第四話
このヘクティ村は…あるいはこの世界は、アニィにとって地獄だった。
ドラゴンに乗れない。魔術も使えない。それだけのことで、この世界は自分を疎外する。
存在そのものを否定され、家族からすら見てもらえない…。
それを良しとするこの世界は、生きているだけで地獄だ。
「わたし、生きてても仕方ないんだね」
力なく、木の幹にもたれかかった。
その背後から足音が聞こえても、彼女は振り返らなかった。
誰の足音かは判っていた―――親友のパル、その相棒のパッフだ。
「やっぱりここにいた」
「クルル…」
パッフもまた一度アニィの騎乗を拒んだことがある。
そのことを未だに申し訳なく思っているらしく、パッフの鳴き声は控えめだ。
パルはアニィを無理に振り向かせようとせず、すぐそばに座った。
その隣にパッフが座り込む。
「……パル」
「あたしもちょっと休憩。朝からトレーニングしてたからね」
先ほど空中から数頭のドラゴンと連れ立って降りてきたのは、どうやらその帰りだったらしい。
「…姉さんとの勝負の日でしょ。お父さんが言ってたよ」
「興味ないね。あいつらが勝手に結婚してりゃいいんだよ」
「…今日の狩りはどうするの」
問われたパルは、パッフの頬を撫でつつ答えた。
「チャムと二人で暮らせるだけ狩れればいいから、焦ることないよ」
「村のみんなに何か言われない?」
「言われる。でもあたし、この村嫌いだから。
あいつらのために狩ってくる気も、子供産んで血を残してやる理由も無いね」
気軽に言ってのけるパルの答えに、アニィは却って自身の弱さを見せつけられた気分になる。
余計に肩を落とし、アニィは羨望の言葉をつぶやく。同時にそれは、嫉妬の言葉でもある。
「強いね、パルは……」
パルは敢えて何も答えなかった。
「………わたし、このままこの村で死ぬのかな」
「……」
「ドラゴンも乗れない、魔術も使えない、運動もできないし見た目も頭もよくない、特技も無い…
気も弱いし生活力も無い、…この村から出たって自活できない。
……何で生きてるのかな、わたし」
耐え続けることの限界を自覚したせいか、アニィは一気に愚痴を吐き出した。
パルはしたいままにさせた。止めようとすれば、また彼女の胸の内に留まるだろう。
吐き出される愚痴を聞きながら、パルは立ち上がり、パッフの前に立った。
「ねえアニィ。あたしね、考えてることがあるの」
「…考えてること?」
「うん。村を出るんだ」
アニィが振り向くと、パルは立ち上がったパッフの背中に立っていた。
不安定なドラゴンの背にいながら、その姿勢は全く揺らがない。
「そう…チャムは?」
「連れてくよ、パッフもフータも。アニィ、その時はついてきてよ」
予想外の申し出だった。だが、アニィは首を振って断った。
「…わたしなんか、ついてっても足手まといだよ。何もできない」
「この村ではそうかもね。―――でもアニィ、見てて!」
アニィが見上げると、パルを背に立たせたままパッフは飛び立った。
高度にして半ドラフラプ(約25m)ほどまで達すると、その背からパルが突然跳躍した。
当然虚空へと躍り出ることになる。アニィは悲鳴を上げかけたが、あることに気付いた。
跳躍の高さと距離が、そこらのドラゴン乗りの十倍近くに達している。
それこそ一跳びの高さは、平均的成体ドラゴンの全長の倍ほど…2ドラゼン(約30m)ほどだろう。
常人より高い身体能力を持つドラゴン乗りでも、そこまでは跳べない。
明らかに人間の限界を超えたジャンプだった。
「クルル!」
そして落下が始まった直後、パッフの姿が消えた―――否、パルの真下に出現した。
瞬間的な超高速移動だ。アニィの眼には、おぼろげながらパッフの動きが見えた。
村にいるどのドラゴンも追いつけない速度だ。ただのドラゴンの動きではない。
「そりゃっ!」
その背でパルはまた跳躍する。パッフがそれを追い、空中で相棒の足場となる。
総じて、二人の―――相棒にして親友であるパルとパッフの『ふたり』の動きは、
村のドラゴン乗りなど比較にもならない、まさに超人のそれであった。
「あたしは全身強化の魔術しか使えないけど、おかげでこの動きができる!」
ゆっくり降下してきたパッフの背に着地し、パルが言う。
「パッフもこんなに動けるんだ、本来なら。でも他のドラゴンは、あいつらのせいでそれができない。
ただのドラゴン乗りなんかに合わせてやってるおかげでね」
「……そうだね」
「だからさ。できないって思ってるのは、まだ実現できてないってだけなのかもよ」
パルはパッフの背から降り、再びアニィの隣に座った。
「アニィを選ぶドラゴンだっているかも知れない。アニィ自身が何かすごいことをするかもしれない。
あたしとチャムはその時を待ってる。その時が来たら、アニィと一緒にここを出る」
「…そんなの、わたしなんか」
否定しようとするアニィに、パルは首を振って見せた。
困惑するアニィを諭すようにパルは言う。
「あたしには確信がある。アニィはドラゴンに嫌われてるんじゃない。
よく判らないけど、理由があってアニィを乗せられないらしいんだ」
「そんなの…え、『らしい』?」
「あたし、パッフと会話ができるから。ドラゴンの表情くらいは読めるよ。意思疎通ってほどじゃないけどね」
これも、村のドラゴン乗りにはできない芸当だった。
そもそも彼らはドラゴンの事をただの家畜くらいにしか思っていない。
食用にこそしないが、せいぜい乗り物か農耕馬程度の扱いだ。
ドラゴンに表情があるなど、彼らは微塵も考えてなどいないのである。
「言うべきか迷ったんだけど。予想外してアニィをがっかりさせたくないし。
でも、さっきのドラゴンを見て確信した」
「…つまり、わたしはドラゴンに乗れるかもしれない、っていうこと?」
自らその可能性を口にしたアニィは―――しかし受け入れられず、うつむき首を振る。
「そんな…そんなの…うそ……」
「どうしても信じられないっていうなら、それは仕方ない。
けど何もせず断定する前に、ちょっとだけでも賭けてみない?」
パルがそう言った直後、上空をドラゴンが数頭飛んでいった。
村から飛び立ったドラゴン達だ。今日もまた、ゴォォォォン…と美しい咆哮を響かせて空を翔けていく。
彼らの背にはドラゴン乗りが座っていた。狩りが始まる時間…すなわち夜明けだ。
太陽の光で空が白く染まる。生き物たちが活動を始める時間。
湖の水面が突如波打ったのは、その時だった。
「アニィ、ここ何か棲んでるの?」
「知らない…何だろう、ギガロピラルクかな?」
アニィは淡水に棲む最大水棲怪物かと思ったが、違和感に首をかしげる。
ギガロピラルクは水面に顔を出すことこそあれど、水中から飛び出すことは無い。
どちらかと言えば、湖にいる何者かは立ち上がろうとしているように見えた。
足の無い淡水性魚介類モンスターが立ち上がるわけが無い。
四足ないし二足歩行の大型の怪物が、この湖に棲んでいる。
好奇心からアニィとパル、パッフは水面に近寄った。
果たして、水しぶきを上げながら水中から顔を出したのは―――
「ドラゴン…?」
村にいるドラゴン達とよく似た体形。しかし、その鱗の色は全く異なる。
純白…だが太陽の光が透け、ところどころが七色に輝く、水晶に似た白い鱗。
学校に置かれた図鑑にも載っていない、初めて見る種類のドラゴンだった。
同じくドラゴンであるパッフは、畏敬の念を込めて白い姿を見上げる。
しぶきがかかるのも構わず、アニィは白いドラゴンに歩み寄った。
その時、予想外のことが起こった。
ドラゴンがアニィに顔を近づけたのだ。
「ドラゴン、さん…?」
ゆっくりと眼前に迫る竜の鼻先に、アニィはゆっくり、しかしためらうことなく触れた。
つるりと滑らかな、鉱石に似た感触。この白さは採掘されたばかりの石英に似ている。
見上げるとドラゴンと目が合った。眼球は無色透明の水晶に似て、それでいてその内側に黒く美しい瞳孔がある。
吐き出された吐息は静かな風のように美しく、耳に心地よい音だった。
「………綺麗」
美しい、とアニィは思った。我知らず胸が高鳴る。
ドラゴンに触れているから、というだけではなかった。信じがたい美しさの虜になっていた。
初めて胸に生まれた熱い高鳴り。
やがてドラゴンはゆっくりと顔を離し、背を向けて再び水中に沈んだ。
アニィは地面にぺたりと座り込んだ。膝から力が抜け、手が震えていた。
パルが背後からその肩に手を置く。
「アニィ、わかるでしょ。ドラゴンに嫌われてるんじゃないって」
「クルル!」
「…うん」
アニィは、未だ高鳴る胸を押さえた。
村で生活した17ネブリス(約17年)の間、ついぞ感じたことの無い高鳴りだ。
白いドラゴンの背には乗れなかった。だが、何かが起こるのではないかと、アニィは期待してしまう。
すぐにではなくとも、近いうちに何かが起こる…おぼろげな予感だ。
考え事に没頭していると、その背中をパルに軽く叩かれ、アニィは現実に引き戻された。
「―――ウチで待ってて。夜になったら村を出よう」
「…え、もう行くの?」
「うん。アニィはドラゴンに乗れる。ならもう、ここにいる必要は無い。
それにあんな家族のいる家に戻って、今の気分を台無しにしたくないでしょ?」
親友の家族の悪口を軽々と言ってのけるのは、村の住人や家族関係よりもアニィ個人を思っているからだ。
パルは強いというより、単純に村に見切りをつけてしまっているだけである。
そしてアニィに向けられる目は、絶対に親友を見捨てぬ真摯さに輝いている。
「学校にチャムとフータがいるから、ウチにいるってだけ言っといて。パッフ、狩りに行くよ!」
「クル!」
パッフの力強くも愛らしい返答と共に、パルは再びその背に乗り、二人で空高く飛びたった。
残されたアニィは湖の方を一度だけ振り向き、心の中で別れを告げて、村の学校に向かった。
胸は未だに高鳴りを続けている。
若者たちが狩りに出かけて静かになったヘクティ村に戻り、アニィは学校に立ち寄った。
廊下を歩いていると、子供達と教師の楽し気な声が聞こえた。
何か工作でもしているようだ。
アニィは教室のドアをノックした。途端、ガタガタバサバサと慌ただしい音が聞こえた。
音が止むのを待ち、アニィはドアを開けた。
「失礼します…」
大きな机のまわりに子供達、そして教師が集まっていた。
が、机の上は不自然な程に片づけられていた。先ほどの音は何だったのかと訝るアニィ。
その表情をするどく読み取ったチャムが立ち上がった。
「あっ、アニィちゃん! どしたの?」
「う…うん、その、パルが家で待っててって…」
「そっか。じゃ、アタイたち、ちょっと送ってくる!」
「フニ~」
何か言う暇もなく、アニィはチャムとフータに連れられて外に出た。
チャムはアニィの手を引いて自宅へと向かう。その横をフータがぽてぽて歩く。




