第二十八話
翌日の朝、アニィとパルはヤードからの差し入れの朝食を採り終えた。
4人とも疲労の色が濃い。しかし、夜が明けるまでの猛烈な訓練の末、新たな技は完成した。
あとは迎え撃つだけであった。
空いた包み紙を近くのごみ箱に捨て、4人は空を見上げた。
薄曇りの空には、まだ邪星獣らしき影は見えない。
「時間はいつって、言ってなかったんだよね?」
「クルル?」
「うん…でも何となく、すぐ来そうな気がする。わたし達が街を出たか、確認するために」
パルとパッフの問いに、アニィはためらいなく答えた。
昨日の邪星獣は明らかに悪意を持っていた…アニィから聞き、その答えに納得した。
悪意を以ってアニィの行いを無に帰し、嘲笑した。
周辺に現れる怪物とは一線を画す知能。さらに魔術を魔力で阻む技能。何より、人口の多い場所を狙う悪辣さ。
モフミーヌとマルシェ夫人は、協会を通じて街全体にこれを伝え、はっきりと邪星獣が敵対的な存在だと知らしめた。
《いやはや、阿鼻叫喚でしたねえ》
プリスの苦笑いと共に、アニィ達は当時の状況を思い出した。
つい数ジブリス前まで「辺境を荒らす謎の怪物」だった邪星獣が、突然「自分達に牙を剥く邪悪」と化したのだから当然だ。
だが同時に、邪星獣とその親玉に挑む者として、名前は出さなかったがアニィ達のことも知らされた。
住人達はその存在に縋りつこうとしている。撃破に失敗すれば、彼らを落胆させることになる。
ただ落ち込むだけではない…邪星獣や邪星皇への抵抗の意志を抱けるかどうかが決まる。
あまりの緊張に、アニィの顔が引きつりかける。
「責任重大…」
《だから、そんなのはオマケなんですって。旅に出たのはあなたの意志でしょ、アニィ。
あなたがやりたいようにやればいいんですよ》
「………そう、だね」
アニィはプリスの話を聞き、少し考えてうなずいた。
そして、その瞬間にふと気配を感じ、パルが空を見上げた。
「アニィ、プリス。来たよ」
「うん…」
アニィとプリスも上空の影に気付いていた。
中心には少しサイズが大きい個体、その周囲には手下と思われるやや小さな邪星獣が飛んでいる。
邪星獣は、アニィを視認した途端に嗤った。その不気味で悪意に満ちた笑顔から、昨日の個体と同一だとすぐ判った。
中心にいるこの個体が指揮官、周囲にいるのが兵隊である。アニィはすぐに理解した。
アニィがプリスの、パルがパッフの背に乗る。
背後にはシーベイ街とその住民がいる。早朝のこの時間、彼らは見ているだろうか。
プリスは結果などオマケ程度と言った…アニィもそれを理解しているし、気にすべきことでもないと思っている。
だが―――だからこそ、見ていて欲しいと、何も気にせずにアニィは考えている。
気負う所は無い。自分達が邪星獣と闘えることを、闘える者達がいるという事実を、ただ証明したい。
「みんな、いくよ!」
《はいよ!》
「うん!」
「グルァアッ!!」
プリスとパッフが超高速で邪星獣の群れに突撃する。同時に指揮官が空中で停止し、周囲の兵隊が一斉に4人に襲い掛かる。
真っ先に攻撃を仕掛けたのはパルだった。大弓に新調した矢を2本つがえ、引き絞るとすぐに放つ。
輝ける鋼でできた2本の矢の鏃に、身体強化の魔術を通していた。
矢は『ドラゴンラヴァー』たるアニィの目をもってしても捕らえられぬ速度で飛び、直線上に並んだ兵隊十数頭の頭部を難なく粉砕した。
パル自身の目測では一般的な矢の速度の十倍以上、およそ20ドラストム(時速約3200km)は出ている。
矢の材質の強化、そして『ドラゴンラヴァー』でもないと引けない弓を用いた結果だ。
「っしゃあ! パッフ、もっとやるよ!」
「グルァアッ!」
パッフがパルに促され、兵隊の群れの真っただ中に水の球体を吐き出した。
続けてパルが矢を放ち、水の球体を破裂させると、爆散した細かな水の粒が周囲の邪星獣の頭部を破壊した。
超高密度で球状に固めて鋼鉄並みの硬度と化した水が、超高速の矢に貫かれて爆散したのである。
「パル、パッフ、二人ともすごい! かっこいい…!」
「練習の甲斐があったってもんさ!」
「クルッ!」
アニィの賞賛に、ふたりともバチンとウィンクで答えて見せた。今朝までの練習の賜物である。
だが、葬った邪星獣は代わりが次々と補充されていく。ヘクティ村を襲撃した時と同じだ。
この邪星獣たちはどこから補充されるのか。まるで道具のように補充される彼らは、そのことに何か感じていないのか。
だが、今はそれを考えるより、まず指揮官の許までたどり着かねばならない。
補充された兵隊の数は当初より増えつつある。戦闘開始直後だが、この時点で疲労による魔力切れを狙っているのだろう。
アニィは確信した。
初めて遭遇したはずのこの指揮官は、魔力切れの事を知っている。
醜い嘲笑は、アニィが村人から罵詈雑言を受け続けたのを知っているからだ。
突如出現して荒らしたのも、平和を乱された人間が恐怖を抱き続けることを知っているからだ。
そして光の剣を阻めたのは、アニィの魔術を知っているからだ。
「―――知識を受け継いでる」
《やはりアニィもそう思いますか》
昨日冷静になってから、アニィは邪星獣の嘲笑…ヘクティ村の住民と同じ嘲笑を思い出した。
邪星獣は初めて訪れたヘクティ村の上空から、村人たちの顔を見ていたのだ。
そして村において最大の脅威であったらしいアニィに向け、彼女の心の傷でもある悪意に満ちた嘲笑を向けた。
しかも救助した少年たちを殺害することで、彼女の行いを無に帰して。
その直後にはアニィの魔術の剣に対して、明確に対策を練って止めて見せた。
「…闘えば闘うほど、邪星皇は知識を蓄えていく。過去の邪星獣の記憶を、新しい奴に受け継ぐんだ」
《なら、こっちも対応力と色々な技を身に着けていくだけです》
「……うん!」
プリスが群れの真っただ中に突撃し、口から白い光線を吐き、兵隊たちを次々に落としていく。
アニィは指先を伸ばした右手を、左から右へと大きく払った。
まだマルシェ夫人から受け取った手袋は嵌めていない。
必殺の一撃の時にこそ使うつもりであった。
空中に生まれた五本の白い光線が弧を描き、兵隊たちの頭部から首の付け根をスライスしていった。
兵隊どもは次々に落下していく。補充する前に群れに空いたその隙間に、アニィとプリスは飛び込む。
その一瞬、アニィの全身が兵隊に隠れ、指揮官の視界から外れた。
指先を右手の指先を真っ直ぐ伸ばし、正面から襲い掛かってきた兵隊の顔面に突き付ける。
アニィの体格と比べ、1ドラゼン(約15m)はある巨体で、顔だけでもかなり大きい。
兵隊は巨大な口を開き、アニィを噛みつぶそうとした。その一瞬、40分の1ブリス(0.025秒)程度の時間。
アニィはためらうことなく、指先に魔力を集中。楔の形をした光の矢を生み出した。
邪星獣はアニィの視線に気づいた。獲物を逃さぬ冷徹さ、命を奪う者への怒りが、アニィの視線を剣の如く鋭利にしている。
「―――当たれぇっ!!」
叫びと共に矢を発射。矢は目の前の兵隊、その後ろの直線状に並ぶ兵隊たちを容易く貫通。
そして指揮官の顔面に直撃し、頭部右側の眼球を一つ爆砕した。
『GWWUUU!!』
突然のことに驚愕し、指揮官はうろたえる。
その間にアニィが左腕のブレスをかざし、光の盾を発生させて兵隊を弾き飛ばし、群れから脱出した。
兵隊たちが上空に向かうアニィとプリスを追う。
だが、その隊列の中に突然パルが割り込んできた。
巨体と巨体の間に潜り込み、短剣を抜いて一体に飛び掛かると、たやすく頭を断ち割る。
落下する死骸が兵隊に激突し、隊列が崩れた。
「でやぁああっ!!」
死骸を蹴って跳び、パルが別の兵隊の頭部を膝で蹴り砕いた。
村で闘った相手…空中三角跳びを生身で行う相手と気づき、兵隊たちは列を崩して互いに距離を取る。
少しでもパルを視認しやすくするためだ。
村の戦闘では、最終的に魔力切れにこそなったものの、パルとパッフは凄まじい数の邪星獣を屠った。
今回の群れはそのことも記憶しているらしいが、アニィを追うことに集中して失念していたようだ。
「へっ! 今頃思い出しても遅いっつの! パッフ!!」
「グルァッ!!」
パッフが吐き出した水の弾丸がパルの周囲に飛び散る。弾丸の一粒一粒が円盤と化し、高速で回転し始めた。
「それっ!!」
円盤の一つに足を乗せた途端、水の円盤の高速回転によってパルが跳躍する。
パルは容易く兵隊の一頭に追いすがり、空中回転蹴りで首を付け根から刎ね飛ばした。
パルは続けて、空中で水の円盤に向けて矢を放った。
見当違いの方向に放たれた筈の矢が、円盤の回転によって急角度で曲がり、視界外から兵隊を射貫く。
身体強化の魔術も掛けてあるため、貫通しては次の円盤でまた急角度に曲がる。
『GYYHAAA!!』
『OBHOOO!!』
奇怪な悲鳴と共に、邪星獣たちは死骸と化し、次々に落下していく。
これこそ、昨夜からパルとパッフが練習した技の一つだった。
水の円盤の回転を利用し、パル自身が高速で跳躍、もしくは矢の軌道を高速・急角度で曲げる。
パルの我流格闘技、『テンペストアーツ』を更に発展させた技であった。
身体強化魔術により、動体視力や膂力、反射神経を向上させ、超高速での空中戦を可能にしたパルならではの発想だ。
そしてパッフは、円盤の回転速度、回転方向、傾き、それらを実現する発想力と対応力で、パルの要求にこたえて見せている。
『ドラゴンラヴァー』としての年季が長いだけに、2人の息は一心同体のごとく合っている。




