第二十六話
「はぁ、はぁ、あ、アニィ様…!? チャウネン、ここにアニィ様がいるって、判ってたの…!?」
「わふわふっ」
どうやらチャウネンに引っ張られ、走ってここにやってきたのだろう、モフミーヌはすっかり息を切らしていた。
対するチャウネンは特に何ともなさそうだ。例え飼われていても、獣となると人間より遥かに身体能力が高いのだろう。
「あ…あの、どうかしたんですか…?」
「アニィ様にお話しのあるという方が、協会にいらしてまして…来ていただいてもよろしいですか? プリス様も」
「……行きます。プリスはどうする…?」
《そらぁ私も行きますよ》
アニィが立ち上がると、揃ってモフミーヌとチャウネンの後について歩き出し、協会に辿り着いた。
協会は臨時の救護所となり、けが人や医師、看護師、治癒魔術を得意とする者達が右往左往している。
プリスは外から回り込み、奥のスペースの窓から顔を出す。
奥のスペースに行くと、パルが椅子に座り、窓の外にパッフが待っていた。そしてその向かいには―――
少年たちの母親が座っていた。
「っ……!」
「アニィ様。こちら、シーベイ街商工会会長のリーディア・マルシェ夫人です」
思わずすくみ上り、立ち止まるアニィ。だがマルシェ夫人は椅子を指し示し、座るように促した。
逃げれば何を言われるか…恐ろしさに、アニィは逃げ出すこともできず、椅子に座った。
うつむくアニィに対し、マルシェ夫人は優しく微笑みかける。
「急に呼び出してごめんなさいね。あなたにお話ししたいことがあって…
失礼だとは思ったけど、協会の方にお願いして、呼んでいただいたの」
「……あのっ……わ、わたし…」
だがアニィは、恐怖と罪悪感と自責の念から、彼女の目を見ることができなかった。
夫人はそれに気づき、アニィの肩に手を置いて、諭すように優しく言い聞かせた。
「わたくしはね、あなたにお礼を言いに来たの」
「なんの、ですか……」
アニィは夫人の視線から逃れるように顔を逸らす。
「わ、わたし、お礼を言われることなんて……」
「いいえ、助けてくれたでしょう。それにこの街の人でもないのに、あの怪物と闘ってくれたわ」
「助けてなんかない!!」
叫び、アニィは夫人の手を叩いて払った。その目からはまだ涙がこぼれていた。
アニィは目元を何度も拭いながら叫ぶ。
「わたしは、街の人たちを、あなたのお子さんを見殺しにした…! 助けてなんかいません…」
「……」
「それに! ……それにあの怪物をやっつけたのも、ただのお金儲けの定期依頼だし…!
それだって、村で嫌なことがあったからって、憂さ晴らしみたいなものだから!!
…だからわたし、わたし…あなたが感謝してくれるようなことなんて、何もしてないから…
自分が良ければいいだけのゴミクズですから…お礼言われる筋合いなんて、無い…!」
夫人の言葉を遮り、アニィは一気に言うだけ言って、黙り込んでしまった。
沈黙の中、しゃくりあげるアニィの声だけが協会のロビーに響いていた。
傷が軽い者の中には、いたたまれなくなって外に出ていく者さえいた。
アニィの言葉は、利己的な側面だけを並べ立て、真実を暴かれ責められる恐怖を軽減せんとする、ある種の言い訳でもあった。
自分はこんな最低の奴だと、自らを卑下する言葉で、真実から無理やり目を逸らそうとしている。
―――少年とドラゴンを瓦礫の中から救い出したのは、まぎれもなくアニィの本心からの行動である。
だが助けられなかった。突き付けられた己の無力さに打ちのめされ、夫人の言葉を受け止められなくなる。
無力なのだ。何をやっても無駄だ。夫人の感謝によって、彼女の息子たちを救えなかった事実が、却って浮き彫りにされる。
ならばいっそのこと、最初からそんな気は無かったと、自分は薄情でダメな奴だ、仕方ないのだと。
アニィは自らへの罵詈雑言で、辛さをむりやり和らげようとしていた。
その方が楽だから。どうせ無力なのは事実なのだから…
ヘクティ村の住人たちの仕打ちで自己を肯定できなくなったアニィの、せめてもの防衛本能だった。
静かに状況を見守るプリス。悲し気にアニィを見つめるパル、パッフ、モフミーヌ、マルシェ夫人。
チャウネンだけが呑気に首をかしげている。
しばしの沈黙―――それを破り、最初に動いたのは、マルシェ夫人だった。
夫人はそっと近づき、アニィを抱きしめた。
「……何を………」
「辛い目にあったのね、わたくしには想像もできないほど。自らを罵らねば、心を護れないほどに」
「……!…」
夫人の指摘に、アニィは目を見開く。
「自分をそんなに罵る必要など無いわ。あなたはとても優しい人。
仮にあなたにそういう面があるとしても、事実として。あなたが助けてくれた息子たちが、助けてくれたのよ」
夫人はアニィの手を取り、自らの腹に触れさせた。途端、アニィの手に温かな鼓動が伝わる。
魔力を扱えるが故か、命の力という物を、不思議と感じることができた。
夫人は妊娠していた。
「わたくしと―――この子を」
ならば救われたという小さな命は、いつどこで、誰によって救われたのか。
アニィの疑問に対し、夫人が答えた。
「あの時、本当に襲われたのはわたくし。息子たちが突き飛ばして、怪物から救ってくれたの。
この子は夫との間にできた、最後の子…夫も以前、あの怪物に殺されたわ。同時にわたくしも足を噛みちぎられた。
息子たちはね、わたくしの2人の息子はね、この子も助けてくれたのよ」
「……でも…でもっ…!」
「あなたがあの子達の死を悲しんでくれるのは、正直嬉しいわ。
けれど、死んでしまいそうなほどに苦しむことは無い。一番悪いのは、あの邪悪な怪物たちよ」
そして夫人は、アニィの目を正面から見つめた。
「ありがとう。わたくしの子供達を、助けてくれて…」
夫、実の息子、そして1人の家族として愛したドラゴンを奪われ、一番悲しんでいるのはマルシェ夫人の筈だ。
だのに、ここまで気丈に言える彼女は、どれほど強い心を持っているのか。
どれだけ悲しみに耐えているのか。それを想い、アニィはまたも涙を流さずにいられなかった。
そんなアニィを、夫人は優しく撫でながら言う。
「たとえ誰が何と言おうと、わたくしは誇りに思うわ。
息子たちのことも、そしてあなたのことも」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を、アニィは自らの袖でぬぐいながら、彼女への感謝を伝える。
自身の行いを認めてくれたこと、新たな命とともに生き延びてくれたことに。
「あっ…あ――――――あり…ありがどう、ございばす…
ありがとう、…ございまず……!」
「―――アニィ!」
感極まって、パルもアニィに抱き着く。その背後でパッフも涙を流し、プリスはそっとアニィの頭を撫でた。
そしてその時、アニィは意を決した。ぐすっとすすり上げ、モフミーヌの方を向いた。
「…あの、モフミーヌさん。滞在許可をあと1ディブリスだけ、伸ばしてもらえませんか…」
「それは構いませんけど…何を…?」
「あの邪星獣…また明日、来ると言ってました。
…街の皆さんが危険なのは承知しています…けど、ここで迎え撃って、斃します」
邪星獣への恐れが表面化した住民に、邪星獣と闘う者がいる事実を知らせる。
この街の住民が、協会の会員たちがそれを見てどう取るかは判らない…
ただ、決して恐怖するだけの日々ではなくなるはずだ。
その言葉に最初に乗ったのは、親友のパル、そしてその相棒パッフだった。
「あたし達もやる! アニィ、止めないよね?」
「クルルっ!」
「パル、パッフ……うん。一緒に闘って!」
「まかせてよ! …で、プリスはどうするの?」
突然パルに話を振られ、プリスは面食らった。
特に返事はしなかったものの、当初からアニィの方針に任せるつもりだったのだ。
が、決意表明を見せてみろ聞かせてみろとばかり、パルはプリスの答えを求めた。
ここでいつものように思念を送って答えれば、マルシェ夫人には驚かれるだろう…と、少々面倒だったのだが。
何より、アニィの期待の目があまりにまぶしすぎる。答えぬわけにはいかなかった。
《―――やりますとも、もちろんやります。これでいいですか》
「あら、まぁ」
予想通り夫人は驚いたが、モフミーヌのように椅子から転げ落ちることは無かった。
商工会を取り仕切るマダムの肝は、プリスの予想以上に据わっていたのであった。
「お話しするドラゴンさんもいるのねえ…」
《やっと平和な反応が得られた。どいつもこいつも驚きすぎなんですよ》
「私達人類にはドラゴンは話さないのが常識なんですよ…」
ため息交じりにつぶやくプリス、じっとりした視線で睨むモフミーヌ。
幸か不幸か、彼女達以外は喧噪の中にあり、プリスの声に気付いた者はいなかった。




