第十一話
アニィ達の視界の隅に誰かが立っている。
怒りに震える姿は、無様に叩きのめされたはずのゲイスだった。
どうやら誰かの治療魔術を受けたらしく、顔面の傷は何割かが治っていた。
一方、引き裂かれたズボンの代わりになるものは無かったのか、股間を隠すのはぴっちりした下着一枚だけであった。
「何でてめぇが『葬星の竜』サマと一緒にいんだよ。そいつに乗るならオレだろ、このグズが!」
ゲイスは大股でアニィに歩み寄り、襟首を掴む。唾を飛ばしながら、彼はアニィを威圧しようとしていた。
いつのまにか、彼女たちの周囲に村人たちが集まっていた。ほぼ全員がゲイスに同調し、アニィを睨みつけている。
切断された両脚に包帯を巻いたオンリ、それに付き添うアンティラ、包帯の間から醜くただれた顔が覗くジャスタの姿もあった。
当然、両親もゲイスと同じ意見である…表情からすぐに判った。
その視線の中、アニィはゲイスの腕を掴み、抵抗する。
「…やめて、ゲイス」
「何だこの手は? どけよグズ。化物を狩りに行くんだろ? だったら村一番のドラゴン乗りの、このオレの仕事だよなァ!」
いつもならアニィはここであきらめている。だが、行くと宣言した彼女の決意は揺るがない。
こんな下衆な男の暴言程度で引っ込むものではないのだ。
「オラ。さっさと謝れよ、横取りしてごめんなさいって…」
「やめて!」
迫るゲイスを、アニィは突き飛ばした。自身の腕力では抵抗にもなるまいと、アニィは思っていた。
だがアニィ本人にも予想外なことに、ゲイスは村人の数人を巻き込んで吹き飛んだのである。
無様に地面に転がり、ゲイスは呆然としてアニィを見ていた。
が、彼はすぐ我に帰り、再び立ち上がった。何かトリックでも使われたと思ったのだろう、またもアニィに迫ろうとする。
「げふ、げほっ…てめぇ、いい加減に…」
「ねえゲイス!」
それを呼び止めたのはパルであった。パルには先ほど怪物に叩きのめされた姿を見られているため、強気には出づらく、素直に立ち止まった。
一方のパルは、それこそ害虫でも見るような視線でゲイスを見ていた。親友に害を加える彼は、彼女にとってまさしくただの害虫である。
「な、なんだよ…」
「おほん。 ―――お尻、裂けてない?」
わざとらしい咳払いの直後の質問に、ゲイスの顔がたちまち青ざめた。
何のことかとアニィが混乱し、パルの顔を見た。パルは任せろとばかりにウィンクする。
事情を理解していないプリスが、パルに尋ねた。
《何です? この小僧の尻がどうしたんですか?》
「さっき怪物に襲われてね、お尻に―――」
「うわぁああああ!!」
焦ったゲイスがパルに飛び掛かったが、たやすく腕を掴まれて地面に叩きつけられた。その背に容赦なくパルが足を乗せる。
「お尻に手ズボズボ入れられてた。あたしははっきり見たよ」
《なるほど、邪星皇の手下が直接の攻撃以外の手段に出たんですね。聞いたことが無い話です。魔力の掘削でしょうかね?
調べてみる価値はあるかもしれませんね、何の動機でそんな事をしたか》
「パルてめぇ、ばらしたら殺すって言っただろうが!」
本当は未遂なのだが、パルにとってはどちらでも良かった。
パルの足の下でゲイスが叫ぶ。気が動転してか、彼はプリスが思念を伝えて会話していることに全く気付いていない。
ドラゴンを家畜程度にしか見ていない彼の事である、気づくわけも無かった。
そしてパルはといえば、踏みつけた足は一切どけずに、わざとらしく謝罪して見せた。
「あっごめぇーん。黙っててほしかったのって、ボコボコにされてビビってお…」
「やめろおおお!!」
「…しっこ漏らした方だっけ。あ、言っちゃった☆」
「てめえええええ!!」
顔色を赤やら青やらに変え、ゲイスは涙目でわめき立てた。
彼は焦りからか気が回らなかったようで、この反応によって、尻の件も含めたパルの発言を自ら事実と認め、しかも村人全員に知られてしまったわけだ。
舌を出して可愛らしく笑って見せるパルを、プリスは苦み走った視線で見返した。
《…あなた本当は悪党じゃありません?》
「親友のためならとことん悪党になってやりますとも。ねえチャム、パッフ」
「うん!」
「クルっ!」
姉妹に相方まで揃ってなかなか屈強な肝の据わり方である、とプリスは感心した。
ゲイスはもがいた末にパルの足の下から転がり出て、立ち上がった。
怒りと焦燥感に、顔がいつもの数倍醜くゆがんでいる。
怪物を相手にして枯渇したはずの魔力が多少復活したのか、彼の手に炎の塊が発生した。
「いい加減にしろぁ!!」
ゲイスは炎の塊をアニィに投げつけた。腕力で敵わないパルを避けたのが、彼の情けなさを現していた。
飛来する炎の塊をアニィは避けず、直撃を受けた。ゲイスがいやらしく笑う。が、直後にその笑みが固まった。
「…何ともない……?」
アニィの体には火傷どころか、焦げ目一つ無かった。皮膚も髪も、そして身にまとう服も無事だ。
ウソだろ、と村人の誰かがつぶやいた。ゲイスは人類でも抜きんでた魔力を有するはずだ。
それが、ただの人間のはずのアニィに傷一つ付けられない。
これにはアニィ自身も驚愕していた。一切回避しなかったのは、ゲイスの魔術を見た時から、何故か全く脅威を感じていなかったからだ。
一方のゲイスは、困惑と屈辱に震えていた。自身の魔術が通じないという、目の前の現実を受け入れられないようだ。
そこでプリスが解説した。
《村一番のドラゴン乗りでしたっけ。その程度のゴミクズがアニィに敵うと思ってるんですか》
「…は? ドラゴンが、しゃべ」
《アニィ、さっさと行きましょう。時間の無駄です。ええと…パルでしたっけ、早く荷物持って来なさい》
「うん。アニィ、行こうか」
パルはアニィを連れ、今度こそ荷物を取りに行こうとしたが、それを阻んだのはアニィの母アンティラの声だった。
「家族を置いていくってのか!」
アニィはその言葉に思わず足を止めた。
彼女の家族、父オンリと姉ジャスタは無残にも怪物に痛めつけられた。
再起不能の傷を負ったオンリ、美しい顔を破壊されたジャスタ。残されるのが母だけとなれば、生活は苦しくなるだろう。
金銭的なことだけではない。オンリは歩くことができず、ジャスタに至っては感染症の危険すらある。
何より、村自体がとうに壊滅しているのだ。このままでは生活ができない。
その状況を理解した上での、アンティラの叱責であった。
子供の頃から隷従を強いてきた母の声は、アニィを今再び縛り付けようとした。
「お前なんかどうせ役に立たないんだからね。ドラゴンがいなきゃ魔術も使えないくせに。
お前は父さんとジャスタの世話をするんだよ。それとも家族を放っておいて遊びに行くつもりなのかい、薄情者が!」
母の言葉を聞くまいとして、アニィは歯を食いしばり、耳を両手でふさぐ。
だが呪いのようにしみついた言葉が、抵抗の意志を削ぐ。
妻に続けとばかり、オンリもアニィに言葉をかける。
「そうだぞ。それに、お前には俺の血統を残す役目があるんだ。村と家のために尽くすのがお前の仕事であり幸せなのだ。
それを放棄して勝手にどこかに行こうなど、俺が許さんからな!」
朝まではゲイスとジャスタの子に期待していたはずの彼が、今では手のひらを返してこう言ったことに、パルは吐き気が催すほどの嫌悪を感じていた。
要するに、彼らは今後の生活苦を見越し、家族関係を盾にアニィに縋りついているのだ。
それでいて世話係と子を産むだけの役割を強要し、この狭苦しい村に閉じ込めようとしている。
そのうち、他の村人までが彼らに同調し始めた。
「ラクガキばかりしてた奴が、化物相手に何ができるってんだよ」
「バカにされても何も言わなかったしね。自分が弱虫だって判ってんでしょ?」
「ちょっとドラゴンに乗れたからって、調子にのってんのなぁ」
「おら、家に引きこもってろよ。俺たちが代わりに行ってやるから」
「どうせここにいても役に立たねえんだしなあ。どうだ、オレ達が相手しててやろっか? あ?」
彼らはアニィの自由を一切許さず、意志を一切認めず、自分達が楽に生きるための道具としてのみ存在を許している。
パルは怒りのあまり、村人たちを叩きのめしてやろうと一歩踏み出した。
が、アニィがそれを手で制する。自分でどうにかする、という意思をアニィがみせた。パルもチャムも、口出しは止めた。
「…この期に及んで…あなたたちは」
「黙りな! お前に世界を救う英雄なんて似合わないんだよ。ちゃんとこの村で」
「―――その格好よく似合うね、お父さん、姉さん!!」
アニィは顔を上げ、アンティラの言葉を遮って叫び、居並ぶ家族を正面から見つめた。




