第十二話
この村で生活する中で出したことも無い、初めての怒りと憎悪の叫びだった。
「お父さんも姉さんもゲイスも、弱かったからあの怪物にひどい目に遭わされたんだよね! 弱いんじゃ仕方ないよね!!
弱虫によく似合ってるよ、その格好! 良かったね、お父さんが本当は威張り散らすだけの弱虫だって、みんなに判ってもらって!!」
「なっ…お前……」
「お母さんが無傷なのは、一人でずっと隠れてたからだよね!
家族をだれも助けようとしないで、一人で! 臆病で卑怯だから仕方ないよね!!
それに姉さんだって、体は無事じゃない! ちゃんと血統は残せるじゃない! 顔なんてどうでもいいんでしょう!
姉さんにちゃんと言ってあげてよ!! 血統を残すには、お前の体さえあればいいって!! 顔はぐちゃぐちゃでもいいって!!」
その言葉にアニィの家族、特にジャスタが怒りを見せた。
酸で焼けただれた顔が更に醜くゆがむ。彼女の内面をむき出しにした表情だ。
だが、アニィがそれらの罵詈雑言をどのような気持ちで吐き出しているのか…それを理解しているのは、パル、チャム、センティだけであった。
アニィの両目からは怒りの涙がこぼれていた。これまで押し込めていた怒りを、彼女はこの場で全て叩きつけようとしている。
決して暴力的な人間ではないアニィが、これほど感情を爆発させるのは初めてであった。
「みんなそうだ! あなた達が弱いとか臆病とか、そんなのはどうでもいい!
でもそれはあなた達の責任でしょう! わたしの知ったことじゃない!
自分達だけで何とかすればいいじゃない! わたしにその弱さを押し付けないでよ!!」
「黙れ愚図! 貴様の発言なぞ赦しては」
「その愚図に頼らないと、もう生きていけないんだよね?」
図星を突かれ、オンリは黙り込んでしまった。
アニィの顔が不安定にゆがむ。嘲笑、怒り、人を罵ることの罪悪感、解放の喜び、全てが彼女の頭の中でぐちゃぐちゃになっていた。
これ以上放っておいては、アニィの心が壊れてしまうかもしれない…パルは止めようとしてアニィの肩を掴むが、振り払われてしまった。
プリスは放っておけと視線で遮る。アニィの心を解放するため、ため込んだ怒りと憎悪の全てを爆発させるべきだと、プリスは考えている。
パルもチャムも、その考えを理解して手を引っ込めた。
彼女達の目の前で、アニィはボロボロと泣きながら、怒りを吐き出し続けている。
「だったら死んだ方がいいよね、生きてたらわたし達が迷惑するだけだもの、あなた達に生きてる価値なんか無い。
わたしに迷惑なんてかけてないで、さっさと死んでよ―――さっさと死んでよ、殺すから!!」
空に向けてかざしたアニィの手の上に、巨大な光の球体が突如出現した。
アニィの両目には、明確な殺意が宿っていた。
善良であるはずの彼女に、家族であるはずのオンリたちが、人殺しを決意させたのである。
村人たちは逃げようとしたが、球体から放たれた光の糸が彼らを全員押さえつけた。
センティは子供達をかばい、チャムとフータはパッフにしがみついている。
パルは、これほどまでの殺意と憎悪を抱えたままにさせてはおけぬと、プリスと同じく敢えて放置することにした。
止めてしまえば、アニィが抱き続けた怒りを否定することになってしまう。
球体を見て怯えたゲイスとオンリがわめいた。
「お前、関係ない奴まで殺すのかよ! それでいいのか!」
「ど、どうせできまい。お前はただの愚図だからな! やれるものなら」
「黙れっ寄生虫!! ―――ぁああああああああああッ!!!」
果たして怒りの叫びと共に、アニィは巨大な光球を振り下ろし、学校の子供達やセンティ、ネイヴァ姉妹を除く村人に叩きつけたのであった。
視界を奪う光、肉体を引き裂かれ爆裂する激痛、それでも意識を失わずにいるゆえの恐怖に、村人たちは絶叫した。
「あぎぃぃぁアアアアアア!! ああああえげべべべべ」
「いだい、いだいっ! だずけでべええええ!!」
「やべでえええ! あああばああばあばあばああああ!!」
「おぼっ、うぶぇえええ、おげぶぇえぇぇ!!」
「じぬ、じぬ、じぬ、じぬ、じぬ、じぬ、いやだばあああああ!!」
「ぎゃああばああああ、あーーーー! あ゛あ゛ーーーーーーー!!」
どの叫びが誰のものかも最早判らない、声だけを聴けば地獄絵図であった。
パルとチャムとフータ、プリスとパッフとセンティは悲し気な瞳でその光景を見た。
学校の子供達は恐怖に震え、しかしアニィの泣き顔を見たことで踏みにじられ続けた心の痛みを知り、中には同じく泣き出す者もいた。
周囲のドラゴン達もまた、痛まし気な表情を浮かべていた。
そして光が消え去った時―――そこには、光球直撃前と変わらぬ村人たちの姿があった。
否、その半分近くはあまりの激痛に白目を剥いて気を失い、残り四分の一は正気を失いおかしなことをつぶやいていた。
無事なのはオンリらを含む数人だけだった。そんな彼らも死すら生ぬるいほどの激痛に恐怖し、失禁しながら何度も謝罪していた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「ゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるして…」
息を切らし、アニィは両腕を下ろした。感情の爆発に心身が耐えきれなかったのか、彼女はこの短時間でひどく疲労していた。
倒れ掛かる体をプリスが支え、頭をパルが撫でる。心配そうにのぞき込むチャムとパッフ。
アニィは結局、村人たちを誰も殺さなかった。だが魔術をコントロールし、痛覚神経だけを強烈に刺激したのである。
結果がこの惨状だった。村人たちの魂に、アニィの絶大な怒りが、激痛への恐怖が刻み込まれたのであった。
もはや抵抗する意思も無い村人に、これ以上手を出す気はアニィには無かった。プリスもそれを察したらしい。
《…アニィ、もう行きましょう》
アニィはこくりと力なくうなずいた。
しばらく動けそうもないアニィを一旦置いて、パルとチャムが自分達の家の跡から、旅のためにまとめた荷物を取り出した。
中身からチャムの分の衣類や道具類を取り出し、二人分になった荷物をパルが背負う。簡素だが、旅の準備は整った。
アニィ達はヘクティ村の入り口の門までやってきた。
木でできた頑丈な門を押し開け、アニィとプリス、パルとパッフが外に出る。
外に出た2人と2頭は、チャム達の方に一度振り返る。と、チャムがアニィの手を取った。
「チャム?」
「あの、アニィちゃん。お願いがあるの。おてがみ書いて」
旅に出られない分、せめてアニィ達の旅先の事を知りたいのだろう。
そのくらいなら苦にはならない。アニィは切実なチャムの願いを引き受けた。
「わかった。定期的には出せないと思うけど、ちゃんと書くよ。約束する」
「うん!」
チャムはうなずき、アニィの手を放した。
と、今度はプリスとフータの目が合った。
「フニ~」
何かを訴えるように声を上げるフータに、プリスは反応に困ったように首をかしげる。
が、すぐに理解できたようだ。首肯で返答を返す。
《わかりました。それまでお嬢さん達を頼みます》
「フニ~」
「?」
首をかしげるチャムに、プリスはややぼかしながら答えた。
《一緒にここにいて欲しいそうですよ、お嬢さん。準備ができるまで》
「じゅんび…?」
チャムは隣にいるフータの顔を覗き込む。いつも通りにやや眠たげな、しかし妙に泰然自若とした顔だった。
発言の意味は分からないが、親友であるフータのことを、チャムは信用することにした。
そのチャムの頭を、パルとパッフが撫でる。
あまりここで時間を潰しては、出発が惜しくなってしまうのは判っているようだが、やはり離れがたいようだ。
「…じゃあチャム、行ってくる。留守番頼むよ」
「クルルぅ…」
ふたりがチャムから離れると、パルはパッフの背に、アニィがプリスの背に乗った。
旅立つ者、見送る者達、それぞれが名残惜しさを吹っ切る。旅立ちの時が来た。
「うん。行ってらっしゃい、ねーちゃん、アニィちゃん」
「チャム君たちのことは任せてください」
子供達も、いってらっしゃい、行っちゃいやだ、と騒ぐ。センティがそれを優しくなだめた。
「じゃあ行ってきます。後はお願いね、チャム」
「お土産、ちゃんと買ってくるから。期待しててよね!」
「クルル!」
2頭のドラゴンが翼を羽ばたかせ、宙に浮いた。羽ばたきによる風がチャム達の髪や服をなびかせる。
旅立つアニィ達を、地上に残った者達が手を振って見送る。
たちまちのうちにプリスとパッフは高度を上げ、飛び立った。
大地は豊かな緑に包まれ、青い海が太陽の輝きを反射している。アニィがずっと想像していた光景だった。
天から見下ろす大地と海。ほんの僅か上空に広がる雲、無限に広がる空。ついに手に入れた自由。
そして、その全てを叶えるきっかけとなった、白く輝くプリスの美しい姿。アニィの胸は高鳴った。
「行こう、プリス。邪星皇を倒しに!」
《ええ》
2頭のドラゴン、その背に乗る二人の少女が、遥かな空を行く。
アニィは彼方の行き先を見つめた。恐ろしいことも、悲しい事も待っているかもしれない。
だがプリスたちがいれば、きっと乗り越えられる。そんな希望を抱いて、アニィは高鳴る胸を押さえた。
この胸の高鳴りが白いドラゴンへの恋だと、アニィはまだ知らない。




