その頃兄達は
一方その頃【竜の顎】は。
巨大な繊維の集合体──マザーウィルと死闘を繰り広げていた。
飛び交う魔法の火線と爆発。爆炎と雷鳴がマザーウィルの肉体を吹き飛ばす。
しかしマザーウィルは肉体が損壊した瞬間から元通りに肉体を複元させる。
声帯器官を持たないマザーウィルは、激しく全身を震わせ魔力を宿した鱗粉を周囲に撒き散らす。
「来るぞ! 全員退避!」
アスベルの声に、リドとリティアが弾けるようにその場から離れ防御魔法を唱えた。
周囲を漂う鱗粉にマザーウィルが爆炎を放つ。
爆炎の火花が鱗粉に燃え移り連鎖的に弾け、炎の色が白に変わる瞬間、アスベル達の視界が白炎に染まる。
魔法とマザーウィルが持つ鱗粉を合わせた鱗粉爆発は、周囲に破壊を齎し大地を抉る。
広範囲にも及んだ爆発、その場に残されたのはマザーウィルの肉片と防御魔法に護られた【竜の顎】のみ。
自らの魔法に巻き込まれたマザーウィルの残骸に、決してアスベル達は警戒を緩めなかった。
それはまだマザーウィルが生きてるからだ。
「肉片を回収する!」
アスベルは指示と同時に弾けるように駆け出した。
地面に転がるマザーウィルの肉片を特殊な鉱石で加工された容器に入れ、
「こっちらも回収完了しましたよ!」
「俺の方もだ!」
二人の作業完了にアスベルは転移魔法を唱え、一党はその場から退散する。
その場に残されたのは蠢き出す肉片。
肉片は徐々に一箇所に集まり元の姿に戻る。
獲物が去った様子にマザーウィルは、静かに触手を揺らすばかり。
一ヶ月前に請けたクエスト、北部の山脈への道を触手で塞ぐマザーウィルの討伐。
アスベル達は拠点にしていた北部の町アルドラのギルドに向かうや否や、受付にマザーウィルの肉片を手渡す。
「あっ! 遂にマザーウィルの討伐を成し遂げたのですね! これで貴方達も伝説ですね!」
受け取った肉片に喜びを露わにする受付嬢にアスベルは顔を顰めた。
「討伐は無理だった」
「えっ? だって肉片を持ち帰ったじゃないですか」
「マザーウィルは不死の存在だったのよ。だから討伐は不可能」
リティアの説明に受付嬢の顔が青ざめる。
今までマザーウィルに挑んで帰って来た一党は存在しない。
どんな強者も返り討ちにしてしまう危険な魔物。そう、ギルドも国家も認定していたが前提が覆った。
どんなに強者が挑もうが、殺せない存在を殺す術は無い。故に何も知らず挑んだ一党は、倒した筈のマザーウィルによって殺されてしまうのだ。
加えてマザーウィルはあらゆる物理攻撃が通じない。通用するのは魔法のみ。
「それじゃあ……北部、あの山脈の向こう側は未知の領域のままということですか?」
「そうなるかな。けど、研究機関にマザーウィルの肉片を提供すれば何か突破口を生み出してくれるかもしれない」
だからアスベル達は最初の接敵で討伐を断念。方針を切り替え肉片の回収に及んだ。
肉片を三つ回収するのに一ヶ月の時間を費やした。
マザーウィルが扱う魔法、攻撃範囲と活動範囲。生態系を調べ、今日やっと一ヶ月の努力が報われたのだ。
「分かりました。この件は支部長に任せる形になりますが、宜しいですね? あぁ! 恐らく後日マザーウィルの研究成果次第では国から恩賞が与えられると思いますが……」
「それで構わないよ。あぁ、決してその箱を開けないように。開けるなら確実にマザーウィルを封じられる者達の側で頼むよ」
それだけ告げたアスベルは仲間を連れ宿部屋に戻った。
【竜の顎】が拠点にと確保していた部屋で、
「ふぐぅぅぅ!!」
アスベルは床に崩れ落ち、大泣きしていた。
決してクエスト失敗からの悔しさでは無い。
彼が泣く理由は一つだけだった。
「また泣いてるよこいつは……そんなに後悔すんなら最初から決めなきゃ良かったろうに」
リドの呆れた眼差しに、アスベルは涙に塗れた顔を上げた。
「だっでよぉぉ!! 寂しいんだよぉぉぉ!!」
「確かに寂しいですよね。本当に……あ、涙が」
リティアは頬を伝う涙をハンカチで拭く。
「だからあの時言ったろ? 本当にそれで良いんだな、後悔はしねえんだよな? って」
「言われたけど……リドだってあの決定には賛成だったろ」
「まあ、な。正直言って、後悔してないと言えば嘘だ。……本当は俺も寂しいよ。けどなぁ……」
リドはアスベルに眼を向け、言い淀んだ。
一ヶ月前、アスベル達はマザーウィルに挑む前に奴に付いて調べた。
奴に挑み散っていた冒険者達が遺した手掛かりを基に。
その中で発覚したのが、マザーウィルは魔法以外では傷付けられないという耐え難い事実だった。
そう、ユキナは魔法が使えない。
だからマザーウィル討伐に彼女を連れては、いずれユキナの身に危険が及ぶ。
無論、アスベル達もユキナの剣技がどれだけ優れているのかも理解していた。
アスベルとリドが十の魔物を殺す間、ユキナは淡々と十一の魔物を殺せる。
純粋な身体能力と最適な身体の動かし方だけで彼女は大抵の魔物は討伐できる。
しかしマザーウィルのような物理攻撃が一切効かない相手ではユキナはたちまち無力だ。
そして彼女が仲間のために無茶をするのも、身を挺することも明白だった。だからこその追放だった。
リドはそこまで思い返した上で、言い淀んだ言葉を紡ぐ。
「ありゃあねえよ。あの子に欠陥品なんて罵声はよ」
「私も驚きましたよ? 当初の予定では悪役を演じてまでユキナを一党から外すということでしたが……まさかあんな言葉を兄の貴方が使うなんて」
「ごめんよぉぉぉ!! 最低な兄ちゃんで本当にごめんよぉぉ!!」
二人の冷たい眼差しにアスベルは、ここには居ないユキナに涙を流しながら叫んだ。
もう一ヶ月前の話を今更蒸し返すのも阻まれたが、落ち着いた今だからこそ聞くべきだとリドは考えていた。
「で、何であんな言葉を?」
彼の質問にアスベルは涙を腕で拭い、
「悪役に徹するにはどうすればいいのか。ユキナは本当にいい子だから、ちょっとの事じゃあ離れないだろ?」
「確かにそうですね。あの子は、基本無関心ですから他人に欠陥品だと罵られようと気にもしませんからね」
「まあ、兄貴のお前に言われりゃあ話しは別だろうけどな」
「そう。だから僕は心を鬼にして言ってしまったんだよ、最低な言葉を、兄である僕自身があの子に対して!」
アスベルが心を鬼にして演技に走ったのは二人にも理解できた。
確かにユキナは、ちょっとのことでは動じない。
彼女が動じるとすれば幽霊と遭遇した時か、大量の昆虫に襲われた時ぐらいだ。
しかしこうも思う。大好きな兄に裏切られ見捨てられたと彼女が感じたのではないか?
事実彼女は裏切られたと感じているだろうか、それとも捨てられた事実だけを受け入れたのか。
今更だ。リドは自身の考えを自嘲気味に嘲笑う。
追放という選択を選んだ時点でユキナが傷付くことは理解していた。だから今更手紙を送ろうものならそれは単なる自己満足と言い訳に過ぎない。
発端はどうあれ結果が物を言う。なら【竜の顎】はいずれユキナを追放した対価を払わなければならない。
アスベルもリティアもそれが分かっているからこそ、手紙を送ろうとはしなかった。それに本来の目的も有る。
「……けど、もうユキナを連れ戻しても良いんじゃないだろうか?」
物思いに浸かるリドはアスベルの言葉に顔を顰める。
確かにユキナを危険から遠ざける目的も有ったが、実際それはオマケに過ぎない。
本来の目的が、自分達ではどうにもできない問題が有ったからこそ彼女を追放するに至ったのだが、果たしてアスベルは覚えているのだろうか?
そんな疑問にリドはコホン、と一つ咳払い。
「あー、本来の目的を忘れた訳じゃないよな?」
「…………もちろんだとも」
間を空け視線を泳がせるアスベルに、リドは深いため息を漏らす。
妹のことになるとコイツは果てしなくポンコツだ。
いや、アスベルだけに限らず自分もリティアもユキナに対しては甘く、ついつい甘やかしてしまう。
だからだ。だからユキナを追放するという最低最悪の結末を選んだ。
「今のままじゃあユキナは何処かで躓く。そんな未来を危惧したお前が忘れてんじゃねえよ」
「それに一ヶ月だぞ? もう誰かと一党を結成してるかもしれねえんだ、上手くやれてる場合俺達が壊す真似をするわけにはいかんだろ」
これ以上ユキナから奪って何になる? そう言った意味でリドはアスベルを咎めた。
「そうだった。……僕達以外の冒険者と一党を組ませる事であの子の世界を広げることが目的だった」
「えぇ、長年共に居た私達ではあの子の成長の機会を奪うだけですからね」
結局のところ【竜の顎】がユキナを追放したのは、彼女を想ってことだった。
ユキナが欠陥を抱えようとも彼らにとっては、問題になり得ない。
それこそ世間が欠陥品を抱える一党と軽蔑しようが、それで落ちる名声ならアスベル達は、その程度で落ちる名声など不要と断じるだろう。