第三話
夜明け前。アニィはドラゴン達が眠る牧場にやって来た。
夜中にこっそり家を出るのに苦労しなかったのは、存在を無視されているからだろう。
この時間にやって来た目的は、眠っているドラゴンになら乗れるのではないか…という期待からである。
予想通り大きな体を横たえて眠るドラゴンの一頭へと、アニィは歩み寄った。
「ごめんなさい、ドラゴンさん…」
小声で謝罪し、そっと背に上がってまたがろうとするが―――
ドラゴンはそれを察知して目を覚まし、起き上がるとそっとアニィから離れた。
踏み出した足が空を切り、つんのめったアニィは、巨体の足元に転がる。
状況を飲み込めずにしばし呆然としてから、アニィは顔を上げてドラゴンを見上げた。
ドラゴンはただ、申し訳なさそうに頭を垂れるだけであった。
「……そんな」
アニィがつぶやくと、他のドラゴンもゆっくりと起き上がった。
そしてアニィが近寄るのを拒むように、僅かに距離を取る。
―――眠ったドラゴンにすら乗れないのか。
そう思った直後、何者かの笑い声が聞こえた。振り向くと男女の連れ合いがいる。
女の方は姉、ジャスタ。そして彼女がしがみついているのはゲイスだ。
二人はオンリが目を付ける前から付き合っており、毎晩逢瀬を重ねている。
そして顔立ちが整い、村一番のドラゴン乗りでもあるゲイスは、理想の男性と言って差し支えなかった。
が、下劣な品性がそれを台無しにしていた。
ジャスタもまた人目を引く美少女だが、頭の中はゲイスと同等だ。
「あーおっかしい…何お前、寝込みを襲っても乗れないの?」
嘲笑う姉の言葉に、アニィはビクリと肩を震わせてあとじさった。
二人はアニィに近寄ると、ヘラヘラ笑いながら言う。
「ねーゲイスぅ。こいつさ、あの湖に毎日行ってるんだよぉ」
「は? 本気かよ。『葬星の竜』のいるって、あの湖?」
『葬星の竜』。アニィの村に伝わる一つの伝承である。
遥か空より邪悪が訪れた時、この地より飛び立ち邪悪を葬る…というものだ。
学校に通っていた幼少時に何度も聞かされ、よく憶えていた。
だが、そんなものはドラゴンに乗れないアニィにとって関係ない事だった。
だった、筈なのだが。
「あんな魚しかいないような湖にいるわけ無ェだろ。それともお前、葬星の竜サマなら乗せてくれるって思ってんの?」
「…ちがう……」
「お前なんかの前に現れるかよ、バカ。来るなら村一番のドラゴン乗り、オレん所に決まってんだろ」
「そーよねぇゲイスぅ。こんな奴、ドラゴンが構ってくれるわけないよねぇ」
二人はゲラゲラと下品な声で笑った。
否定しようにも、アニィがドラゴンに乗ろうとして乗れない現実がそれを阻む。
ゲイスとジャスタはそれを理解しているからこそ、彼女を嘲笑う。
「オラ、どけよ。今日はオレがこいつに乗っていくんだからよ」
歩み寄ってきたゲイスに腹を蹴られ、アニィはよろけた。
ドラゴン乗りは高高度を高速で飛ぶドラゴンに乗るため、概して身体能力が高い。
当然、彼の蹴りも常人に当たれば全治数週間の重い傷になる。
しかし常人であるはずのアニィが倒れなかったのが、僅かながら彼の癇に障ったようだ。
「どけよクズ」
「なに? あんた、まだドラゴンに乗れる気でいるんだァ。
魔術も使えないくせに、ドラゴンに乗る気とかバカじゃないの?」
ゲイスに押しのけられたところで、ジャスタの嘲笑がアニィの胸に刺さった。
睡眠中のドラゴンにすらまたがれないという現実を、改めて思い知らされる。
騎乗を諦めきれずにここにいるが、今しがたそれが無理だと判ったではないか…
アニィは自らの無謀さに気付き、力の抜けた脚で少しずつ後退った。
と、上空から何頭かのドラゴンが降りてきた。
見上げると、パッフを含む数体のドラゴンと、そしてパルだった。
「あれ、早いじゃんアニィ。どしたの―――アニィ!?」
「パル…」
今にも泣きだしそうなアニィの顔を見て、地上に降り立ったパルとパッフが駆け寄る。
「アニィ!」
「クルルっ!」
すっかり青ざめたアニィの顔を覗き込み、肩を掴んで問い質そうとするパル。
だがアニィは首を振り、無理に笑顔を浮かべようとした。
「……なんでも、ない、よ」
「うそ。だったらそんな顔するわけないじゃない」
「ううん、大丈夫、だから…」
アニィがそう言うと、パルの背後でゲイスとジャスタがゲラゲラ笑いだした。
パルは初めて二人の存在に気付き、振り向く。
「そいつ、寝てるドラゴンにも乗れなかったんだぜ!」
嘲笑うゲイスの言葉、その横のジャスタの失笑を聞くまいと、アニィは耳をふさいだ。
だがパルは何かしらの確信を持ったらしい顔で、アニィを問いただすだけだった。
「本当?」
パルに問われ、アニィはゆっくりとうなずき、そしてうつむいた。
その肩が震えている。これ以上この場にいさせるのは酷だ―――そう思ったパルは手を放した。
途端、アニィは牧場から逃げ出した。走り抜け、村の外れへ向かう。
行先はいつもの湖だろう…それに気づき、パルは敢えて追いかけようとしなかった。
パルとパッフはドラゴンの顔を見て、その表情を確認すると得心がいったかの如くうなずいた。
その背にへらへら笑うゲイスが声をかけた。
「おいパル、お前も行こうぜ。そろそろ狩りの時間だろ」
パルはその声を無視した。
ゲイスはパルのことを目の仇にしている節がある。毎度狩りの時に、彼よりも素早く強い怪物を狩っているからだろう。
一方でパルはと言えば、彼の事など害虫程度にしか思っていなかった。わざわざ相手をしてやるのも億劫に感じている。
だがその肩に、彼の手が掛けられた。
「行こうぜって言ってんだよ。お前も聞いてんだろ? あの話」
「アンタがやんないならアタシの勝ちね。ま、アタシにとってはそれでいいけど」
パルは肩に置かれた手をペッと払いつつ、二人の言葉を無視してアニィが行った湖へ向かおうとする。
そこにもう一人、こちらは幾分か年かさの男性の声が聞こえた。アニィの父、オンリだった。
「パル、どこへ行く。今日はジャスタとの勝負の日だと言っただろう」
「は?」
パルの返事は冷たく辛辣だった。オンリはそれに気づき、僅かに顔をしかめる。
「あんな愚図に構っている暇はないぞ。
今日は二人が獲物の数を競い、勝っていた方がゲイスと結婚する。
その勝負の日だと決め、お前にも通達してあったはずだ」
「知らないです」
パルにとっては初めて聞く通達だった。
実際のところはと言えば、オンリから知らされていたことをパルが完全に忘れていただけなのだが。
「なら今改めて教えてやる。今日は」
「興味無いです」
当然のように返された冷たい返事はオンリを、そしてゲイスとジャスタを苛立たせた。
三人は露骨に顔をしかめる。だが、パルの表情は対照的に冷め切っていた。
「…わがままを言うんじゃない。優秀なドラゴン乗りの血を継ぐのもお前達の仕事だ。
仮に勝負に負けてもお前は側室になれる、お前の血統も残せるのだぞ」
「どうでもいいです」
言葉通りに全く興味を見せないパルの返答に、オンリはついに怒りをあらわにして掴みかかった。
しかしパルはその手首を掴み、軽く足を払って、自分より遥かに大柄な男を転倒させた。
自身の娘と同年代の少女に軽く転ばされ、オンリはその痛みと屈辱にうめく。
倒れた中年男を冷たく見下ろし、パルは吐き捨てた。
「子供が欲しけりゃあんたが孕ませてもらいな、腐れ親父」
「貴様…何をわけのわからぬことを!」
「そこの村一番さん。あんたの大事な長女サマと、毎晩仲良くしてるそうじゃん。
頑張ってもらえば、男のアンタにだって子供を産ませられるかもよ」
どこまでも冷たく言い放ち、パルは三人に背を向けた。
ジャスタのキイキイと耳障りな叫びがその背に掛けられる。
「ちょっとアンタ、逃げんの!? この臆病者!!」
「フン。お似合いだよ、あんたたち」
金切声を無視して、パルは駆けだした。
丁度その光景を、センティと子供達が見ていた。
センティは物悲し気に、アニィとパルが向かった湖の方を見ていた。
足元でチャムとフータが彼を見上げている。
「センセ、どしたの?」
「うん…いや、僕は彼女達の力にはなれていないんだな、とね」
「?」
「フニ~」
首をかしげる二人にセンティは答えず、子供達を促して教室に入った。
この学校で寝泊まりしているのは、両親のいない子供達だ。教師は彼らの親代わりでもある。
チャムとフータは姉のパルと共に自宅に暮らしているが、パルが狩りから戻るまでは学校ですごしている。
そしてセンティは、座席に座る子供たちを前に、意を決した表情で告げる。
「今日は君たちに相談があります。―――アニィ君の事です」
湖のそばで木の根元に座り、アニィはうつむいていた。
ドラゴンに乗れないこと、魔術を使えないことは何度もなじられた。
そんな冷たい言葉には慣れていると、無理に言い聞かせてきた…
ただ、今日はいつもより堪えたというだけだ。
それだけのことなのだ、とアニィは自分に言い聞かせようとしたが。
「……無理なんだ、普通のことも」
そうつぶやいた途端、両目から涙が流れ落ちた。
零れ落ちた雫は草の葉を伝い、地面にしみ込む。
―――限界だ。そう自覚すると、涙はとめどなくあふれた。




