第三十七話
げんなりしている背中で、ポコマツが一声鳴いた。
「ポンポコ!」
「ああ、ここか。いかにも事務所の寮っていう感じ」
「クルル」
パルとパッフが目の前の建物を見上げた。つられてアニィとプリスもその視線を追う。
4人の前には、無機質な白い建物が立っていた。石造りの頑丈かつ装飾性が無い、3階建ての共同住宅だ。
プリスの背から降りてアニィが玄関のドアをノックすると、管理人らしき中年女性が顔を出した。
「あんた達は…? おや、ポコちゃん。てことは、モフミちゃんからここに来るようにって?」
「ポンポコ」
管理人はポコマツの顔を見てすぐに納得した。どうやらポコマツの存在は、モフミノーラの許可とイコールらしい。
彼女とポコマツの関係は、ヴァン=グァド支部関係者には周知のことなのだろう。名物従業員と言ったところか。
モフミノーラもまた、姉のモフミーヌと同じ愛称で呼ばれているらしい。
「は、はい…今日は、こちらの空き部屋に泊めていただけると。
それから、晩御飯もこちらに届けていただくことになりました」
「ドラゴン2頭が寝られる部屋もあるんだよね?」
「クルル?」
アニィが管理人と話していると、横からパルとパッフが揃って顔を出す。
息の合った2人に、管理人は僅かに驚きつつ、管理人はアニィに鍵を渡した。
その交換に、ポコマツが管理人にしがみついた。
「廊下の一番奥だよ。ドラゴンと相部屋になるけど、それでいい?」
「は……は、い」
「じゃ、ごゆっくりお休み」
「ポンポコ!」
シーベイと違い、ドラゴン用の居住スペースと人間のそれを隔てているわけではないようだ。
アニィ達は管理人に礼を言い、ポコマツにも手を振って、廊下の一番奥の部屋に向かった。
人間用のドアとドラゴン用の巨大なドアが並ぶ。アニィは鍵でドアを開け、部屋に上がった。
同時にドラゴン用のドアも開錠され、プリスが開けて室内を覗き込む。
《なるほど。相部屋というのはこういうことなんですね》
ドラゴンが横になれる広いスペースの壁に階段が設けられ、壁をくりぬいて人間用の居住空間が設えられている。
ぶっきらぼうな程に簡素な作りで、快適さというものはほぼ完全に度外視されていた。
軍事施設の職員の寮である以上、あまり金を懸けた設備は作れないのは仕方がない。
高い位置に人間用スペースが作られたのは、恐らく睡眠中のドラゴンに潰されないようにとの配慮だ。
原始的…あるいは野蛮ですらあった。ドラゴンを連れた職員の入居を前提に、この寮を立てたのだろう。
「そう…だね。でも、プリス達の顔はよく見えるし」
「とりあえずは寝られりゃいいしね。アニィ、ちょっとベッド見てみようよ」
アニィとパルは石壁の階段を上り、掘削して作られた居住用スペースに上がった。
そこには頑丈なテーブルとベッドが1台ずつ、奥に洗面所とトイレと窓があるのみ。
窓と言ってもシーベイの建物のような鉱石の板がはめ込まれたものではなく、木枠に金属の格子が取り付けられたものだ。
また、テーブルも食卓というより作業用の机と呼んだ方が良い物だ。
ベッドも机も見た目は簡素だが、触れてみるとかなり頑丈であった。
特にベッドは、2人で押してもびくともしない重量があった。
《なるほどねえ、長期間ドラゴンと共同生活をする、かつ作りが質素で家賃がお安いと。
ある意味理想的な寮ではありますね》
「うん。でも、あまり長く居たくはない感じ…かな」
「クルル…」
ドラゴン用のスペースも、やはり頑丈な石造りである。シーベイの宿のような寝心地は期待できないわけだ。
そもそも、この城塞都市におけるドラゴンは騎馬と同等、すなわち労働力の一種だ。
シーベイの住民のように友好な関係になることは、全く考えられていない。例外はダディフとオーサーくらいのものだろう。
大事にするとしてもその程度ということである。パッフも少々不満な様子だ。
「晩御飯とどいたら、さっさと食べて寝ようよ。雨降って来たし、出かけるお店とかも無いし」
そう言いながらパルが窓を開けると、外からは激しい雨音が聞こえてきた。
寮に到着してから部屋に入るまでに、小雨は大雨になっていたようだ。
と、建物の陰で何者かが争うのが見えた。
先ほどアニィ達に絡んできた二人の青年と、鎧を着こんだ騎士一人だった。
騎士が二人を押さえつけ、諍いはあっという間に終わった。青年たちは恨みがましく騎士を睨みつける。
そしてその横では、酒に酔ったらしい男数人が、騎士一人に取り押さえられていた。
(……騎士団と協会の会員だけじゃ、ないのかな…仲が悪いの…)
騎士団はこの街の取り締まりも行っているらしい。だが、その手段は強硬かつ力尽くだ。
その一方で、先ほどの二人のように、邪星獣への恐怖から立ち直れない者達がいる。
邪星獣との闘いに備えている筈の軍事施設が、足並みをそろえられずにいる。
この取り締まりはオーサーが行わせているのか…だとしたら、規律を正そうとして全く逆の結果になっている。
ある者は、邪星獣に立ち向かうべく、無理やり規律を正そうとする。
ある者は闘った末に恐怖して立ち直れず、チンピラに身をやつす。
シーベイの住民と同じく、この街の住民も、やはり邪星獣が恐ろしいのだ…とアニィには判った。
果たして、この街は邪星獣と闘えるのか。アニィは少し、不安になった。
「全隊、前へッ!!」
「「「「前へェー、進めッ!!」」」」
打って変わって晴れた翌朝。要塞の広場で行われているだろう、騎士団の訓練の声が雑貨店まで聞こえた。
街を歩く人々はその声を聴きつつ、騎士団に対していかに思うところがあるのか…どこか呆れた顔だ。
どうも騎士団とこの街の人間関係は良くないようだ。
そんな人々とすれ違いつつ、アニィとプリスはアムニット服飾店に向かった。
この日の朝食は協会の購買コーナーで売られていた物だ。
朝食についてパル曰く、「シーベイの半分でもちゃんと作ってくれればなァ」とのこと。
パンと小さな肉と野菜だけの質素なメニューであった。アニィも残念に思った一人である。
アムニット服飾店は雑貨店の並びの端にあり、ドラゴンは到底入れないような小さな店だ。
パルとパッフは別の雑貨店で武具を見て回っている。つまり、店を訪れるのは実質的にアニィ一人だ。
店の前で待つプリスに見守られ、アニィは緊張しつつゆっくりと入り口の扉を開けて、そっと店内に踏み込む。
「……らっしゃい」
会計カウンターの向こうには、ぼさぼさ髪にヒゲが伸び放題の、しかめっ面の中年男性が座っていた。
店内には確かに店名の通り、衣服が並んでいる。が、どれもこれも動きやすく厚手で頑丈な…
要するに、全く装飾性の無い服ばかりだった。服飾店と言うには、少々品ぞろえがチグハグだ。
店の前の看板を再び見て、確かにその店がアムニット服飾店だと、アニィは確認した。
プリスを見ると、こちらもうなずいた。アムニットで間違いはない…筈だ。
「何だ」
「あの……作って欲しい物が、あるんですけど」
「……」
店主にギロリと睨まれ、アニィはヒッと悲鳴を上げて体を硬直させた。
外ではプリスが見守っている。パルとパッフは、武具を中心に扱う雑貨店を見ている。
店主はアニィを睨みつけたまま、岩石のようにゴツゴツした手を差し出した。
「……?」
「材料」
「……あ、す、すみません。ここに」
アニィはシーベイの鍛冶屋、スミス兄妹の兄ランスが書いたメモを手渡した。
半分伏せられた目で店主はそれを眺め、やる気の無さそうなため息を吐き…
直後、椅子を倒すほどの勢いで立ち上がった。
彼の両目は見開かれ、手が震えている。
「顕現石……! マルシェ夫人の名も…!」
メモにはいつの間にかマルシェ夫人の名も書かれていたらしい。
そしてその驚き様から、彼が顕現石の事、そしてマルシェ夫人のことを知っているのが判った。
だがこの手の震えは何だというのか。何かに驚愕しているのか、それとも……
「そう…ですけど……」
「どこでこのレシピを手に入れた。何故マルシェ夫人の名がある!」
カウンターを乗り越えんばかりの勢いで店主に両肩を掴まれ、ガクガクと揺さぶられてアニィは目を回しかける。
それに気づいた店主が手を止めると、アニィはどうにか呼吸を整えて答えた。
「シーベイのスミスさん兄妹の工房で、見てもらいました…わたしの魔術に必要な補助器具だと…」
「スミスの所か、ならこのメモは本物だな。マルシェ夫人の名は?」
「そちらも、シーベイで…マルシェ夫人の依頼を受けて…あの怪物を斃しました」
「……協会からの広報に載っていた…邪星獣なる怪物を斃した者がいると…
昨日も同じことがあったそうだが…本当にお前なのか!?」
アニィは目を白黒させながらうなずく。
「わたしと、外のドラゴンと、それから友達が…ですけど」
「そうか……!」
その時の店主の表情は、わかりやすく笑ってこそいなかったが、確かに喜びにあふれていた。
材料表を画鋲に壁で貼り付け、彼は何度か読んだ。それが終わると、振り向いてアニィの手を取った。
「魔術を見せてみろ」
「はっ、はい」
慌ててアニィは手に魔力を集中し、小さな光の球体を掌に生み出して浮かべた。
指先を軽く動かして球体を操作すると、店主は球体を目で追い、感心して何度もため息を吐いた。
だが、これだけの魔術でもすさまじい集中力が必要である。アニィの額にはすぐ汗が流れ始めた。
その後2度か3度だけ左右に動かして見せると、唐突に球体が消えた。
「今ので全てか」
店主の声は、あくまでも事務的であり、アニィをなじる気配は微塵も無かった。
「全て、というか…すごく集中力が必要で、ちょっと気を抜くと、すぐ消えたり、爆発したり…」
「そうか」
次いで、店主はカウンターの引き出しから巻き尺を取り出し、アニィの手のサイズを測り始めた。
手首から指先までの長さ、掌の幅、指の太さ…岩のような手からは想像もできない手際の良さだ。
両手分を測り終え、手のスケッチの横にサイズの数字を書いていく。
店に入った時の気怠さから一転、彼は鬼気迫る表情で、そして同時に目を輝かせていた。
この時、アニィが思い出したのは文具店の店主だった。
―――趣味で使うようなものを買う人が減っている―――
そう言って憂いていた彼の姿が、目の前の服飾店の店主に重なる。
いつ怪物に襲われるか判らないという恐怖から、自分の好きなことを諦めた人たちがいるという悲しみ。
その裏返しとも言える、何かを作れる喜びが、目の前の男の両目に光っていた。
と思っていた途端、店主はアニィを店の外に突然押し出した。
「今日は閉店だ」
「え…」
「住所はどこだ? 完成したら届ける」
その発言から、彼がただアニィを追い出したのではなく、これから手袋の制作にかかるのだと判った。
「ええと…旅をしてるんです。それで、これから依頼を受けるかもしれなくて、いつまでここにいるかも…」
「名前は?」
「アニィ・リムです…」
店の前の看板に閉店のプレートを掛けると、店のドアに鍵をかける前に一度振り向き、宣言する。
「お前がここにいる最中に完成させる。任せろ、最高の品質にしてやるからな」
アニィには判った。店主はずっと望んでいたのだ。全精力を傾け、最高の一点ものを作ることを。
夢を叶えられる人間がいる。己の望みを手にできる人間がいる。
真の自由を手に入れようとするアニィにとって、決して他人事ではなかった。
「お、お願いします! 是非…!」
「うむ」
そして店主はドアを閉め、鍵を掛けてカーテンも閉ざした。
アニィの背後からプリスが顔を出し、店を覗き込もうとする。
《強烈な人でしたねえ。今から作るんですか、あの手袋?》
「そうみたい」
そう答えるアニィは、どこか嬉しそうに笑っている。
店主の望みが叶うという事実に、アニィも喜びを隠せないのだろう。
とりあえずアニィの用事は済んだため、あとはパルとパッフを、そしてオーサーとダディフを待つことにした。




