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ハル

作者: 丸顔のうさぎ

季節の中では夏が好きだ。


何より薄着でいられるのが良い。Tシャツにショートパンツの軽装で、ビーチサンダルをつっかけて近くの公園を歩ける心地よさ。日が長いのも良い。仕事終わりに海を眺めながら、オレンジ色に染まる夕焼けを楽しめる至福。日が沈んだ後も、近所の子供たちが花火などをする姿を見ていると、何とも言えない平和な気持ちになれる。のびのびと肢体を伸ばし、ギラギラと輝く太陽の光を浴びる気持ち良さも良い。


ただ夏は少し物悲しい。秋が控えていることを常に感じてしまうからだ。解放的な暑い日々が間もなく終わりを迎え、次の秋が足早に過ぎると、私が最も忌み嫌う寒い冬がやってくる。そのことを考えると夏を手放しで喜ぶことができない。


そういった意味では、春が良いのかもしれない。例えば旅行に行く時、旅行の最中はもちろん楽しい。けれど準備をしている時のワクワクしている状態の方がより楽しい。四季の中での春は、私にとって旅行の準備期間のような、明るく希望あふれる季節なのだ。


だから春も夏と同じくらい好きだ。


彼に「子供の名前は何がいいかな?」と聞かれたとき、私はハルと言う名前がいいと答えた。漢字の「春」は女性っぽいけれども、カタカナの「ハル」なら女の子にも男の子にも使える名前だと思ったからだ。


もし自分に子供ができたらどんな名前にしようかな?と考えるのは、女の子なら誰でも経験することだろう。私ももちろんそうだった。若い頃は今で言うキラキラネームのような、凝った名前を考えていた。しかし年齢を重ねるとともに、他人が読めないような名前は、はた迷惑であると思うようになった。それよりもシンプルで、いろいろな意味が読み取れて、なおかつ呼びやすい名前にしたいと思うようになったのだ。


それには漢字一文字がいいと思っていた。


空とか、海とか、麦とか、そんな自然を表し、印象に残る名前が、自分の子供には合っているのではないかなと想像していた。


そんな中でも「春」と言う名前は私のお気に入りだった。穏やかな季節を表す言葉であり、なおかつこれから楽しいことが待っていると言う、希望の言葉でもある。それをカタカナにすることで、男女の区別なく使える上に、近未来的な響きがあるのではないかと思ったのだ。


彼にそう伝えて以来、ハルは私たちのまだ見ぬ子供になった。


彼と子供を作りたいと決めてから通い始めた不妊治療専門のクリニックで、私はいつもハルに話しかけていた。いつになったらあなたに会えるのかな?早く会いたいよ…と。婦人科独特の診察台で、足を大きく広げながらも、これでハルに会えるのであればと、恥ずかしさもいつの間にか消えていった。超音波の診療で自分の卵巣を見る時には、ハルを見つけようと目を凝らし、注射の時は「ハル、これで大きい卵になって私の中で育ってね」と祈りながら打っていた。


ある時2人で仲良くごろごろ横になっている時に、彼が私のお腹をさすりながら「ハル、早く出ておいでよ」と、待ち切れないような声でつぶやいたことがあった。私は少し感動していた。彼も私と同じ気持ちで、ハルに会うことを切望してくれていたのだ。そして私がいつも話しかけるように、彼もハルに話しかけてくれた。私も同じ気持ちなのよと彼に伝えたかった。でもそれを口にした途端に泣いてしまいそうで、口をつぐんでしまった。


ハルはなかなかやってきてくれなかった。


数年前のある時期、急激に痩せたことと、精神的に追い詰められたことで、私の女性のホルモンバランスが一気に崩れたことがあった。それ以来、女性の機能が落ちたようだ。不妊治療を再開しても、年齢的に難しいと言われていた。しかしドクターは可能性はゼロではないと言ってくれていたので、私は今月こそはと毎回通っていた。


不妊治療はお金がかかるとは聞いていたが、私はそこまでのインパクトを感じられずにいた。それがズルズルと何年もこの治療を続けられてしまった理由の一つなのかもしれない。私が心配していたのは金銭的なことよりも、自分の健康に対してだった。そもそもホルモン治療をやりすぎると、乳がんや子宮癌の疾病が起こる可能性が高いと言われていた。それ以上に太りやすくなり、なかなか体重を減らすことが難しくなってきていた。

自分はいつまでこの治療を続けられるのかと不安に思いながらも、そう思うことがハルに対して申し訳ないと感じ、もう少し続けてみようと、いつも自分を励ますのだった。


しかしやはり終わりはやってきた。


50歳になった年、私は別の場所に引っ越さなければならないことになった。それをきっかけに治療はもうやめようと決めたのだった。


皮肉なことに治療をやめますとドクターに告げた頃、53歳のタレントが子供を授かったことがニュースになっていた。一体どうやって赤ちゃんを授かったのか、そのタレントに直接聞いてみたい衝動に駆られたが、自分が辛い思いで決断したことは尊重しようと、自分自身を戒めた。


この事は彼には告げられなかった。


自分が満足に卵子を作れるような体でないことを知られたくなかったし、不妊治療を続けられないほどの年齢であると認識して欲しくなかったし、彼に未来を与えられない、不甲斐ない自分であることを目の当たりにするのも怖かった。


私が彼の子供を作れないことは、彼もいつしか気がついたようだった。彼はその原因も、実際どうなのかも私に問い詰めなかった。その優しさがありがたいとともに、辛かった。私に対してがっかりしてるのではないのかと思ったからだ。


私と彼との子供は諦めたが、彼の子供は見てみたいと思っていた。何年か前にお正月に帰省する彼に、小さな頃の写真を持って来てとお願いしたことがあった。その時彼が携帯電話のカメラで撮った赤ちゃんの時の写真は、ずっと私の宝物だった。生まれたての健康そうな赤ん坊は、のびのびと手足を伸ばしていて、まるで今の元気で健康な彼を彷彿させるものだった。その写真を見て以来、彼の子供は一体どんな赤ちゃんなんだろうと想像していたのだ。


なので彼に懇願した、別な女の人と子供を作って欲しいと。そして一度でもいいからその子供を私に抱かせて欲しいと。


彼は戸惑っていた。自分が付き合っている人が、他の女性と肉体関係を持って子供を作ってほしいとお願いしているのだ。変に思わない男性はいないだろう。だけど私は真剣だった。自分ができないのであれば、誰か代わりの人にその勤めを果たしてほしいと思っていたのだ。


私は誤解をしていた。彼に他の人と子供を作ってほしいとお願いしたのは、彼があくまでも「私のことを愛してくれている」と言う前提でだった。けれどそんな虫の良い話はあるわけがないのだった。


私が彼との子供を諦めた7年後、彼はこれ以上はないと言う条件のお相手と結婚することが決まった。その女性は30代後半ながら、まだまだ妊娠の可能性がある年齢だ。


最初にその話を聞いたときに、私は手放しで喜んだ。あぁこれでハルに会えるかも知れない。


誤算だったのは、彼がそのお相手にどんどん夢中になっていったことだった。よく考えればそんなこと当たり前のことなのに、私は彼がそのままの状態で結婚し、私とも今までどおり付き合ってくれると勘違いしていたのだ。彼はいつの間にか私と会っていても上の空になり、会うのも毎週だったのが、2週間から3週間に1度に減っていった。それは仕方のないことだった。


ある日彼が優しく私に告げた。

結婚して赤ちゃんができても、ハルの名前は付けない。ハルは僕たち二人の子供の名前だから…と。


私は納得した。そして彼の心配りに感謝した。結婚前の一番楽しく幸せな時期にも関わらず、何年も前に話していた私たちの子供の名前を覚えていてくれたこと、そして私たちの子供以外には使わないと約束してくれたことに感謝したのだ。


同時に私はハルと会えないことを悟った。


いつか会えるだろうと治療をしていた3年半の間、ハルはいつも私の心にいた。そして恥ずかしい診察や、痛い注射、辛い治療にも我慢ができたのはハルのおかげだ。


ありがとう、ハル。あなたと一緒に居られたことを私はずっと忘れません。


彼が私にハルの名前はつけないと告げたその日の夜、1人電車に揺られながら、ハルと一緒にいた日々を私は思い出していた。結局会う事は叶わなかったけれども、ハルは確実に私の中にいて、私を勇気づけてくれていた。


いい子だったな。


そう思うだけで、十分だった。









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