第一話
新シリーズ始めました。
今回はドラゴンを題材にしたファンタジーです。
ドラゴニア=エイジ8225年、人々と超生物『ドラゴン』の共同生活は既に日常的な光景と化していた。
人々は村、街、国家でドラゴンを飼育し、物資や人の運送、狩り、力仕事などに用いていた。
ドラゴンも特に人類に牙を剥くことなく、両者の共同生活は安定している。
つまるところ、ドラゴンの存在しない、ドラゴンと協力しない生活と言うのは、
既に人類にとって考えられない物になっているのである。
そんな世界の小さな村…ヘクティ村の外れの湖畔で、少女アニィ・リムは、空を舞うドラゴン達を絵に描いていた。
束にして重ねた一番上の画用紙に、鉛筆で描かれた線画があり、それを薄く絵の具で塗っていく。
芸術的でこそないものの、そこに描かれた遠い空を舞うドラゴン達は、確かな存在感を放っていた。
近くに人影は無い。アニィは、ここで一人絵を描いて時間を潰していた。
近くにありながら、村からここに来る者はごくわずかだ。
他には狩りの帰りに立ち寄り、休憩してドラゴンに水を飲ませるドラゴン乗りくらいだろう。
そしてその数も多くはない。すぐ村に帰って、収穫を農場や精肉工場に運ぶ必要があるからだ。
「…いいなあ……」
絵を描き終えると、アニィは横になった。
爽やかな香りのする柔らかな草が、彼女の細い体を受け止める。
艶やかな黒髪がそよ風になびき、陽光を反射して銀色にきらめいた。
ライダーを背に乗せたドラゴン達が、彼女の上空を飛んでいく。
ゴォォォォン…と、ドラゴン達の咆哮がはるか遠い空に響く。
深い谷に吹く風を思わせる、低音だが爽やかな、ドラゴン独特の声だ。
自分自身がドラゴンを駆り、遥かな空で魔術の光を輝かせる姿を、絵を描く間にアニィはいつも夢想している。
美しいドラゴンの背に乗って天から大地を見下ろし、困っている人を見つければ魔術で悩みを解決。
悪い怪物がいたら、魔術で撃退する。狩りよりも楽しい、子供じみた想像だ。
だが、それは永遠に訪れない瞬間でもある。
ドラゴンを飼い、時に乗り回すことは、日常どころか自身の手足を動かすのと同じく生活の一部である。
この世界でのドラゴン乗りとは、特別な資格や称号ではない、ただ乗っている人物を指すだけの言葉だ。
そしてこの時間―――朝、太陽が昇り始めた時刻―――に、若者はドラゴンに乗って狩りに出る。
上空を飛ぶドラゴンに乗っているのは、アニィと同じく村に住む若者たちの集団である。
そして、アニィはその集団の中にいなかった。
思い出は子供の頃にさかのぼる。
通っていた学校で、他の子供達と共にドラゴンの背に乗ろうとしたときのことだ。
アニィが肩に手を触れると、何故かドラゴンが彼女から遠ざかったのである。
他の子供が難なく乗れたのに、アニィだけは拒まれたのだ。
何度乗ろうとしても拒まれ、結局無理だと判ったのはその7ディブリス(7日)後のことだった。
哀しい思い出に浸っていると、一頭のドラゴンが舞い降りてきた。
鮮やかなピンク色の鱗がつやめき、どこか愛嬌のある大きな目がアニィを見つけて輝く。
その背にはアニィと同年代の少女が乗っていた。アニィの数少ない友人、パル・ネイヴァだ。
長い髪を頭の横で結んだ、ドラゴンテイルと呼ばれる髪型が良く似合う、活動的な少女である。
共に空を飛んでいた他のドラゴン達は、彼女達にかまわず村に戻っていった。
「おーっす、アニィ」
「パル…」
「やっぱりここにいた」
パルはアニィの隣に座り、画用紙の束を手に取って眺めた。
その背後から、ピンクのドラゴンが人のような仕草で絵を覗き込んだ。
「お、良い絵じゃん」
「クルル!」
「パッフも好きだってさ」
パルとその相棒、ピンクのドラゴンことパシフィア、愛称『パッフ』も感心しているようだ。
パッフの鳴き声や仕草、表情は、他のドラゴンと比べてあどけなく、どこか小動物を思わせる愛らしい声だった。
対するアニィ本人はといえば、しかし浮かない顔で曖昧にうなずくだけだった。
「ん、ありがと…」
「子供達が喜ぶね」
「…ん」
パルに言われても、その顔は曇ったままだ。
パルはこのように言うが、自慢になどならないとアニィは知っている。
パルとパッフを見るアニィの目には、羨望と嫉妬、そして諦観が自然と混じる。
その視線に気づいたパルは、困った顔でアニィを見つめた。
そんな目をする時に親友が何を考えているか、パルにはお見通しである。
―――ここで絵を描くことがアニィの望みではないことを、パルはとうに見抜いている。
「…アニィ。村での仕事は?」
「……」
「ん、まぁいいけどさ! やりたくない仕事じゃ気乗りしないだろうし」
アニィがここに来るのは、仕事をさぼるためではなかった。
コンプレックスの原因である村から、僅かでも離れたいがためである。
アニィはドラゴンに乗れない。
恐怖から乗れないのではない。理由は不明だが、ドラゴンに拒否されるのだ。
ドラゴンの存在が日常と化したこの世界では、当然村の大半の人間から白眼視されている。
ここにいれば村からは解放される…アニィがそう思ったのは最初だけだった。
村の住人達は、アニィが狩りにもいかず、村での仕事もしていないことを知っている。
狩りに出た集団の中にも、残って村で仕事をする者達の中にも、その姿が無かったからだ。
ドラゴンに乗れないのなら村の仕事をすれば良い…そう考える者も多少はいる。
しかし、大半は彼女を出来損ない扱いしている。
若いのにドラゴンに乗れないなど、おかしいのではないか―――
そんな無慈悲な視線にさらされ続けてなお居座れるほど、アニィは図太くはない。
「どうしてかな。わたしには無理なのかな…」
「あたしはそうは思わないんだけどなぁ…こればっかりは真相が判らん」
「クルルゥ…」
パルもパッフも残念そうな顔をしている。
パルがこう言うのが慰めでないことは、アニィにも判っている。
アニィ自身も諦めてはいない。だが、乗れない物は乗れないのだ。
「ねーちゃーん、アニィちゃーん!」
「フニ~」
と、そこに毛玉のような生き物を連れた少女がやってきた。
少女は姉の傍まで駆け寄ると、毛玉と共にパルに抱き着いた。
「ねーちゃん、おかえり!」
「ただいま。チャムもフータも、いい子にしてた?」
「うん!」
「フニ~」
チャムはパルの妹である。姉と二人で暮らしており、アニィにもよくなついている。
黄色地の豊かな体毛に黒い縞模様の、ぬいぐるみのような生き物…フータは彼女の友達だ。モフルタイガーという動物らしい。
チャムは一頻り姉にしがみつくと、顔を上げてアニィの方を見た。
「アニィちゃん、学校の子供達が待ってるよ。早く絵ぇ見せてって!」
「うん。じゃ、戻ろっか」
「アタイも見たいな、アニィちゃんの絵!」
ヘクティ村の学校の子供たち、そして教師は、ネイヴァ姉妹以外でアニィの絵に喜ぶ数少ない住人だ。
救いがあると言うべきか、他に理解者がいないと言った方がいいのか。
アニィがどうにか村にいられるのは、彼らの存在ゆえでもあった。
アニィはネイヴァ姉妹とパッフの後についていき、村へと戻る。
丁度狩りに言った若者たちが獲物を下ろしている所に出くわした。
獲物は村の精肉工場(と言っても捌いた後は干したり塩漬けにしたりする程度である)に運ばれ、
ドラゴン達は専用の牧場に戻る。ドラゴンを連れた若者たちは誇らしげであった。
「見ろよ。今日は特にでかいのを狩ってきたぜ」
その中心で、大型の獲物を見せびらかす青年がいた。
彼の名はゲイス。村の若手ではもっとも上手くドラゴンを乗りこなす男だ。
ドラゴンを従え、勇猛果敢に巨大な獣に挑み、常に一撃で仕留める…と、いつも自慢している。
取り巻きの男女は常に彼を称え、誉めそやしている。
今日の獲物は体内に発電器官をもつ大型の獣、ボルトグリズリーらしい。それが十頭ほど。
ドラゴンの背に乗せたそれを、彼は軽々と担ぎ上げて周囲に見せびらかした。
その視線はアニィとパルにも向けられた。
「よぉ、グズ。またサボってたのかよ」
彼がそう言うと、取り巻きはげらげらと嗤った。下品な声だった。
ゲイスの揶揄はパルにも向いた。
「パルもよォ、腕はいいんだよなぁ。グズやらガキなんかと遊んでないで、もっとでけえ獲物を捕れよ」
「はいはい。ノロマな獲物を狙う腕はあんたに敵いませんよ」
だが、パルは無視して通り過ぎた。その言葉にゲイスの口元がわずかに震えた。
パッフの背に乗っているのは、大型の鳥類サイクロホークであった。
ドラゴンでも追いつけぬ超高速で飛ぶ上、後方に渦巻く気流を発生させるため、矢を射るのは至難の業である。
ボルトグリズリーよりも体格こそ小さいが、狩るのは遥かに難しく、この村の若者たちには忌避されている。
だがその背に刺さっているのは一本の矢のみ。パルとパッフはたった一射で仕留めたのだ。
ついでに言えばボルトグリズリーは筋肉量に比して動きが遅く、強靭な膂力と皮膚の頑強さへの対策さえ立てれば、狩るのは簡単だ。
よく初心者のドラゴン乗りの練習台にされている。
アニィは心配そうにパルの顔を見るが、当のパルは平気な顔をしていた。
そして通り過ぎたところで、二人の間にいるチャムが振り返り、んべっと小さな舌を出した。
パルにとって、ゲイスは取るに足らぬ相手である。
そして、そんな彼らに目を向けることなく、地上に降りたドラゴン達は悠々と放牧場に戻った。