第二十五話
「きさまあああああああああっ!!」
絶叫し、アニィは右腕に光の剣を発生させ、邪星獣を貫こうと突き出した。
だが邪星獣は乱杭歯で剣に噛みつき、押しとどめる。よく見ると歯は魔力で覆われている。魔力で挟んで止めているのである。
アニィの両目から涙がこぼれた。無力感と怒りが頂点に達し、アニィから冷静な思考を奪っていた。
《―――アニィ! アニィ、やめなさい!!》
プリスの叫びにも手を引かず、強引に押し込もうとするが、光の剣は僅かも進まない。
邪星獣は前脚を振り下ろし、アニィにたたきつけた。組み伏せられたアニィの体に凄まじい重量がかかる。
抜け出そうとするアニィに邪星獣は顔を近づけた。笑みを浮かべる乱杭歯と3対の目が、アニィを見下ろしていた。
ハ ハ ハ
わざわざはっきりと声に出して、邪星獣は笑った。それはかつて、アニィを嗤い続けた村人たちと同じ嘲笑だった。
―――ドラゴンに乗れない。魔術も使えない。異性に好かれるような器量の良さも無い。村の仕事も碌にできない。
なにもできない奴。何をしても無駄。努力も無駄。生きているだけ無駄―――
―――無力な奴―――
刻み込まれた心の傷を抉り出され、アニィは悔しさに唇を震わせる。
その様子を見て取ったプリスは、空中から邪星獣に飛び掛かり、後ろ脚の蹴りで吹き飛ばした。
轟音と共に倒れ込む邪星獣は、しかしすぐに起き上がり、いずこかへと飛んでいった。
マ タ ア シ タ 来 テ ヤ ル ヨ
それだけの言葉を残して。
残されたアニィは起き上がれず、倒れた少年とドラゴンの遺体を目の前にして、呆然としていた。
「ごめんなさい」
口を突いて出たのは、誰へともない謝罪の言葉だった。
「ごめんなさい…助けられなくて、ごめんなさい…
わたしなんかが、出しゃばったから……ごめんなさい……」
それは無論、少年の母に届くものでは無かった。だが、アニィは謝らずにはいられなかった。
それはかつて村にいた頃、村が求めたことを何一つできず、疎まれ、罪悪感に押しつぶされていた彼女自身。
自分ごときがこんなことをしていいわけがない。ゲイスや母が言う通り、身の丈に合わないことをした、その罰なのだ。
自責の念と自己否定に押しつぶされ、アニィは立ち上がることができなかった。
その日の夜。アニィ達はヤード・パック宿泊所に戻り、疲れ切った心身を休めていた。
パルが街の門番と協会と店主のヤードに頼み、この日の滞在を許可して貰ったのである。
特にアニィは、体の傷こそプリス達ほどではなかったが、立ち上がれぬほどに心が傷ついていた。
すぐに旅立つことなど、当然できるわけがなかった。
邪星獣の嘲笑が耳から離れず、少年と仔ドラゴンの遺体が脳裏から消えない。
ベッドに倒れ込んだアニィは、その光景を思い出すたびに涙を流していた。
横で話しているパル達の声が遠くに聞こえる。3人は邪星獣のことについて話し合っているようだ。
だが、今のアニィはその中に混ざる気力が無かった。
助けたはずの子供達が殺された。わずか一瞬、目を離した瞬間のことだった。
あの親子が協会へ向かうまで…あるいは戦場から立ち去るまで、見送るべきだった。
もっと言えば、避難を促すのが遅れてしまったせいでもある。
無数の視線に恐怖し、村にいた頃のことが脳裏によみがえり、一瞬だけ恐怖にすくみ上ってしまった。
(……あの一瞬で、もっと早くみんなに言えたはずだ)
自分の行動が遅れたあの一瞬が、たくさんの人々の生死を分けた。
どれだけの人が逃げ遅れ、命が奪われたことか……考えるだに、悔いずにはいられなかった。
(…わたしが弱いせいで)
置き去りにしたはずの過去に、自らがまだ縛られていることを、アニィは痛いほどに実感した。
そんな自分が邪星皇を斃しに旅に出ることなど、やはり間違っていたのか。
例えプリスのおかげで魔術が使えるようになったところで、結局心は弱いまま…
―――できもしねえくせに出てくんなっての―――
―――できねえんなら帰れよ、グズが―――
幾度も聞こえた罵声が、幻聴となってアニィを責め立てる。
耳をふさごうが、自信の記憶の底にこびりつくその声を防ぐことはできなかった。
アニィはそっと起きてベッドから降りた。
気付いたプリスに呼ばれるが、振り向かずにドアを開け、アニィは宿を出た。
暗い夜の街を一人で歩く。中心街に通りかかると、既に遺体はそこに無かった。
しかし掃除は間に合わなかったらしく、生々しい血痕がそこかしこにこびりついていた。
街の地図を思い出し、中心部から外れた場所、共同公園墓地の方へと歩く。
門を開けて墓地に入ると、無数に並ぶ簡素な墓碑が真っ先に視界に入った。
いずれは本格的に墓を作り、街全体で葬儀を行うのだろう。
(…あの子達が、この中にいる)
半ば見殺しにしたも同然の彼らの顔を、声を思い出す。
母と息子だけでなく、仔ドラゴンもまた間違いなく家族だった。
母親の目の前で、そんな幼い命を奪われたのだ。
彼らだけではない、余りにも唐突に襲い掛かってきた怪物に、いくつもの命が刈り取られた。
(わたしが…わたしがあの時、きちんと言えてれば…逃げてって、言えてれば…!)
全身の力が抜け、アニィは土の上に座り込み、しゃくりあげながら泣いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめ―――」
《アニィ》
突如、背後から声が聞こえた。いつの間にかそこにプリスがいた。
優しく笑うプリスに、しかしアニィは振り向くことができなかった。
プリスは墓碑を見回すと、胸のあたりに片方の前脚を軽く当て、目を閉じて頭を下げた。黙祷である。
《人間と言うのは、こんな風に死者に対して冥福を祈るそうですね。これでいいんでしょう?》
「………」
こくり、とアニィは力なくうなずいた。
しばし祈っていたプリスはゆっくりと頭を上げ、アニィを見下ろした。
うなだれたまま、アニィは動かずにいる。
「……幻滅したよね」
アニィの言葉に、プリスは僅かに首をかしげた。
「わたしね、あの村でずっと、ずっとずっと、何もできない子だったから。要らない子だったから。
その時のことに、まだ縛られたままなの。弱虫なまま」
《その辺は知ってます。あの願い事を聞いた時にね》
「ただ見られただけで、その時のことを思い出して、固まっちゃった……
わたしがドラゴンに乗れないって、わかった時の…村のみんなの、目が…」
《なるほど、そういうことだったんですか…》
暗くよどんだ内心のアニィの発言を、プリスはあくまでも軽く受け流した。
やはりドラゴンだけに、人間の心理は分からないのだろう。
普段高慢ちきなプリスは、アニィにだけは優しい。
それは彼女なりの気遣いではあろうが、あくまでも異種族としてという部分は抜けない。
「ごめんね。役立たずでごめんね、プリス…」
消え入るようなアニィのつぶやきに対し、しかしプリスはしばし考えた。
返答が無い事を疑問に思い、アニィが顔を上げると、プリスと目が合った。
まるで何も感じていないように、プリスは僅かにほほ笑みながらアニィに尋ねた。
《やめますか? 邪星皇討伐の旅》
え、とアニィは声を上げ、目を見開いた。
アニィを邪星皇討伐の旅に導いたのはプリス自身だ。彼女がそう問うということは、つまりプリスも同じ判断だ、ということか。
突然問われてアニィは答えあぐねた。役に立たないという自覚はある。
プリス、パルとパッフがいれば、そしてこれから同等の実力者に出会えば、邪星皇の打倒は不可能ではないだろう。
だが―――だが、村を出た時の決意は、決して消えたわけではなかった。
「…………っ……」
唇を噛みしめ、アニィは必死になって答えを押しとどめた。
自分はふさわしくない。身の丈に合わない。そんな自己否定が己の願いに蓋をしようとする。
だが、その蓋を吹き飛ばすほどの勢いで、旅を続けたいという欲求が湧き出てくる。
《即答できないってことは、どこかに続けたい気持ちはあるんでしょ》
「プリス……」
《その気持ちは大事になさい。だいたい、旅に出るって言いだしたのはあなたなんですから。
それに、呼んでる人もいるみたいですしね。ほら》
不意に、プリスは背後を振りむいた。墓地の外から何かが来る気配を、アニィも同時に感じた。
聞こえてきたのは足音…一つは人間の、もう一つはもっと小さな生き物のものだ。
小さな生き物は、座り込んだアニィの膝にしがみつき、尻尾を振った。
協会の受付にいたチャウネンだ。続いてやってきたのは、受付係のモフミーヌだった。




