、どこか一点だけを狙うのは至難の業のようだ。
それを解消すべく、先刻ヴァン=グァドで購入したレンズを使って、空中を跳びながら的を射る練習をしている。
パルを乗せて空中を飛びつつ、パッフ自身が的代わりの水の球体を操っている。直径は1ドラクローに満たない。
曰く、身体強化魔術を眼球に掛ければ、すさまじい視力が得られるという。
「目に変な負担がかからないと良いんだけど…」
《ほらアニィ、しっかり集中して》
空中のパルを見上げていたアニィは、プリスに言われて自身の手元を見下ろした。
プリスのコーチングの元、アニィが地上で行っているのは、魔術を素手で操る練習だ。
アニィの魔術は形状の維持がまだ安定しておらず、また一度の出力も大きくなりすぎる。
邪星獣との戦闘においてはそれでもかまわないのだが、魔力押印などの時は大きな手間になる。
更に、街中での戦闘では周辺の一般市民を巻き込みかねない。
そしてそれに加え、魔術の維持力を鍛えることも視野に入れていた。
アムニット謹製の手袋を装備することで精度を増すことを前提に、素手でいるうちに可能な限り安定させる。
その目的の元、手近な岩に座ったアニィは胸の前に両手を掲げ、魔術で小さな立方体を出現させていた。
それぞれが特訓を始めてから、この時点で5ジブリス(5時間)程経過している。
アニィはその間一度も休むことなく、魔術の立方体を維持していた。
しかしその額からはすでに大量の汗が流れている。顔色もあまり良くない。
《…ここまで。一旦休憩してください》
プリスが言うと、アニィの両手の間の立方体が消えた。
アニィは荒い息を吐きながら横になり、額の汗をぬぐった。
「はぁ…っ…はぁ……」
《大丈夫ですか? だいぶ長い時間維持してましたけど》
「ん……大丈夫…」
アニィはどうにか体を起こし、小さな水筒から水を一口飲んだ。
丁度そこにパルとパッフも降りてきた。いつのまにか太陽が沈みかけ、空は既にオレンジ色に染まっている。
アニィと同じくパルもすっかり汗だくで、こちらもまた休みなしで訓練していたのが判る。
「そろそろ晩御飯にしようか。海が近いし、どうせなら美味しい魚でも食べよう」
「ん…賛成。でも携帯食、何とか食べられないかな…さすがにあの、木の皮みたいな味はつらいけど…」
善意で用意してもらったものを捨てるのは流石に忍びないと、アニィは提案するが。
先に一口食べた所、正にアニィの言う通り、携帯食は枯れた木の皮を思わせる味がしたのである。
なお、アニィは村で全く食料が手に入らなかった時、一度だけ木の皮を食べようとしたことがある。
結局捨ててしまったが、口に含んだときの絶望的な味わいと惨めさはトラウマの一つであった。
「釣りの餌にするくらいしか思いつかない…」
《私はそのクソ不味さはわかりませんが、それを魚に食べさせるんですか?
本当にえさとして使えるんですかね? クソ不味っとか言われて、吐き返されるんじゃないですか?》
「判らないけどさ、一応食料だし…まあ、食いつくくらいはするんじゃない…かな…?」
そしてそんな携帯食は、残念な餌扱いという散々な言われようであった。
ヴァン=グァドの兵隊たちが、木の皮味の携帯食を抱えてどれほど悲しい気持ちで遠征を行っているのか、気になる所である。
不味い携帯食の処遇について話し合っていると、そこにヒナがやってきた。
彼女もまた汗をかいている。精緻な技を磨く集中力と、大空洞の中の気温のせいだ。
「そろそろ夕餉の時間だろうか?」
ヒナは水筒から直に水を飲んだ。首筋や頬の白い肌が汗に濡れ、どことなく大人びた魅力が漂っている。
「ちょうど呼びに行く所だったんだ。
海で何か捕ってこようと思うんだけど、晩御飯は魚でいい?」
「うむ。パル殿とパッフ殿が捕りに?」
「そうだよ。アニィは……」
パル達が見下ろすと、アニィはまだぐったりして、隣に座るプリスに寄りかかっていた。
凄まじい集中力と体力の消費で、しばらくは動けそうにない。
「留守番をお願いしよう。悪いけどヒナとクロガネ、火ぃ起こしててくれる?」
「おお、それなら。良い物があるぞ」
「クル?」
アニィ達が見ている前で、ヒナは自分の荷物の革袋から金属の板を取り出した。
小さな焦げ跡がいくつも付いている。パルはその用途にすぐ気づいた。
「肉とか焼く奴だ!」
「うむ、取ってきた獲物はこれで焼こう。切って焼けば消毒にもなる。
焼け具合は温度でわかるし、パル殿が料理が得意ならお任せしたい」
「任せてよ! じゃ行こう、パッフ!」
「クルっ!」
パルとパッフは連れ立って海岸へと向かう。
クロガネが持ってきた薪と石を、ヒナがテントの前で積み上げて簡単なかまどを作り、金属製の火起こし棒で着火した。
目が見えないにもかかわらず、ヒナは器用に火を焚き始める。着火できたかどうかは手をかざして確かめていた。
アニィはその手際の良さに感心し、焚火の上に置かれた金属板が少しずつ熱されていくのをじっと見た。
―――自分にはこんな技能は無い。自分が行くと言い出した旅なのに、様々なことを親友達に任せてしまっている。情けない―――
不意に、自分が何の手伝いもしていない事を実感し、申し訳ない気持ちになった。
そんな罪悪感とコンプレックスを感じたのか、ヒナが手を止めて振り向いた。
「どうかしたか、アニィ殿。具合が悪いなら、少し休んでから食事にするか?」
「…ううん、何でもない。大丈夫……」
ヒナの質問に、アニィはうつむいたまま答えず、黙り込むだけだった。
隣にいるプリスは、むやみに訊かぬ様にと視線で釘を刺す。気配に鋭敏なヒナは、目が合わなくともプリスの視線を感じた。
何か事情があるのだろう。ヒナもクロガネもそれを察し、起こした火の火力を上げた。




