第三十一話
港町を襲い、少年たち市民の命を奪った怪物は、今自らの手で討った。
だが、恐るべき殺傷力を誇り、邪星獣を一撃で屠るこの魔術を持っていても、奪われた命は取り返せない。
無力―――……今ほど、アニィは己の無力を感じたことは無かった。
《アニィ……》
プリスに呼ばれても、アニィは応えることができなかった。
《…下りましょう。もう行くと、街の人たちに伝えないと》
「……うん」
やっとうなずき、汗と涙を拭ってアニィはうなずいた。
プリスの翼の光を浴びると、アニィの体の傷が癒えていった。
プリスとパッフがゆっくりと降りた砂浜には、いつの間にか街の住民たちがあつまり、歓声を上げていた。
彼らは邪星獣を斃した2人に群がり、ドラゴンの背から砂浜に降りたアニィとパルを口々に称える。
「やったね、二人ともすごい!」
「…ん」
スミス兄妹がアニィとパルの肩を叩く。アニィは曖昧にうなずくだけであった。
明らかに疲労の色が抜けないアニィに対し、住民たちは遠慮なく感謝を告げようとする。
アニィの浮かない顔が疲れだけでなく、無力感から来る自身への失望であることに気付いた者は、いなかった―――
否、一人だけいた。
「みなさま、その辺にして差し上げて。
お二人ともそろそろヴァン=グァドにいらっしゃるのだから。引き留めては駄目よ」
商工会の会長、マルシェ夫人であった。歓声が穏やかな一声で鎮まる。
幾分か体力が持ち直したところで、アニィは顔を上げた。夫人は何も言わずにうなずいた。
その首肯には、落ち込むアニィを慮る優しさが籠っていた。
アニィは小さな声で、有難うございます、と答えた。
その声が聞こえたか否か、マルシェ夫人は住人たちの方に向き直り、告げる。
「よくお聞きになって。今回はこの子達のおかげで、どうにか助かりました。
けれど彼女たちは、先ほども言いました通り、城塞都市ヴァン=グァドへ…
そして、その先も旅を続けなくてはいけません。ここでわたくし達だけを護ってはいられないのです」
住人たちはその言葉を聞き、急に不安げな表情になる。
守護者不在でこの街が無事で済むのか、とささやき合う声がアニィ達の耳にも届いた。
厄介事引受人協会の会員にも、もちろん荒事に慣れた、あるいは特化した技能を持つ者がいる。
そんな彼らでも、邪星獣に必ず勝てるわけではない。だが夫人はそれを制し、話を続けた。
「いいですか、みなさま。今まで以上に命を大事になさってください。
怪物は昨日のように、いつ襲ってくるかまったくわかりません。
ご自身の命も、大切な方の命も。どうかお願いします」
穏やかな夫人の言葉に、住民たちは互いに顔を見合わせる。
やがて口々に、そうだな、そうだ、とうなずき出した。
彼ら自身、たくさんの命が奪われたことを知っている。そしてアニィ達が彼らを守ってくれたことも。
ならばせめて負担にならず、彼女たちの闘いを無駄にしないためにもと、住民たちは意思を固めたのだ。
彼らの顔は、先ほどの無責任に歓声を上げていた時とことなり、大真面目ですらあった。
そこへ宿の店主ヤード・パックが、預けた荷物を持ってやってきた。
「これ、どうするんだい? 持っていくのは面倒だろうから、良ければ代わりに郵便頼んでおくよ」
「じゃお願いします、むしろ郵便頼もうって思ってたから。
あ、でもアニィの画板とお手紙セットは持ち歩きます」
パルの答えに、ヤードは色鉛筆と画用紙と便箋、そして画板を取り出すとアニィに、残りはモフミーヌに手渡した。
「もしよろしければ、パル様の矢も協会でお預かりいたしますよ。
質量転移魔術ゲートで他の支部にお送りできますから、現地で受け取っていただければ」
「ホントですか! 助かります! 便利ですねえ、会員証作った人の発明って」
「そうなんです。協会の設営にあたって、その方には大変お世話になりました」
スミス兄妹の手による矢はあまりにも大きく、さすがに全て持っていくことはできない。
しかし協会に預けておけば、必要なだけ矢筒に入れて持ち、足りなさそうなら各地の協会支部で受け取れる。
冒険者ギルドの下位互換などとモフミーヌは自嘲気味に言ったが、そんなことは関係なく、これからも助けになってくれそうだ。
郵便物と矢を預ける約束をしたパル、そしてパッフとプリスがアニィの方を見た。
何かを促すような視線に、アニィは戸惑って仲間達の顔を見る。
彼女達が言外に尋ねているのは、このまま立ち去ってよいのか、やり残したことは無いかという確認であった。
アニィはうつむいてしばし考えると、意を決して画板のクリップに画用紙を挟み込み、首から下げた。
「あの…わたし、村に残して来た子達に、手紙を書こうと思うんです」
アニィの言葉に街の住民たちがうなずく。
「それで、その…お世話になった方の似顔絵も添えて、手紙を出そうと思ってて…」
「いいじゃない、描いて描いて!」
恥ずかし気に言うアニィの肩を、シィルが軽く叩いた。
他の住人達も口々に勧める。画板で顔を隠していたアニィは、彼らの勧めに従い、何名かを呼び集めた。
スミス兄妹、ヤード、マルシェ夫人…そして、文房具店の主人がアニィの前に並ぶ。
プリス、パル、パッフに見守られる中、アニィは色鉛筆を動かし、彼らを描いていく。
モデルを正確に捉えつつ、対象人物のイメージを引き出すことに長けたアニィの手腕で、似顔絵が出来上がった。
完成した旨を告げると、スミス兄妹たちがこぞって絵を覗き込んだ。
「ちょっとこれ、美人に描きすぎじゃない!? ねえアニキ!」
「……んん」
「まあまあ、実際ステキな兄妹なんだから良いじゃないか。そうだろ、お嬢さん?」
「は、はい…」
照れるスミス兄妹とヤードに、照れながら答えるアニィ。喜びからか、目にはわずかに涙が光っていた。
その光景に「ン゛ホォカワイイ人類の尊厳ン゛ン゛」と唱えつつもだえるモフミーヌを、文具店の店主とバンダルとプリスが冷めた目で見ていた。
アニィは便箋に手紙の本文を書き、似顔絵とまとめて畳むと、モフミーヌに手渡した。
「お願いします。ヘクティ村の場所は…」
「地図で確認済みです。必ずお届けしますので、ン゛ぉお任せくださいっ!」
何故か鼻息猛々しく引き受けるモフミーヌに、キョトンとしつつアニィは手紙や荷物を委ねたのであった。
続けてマルシェ夫人がアニィの手を握った。
「アムニットに行ったら、わたくしからも頼むと伝えて頂戴。少しはお安くなるかもしれないから」
「ありがとうございます、皆さん…じゃあプリス、そろそろ」
《ええ。今度こそヴァン=グアドへ―――ですね》
アニィ達は相棒のドラゴンの背にまたがった。プリスとパッフが翼を羽ばたかせ、体を浮かせる。
振り向いたアニィに、住人たちが手を挙げて答える。
「また遊びに来ておくれ。今度はもっとうまいものを用意するからね」
「ウチにもね。鍛冶屋になりたくなったら、見学させてあげるよ!」
「……ん」
「良ければ、絵具なんかも買いに来てくれよ」
ヤードとスミス兄妹、文具店の主人に、アニィははにかみながらうなずいた。
「…はい。また来ます。絶対来ます!」
「村の子達も連れてくるね!」
《それじゃ皆の衆。またいつか》
アニィとパルが手を振ると、プリスとパッフが今一度羽ばたき、上昇していった。
住人達は手を振って見送った。…のだが。
「…ん?」
首をかしげたランスに続き、同じく違和感を覚えていたらしいシィルがつぶやいた。
「……あの白いドラゴン、喋んなかった?」
「…………」
『うっそぉぉぉぉ!?』
地上で見送る人々の叫びを聞き、プリスは苦笑した。
《…なんかもう、慣れてきちゃいました》
「ふふ…ヴァン=グァドでも、たくさんの人がびっくりしちゃうかもね」
《はぁー。今から気が滅入りますねェ》
楽しそうにほほ笑むアニィと、内心のため息をわざわざ音声にするプリス。
そんな2人に笑いかけ、パルとパッフは地図を見ながら先導していく。
「早く行こうよ。アニィの手袋も作ってもらわなくちゃいけないし!」
「クルル!」
二人に言われ、アニィとプリスは顔を見合わせ、笑い合った。
邪星獣が本格的に都市への進行を開始した。それを食い止めなくてはならない。
しかしまだ装備も充分ではなく、邪星獣や邪星皇について調べなくてはいけないこともある。
本当は時間に余裕はない…だがそれでも、初めての街やたくさんの人々との新たな出会いが、4人とも楽しみであった。
「うん…行こう!」
後にしたシーベイに、そしてこれから向かうヴァン=グァドに。
アニィは思いを馳せた。




