第十四話
アニィ達は門番の前に降り立った。門の看板から、この港町の名が「シーベイ」だとわかった。
他に門を通ろうとする者はいない。
通行証や手形、身分証明書の類は持っていなかったが、いかにして町に入ろうというのか…
アニィとプリスは不安げにパルを見た。
が、パルは単純に自分たちの名前と住所を説明しただけであった。
ややこしい手続きでもあるのではないかと危惧していたアニィ達は、拍子抜けしてしまった。
パルが受け取ったのは、1ディブリス(1日)滞在許可証と町の地図だけであった。
門番が門を開け、アニィ一行は町へと踏み込んだ。海が近いためか、潮の匂いがする。
初めて見た地元以外の光景を、アニィとパルは思わず呆然と見回してしまう。
門の向こうに広がっていたのは、石畳が敷かれた道、石と固めた土と木材で作られた家や店の建物。
店舗の種類を示す看板の数々。特に道路など広く、プリスとパッフが並んで歩いても、全く窮屈さが無い。
狩猟や行商との物々交換だけで生計を立てていた村とは大違いだ。
その次にアニィが気づいたのは、邪星皇が活動を開始したのにもかかわらず、この街が無事であるということだ。
街には破壊の痕跡がなく、道行く人々もごく普通に生活しているように見えた。
だが―――わずかに、本当に僅かに、翳りを感じた。
(……恐怖を隠してる顔だ…)
出立の直前、邪星獣に襲われたヘクティ村の人々と同じ表情が、どことなく垣間見える気がした。
その隣で、パルとプリスが話す声が聞こえる。
「こんな街は初めて見た…あの村相当遅れてんだなあ」
《え? あなた、手続きに随分慣れてる感じでしたけど。他の村や町には?》
プリスに問われ、パルは悪びれずに答えた。
「今日この瞬間が初めてだよ。手続きは行商のおじさんに聞いておいた」
「そうなんだ。わたし、行商の人がどうやって村に入って来るかも知らなかった…」
普段は殆ど家に籠るか湖にいるかの生活ばかりのため、アニィは世の中の様々なことに疎い。
店の看板の絵のことも、殆どが何を現わしているか判らないほどだ。
村に閉じ込められた生活の弊害を、パルとパッフはつくづく実感していた。
外に出る機会があったネイヴァ姉妹はともかく、アニィは自分にそんな資格など無いと拒んでいたのである。
「それでパル、ここで何をするの?」
「もう少し武器や何かを買うのと、定期的な収入源の確保」
「収入源? ここに住むの?」
アニィとプリスは顔を見合わせた。
パルが持ってきた金額はそれなりになるのであろうが、さすがにそれだけで旅の終わりまで保つわけが無いのは理解している。
しかし定期的な収入を得られる仕事など、邪星皇を斃すべく世界を渡る旅の中で就けるのか…。
「ううん、旅をしながらの仕事。依頼されたお仕事を旅の途中でこなして、各地でその報酬をもらう、って奴」
「そんなのあるんだ?」
「これから行くのがそこの事務所だよ。『厄介事引受人協会』だってさ」
《厄介事ぉ? 旅の邪魔になるようなことじゃないでしょうね?》
「クルル?」
難色を示したのはプリスだ。今回の旅を言い出したのは彼女である。邪魔されてはたまらぬというところである。
その辺どうなのさ、と言いたげなパッフに対し、パルは地図を見ながら答えた。
「最近あちこちに怪物が出てるから、それを退治してほしいってのが、定期依頼に出てるんだって」
「じゃあそれを移動先でこなしていけば…」
《各地の支部から報酬をもらって、我々の経済は安定、フトコロが温まるわけですね》
感心するアニィに対し、プリスの発言が妙に生々しい。言っていることは間違っていないのだが。
しばらく町を歩いていると、店先に剣と盾の絵の看板を掲げた大きな建物に辿り着いた。
パルが地図と看板を見比べてうなずく。ここが『厄介事引受人協会』らしい。
アニィとパルは相方の背から降り、分厚い木のドアを開けて店内に踏み込んだ。
プリスとパッフは外で待機することにした。先客が連れてきたらしいドラゴンが建物の横に集まっている。
「お邪魔しま…」
ドアを開けたアニィの声が控えめなのは、先に集まっていた客の雰囲気に押されたせいだ。
どうやら荒くれ者ばかりが訪れているらしく、清潔な身形であってもギラギラと目が光っている。
村にいた連中など比較にならない、荒んだ心が両目に現れていた。
戦場で命と尊厳を捨てて戦う者達特有の目だ。アニィとパルは、外に出るとそっとドアを閉じた。
「プリス、怖いよ…!」
「………も、もちょっと穏便そうなところ探そっか」
《いやいやいや、ここで定期依頼を受けないとサイフがいつか永久凍土になっちゃうんでしょ?
しっかりしなさいよ二人とも!》
「クルっ!」
妙に豊かな語彙で発破をかけるプリス。
パッフも頑張れと言わんばかり、両前足をグッと握って二人を応援する。
「そ、そうなんだけど…わたし、こんな所…」
「―――あの、どうかなさいました?」
恐怖からアニィは泣きそうになる。
しかし幸か不幸か、そこにドアを開けて受付係らしき女性が顔を出した。
透き通った鉱石の眼鏡をかけ、髪を三つ編みにし、清楚で知的な雰囲気を漂わせている。
中にいる荒くれ者たちよりは遥かに話が通じそうだ。アニィとパルは顔を見合わせ、意を決した。
「あの、あたし達、定期依頼っていうのを受けに来たんです。でも会員証が無くて…」
「なるほど。かしこまりました、ではまず会員証を発行いたしますので、中にお入りください」
女性に連れられてアニィとパルは建物の中に入り、奥の受付席に座った。
待合室とは壁で区切られた小さな部屋だ。窓からプリスとパッフが覗き込む。
剣呑な視線がアニィとパルに集中した。恐怖にアニィは縮こまる。
座って向かい合うと、係の女性が二人に自己紹介する。
「改めまして、わたくし受付のモフミーヌ・ビッグワンハウスと申します」
「アニィ・リムです…」
「パル・ネイヴァです。お世話になります」
「アニィ様に、パルさまですね。よろしくお願いいたします。
ではまず、当協会について説明いたしますね」
モフミーヌは協会の概要が書かれた厚紙を二人の前に出した。
「当協会は、一般市民から国家の機関まで、様々な方がお悩みの『厄介事』の解決を目的としております。
お掃除のお手伝いから、怪物の退治まで。
登録済み会員が自己の力量と照らし合わせ、依頼を受理して解決するお仕事となります」
ふむふむ、とアニィ達はうなずく。と、パルがここで手を挙げた。
「あたし、冒険者ギルドっていうの聞いたことあるんですけど。
この『厄介事引受人協会』って、それと何か違いはあるんですか?」
冒険者。他の国家にはあるという、何がしかの仕事のために危険な依頼を受け付ける者…あるいはそれ自体が目的という自由業。
冒険者ギルドとは、そんな冒険者たちのための、互助会ないしは後援組織である。
この協会の仕事はそれとよく似ていることに、パルは気づいたようだ。
モフミーヌは少し思案してから答えた。
「そうですね。実際の所、ほぼ同一の事業を行っております。
依頼者の方と会員の仲介や、会員のサポートも行っておりますし」
「でも別の組織なんですね?」
そうなんです、とモフミーヌはうなずいて説明を続ける。
「言ってみれば下位互換の組織ですね。その分民間からの依頼を積極的に受けるようにしておりまして。
そのために『厄介事』という、少し敷居の低い名称にしております。
ただそういう協会の姿勢もあって、外国の冒険者の方から低く見られているみたいですね…」
苦笑するモフミーヌ。
要するに、依頼を受ける対象がプロフェッショナルか民間か程度の違いのようだ。
納得した二人に、モフミーヌは依頼の詳細を説明する。
「依頼は二種類ございまして、一つ目は受注依頼。
一般のお客様からの投書、あるいは直接の依頼です。基本的には一度解決すれば終わりです」
「もう一つは?」
「定期依頼です。お二人がご希望されている方ですね。
こちらは一般の方以外に、国家の省庁、動物愛護団体、商会などからの依頼が主になります。
定期的に行う事務や、絶えず出没する怪物の退治などが当てはまります」
続けて二人の前に出された書類は、会員規約を記載した同意書だ。
「お二人は未成年かと思いますので、原則として保護者の同意を得てからの発行になります」
書類に記載されているのは、まずは命の危険が常に伴うこと。
反社会的団体に所属する人物は入会できない事、協会に対しての背反行為を禁ずること。
依頼を1ネブリス(1年間)全く受けない、もしくは受けても同期間放置した場合は会員証を取り下げる可能性があること…
などが記載されている。その中の一つが、未成年の入会にあたっての保護者の同意の件だ。
だが、パルの両親は既に亡くなっており、アニィに至っては両親を自ら捨ててきた。
規約を遵守するとなれば、どちらも同意は得られない。
「得られなかったら、入会はできないんですか…?」
未成年であるという事実が枷となる可能性がある…醜い家族からの解放を望むアニィにとって、それは大きな痛手だ。
だがモフミーヌは、規約書を指しながら説明する。
「いえ、入会希望者の事情を考慮して、あくまで『原則的に』なんです。
保護者の同意なしの入会をご希望する場合、協会による身元引受に同意が必要になります」
「それってつまり、協会があたしたちを保護してくれるってこと?」
「そうです。入院等で出費が必要になれば、協会の名義で料金を支払います。
ただ、その分は報酬からの天引きになります。成人していればご自分で出していただけるんですが…」
あくまでも身元を保証するだけの立場らしい。手厚く保護してくれるというわけでもないのだろう。
それでも家族抜きに入会できることは、アニィには好都合であった。
「パル、わたしはそれでいいと思う」
「アニィがそうならいいよ。じゃあお願いします」
「かしこまりました。ではお二人とも、こちらに魔力押印をお願いいたします」
そう言ってモフミーヌが二人に差し出したのは、掌に収まるサイズのプレート二枚だった。
会員証のひな形である。魔力押印という聞いたことの無い言葉に、二人は首をかしげた。




