第十九話
翌朝、朝日の光が差し込む部屋。アニィはとても心地よく目が覚めた。
隣のベッドのパルは、まだ枕に関節技をかけたまま眠っていた。
窓から隣の大部屋を覗くと、ちょうどプリスが目を覚ましたところだった。ふたりの目が合う。
アニィはつい気恥ずかしさから目を逸らしてしまったが、すぐに再び目を合わせる。
「おはよう、プリス」
《おはようございます。よく眠れました?》
「うん。おかげさまで」
自身が言う通り、アニィの頭の中は思った以上にすっきりしていた。
昨夜の空の散歩のおかげだろう。醜く薄汚い村への憎悪と怒りは、大地から高く離れ、月を眺めることで、いつしか消えていた。
ぐっすりと眠ったおかげで、体の疲労もほぼ全て失せていた。こちらはマッスルサーモンの疲労回復効果だ。
と、隣のベッドで気配が動いた。パルが起き上がり、ぼさぼさ髪で大きく伸びをしていた。
同時に、大部屋ではパッフが目を覚ました。眠たげに目をこすり、ゆっくりと頭を起こす。
「おー、おはよーみんな。よく寝たねぇー」
「クルル~」
パルとパッフが揃って朝の挨拶を交わす。アニィとプリスは、その息の合い方にクスリと笑った。
「それでパル、今日は具体的にどうするの?」
「うん。まず、金属加工業者のお店かな。それから武器を売ってるお店。
新しい弓とか、アニィの武器とか買おうよ」
《服も買っておいた方いいんじゃないですか? 出てきた時の一着しか持ってないでしょ》
そういえば、とアニィとパルは今の服装を改めて確かめた。
宿の備え付けの寝巻だが、普段着る服は全て洗濯に出してしまった。
このままではいざという時に心許ない。ただ、ここにいられるのは1ディブリス(1日)のみだ。
サイズを測る時間が惜しいし、荷物として持っていくには嵩張る。
「うーん…そっちは後でいいかなあ。着てきた服は洗ってもらったし」
《じゃあヴァン=グァドに着いてからですね》
全員でそう決めたところで、部屋のドアをノックする音が聞こえた。パルが返事をすると、続けて店主の声。
「お嬢さんたち、二人とも起きてるかい? 洗濯物と朝ご飯、ここに置いておくよ。
洗濯料は後で払ってくれればいい。朝ご飯はサービスだ、遠慮なく食べておくれ」
それだけ言うと足音が遠ざかっていった。
パルが扉を開けると、布袋に入った服一式、そして朝食のバルカンボアスープと焼きたてのパンがワゴンに置かれていた。
二人の腹の虫が盛大になる。ワゴンごと朝食と服一式を運び込むと、二人は朝食を食べ始めた。
柔らかな肉をとろけるほどに煮込み、それでいてバルカンボア独特の体温の高さが体を温めてくれる、朝食向きのメニューだ。
野菜もみずみずしく、柔らかなパンを浸すとスープが程よく沁み込み、味わいに深みが増す。
小食であるアニィの分は、昨夜の件から少な目になっていた。
《ところで、私らもお店についていっていいんですかね?》
そこで疑問を呈したのがプリスだ。何しろドラゴンの巨体故、人間の店舗には入れない。
昨日の厄介事引受人協会でも外から眺めるだけであった。
それだけではない、プリスはこのように会話ができるのである。
ドラゴンが人語を話すことなど、ドラゴニア=エイジにおいても史上初の出来事であろう。
日常的に会話しているだけのことを驚かれるのは面倒臭い、そう気にしているのだろう。
が、アニィは特に気にしていないようだった。
「うん。むしろ、プリスにはついてきて欲しい」
《いいんですか》
「だってわたし、プリスの『ドラゴンラヴァー』なんだもの、一緒にいたいから。
パルも、パッフが一緒の方がいいよね?」
「もちろん!」
「クルっ!」
パルとパッフは最初から連れ立っていくつもりでいたらしい。
プリスは苦笑し、アニィの願いを了承した。
《わかりましたよ。ついてってあげましょ》
「ありがとう、プリス…」
話が決まった所でアニィとパルは朝食を食べ終え、歯磨きに洗顔を済ませ、服を着替える。
センティと子供達が縫ってくれたマントも洗濯されて、すっかり清潔になっていた。
朝食の食器とワゴンを受付の店主に返し、パルが洗濯代を支払って部屋の鍵を預けた。
「昼過ぎくらいに一回戻ってきます。出るのはその後で」
「はいよっ。楽しんでおいで、二人とも」
「いってきます…!」
アニィが店主にぺこりと頭を下げ、二人は宿から出て、大部屋のドアの前に立つプリスとパッフと合流した。
最初に向かったのは、最初に決めた通りに金属加工業者の工場だ。
パルは村から持ち出した輝ける鋼の袋を持っている。これを鏃に加工してもらうのである。
ここでは持ち込まれた金属を加工し、客の注文通りの武器を作っていると、街のマップには書いてある。
いわゆる鍛冶屋である。看板には『スミス工房』と書かれていた。
「おじゃましまーす」
「お邪魔します…」
二人は恐る恐る薄暗い工房に乗り込んだ。分厚い鉄の床を踏みしめると、僅かに温かい。
プリスとパッフは入り口からのぞき込み、工房内を見回した。
金槌が硬い金属を叩く音。炎が燃える炉や熱された鋼鉄の温度。薄暗い工場はしかし、静かに熱気に満ちている。
熱源は工場の奥の大きな炉だ。防火用の革マスクで顔を覆った男女が、その前でかがみこんでいた。
熱して赤く光る金属の棒を金床に乗せ、大きな金槌で交互に叩いて均等に伸ばしている。金床、そして二人の金槌は高熱を発して赤くなっていた。炎の魔術を応用し、金属棒に絶えず高熱を与えながら叩いているようだ。刀剣類を作っていると一目で見て分かった。
「あら、お客さん?」
女の方がアニィ達に気付いて顔を上げ、男の肩を軽く叩いた。男はマスクごしでもわかる藪睨みで二人を見る。
わずかにおののくアニィとパル。それを見て、女の方が笑いながらマスクを外した。
「ごめんごめん、こんなんじゃただの怪しい人よね。ほらアニキも、マスク外しな」
「ん」
女に促され、男もマスクを外した。二人は兄妹らしい。柔らかい表情の妹に対し、兄は仏頂面だった。
「いらっしゃい。今日はどんなご用件?」
「ああ、はい。これで鏃を作って欲しいんです」
パルは抱えていた袋を二人に手渡した。兄が片手で受け取ると、予想外の重さにわずかに目を見開いた。
見た目は普通の少女パルが片手で持っていたことで、そう重くないと思ったのだろう。
兄妹は袋の中を覗き込み、目を丸くした。ここまで大量の金属片を受け取ったのは初めてのようだ。
「これは輝ける鋼だね。この量なら10万本分くらいはできる。
普通の獣や怪物を射る普通の矢なら、だけど」
兄妹は袋を作業台に置いた。重量に台が軋みを上げる。
妹の方がいぶかしむような顔でアニィとパルを、ついでいつの間にか窓の外から見ていたプリスとパッフを見た。
「作るのは構わないけど、まずどんな矢を使うのか聞かせてよ。
こんな大量の輝ける鋼、商売を始めるのでもない限り持ち込まないよ、普通」
パルとアニィ、プリスとパッフは顔を見合わせた。迂闊に邪星皇と邪星獣の事を話していい物かと、4人は決めかねている。
しばし考える4人。そこで決めたのはアニィであった。
「ちゃんと話そう。誤魔化して通じない矢を作ってもらうより、そっちの方がいい。プリス、いいよね?」
アニィに視線を送られ、プリス、パルとパッフがうなずく。
「そうだね」
「クル!」
兄妹は4人の会話を怪訝そうに見ている。パルは意を決し、アニィと視線を交わすと、説明を始めた。
「ドラゴンみたいなカッコしたバケモノ、お姉さん達は知ってる?」
「あ…うん。協会で定期依頼が上がってる奴だね。聞いたことがある。それがどうかした?」
「わたしたち、その親玉を斃すために旅をしてるんです」
「親玉! あれよりもっとでっかい奴!?」
アニィは妹の言葉に首を振った。
「正体は分からないんです。けどたどり着くまで、あの怪物と何回も会う筈ですから」
「…本気? おっそろしいバケモノらしいけど、そいつらと闘うってこと…?」
「うん! あいつら、絶対普通の矢は通じないからね。一発で何頭かぶち抜けるような奴が欲しい」
パルの必要とする物に、妹の方はすっかり目を丸くして驚いていた。
一方の兄は既に作り方を考えているようで、袋から金属片をいくつか取り出しては覗き込んでいる。
発想力と切り替えの早さは兄の方が優れているらしい。
すると兄は工場の奥へと突然向かった。戻って来た彼の手には、かなり太く長い矢が一本握られている。
彼はそれをアニィとパルに突き出した。
「ん」
「これは?」
「向かいの武具専門店に持ってって、これを見せると良いよ。これが引ける弓があると思うから…だって。
…アニキ、ホントにこの子の鏃を作るの…?」
アニィとパル、プリスとパッフは妹と兄を交互に見比べる。
なるほど、兄は無口なだけで善意の人であるらしい。そして妹は、通訳ができるほどの兄の良き理解者のようだ。
そして兄は、パルの宣言が本気だと、そして怪物…邪星獣退治ができる人物だと信じたようだった。
パルはありがたく受け取った。
「ありがとうございます!」
「アニキが決めたならしゃあないか…じゃあ鏃の方はまかせておきな。
あたしは妹のシィル・スミス、こっちはアニキのランス・スミス。よろしく」
妹のシィルがパル、兄のランスがアニィと握手した。
「あたしはパル・ネイヴァ。外のピンクのドラゴンがあたしの相棒、パッフだよ」
「アニィ・リムです。白い方のドラゴンが、私の……相棒の、プリスです」
アニィのややためらった言い方を、しかしスミス兄妹は特に気にしなかったようだ。
シィルが窓の外の2頭に向けて手を振ると、パッフが嬉しそうに手を振り返した。
一方で兄のランスは、アニィの手を取り上下左右から見ている。
「どしたのアニキ、何か気になるの?」
「ん……」
ランスが悪ふざけやナンパなどの目的でないのは、その目の真剣さから明らかだった。
不安になってアニィはランスに尋ねる。
「あの……わたしの手、何か…?」
「ん………」
ランスはアニィの手を放し、作業台の上で何かメモを書くと、アニィに手渡した。
掌らしき形と共にそこに書かれていたのは何かの材料のようだ。その上に書かれた店名は…
「……アムニット服飾店?」
「手袋の材料だね。アニィちゃん、あんたの魔術を上手く使うのに必要な道具じゃないかな」
「わたしの、ですか?」
ランスが重々しくうなずいた。もう一度アニィがレシピをよく見ると、その中に顕現石の名もある。
「これを見せて、作ってくれるように頼めってさ。多分魔術行使の補助器具だ。
アニキ、この子の魔術がどんなのか判ったの?」
「ん…」
ランスは再びうなずく。ただ確信は持てないらしく、眉をひそめて小さな声で唸っている。
一方のアニィは、自らの魔術がまだ安定しきっていないことを知っている。
ランスの武具を作る者としての直感が、恐らくはそれを知らせたのだろう。
アニィはプリスの顔を見た。プリスもランスの直感を信用したらしく、首肯を返す。
その返答を確かめ、アニィはスミス兄妹に向き直る。
「わかりました、後で行ってみます。ありがとうございます!」
「ん」
ランスが今度こそ納得したようにうなずいた。
そしてパルが料金を一括で前払いし、協会で会員証を受け取ってからまた来る旨を告げ、二人はスミス兄妹の工房を出た。




