第二話
ドラゴン。屈強にして優美な体躯を持ち、長い四肢で地を駆け背の翼で空を飛ぶ、『超生物』である。
表皮は一見して爬虫類に似た鱗に包まれているが、鱗は一枚一枚が磨き上げられた石の如く艶光りする。
頭部は前後に長めで、淡水にすむ大型の捕食生物に似て口吻が伸びている。
しかし長い首と合わせ、絶妙なバランスで美しい形を保っている。
その咆哮はどの獣とも似ない、風を思わせる音だ。
彼らが超生物とされる所以は、脊椎動物の基本的な体形に加えて翼を持つ所にある。
脊椎動物と同様の四肢と頭部と尾を備えた姿形に加えると、言わば腕が四本あるのがドラゴンの基本的な体形ということになる。
また睡眠はとるが飲食は一切なし、それでいて地上のいかなる生物をも上回る膂力を持っている。
更に、時として口から火や風を吐くこともある…という。
その生態を昔から幾人もの研究者が紐解こうとしたが、
今もってこれという研究結果は出ていない。
それでいて人と共に暮らす彼らは、神秘性と頼もしさを兼ね備えた存在である。
アニィはそんなドラゴン達を、そしてドラゴン乗りを、羨望の眼差しで見ていた。
それでいて誰かと目が合えばすぐに逸らしてしまう。相手の視線に侮蔑が籠っているのが判るからだ。
ここに自分がいるのは何かの間違いだ…いじけて縮こまろうとするアニィの肩に、パルが手を置く。
「学校いこ。子供らが待ってる」
冷たい視線から庇うように、パルは言う。
「……うん」
少しだけ早足で学校に向かう。パッフは途中で判れて牧場に向かった。
アニィの顔を見ると、子供達が歓声を上げて駆け寄ってきた。
その後ろからは教師の、ティッチ・センティが歩いてくる。
校舎の前に置かれた机に、アニィは描いた絵を並べた。
一枚一枚を手に取り、子供達は大喜びで絵を眺めている。
「すっげー…」
「やっぱ、アニィ姉ちゃんの描くドラゴンはカッコイイな!」
子供たちにとって、ドラゴンは憧れの的であり、それを精緻に描いたアニィの絵は大人気である。
アニィの隣に立つセンティは、子供たちの姿を嬉しそうに眺めている。
アニィとパルもまた、彼に勉強を教わった生徒であった。
「今日はまた、たくさん描きましたね。アニィ君」
「……はい」
喜ぶ子供たちと裏腹の落ち込んだ表情で答えるアニィを、彼は見逃さなかった。
「…無理はしていませんか?」
「いえ…」
「ならいいのですが…ああ、そうだ」
返答を聞いたセンティは、途端に申し訳なさそうな顔でアニィを見た。
「すみません、画用紙を切らしてしまったんですよ」
「…そうですか」
「申し訳ありませんが、来月まで待ってください」
アニィが絵を描いた画用紙は、この学校から貰ったものである。
村の中で半ばつま弾きにされるアニィが、少しでも気を紛らわせるようにと、センティと子供達から貰った物であった。
たまに来る行商から買った物らしい。
だが彼の言葉を聞きながら、アニィは内心で安堵していた。
通りすがった村の若者が、子供達や教師が絶賛する光景を鼻で笑っていたのだ。
絵を描くことは好きだった。子供達に喜んでもらえるのも嫌いではない。
だが、本当に自身がやりたいことかと言われたら…
やりきれない気持ちで、アニィは子供たちを見守っていた。
アニィは家に帰り、息を殺して静かにドアを閉めた。
そろそろ昼食になろうかという時間だった。
だがその小さな物音を、母のアンティラは聞きつけたらしい。苛立ちもあらわな声が聞こえた。
「どこでさぼってたんだ!!」
びくり、とアニィは縮こまった。
いつもこうだ。アニィが出掛ければ苛立ち、何もしなければ苛立ち、何かすれば苛立つ。
アンティラはアニィの一挙手一投足に対してすぐに苛立った。
だがアニィは抗議の声も上げず、居間に顔を出した。
「…すみません」
「早く。火」
かまどに火を入れろ、と簡潔な言葉と仕草だけで促される。
アニィはかまどの横に下がっている火起こし用の金属棒…現代のメタルマッチに似ている…と小さな金属板を手に取る。
かまどの中に重ねた薪の上に草の束を乗せ、その上で板で棒を何度かこすり、
飛び散った火花で着火すると、火は数秒間燃え、重ねた薪に燃え移って大きく燃え出した。
煙は煙突を通って外に排出され、炎の熱がかまどに広がり、鍋を温め始める。
それを見て、母は一つ舌打ちをした。
「…ったく。いつになったら魔術が使えるようになるんだか」
彼女は別のかまどの前にかがみこむと、網の上に捏ねた小麦粉の塊を乗せ、その下の薪に向けて手をかざした。
途端、薪が燃え出した。母が魔術によって燃焼させたのである。
この世界の人間は、体内に非物質型エネルギー『魔力』を持っている。
それを意志によって外側に出すことで原子に影響を与え、様々な現象を起こす『魔術』を使える。
魔力を体外に排出すると、自動的に炎や風などに変化する。この現象を、この世界では魔術と呼んでいる。
それぞれに得手とする魔術があるが、それ以外でも訓練によって様々な魔術が行使できる。
あくまでこの『非物質型エネルギー説』は仮説であり、ドラゴンの生態と同じく真相を解明できているわけではない。
だがそれによって生活が便利になることもあり、一般人はそんなことを追求しようとはしていなかった。
そして、アニィは魔術を一切使えないのであった。
そこへ父親のオンリ、姉のジャスタが帰ってきた。
オンリは狩りで若いドラゴン乗りを先導する、いわば引率だ。ジャスタはまだ見習いだが腕が良く、見込みがある。
オンリは狩りの経験が豊富で、時に大きな獣、時に素早い怪物を巧みに何頭も狩る。
今日も十頭近く狩ってみせたのだろう、布に包まれた大量の肉を抱えて帰ってきた。
また彼は若者たちを鍛える教師でもあり、今はジャスタの他、パルとゲイスに注目しているらしかった。
オンリは将来、パルかジャスタとゲイスを結婚させるつもりだと話していた。
「帰ったぞ、母さん」
「ただいまァ。ママ、お腹すいた! ご飯なに?」
「お帰り、あんた達。今日はバルカンボアの煮込みシチューよ」
かまどの上では鍋が湯気を立て、香ばしいシチューの匂いが室内に満ちている。
バルカンボアとは村の近辺に住む猪型怪物で、
高い体温と屈強な体躯から火山の名で呼ばれている。
頑強ながら高い体温によって肉が柔らかく、美味である。栄養価も高い。
ドラゴン狩りの獲物として最もポピュラーな怪物の一種だ。
「やった! シチュー!!」
「じゃあ手を洗ってこようか、ジャスタ」
「うん!」
会話だけを見れば、とても平和な光景だった。アニィが無視されていなければ。
家族の会話に混ざれず、アニィはかまどの前にかがみこんで火力を調整しながら、横目でその光景を見ていた。
オンリとジャスタが洗面所に向かうと、アンティラが目ざとくアニィの視線に気づく。
「何見てんだ、あ?」
すごまれて、アニィは目を逸らした。
「いえ…」
「あーあーあ。ドラゴンには乗れない、魔術は使えない、男っ気も無いから結婚の話も無い。
体はガリガリ、ウジウジして物も言えない、仕事もしない。
益体も無いラクガキばっかり、ガキどもに褒められて良い気ンなって、なんで生きてんだかねアンタは」
「……」
言われても困る…そう内心で思うが、アニィは言い返せなかった。
村の一般常識から踏み外していることの指摘は全て事実であり、家族の迷惑になっている。そう自覚しているからだった。
両親にも姉にも、物心ついたころから名前を呼ばれた覚えは無かった。
こうして罵詈雑言をかけられるのならまだましな方で、父と姉に至っては完全に無視している。
アニィのもう一つのコンプレックス。それは魔術が全く使えないことだった。
学校にいた頃の検査でも、魔力が微塵も検出できなかったのである。
人によっては訓練で魔力を増幅することもできるようだが、不幸にしてアニィには当てはまらなかった。
そして彼女は異性になど興味は無く、内気なこともあって浮いた話は一つも無い。
ドラゴン乗りの男女が将来は結婚か、などと言ったうわさなど、当然アニィには縁のない話だった。
つまるところ、アニィはこの村で求められることが、何一つできていないのだ。
ドラゴンに乗れない事と魔術が使えない事から、役立たず呼ばわりされたのがきっかけだった。
だが決して、彼女が自分の意志で拒んでいるわけではない。
できないものはできない。それだけのことである。
だが、それをこの村の閉塞的な社会が許さなかった。
程よくシチューが煮立ったところで、アニィは立ち上がり、居間を出た。
その背後から家族のにぎやかな声が聞こえる。アニィを放り出した団欒の声が。
アニィは暗い瞳で居間を振り返った。
「…お腹、空いてないなあ。今日も」
言い聞かせるようにつぶやくと、腹の虫が鳴いた。
しかし、あの中に自分の居場所は無いからと、アニィはそそくさと自室…
家の外の古い物置に寝具を持ち込んだだけの部屋に籠った。新しい物置小屋はまた別にある。
幼い頃には姉と同じ部屋を使っていたのだが、いつしか追い出されてここにいた。
扉を閉めると薄い寝具に横たわり、空腹と床の硬さを感じながら暗闇の中で目を閉じる。
夕方まで眠り、その後目覚めたらしばらく物思いにふけって、真夜中に残り物の夕食を少しだけいただき、それからまた眠る。
栄養不良の原因になる、不規則な食事だ。だが家族の中に割り込むよりは、遥かに気が楽だった。
無理やり眠ろうとして、そんな環境でも眠れるものなのだから、慣れとは恐ろしい物だとアニィは感じた。