第三十三話
シーベイ街を出て数ジブリス後、時間は恐らく日没直前。空は黒雲に包まれ、大まかな時間もわからない。
港を兼ねた海上の出国門で、滞在許可証と『厄介事引受人協会』会員証を見せ、出国の手続きを済ませてからのことだ。
巨大な港湾施設と船舶に、プリス以外の3人は歓声を上げっぱなしであった。
ただ、邪星皇出現に間に合わせることを考え、残念ながら乗船はあきらめざるを得なかった。
「船も乗ってみたかったなー。楽しそうだったしなあ」
「クルル~」
港の光景を思い出しつつ、パルがこぼす。ヘクティ村から出たことのないアニィ達は、当然船にも乗ったことが無い。
アニィとパルだけでなく、パッフも船には興味があったらしい。水に関する能力があることも、それに関係しているのだろう。
プリスの背の上で、アニィは振り向いて苦笑する。
「帰りに乗ろうよ。終わったら、プリス達にもゆっくりしてほしいし…」
《ホントですよ。帰りくらいはゆっくりしたいものです、全員揃って》
「うん…」
現在アニィ達が飛んでいるのは、その港を出てしばらく続く、海の上である。
つまり、アニィ達は初めて海の上に出たということになる。
今向かっている城塞都市ヴァン=グァドは、海上の無人島を大幅に改築した街だ。
港の係員の解説によれば、何頭もの海棲ドラゴン、水や土・岩石の魔術を持つ幾人もの建築業者を動員したらしい。
シーベイからヴァン=グァドまでは、アニィ達が思っていたより距離がある。
また、数ディブリスかけて船舶でのみ渡ることを想定されているため、途中に立ち寄れる島などは無い。
上空を飛ぶドラゴンは、この海上で休むことはできないというわけだ。
「どうしてこんなに何もないんだろう…?」
アニィが海面を見下ろしながらつぶやく。
地図の通りであれば、あらゆる陸地からヴァン=グァドまでの間、小さな島はおろか岩礁すら無かった。
少なくとも、アニィ達が飛んできたルートでは地図通りであった。
《海そのものをある種の防壁としているんでしょうね。
船舶は長期間補給できず、陸地も無くて距離感や方向感覚が狂う。怪物も似たような物でしょう。
空から来る方も同様で、休憩できる陸地がありません。疲労で墜落すればそれでおしまいです》
「なるほどね、考えはわかる。わかるけど…」
プリスの推測にうなずくパル。
ただ、その外敵が陸地での休憩を一切必要としない可能性は、どうも無視されているらしい。
現にプリスもパッフも、特に休憩はしていなかった。
「ねえパッフ、休憩する?」
「クルル!」
パッフは首を振った、つまり休憩はもうしばらく必要ないということだ。
もし邪星獣がドラゴンと同様の超生物であれば、こちらも休憩不要の可能性がある。
《邪星獣の襲来なんて、そもそも考えられちゃいないんでしょうね。
それに人類ごときの頭で考えるだけの対策なんざ、どれだけ取っても無駄でしょう》
「じゃあ、わたし達が何か教えてあげないとね…もちろんプリスも!」
《それは別に構いませんけど…》
シーベイでの反応を思い出し、プリスは辟易した。
そもそもドラゴンは知能が高いのだ。人類と同種の言語を介さないだけで、高い知能も感情も理性も持ち合わせている。
単に意思疎通が困難なだけであり、知能の低い獣が会話しているように驚かれるのは心外であった。
人類は自分達の常識が全てと思い込む、全くもって愚かな生き物だ…。
と、こんな具合にプリスは内心で呆れている。
それでもアニィやパル・チャム姉妹のように、すぐさま事実を受け入れる人間もいる。
そもそもパルはパッフと意思疎通までしているので、プリスの会話に驚いたのは、単に人類と同じ言語が使われたことであろう。
一応異種族としての気遣いから、プリスは愚痴をこぼさずにいるのである。
「アニィ、あれじゃない?」
背後からのパルの声で、プリスは我に返った。
背中に座るアニィも、どうやらパルが指し示す海上の建造物に気付いたようだ。
距離を取り、4人は遠目に建造物を観察した―――城塞都市ヴァン=グァドの、巨大な要塞だった。
無人島と言われていたが、実際に見てみると大陸と見まごう程に大きな陸地…
そしてそのほぼ全域を占める、要塞や城壁などの堅固な建造物。
要塞の窓からは大砲や設置型の大弓戦車が並び、上空へと向けられている。
そして要塞からはやや西寄りに、高い塀で守られて民家が並んでいた。
要するに、この島丸ごとが一つの城下町になっているような物だ。
黒雲に包まれた空を背景に聳え立つ城塞は、どこか不穏な空気を孕んでいる。
「都市って言うからには、商店とかもあるんだろうけど…外からじゃ全然見えない」
《いかにも敵国襲来への備えですね。出入り禁止とかされてなければいいんですが》
「うん…」
プリスの言葉にアニィの表情が曇る。
魔術の補助器具を手に入れるために訪れた彼女にとって、入国できるかどうかは邪星皇打破に関わる。
プリスとしても当然それは困るので、いざとなれば暴力に訴えてでも都市に入るつもりだった。
もう少し近づいて様子を見てみようということになり、4人は城塞都市に接近する。
と、何やら大勢の騒ぐ声が聞こえた。4人からは見えない、アニィ達の位置とは反対側で何やら動きがある。
状況を確認すべく、4人は要塞に接近し、大きく回り込んで反対側へと向かう。
途端、空中で羽ばたく黒い翼が見えた。邪星獣が港湾を襲撃しているのだ。
空中で羽ばたく種類のみならず、眼下の海面にはドラゴンとも魚ともつかない体形の邪星獣が群がっていた。
頭部の形はそのままに、四肢と尾が全てひれ状になり、翼の代わりに背びれが生えている。
強いて言うならギガロピラルクに近い体形だ。魚類型とでも言うべき新種であった。
そして、それをヴァン=グァド所属らしき兵隊が、ドラゴンに乗って低空で迎え撃っている。
海面から跳び撥ねた魚類型を、低空飛行するドラゴンが噛みつき、あるいは兵士が巨大な鉾で切り裂く。
水や土の防壁が巨体の突撃を阻み、炎や風を纏った刃は一撃で頭部を断ち割る。
下手に魔術だけを当てるより、大型の怪物相手に用いる武器と併用する方が、だいぶ効率が良い事が判る。
よく訓練されているらしく、連携自体は上手くとれている。
が、一撃につき一体を破壊できるのが関の山だ。この種類の相手は慣れていないのだろうか。
邪星獣はいつも通り、一体を消滅させるごとにどこからか補充されている。根本的に効率が良くなかった。
それが判っているからこそ、邪星獣は群れを成して攻撃をしているのだろう。
加えて、上空には指揮を執っている飛行型がいる。シーベイの海で斃した個体より体が大きい。
上空から魔力の光線を放ち、兵隊を海に沈めていた。放たれるたび、雷の如く光り、海面を照らしている。
魔術の防壁もたやすく貫くため、兵隊は空中戦に持ち込むことすらできないでいた。
上空と海中、双方からの攻撃への対処を迫られ、兵隊たちはこの時点で劣勢に陥っている。
飛行型を撃破すれば海上の魚類型も消滅するのだろうが、だからと魚類型を放置しておけば、ヴァン=グァドが海中から破壊される。
アニィ達は手分けすることにした。
「パルとパッフは海の方お願い! わたし達は空の奴をやる!」
「まかしといて!」
急降下するパッフの背の上で、パルが弓を引き、5本の矢をまとめて放った。
魚類型数体の頭部をまとめて貫通すると、兵隊たちが驚愕して上空のパルを見上げる。
「グルァアアッ!!」
同時にパッフが放った水の弾丸が着水し、無数の水柱を上げる。
水柱は海中に潜り込もうとした魚類型を打ち上げ、腹部や頭部を貫通し、消滅させた。
パッフが兵隊たちの列の前まで降下し、空中で停止する。
兵士達は見知らぬ少女達とドラゴン2頭の登場に困惑していた。
「き、君たちは何者だ!?」
「あとで説明する! あの子が空の奴やるから、あんたたちは海の奴らに集中して!」
だが、パルが全員に聞こえるように言っても、兵隊たちは動かなかった。
その隙に3体の魚類型が海面から飛びだし、兵隊の一人に飛び掛かる。
パルはパッフの背から跳躍。2体を短剣で斬り捨て、1体を前転踵落としで蹴り砕いた。
襲われた兵士が驚いているうちに、付近にいたドラゴンの背に一度着地し、すぐに再び跳んでパッフの背に戻る。
「ボサッとしてたら全員死ぬよ! ほら早く!」
「クルルッ!」
「あ……ああ、判ったよ!」
2人に促され、兵隊たちは手綱を引き、ドラゴンを海面すれすれまで降下させた。
飛行型の攻撃はアニィの光の魔術で防がれ、海上の兵隊たちにはほぼ届かない。
その間にパルは飛びだして来た魚類型を蹴り、斬り、時には首にしがみつき真っ二つに折る。
パッフも海中に水の弾丸を放ち、兵隊をサポートした。
一方、アニィとプリスは指揮担当の飛行型の前に飛び出て、ブレスレットの光の盾で魔力の光線を反射していた。
跳ね返った光線が飛行型の肩を抉り、怯ませる。その間にアニィは掌ほどの大きさの光球を投げ、顔面にぶつけた。
「それっ!!」
アニィが突き出した手を開くと、光球が弾けて飛行型の3対の目の内半分を破壊した。
視界の半分を奪われ、飛行型はパニックを起こしたらしく、醜い声でわめいている。
知能の方はどうやらシーベイでの指揮官ほどではないらしく、空中でじたばたもがいている。
救援に他の飛行型が訪れる気配もない。
《アニィ、さっさと片づけましょう。海の方を長引かせるわけにはいきません》
「うん…!」
アニィは光の盾を飛行型にぶつけ、上空に押しやった。吹き飛んだ飛行型がその瞬間に我に返る。
だが行動の隙を与えず、アニィは楔形の光の矢を複数発生させ、連続で放った。
飛行型の腹に矢が突き刺さる。醜い悲鳴が上がった。
『BHOOWAAAA!!』
「今だっ!」
飛行型が大きくのけ反り、激痛にもだえ苦しむ隙に、アニィは自身の真横に光の剣を発生させた。
顕現石入りの手袋は身に着けていないため、光の刃は不定形だ。
だがそれでも、大型の邪星獣を屠るには十分な殺傷能力を誇る、必殺の一撃である。
問題はシーベイでの指揮官から知識が引き継がれたとして、どのように対策されているか…
それを確かめるべく、アニィは右腕を水平に振り抜いた。同時に剣が飛行型の真横から襲い掛かる。
だがその瞬間、光の剣に何かが激突した―――邪星獣が吐き出す金属と同じ材質の、巨大な剣だった。
《……防がれた―――やはり!》
飛行型が自らの意志で出したわけではなかった。
魔術の中には常時発動する物もあるらしい、とアニィは聞いている。
つまり、自動的に出現する魔術…恐らく邪星皇が得た知識によるものだろう。これをアニィの剣への対策に用いたのだ。
だがアニィとプリスは冷静であった。ある程度織り込み済みである。
今の剣も、シーベイ海上での戦闘前の特訓後にしてみれば、充分に手加減したものだった。
それでいて光の刃は金属の刃にめり込み、断ち斬ろうとしている。
アニィもプリスも、それに対する対策はすぐに取れる。
事前に考えたものでは無い、この場で瞬間的に思いついたものだ。
《ちょいと私にやらせてもらえます? 試してみたいことがあってね》
「わかった、お願い!」
アニィの返答の直後、プリスは翼を開き、発光させた。
無数の光の糸が飛行型を縛り付け、空中で拘束する。
同時にプリスの前に浮かんだ糸が渦を巻いてより合わさり、一本の光の槍になった。
《この私の新たな技、最初に受けたのを光栄に思いなさい!!》
プリスが口から吐き出した光線で光の槍を推す。
槍と光線は一体化し、回転円錐状に回転する、螺旋の閃光へと変化する。
『GHAAAAA!!』
飛行型は拘束を解こうともがくが、無駄に終わった。
そして自力で出現させたものでは無いため、飛行型に鉄の剣を動かすことはできなかった。
螺旋の閃光が飛行型の頭部を貫き、消滅させた。残された首から下も空中で崩れ、消えていく。
同時に海中にいた魚類型も、一斉に崩れて水没していったのである。
兵士達が混乱と同時に安堵し、騎乗するドラゴンの手綱を引いて行動を低空での待機に移った。
パルもパッフの背に戻り、上空のアニィとプリスを見上げ、指揮官が斃されたのを見届けた。




