第三十二話
邪星獣の群れに破壊されたヘクティ村。
一部が残った校舎で、チャムら子供達とフータ、教員のティッチ・センティは生活していた。
学校裏の廃鉱山で採掘された輝ける鋼と顕現石を加工し、行商と交換してどうにか食料を賄えている。
また、畑の野菜や学校に貯蓄しておいた保存食もあった。しばしの間は食いつないで行けそうだった。
何とか子供達を腹いっぱい食べさせつつ、勉学や魔術の練習をして過ごす日々…
しかしこのままではいずれ食料が尽きる。子供達の心身の健康にはよろしくないと、センティは不安を抱いていた。
そんなある日の朝、チャムは突然目を覚ました。
両腕には眠ったフータを抱いている。眠る時も一緒の親友である。
同じベッドに眠る二人の少女…学校には男女合わせて6人の子供がいる…を起こさぬよう、そっとベッドから降りる。
「おはよ、フータ」
「フニ~」
フータも目を覚ましたようだ。小声であいさつを交わし、2人でこっそり廊下を抜け、外に出た。
早朝の爽やかな空気を吸い、2人は損壊した校舎の前に座って、空を見上げながら待った。
チャムが目を覚ましたのは、小型のドラゴンに乗った男が村に来る夢を見たからである。
それは先日、白いドラゴンことプリスに乗ったアニィのヴィジョンが見えた時と全く同じ…
僅かに先の時間に起こる出来事。事実とすら思える、現実感のあるヴィジョンだ。
村が襲われた時に突然開眼した、いわゆる予知能力である。
「郵便屋さんかな? だったらアニィちゃんのお手紙、持ってきてくれるのかな…」
「フニ~」
フータに尋ねるも、キョトンと首をかしげられるだけであった。
そして5フブリス(5分)が経過した頃。彼女が夢に見た通り、小型のドラゴンに乗った青い服の青年が村にやってきた。
村の学校前に着地した彼の元まで、チャムとフータが駆け寄った。
「おはようございます、お嬢さん」
「おはよーございます!」
「フニ~」
チャムとフータの元気なあいさつに、青年がニッコリ笑う。
彼が首に掛けた紐の先に、金属製のプレートがあった。チャムは知らないが、「厄介事引受人協会」の会員証である。
青年はシーベイ街の協会で依頼を受理し、受付担当のモフミーヌから荷物を預かってきた、郵便配達専門の会員であった。
「元気でいいね! それでお嬢さん、大人の人はいるかい? 受け取りのサインが必要なんだけど」
「ちょっと待っててね。センセー起こしてくる!」
チャムは校舎に駆け込み、センティが寝起きする部屋のドアをノックした。はい、とすぐに返事があった。
「センセー、郵便屋さん! サインしてって!」
「おはようございます、チャム君。郵便ですか? ずいぶん早い時間に来ましたね…」
チャムがセンティを連れ、フータと共に待つ青年の前まで戻ってきた。
センティと青年は互いに朝の挨拶を交わし、センティが帳簿に受け取りのサインを書く。
様々な物が詰まった荷物のバッグを手に、センティは青年に尋ねた。
「どうもご苦労様です。これはどなたから?」
「アニィ・リムさんという方からですよ。彼女、この村から来たそうで」
「アニィちゃんから!」
そこで身を乗り出したのはチャムだった。まさに彼女の期待通り、アニィからの届け物だったのだ。
その勢いに青年は若干たじろいだ。
「う、うん。宛名はチャム・ネイヴァ、だってさ」
「アタイに!?」
「フニ~」
どうやらアニィと友達らしいと知り、なるほどと青年はうなずいた。
チャムは青年から荷物を受け取る。それほど重くはないが、鍋も入っているため少し嵩張る。
「じゃあ、確かにお届けしましたので。そうそう、アニィさん凄いんですよ。
うちの街…シーベイなんですけど、そこの『厄介事引受人協会』に入りましてね。
ドラゴンもどきを何頭もやっつけちゃったんです」
「アニィちゃんが…!」
「フニ~」
大好きなアニィの活躍を聞かされ、チャムは目を輝かせる。
無論、青年はアニィの事情など知らないので、あくまで事実を伝えただけであった。
放っておいたら青年にアニィの話をせがみそうなチャムとフータを、センティは宥めた。
「後でお手紙を読みましょう、チャム君」
「うん!」
「じゃ、僕はこれで失礼しますね」
青年が背に触れると、ドラゴンは甲高い声を上げて羽ばたき、たちまちのうちに空へと消えた。
チャムはフータを連れて校舎に戻った。センティがその後をついていく。
その途中、立ち止まってかつての精肉工場の方を見た。
もはや機能しなくなった精肉工場は、倒壊した家屋の建材で作った即席の塀に囲まれていた。
工場内には大量の肉…つまり食料が残されている。この工場に村の大人達が立て籠もっているのだ。
アニィの魔術で大半は正気を失い、4割は未だ全身の痛みに苦しんでいた。
だがどうにか正気を取り戻したアニィの家族、そしてゲイスは、未だ残る肉体の痛みに耐えつつ日々をしのいでいる。
そしてそんなになってまで、彼らは子供達にくれてやる肉は無いとばかり、食料を独占していた。
それを知った時にはセンティは呆れかえったが、それ以上に危険な状況に気付いた。
オンリの切断された両脚、ジャスタの顔面の傷を放置した場合の、感染症である。
その意味では肉が手に入らないことは幸運だが、それが尽きた時に彼らは略奪に出るのではないか…
そしてそれにより、感染が爆発的に広がったら、子供たちの命が危ない。
向こうの食料が尽きるまでに、何とか対策を練らなければと、センティは日夜頭を悩ませていた。
ちなみに、この村にいるドラゴン達は、全員が学校の側にいる。
どういった事情かは分からないが、少なくともセンティや子供達と敵対する気配は無い。
むしろ守ってくれているようで、彼らは時折空を見上げては、邪星獣が来ないかと警戒していた。
「みんなー! アニィちゃん達から、お荷物とどいたよー!」
「フニ~」
チャムとフータの声で、センティは我に返った。
子供達が目をこすりつつ部屋から出てくると、何事かと首をかしげつつ食堂に集まる。
彼らが見ている前でチャムはバッグを開封し、中身をテーブルに並べた。
茶葉と焼き菓子の詰め合わせ。大きめの鍋が二つ、薪と金属製の火起こし棒。植物の実のスポンジと石鹸。
更に、湯船やかまどの組み立て方を書いた説明書。特に湯船と石鹸は、今後の衛生的な生活に大変役立つ物だ。
幸いなことに、廃材の板ならそこかしこに転がっている。水もプリスがいた湖があるので、どうにかなりそうだった。
最後に出てきたのは、アニィが書いた手紙と似顔絵だった。
いつのまにか子供達はすっかり目を覚ましており、畳まれた手紙をチャムが開くのを今か今かと待っていた。
見たことも無い人物が描かれた似顔絵と並べ、チャムは手紙を読み始めた。
《チャム、フータ、先生、学校のみんな、元気ですか?
わたし達はあの後、港町のシーベイ街に行きました。
商業、貿易、観光などで成り立っていることもあって、ここにはたくさんのお店があります。
それに、ドラゴンと住んでいる人もとても仲良しで、みんな楽しそうに笑っていました。
殆どの物が初めて触れる物でした。いつかみんなも連れてきてあげたいです。
今は無理ですが、代わりにこの街で買った物をお届けしますので、どうか役立ててください。
(日持ちや運搬の事を考えると、生の食べ物は詰め込めませんでした。ごめんなさい)》
続いて、シーベイで出会った人たちのことが書かれていた。
村を出る前にドラゴンの絵を描いていたアニィの筆致は、大変美麗であった。
《それから、この街ではたくさんの素敵な人に出会いました。
『厄介事引受人協会』のモフミーヌさんとチャウネン、バンダルさん。
宿屋のヤードさん、鍛冶屋さんのランスさんとシィルさん、文房具屋さん(名前は教えてもらえませんでした…)。
街の商工会会長のマルシェさん。みんな、とても優しく温かい方たちです》
子供達は似顔絵と手紙の内容を見比べ、この人がこの人で…と名前当てをしている。
チャムとフータはそれを尻目に手紙を読み続けた。が、その顔がわずかに曇る。
《ただ、わたし達が到着した次の日、邪星獣もこの街に来ました。
何とかやっつけたのですが、どうも田舎から少しずつ都市部に集まってきているみたいです。
もちろん、都市に集中しているからと言って、田舎に現れないとは限りません。
もし村に邪星獣が出たら、まずはみんな命を大事にしてください。
そして邪星獣が出るようになったからと言って、生きるのをあきらめたりしないでください。
みんなで仲良く、力を合わせて生活してください。先生の言うこともよく聞いてください》
子供達は顔を見合わせた。『みんなで仲良く』…その言葉には、ズシリとのしかかる重さがあった。
アニィをのけ者にし続けた村人たちは、彼女によって気が狂うほど痛めつけられたのである。
もしアニィが魔術も使えずドラゴンにも乗れなかったことを、村人たちが理解し受け止めていたら。
アニィは『ドラゴンラヴァー』にこそならなかったかも知れないが、共同生活からつま弾きにされず、それなりに幸福な生活が送れていた筈なのだ。
皮肉なもので、今のアニィがあるのは、ある意味で村人たちのおかげとも言えた。
《最後に質問です。フータには何か準備が必要と、村を出る前にプリスが言っていましたね。
はっきり答えてもらえなかったようですが、何の準備をでしょうか?
もしわかったらお手紙に書いて、行商の方にお願いして、厄介事引受人協会に送ってください。
少し時間はかかりますが、協会がわたし達に手紙を届けてくれます。
ではお元気で。アニィ・リム》
チャムがこの一文を読むと、子供達が一斉にフータに注目した。
当の本人(もしくは本猫)はキョトンとして首をかしげるだけだった。
「フニ~」
「うん…言ってたよね、何か準備が必要って」
「フータ、何か変わった所あった?」
子供達が口々に尋ね合うが、誰も答えは持ち合わせていない。
チャムはかがみ込み、フータと目を合わせて問う。
「ねえフータ。フータって、プリスちゃんみたいにお話しできないの?」
「フニ~」
答えるようにフータはしがみつき、チャムの額に自らの額を重ねた。
呆気にとられたチャムは、しかし、その直後に目を見開いた。
「……っ…!?」
額から汗が流れ、瞬きもせずにフータと額を合わせたまま、チャムはしばし黙り込んだ。
センティを含む全員がその様子を見守る。
フータがチャムにしがみついているいつもの光景…だが、チャムの表情は異様であった。
顔は青ざめ、見開かれた両目は半ば光を失っている。
熱に浮かされたのとも、恐怖しているのとも違う…ただただ、呆然とした表情だった。
「チャム君…!?」
センティがその肩に触れようとした時、フータがチャムから離れた。
チャムは尻もちをつき、息を切らしてフータの顔を見つめていた。一方のフータはいつもののんびりした顔だ。
「チャム!」
「大丈夫、チャム!?」
センティに助け起こされたチャムを、子供達は心配そうに見ていた。
センティが水を入れた木のコップを差し出したが、しばしチャムはそれにも気づかず、呆然としている。
横からのぞき込んでいる少女が肩を叩くと、ここでやっとチャムは正気を取り戻した。
コップを受け取って水を一口飲み、呼吸を整えてから、今しがたの事を話し始めた。
「フータの中からアタイの頭の中に、何だか色々どばーってきた…」
「どばー…流れ込んできたんですね? フータ君からのメッセージですか?」
「フニ~」
センティに問われると、チャムはうなずいてフータを抱き寄せ、フニッとした顔をじっと見る。
「たぶん…でも……ちょっとしかわかんなくて…」
「判ったところだけで構いません。何と?」
全員が見つめる中、チャムは目を閉じて、頭の中を整理してから答えた。
「……おおきくなるまで一緒にいて、って」
「フニ~」
大きくなるまで。フータが大きくなるということは、成長するということだろうか。
これまで彼が成長した痕跡を、チャムもセンティも子供達も見たことは無かった。
あるいはこの見た目のまま、サイズだけ大きくなるのか。
疑問に思うチャム達の視線を集めつつ、フータは平然としたままチャムにしがみついていた。
―――これが、アニィ達がヴァン=グァドに到着した翌日のことである。




