3月24日 片川亮太
昨日の契約打ち切りになった会社の整理をしていた。あんな形になるとは思いもしなかった。トラブルがあったとはいえ、まさかな、、、、。悔しさと無力感でいっぱいになっていた。資料に目を通していると、中村が契約にこじずけたことがわかった。契約日は、4年前になっていた。まだ、俺が入ったばかりの頃だ。
4年前は、まだ研修が多く、今みたいになるなんて考えもしなかった。同期の青野、今市、森川とよく飲みに行っていた。あの頃は、延々と先輩の悪口を言ったものだ。俺は、ずっと社長をディスっていた。あの頃は、まだ社会人になったということすら実感しておらず、よくわからない日々を過ごしていた。
入社当初は、いつも同期と比較されていた。特に、青野とは同じ部署ということもあり、いろいろ言われた。青野ができて俺ができないなんてこともざらにあった。ただ、2年目から青野の部署異動とともにこれから、大きく変わることになった。
あの頃は、まだ自分が責任者になるなんて思ったことなかったか俺は、好き放題していた。好き放題した俺を中村さんが怒らず、片川さんに怒られまくった。
片川さんには、挨拶と敬語。それだけだった。1日でも上手く使えていない日があれば、次の日は、確実に面談になった。面談では、何度も片川さんに反論していた。しかし、その反論全て却下されてしまう。結局、自分の責任になる。
営業の仕方や資料作成なんて全く教わらる時間なんてなかった。それでも、片川さんは、熱かった。いつもご飯に作ってくれたり、俺のこれからについて心配してくれた。一方、中村さんには、怒られない代わりに教えられたりもしなかった。3年目以降こそ、たくさん教えてもらったが、仕事のいろは、ほとんど片川さんの精神論だった。
片川さんは、体調不良で仕事をやめる結果になったが、彼に教えてもらって本当によかったと思う。仕事をやめてからも、1ヶ月に1回は連絡してくれた。4年目の今ですら、連絡してくれるとても優しい人だった。
今思えば、先輩に怒られるあの日の方が、今より数倍楽であることに気がついた。今は、ミスしても会社の誰かに怒られることはないし、失敗しても部下の責任にすらできる。でも、誰も自分を守ってはくれなかった。自由と孤独が入り混ざったピッチャーマウンドに立っている様な感覚に陥ってしまっていた。俺は、昨日、山本と話した内容をパソコンに打ち直していた。




