第三十八話
アムニット服飾店の前のベンチに座ると、すぐ隣の雑貨店からパルとパッフがやってきた。
パルはずいぶんご機嫌な様子だ。手にはシーベイで購入した大弓と、小さな虫メガネらしきものを持っている。
「アニィ、終わった?」
「ここにいるうちに作ってもらえるって。パル、何か買ったの?」
「そうそう、これ見てよ! 弓に取り付けるちっちゃい望遠鏡なんだけどさ!」
パルがアニィの隣に座って弓を手渡し、クリップでレンズを取り付けて指し示した。
アニィがレンズを覗き込みつつ周囲を見まわすと、15ドラフラプ(750メートル)向こう、城壁上の見張り小屋にいる兵隊の顔が見えた。
枕に関節技を掛けながら居眠りしている。夢の中でも犯人逮捕の練習をしているのか。真面目な兵士である。
「よく見えるでしょ」
「ホントだ…これ、何に使うの?」
「狙いが付けやすくなるの。でも太陽とかの強い光は見ちゃダメなんだって、目が焼けちゃうから」
なるほど、とアニィはうなずいた。
これは現代で言うと、銃に取り付けるスコープである。
ほらこっち、とパルが指し示した方向に弓を向けた。
途端、レンズにプリスの巨大な顔が映りこんだ。余りの大きさに叫びをあげ、アニィは弓を取り落としそうになる。
「ひゃあ!」
《わたしの顔見て驚くんじゃあないですよ、失敬な》
「ご、ごめん…いきなり顔が大きくなったみたいで、びっくりして」
「クルル?」
「わあ!」
今度はパルとパッフの顔がアップで映り込んだ。いきなりのことに驚いたアニィに、パルとパッフが笑う。
「もう、2人とも!」
怒ってみせるが、アニィも本気で怒っているわけではなかった。
一方、プリスは本気で呆れているようだった。
《あなた方、アニィが口から心臓放り出したらどうする気なんですか…》
「わはは。ごめんごめん」
《反省してませんね? おのれら》
そこに通りがかる足音が2人分。アニィとプリスが振り返ると、オーサーとダディフがそこにいた。
時間の指定をしていなかったとはいえ、だいぶ早い時間に来たのは、騎士団故の生真面目さか。
要塞の方からは、彼らと別に指揮を執る声が聞こえる。幾分若い声なので、恐らく別の隊員に訓練を任せてきたのだろう。
2人は上司と部下にして年齢も一回り程差があるようだが、気のおけぬ友人同士でもあるのか、親し気に並んで歩いていた。
オーサーがにこやかに笑いながら手を挙げる。
「おはよう、アニィ君達」
「おはようございます…」
「補助器具と言うのは―――ここで作ってもらうのかね?」
オーサーとダディフが、揃ってアムニットの看板を見た。
「今日は騎士団制服の追加注文分も取りに来たのだが…」
「団長さんと隊長さんが、ですか…?」
「取りに来たのは私だけさ、他の者は訓練で忙しいからね」
そう言って笑うのは、小隊長のダディフであった。オーサーと比べて親しみやすい人物だ。
彼は看板にかかる閉店のプレートを見て、訝し気に顔をしかめた。
「閉店? もしかして追い出されたのかい?」
「これから作ってくださるそうです…集中したいんじゃないかと」
「む。困ったな……おーい。アムニット君、注文を―――」
ダディフがそう言ってドアをノックすると、すさまじい剣幕で店主ことアムニット氏が出てきた。
開いたドアがダディフの額にドカンとぶつかる。額を押さえたダディフにかまわず、アムニットは叫んだ。
「店じまいの字が見えんかバカモノが! こっちにはマルシェ夫人の署名があるんだぞ! 帰れ!!」
そして出てきた時と同じ勢いで引っ込んでしまった。
額のタンコブを押さえるダディフとオーサーが顔を見合わせ、もう一度アニィの方を見た。
「マルシェ夫人!? シーベイ商工会会長のか!?」
驚いたオーサーがアニィに尋ねる。プリス達と顔を見合わせた後、アニィはおずおずとうなずいた。
「はい…シーベイでお世話になりまして…」
「え、あのおばさん、すごい人なの!?」
うむ、とオーサーはうなずいて説明した。
「シーベイの商工会は、このフェデルガイア連邦の半分近くの国で交易を取り仕切っている。
彼らが流通を止めるということは、要するに連邦の半分で流通が止まるということなのだ」
「もちろん流通する品の質は優れている。だから長たるマルシェ夫人の名は、それ自体が品質の保証なんだ。
その気になればそれを盾に、物流を思いのままにできるということさ。オイテテテ…」
ダディフはタンコブを押さえつつ、かなり物騒なことを言った。
夫人の意志一つあれば、流通を操り連邦の半分を征服できる…ということとほぼ同じ意味である。
それを受けて、続けてオーサーが言うには。
「つまり彼女の名が書かれているということは、言い方は悪いがその脅迫でもある。
即ちアニィ君、君の補助器具を作らなければ流通を止める…というわけだ」
マルシェ夫人はそのようなことなど言っていなかった。
恐らく、アニィ達にあまり気負わせないようにとの配慮だろう。
だがそれにしても、また恐ろしい人物とつながりを持ってしまったものである。
アニィ達の顔が若干青ざめる。
「君たちの誠実さあってこそだろうな」
オーサーはその一言でまとめてしまった。
返答に困って見合わせるアニィとパルの横で、プリスとパッフが納得したようにうなずいている。
マルシェ夫人達がアニィ達を信頼したのは、まさしくその誠意あってこそと主張しているのである。、
「そろそろ依頼の話に入ろうか。アニィ君の方は、時間は大丈夫かね?」
「はい、ここにいるうちには出来上がるそうです…」
「なるほど。邪星獣が出なければ、まあこちらの依頼もすぐ終わるとは思うが…」
邪星獣が時と場合を選ばずに出現することは、アニィ達にとって最大の不安材料である。
あくまでも平和裏に物事が進む前提で、と前置きしてからオーサーは切り出した。
「君たちに、ある人物を連れ戻してきて欲しいのだ」
「連れ戻す……ですか?」
「探して欲しいってんじゃなく? 居場所は判ってるんだ?」
「クルル?」
アニィ達に問われ、うなずいてオーサーが差し出したのは、一人の人物の人相書きであった。
年のころはアニィ達と同じくらいの少女だ。
黒くややゆったりした衣服(ニンジャ装束というらしい)をまとい、艶やかな黒髪を肩口で切りそろえている。
目元は鉄の仮面で覆われていた。得物は僅かに反りのある片刃の剣。黒いドラゴンを連れている。
遥か東方のヤマト皇国からやってきたらしい。
「彼女の名はカゲサキ=ヒナ。カゲサキの方が姓だ。ヤマト皇国では名字の方を先に名乗るらしい。
2マブリスほど前にこの街にやってきて、騎士団を相手に修行した後、すぐに去ってしまった」
「なるほど。で、この子はどこに行ったの?」
パルの質問に対しては、ダディフが近海の海図を出して答えた。
「ここだ。ヴァン=グァドから西方半ドラカイリ(約46km)にある火山島。
ボルビアス島の地下大空洞で修行すると、彼女は言っていた」
「修行…連れ帰るっていうことは、修行を邪魔するんですか…?」
「騎士団に正式に入隊させる」
アニィの問に、オーサーが答えた。その表情は硬い。いかな理由があろうと、譲る気はなさそうだ。
「彼女の剣の腕は凄まじい。あれは間違いなく今後の戦力になる」
「我ら騎士団が一斉にかかって、15ブリス(30秒)ほどで打ち倒されたんだよ」
「頼む。このヴァン=グァドの規律、そして世界平和のために、彼女は必要な人材なのだ」
オーサーとダディフは、当時の事を思い出したのか、揃って苦い顔をした。
邪星獣相手に善戦していたとは言い難い騎士団に、それほどの技量を持つ者が加入すれば、確かに戦力は大きく増強する。
だが、ならば今の時点で加入していないのは何故なのか。彼女には何か事情があるのではないだろうか。
騎士団に―――言ってしまえば赤の他人に、それを強制する権利はあるのか?
アニィはそう思い逡巡した。そして思い出したのは、昨夜の…街の者達を取り締まる騎士団の姿だった。
(騎士団にこの人を加入させて、本当に良いの…?)
騎士団に加入することは、すなわち力尽くで街を取り締まる立場になるということだ。
アニィには、それが正しい事とはどうしても思えなかった。
だがそう言って断れば、今度は別の誰かに同じことを依頼するだろう。
ならば引き受けるか―――プリスの方を見て、確認を取る。
(プリス……ごめんなさい)
アニィの意志を理解したか、プリスは不承不承うなずいた。
続けてパル、パッフにも確認を取ると、こちらは鷹揚にうなずいて答えたのであった。
全員に了承を取り、アニィはオーサーの方に向き直った。
「お受けします。その依頼」
「おお……! そうか、受けてくれるか。ありがとう」
オーサーが感謝の言葉と共にアニィの手を握る。
彼は彼なりにこの街の、そして世界の平和の事を真剣に考えている。
彼を裏切ることの申し訳なさに、アニィは顔を上げることができなかった。
それに気づいていたのは、プリス達…そして、オーサーの隣で複雑な顔をしているダディフ。
オーサーは先頭に立ってアニィ達を協会支部へと連れて行き、正式に受注依頼として提出。
アニィ達を指名し、支払う報酬はアニィとパルにそれぞれドライズ貨幣250枚で受理されたのであった。
「すまない、苦労を掛ける」
「いえ…」
「では頼んだ。吉報を待っている」
そう言って、オーサーはダディフを連れて協会を出ようとする。
が、ダディフは途中で足を止めると、先に行くようにと伝え、アニィ達の前に戻ってきた。
「私が訊くのも何だが、成功させる気かい? この依頼」
「………」
答えが返ってこなかったことで、彼はアニィ達の真意を理解した。
だがそれを理解したダディフは、むしろ安堵の笑みを浮かべていた。驚くアニィ。
連れ戻すかどうかは置いておくとして、彼もまた、カゲサキ=ヒナを騎士団に加入させる気は無いのだ。
「…いいんですか?」
「うん。カゲサキ君が年若いから…というだけじゃない。
騎士団に閉じ込めてしまっては、彼女から将来性を奪うだろうからね」
「何で団長さん、あんなに騎士団にこだわってるの?」
パルに尋ねられ、ダディフは少し考え、苦笑した。
弟を見守る兄のような、不安と優しさが入り混じった笑顔だった。
立場こそオーサーの方が上だが、年齢はダディフの方が上である。
彼は、オーサーのことをずっと支えてきて、だからこそ人物像をよく理解しているのだろう。
「うちの団長殿はアタマが硬くてね。騎士団だけが世界を救えると、本気で考えてしまっている。
私はそうでなくても良いと思っているんだが―――オーサーには聞いてもらえなかったよ」
それでも嫌な顔をしないのは、彼がオーサーの事を尊敬し、かつ友人として慕っているからか。
だが直後、彼は眉をひそめて話を続けた。
「その結果、この街では騎士団の立場がやたら強くなっている。
邪星獣への恐怖で戦えなくなった者達が自棄を起こし、今度は騎士団に取り締まられている。
このままでは…この街は疲弊するばかりだ」
そして、邪星獣に滅ぼされる前に自滅する可能性さえある。
ダディフは、カゲサキ=ヒナをそこに巻き込んではならぬと考えているのだろう。
「依頼の成否は君たちに任せる。何か必要な物はあるかい? 私が用意しておこう」
「じゃ、テントと寝袋と…食料と水、用意してもらっていい?
できれば何ディブリスか分。時間かかるかもしれないし」
「心得た。では、しばしここで待っててくれ」
ダディフは雑貨店へと向かう。アニィ達は隅のベンチに座り、待つことにした。
そこに、モフミノーラとポコマツが陶器のカップ二つを持ってやってきた。
「お高く留まったがガンコ者ばかりの中で、キャップ殿だけは物わかりが良いでゴザルなあ」
「ポンポコ!」
ポコマツからカップを受け取り、アニィとパルは一口飲んだ。出がらし寸前の苦い茶であった。
モフミノーラもその味はよく判っているのか、申し訳なさそうに目を伏せた。
アニィは無理やり飲み込み、口の中の苦みをこらえつつ答えた。
「はい。多分、本当の意味で平和を願ってる人…だと、思います」
「でもこの街にずっといたおかげで、自分じゃどうしていいか判らないっていう感じだよね」
「でゴザルな」
「……少しわかる」
かつてヘクティ村の『常識』に押しつぶされかけたアニィには、少しだけ理解できる話だった。
似た考えに至り、しかしダディフはオーサーを支えることを選んだ。
だからこそ自分の代でそれを終わらせるべく、カゲサキ=ヒナを騎士団に加入させまいと、アニィ達に託したのだ。
《それで結局どうするんです、アニィ。カゲサキを連れ出して、その後は?》
周りにモフミノーラ以外いないため、プリスはいつも通りに思念の通信をアニィに送る。
同時にパルとパッフの視線も集まった。アニィがカゲサキ=ヒナをどうするつもりなのか、2人も気になっているようだ。
ちなみにプリスの会話の事を、モフミノーラは既に姉から聞いているらしく、軽く驚いただけであった。
ポコマツもまた、チャウネンと同じく特に気にしている所は無く、「ポンポコ?」と首をかしげる。
そしてプリスに尋ねられたアニィは、何度か目を泳がせ、苦々しい顔で答えた。
「……ごめんなさい。何も考えてない」
《やっぱり無計画…まあいいでしょ。本人の話を聞いてから決めましょう》
呆れながら言うプリスに、大変肩身の狭い思いをするアニィであった。
そこにダディフがテントの骨組みと布を抱えてやってきた。
騎士団の遠征時に用いている物と同じ、3人用テントだった。
ボルトグリズリーの革製で、ドラゴン用の簡単な屋根も付いている。
「パッフとプリスは屋根の下かぁ…」
「他に無かったんだ。すまんが我慢しておくれ」
ダディフに言われ、プリスとパッフも軽くドラゴン用の革の屋根を広げ、面積を確かめた。
どうやら充分なサイズらしく、うむうむとうなずいて見せる。
食料も保存用の容器に入れられ、カゲサキ=ヒナの分を含めても3ディブリス分はある。
更には水で満たした大きな水筒を、それを小分けにする小さな水筒。
準備はできた。ダディフに感謝してアニィ達は外に出ると、荷物をプリスとパッフが背負い、更にアニィとパルが乗った。
「では行ってきます…けど、団長さんにはどう話すんですか?」
「さてねぇ。ま、どうにか説明してみるさ」
「いってらっしゃいでゴザル!」
「ポンポコ!」
ダディフとモフミノーラ、そしてポコマツに見送られ、プリスとパッフが飛び立った。




