ルールは、ルール
勇者とのはさみ将棋対決は、勝負にならなかった。何度やっても我の圧勝で、負ける気がしない。そもそも、勇者はルールは知っているようだが、何も考え無しに打っているようにしか、思えん。はさみ将棋は、2手3手先を考えつつ、定石通りに打つ事が大切なのに、目先の手しか考えていない。それでは、我に勝つ事はできないぞ。
「これで、我の勝ちだな!」
「ぐ……」
我は、最後の一手をさして、このゲームも我の勝利だ。あまりにも圧勝しすぎて、ちょっと悪い気もするが、勝負は勝負。手を抜く訳にはいかん。
それに、悔し気にうなる勇者を前にすると、気持ちが良い物がある。勝者として、これくらいの気分は味合わせてもらっても、罰は当たらんはずである。
「クルスは、この手のゲームはめっぽう弱いわよ。相手にしたって、何も得る物はない。だから、そんなのに勝ったからって、喜ばない事ね。大体罰ゲームのハグって何よ、ハグって。勇者と魔王のかけ事と言ったら、もっとこう……敗者は腕一本切り落とすとか、そういうどろどろな展開になるべきじゃないの?」
「腕!?わ、我はそんな恐ろしい事、絶対にしないぞ!?勇者も、魔術師も、そんな事したら、絶対ダメだ!」
恐ろしい発言をする魔術師に驚いた我は、席から立ち、窓際のカーテンを身体に纏って身を隠した。
「うん。絶対に、しない。だから、戻っておいで」
「はぁ……私も、しないから。今のはただの、物の例え。あんた相手にそんな事、もうする気はない。だから、戻って来なさい」
「そ、そうか……」
勇者と魔術師に言われ、我はカーテンから席に戻って、イスに座る。それからよく考えたのだが、魔術師の言った、もうする気はないという事は、最初はする気があったという事か?恐ろしい……なんと恐ろしいのだ……。
「次は、ロゼがやってみるといいよ。魔王は、強い」
「え」
勇者はそう言って、我と対面する席を立って空けた。
「わ、私はいいわよ……」
「頭を使う勝負なら、ロゼは負けない。ロゼは、頭が良いから。だからきっと、魔王にも勝てる。頑張って」
「……し、仕方ないわねぇ。一戦だけよ?」
魔術師が、勇者の誘いを一旦は断って、我はどこか、安心していた。だが、勇者の口車に簡単に乗せられた魔術師が、照れつつ我と対面する席に移動して座る。
どうやら、やる気らしい。正直なんか恐いから嫌だが、仕方あるまい。魔王として、勝負から逃げる訳にはいかぬからな。
駒を並べ直し、じゃんけんで先行と後攻を決めて、我は後攻となった。
「それじゃあ、私からね」
「う、うむ」
魔術師が2手打った所で、魔術師がV字を作ろうとしている事は、分かった。それを完成させたら、最後。我の敗北が、決定してしまう。だから、我は全力で、それを邪魔する。邪魔をしつつ、こちらもV字を作る作戦でいくとしよう。
それにしても、勇者をバカにするだけあって、魔術師は強い。2手、3手どころではない。更に先まで正確に読み、ミスのない手を続けてくる。この戦い、恐らく先にミスをしたほうの負けとなるだろう……と思ったら、ミスをした。我が。そこからは、ボロボロだ。あっという間に差が開き、我は負けとなってしまった。
「はい、私の勝ちね」
「むうぅ……」
我は呻りながら、盤面を見つめる。どうして、あそこでミスったのだ。ミスらなければ、勝てたかもしれんのに。悔しい。とても、悔しいぞ。
「惜しかったね、魔王。でも、次は勝てる。私には何がおきたかよく分からないけど、そう思うよ」
「……そうね。頭が空っぽなクルスよりは、強いみたい。どちらが先にミスをするかのゲームだし、次は分からないわ」
そう言って励ましてくれる2人に、我は嬉しくなった。悔しいなどという気持ちは吹き飛び、ついつい笑顔になってしまう。
「う、うむ。魔術師は、強いな!だが、次は負けんぞ!勇者は……もう少し、頑張ろうな」
「魔王に、憐れむ目で見られて、私は幸せ……」
「いや、本当にあんたは、もう少し頑張りなさい」
「あはは!」
言い合いをする2人に、我は笑った。
「はい、それじゃあ、罰ゲームの時間だよ。敗者の魔王は、ロゼにハグをしてね」
そうだった。そう言えば、そんな約束をしていたな。
「私は別に、そんなのしなくていいわよ」
「ダメだよ、ロゼ。ルールは、ルール。守らないと、ダメ」
「勇者の言う通りだ。ルールは、守るためにある。だから、我はハグするぞ」
「……はぁ」
席から立った我は、魔術師を見つめて言った。すると観念したのか、魔術師も席を立ち、我に向かって軽く手を広げて来る。
我は、そんな魔術師の胸に飛び込んで、その身体を抱きしめた。角が刺さらないように、上を向いて抱きしめると、上目遣いで魔術師を見上げる形となり、見下ろす魔術師と、目が合う事になる。魔術師はすぐに目を逸らしてしまったが、我はそのまま見上げ続けるしかない。
抱き着いた感想は、少し肉付きが良いという事だな。ミニスカートから覗く太ももとか、太くて柔らかそうで、勇者とは体格が全く違う。ただ、太っているという訳ではない。ママみたいで、安心感のある抱き心地である。
「も、もういいでしょ。これで、罰ゲームは終わり」
魔術師が、そう言って我の肩に手を置いて、我を引き離した。
「う、うむ。中々の抱き心地であったぞ」
「そ、そういうの、いいから……!」
我の感想を聞いた魔術師の顔は、少し赤くなっている。女同士で抱き合っただけだというのに、なかなかういやつだ。
最初は心の中で、色々とぼろクソに思っていた事があるが、その考えは改めよう。
「魔王ー!」
「むぅ!?」
魔術師から引き離された我の胸に向かい、勇者が突っ込んできた。初めて会った時と同じように、我の胸に顔を埋めて、抱き上げられてしまう。
「すーはー、すーはー」
そして、また我の胸で、深呼吸をし始める。
「な、何をしているのだ、勇者!離さぬか!」
「それは、ダメだよ。私も、罰ゲームを履行しないといけないから。私は魔王に、何度も負けた。だから、その分だけ抱きしめる必要があるんだ。すーはー」
確かに我は、勇者に何度か勝っている。
だが、よくよく考えれば、ハグをするというのは我が勇者に負けた場合の罰ゲームであって、勇者が負けた時の罰ゲームは、特に設けていない。そういう意味で言ったら、魔術師に抱き着く必要もなかったな。
……まぁ良いか。魔術師、良い匂いがしたし、悪い気分ではなかった。
「ああ、もうたまんないよ、魔王!小さいのに、この胸は反則!なんなの、これ!どうなってるの、しゅごすぎるよ!」
「……」
嬉しそうに我を抱きしめる勇者を見て、それを口にするのは野暮かと思った。少々気持ち悪いが、我が我慢する事で喜んでもらえるなら、我は我慢しよう。
我は、魔王。これくらいの試練、受け入れてみせるぞ。
「はい、そこまで」
無の境地になり、勇者を受け入れる事を決めた我だが、直後に魔術師が、勇者の頭を軽くたたいて止めにはいってくれた。
「痛いよ、ロゼ」
「痛いよ、じゃない。こんな小さいのに、そういう行動は色々と倫理に反するわ。少しは自重しなさい。それから、さっきも言ったけど、ここは敵地なの。頼むから、もう少しでいいから、警戒して」
「……警戒?警戒を怠っているのは、ロゼのほうじゃない?」
勇者は、我を床に置きながら、魔術師に言い放った。その言葉の意味は、我も分かっている。しかし、魔術師は気づく様子がない。
「何を言って──」
「ふー」
「──はふうぅぅん」
魔術師の背後に、気配を消して回り込んだリリが、魔術師の耳に、息を吹きかけた。それにより、魔術師は可愛げのある声を出しながら、身体を震えさせて身体から力が霧散した。膝から崩れそうになったが、それをリリが背後から抱き止めて、そうはならなかった。
「あ、貴女は……」
「申し訳ございません。少々隙だらけだったもので、悪戯を。ですが、可愛らしいお声で、とても──」
「ふんっ!」
魔術師は、素早くリリの抱擁から抜け出すと、お返しとばかりにリリの頭を叩いた。耳に息を吹きかけられたことに対するお返しにしては、少々暴力的な気もするがな。しかし、魔術師も本気で叩いた訳ではない。軽めのチョップだ。だが、良い音が響いたぞ。
「痛いです」
「痛いです、じゃない!どうしていきなり人の耳に息を吹きかけたの!」
「隙だらけでしたので」
「魔族は、隙だらけの人間に対して背後から近づいて、耳に息を吹きかける風習でもあるの!?というか私は別に、隙を見せてた訳じゃない!コレは、明らかな不意打ちよ!卑怯だわ!卑劣だわ!」
たかだが背後から耳に息を吹きかけられただけで、大げさな事を言う魔術師である。だが、必死に言い訳をするその姿は、年相応の少女らしく、まことに可愛らしく見えるぞ。
「落ち着いてください、魔術師様。ちょっとした悪戯心でしてしまって……お気に障ったのなら、謝罪します。すみませんでした」
「い、いや……そこまでじゃ、ないわよ……」
「そうですか。それでは、席についてください。テストの結果発表を行います」
申し訳なさそうに、目を伏せて謝ったリリに対し、一瞬怯んだ魔術師だが、直後のリリの態度の急変に、呆然とする事になった。
我と勇者は、言われた通りに席につく。しかし、魔術師は呆然と立ち尽くしたままである。
「ロゼ。先生が、席につけっていってるよ」
「だ、誰が先生よ!先生じゃないわよ、こんなの」
勇者に促されると、我を取り戻した魔術師は、リリに対して悪態をつきながらも、席についた。これで全員が席について、リリはそれを見て、眼鏡をかけなおしながら、教壇に立つのであった。