スパイとして
それから、しばらく勇者を説得して、我はようやく、勇者から解放された。
そこに至るまでの間、勇者は我の事を、凄く褒めて来た。不揃いな角が可愛いとか、髪の色がキレイとか、おっぱいが柔らかくて好きとか、小さくてメガトンゾーラより可愛いとか、我の実物大人形が欲しいとか、一緒にお風呂にはいって身体を隅々まで洗ってあげたいとか、ペットにしてずっと一緒にいたいとか、むしろ我の下着になってずっと一緒にいたいとか、中には正気とも思えない発言もあってから、解放されたのだ。
少し、疲れたぞ。あと、身の危険を感じた。
「本当に、あんた何を言ってんの!?正気なの!?魅了の魔法か何かがかかってるの!?」
魔術師は、勇者の胸倉を掴んで、そう迫っている。更には首をガクガクと振られる勇者だが、特に抵抗はせず、なすがままだ。
この動きは、あまり首によくない。痛そうだし、心配になるが、怒る魔術師が怖くて、止めに入るのがコワイ。結果として、我はおろおろとするだけだ。
「私は、正気だよ。さっきも言ったけど、こんなに可愛い魔王は、倒せない。むしろ、守られるべき存在だと、私は思う。だから、魔王を守る騎士になる。そのためなら、人間なんて、いらないよ。むしろ、滅びればいい」
「もうダメだ、コイツ!元々バカだったけど、バカが加速してるわ!」
勇者から手を離した魔術師は、その場に突っ伏して、涙を流した。
「だ、大丈夫か?ハンカチ、使うか……?」
「あ、ありがとう」
我が差し出したハンカチで、魔術師はその涙を拭いた。怖いが、こうして素直にお礼が言えるあたり、悪い人間ではないと思う。あと、勇者よりよっぽどまともそうである。
「それで、もう一度尋ねますが、貴女は魔王様の配下になりたいと」
リリは、勇者の真意を確かめるように、今一度尋ねるが、勇者の意思が変わる様子はない。
「その通り。でも、私は配下というより、魔王の一番近くにいられる仕事に就きたい。魔王と一日中一緒にいて、可愛い魔王をずっと眺めていていたいんだ。暇なときは一緒に遊んだりして、過ごしたいと思ってるよ」
「……通常であれば、毎年一月に行われる筆記試験を受けていただき、そこからテストの成績と書類選考を経て、面接試験を受けていただいてから、魔王様の配下になっていただきます。その際に、採用になった場合に与えられる業務は、雑務から書類整理の事務のお仕事、警護や治安維持など、様々です。何が割り当てられるかは、分かりません。試験の成績や、面接での印象次第で、変わります。そこでキャリを積んで、現場での上司の評価や、各方面からの推奨もあって、魔王様のお眼鏡にかなってようやく、魔王様の側近となる事ができるのです」
「え」
リリは、堂々と答えたが、そうだったのか?我はただ、リリが昔からの馴染みで、我がリリが側近なら安心だなと言ったから、リリが側近に選ばれただけなのだと思っていた。
というかその前に、勇者にそんな仕事はないと言ってほしかったぞ。なんだ、我をずっと眺めて、暇なときは一緒に遊ぶ仕事って。そんな業務内容の仕事は、ないからな?
「一月……今は、五月……とっくに過ぎてる!」
「その通り。ですが、中途採用もない事はないです。現在魔王軍は人手不足ですし、場合によっては採用も考えられます」
「そのためには、どうすればいい!?」
「まず、魔王様の推奨がある事が、絶対条件です。また、中途採用するに値する人材かどうかも、条件です。それらの条件を満たした上で、まずは筆記試験を受けていただきます。それから、魔王軍に相応しい人材であるかどうかの、実技テストも受けていただく必要がありますね。結果を受けて、採用するかどうかの最終判断を、させていただきます」
「魔王の推奨はあるよ。あとは……私は勇者。凄く、強い。きっと、魔王軍の役にたつ人物だよ。だから、この機会を逃すのはとても惜しいと思う」
「我、推奨してないぞ!?」
「ふむ。確かに、勇者様を魔王軍に迎えられれば、大きな戦力となりますね。魔王様の推奨もあるようですし……良いでしょう。試験を受ける事を、許可します」
推奨した覚えのない推奨で、リリは話を進めていく。もう、我の推奨とか、関係ないのではないだろうか。我はそう思った。
「やったー!ロゼ、やったよ!私、魔王軍の採用試験を受けられるよ!」
「私はそれを、どう受け止めたらいいのよ!あんた、本気なの!?勇者が魔王軍に入るとか、正気の沙汰じゃないわよ!頭、イカれてるわ!ううん、イカれてるなんて範疇には収まらない!頭にウジ虫がわいて、脳みそ半分くらい食われてるんじゃないの!?それとも、うんちなの!?うんちがわいてるの!?」
喜ぶ勇者と、怒る魔術師……両者、全く違う反応を見せている。
魔術師の心中は、察する。勇者がまともとは、とてもではないが思えない。たぶん、魔術師の言う通り、この勇者は頭がおかしいのだと思う。
だが、我を抱きしめ、可愛いと褒めてくれたのは、素直に嬉しかった。大抵の人間は、我を前にしたら怖がるからな。嫌な気分にはならん。……少し、気持ち悪かったが。
「……落ち着いて、ロゼ」
「クルス……」
勇者は、そんな魔術師を落ち着かせようと、声のトーンを少し落として、優し気に魔術師の名を呼びながら、その肩に手を乗せる。肩に手を乗せられた魔術師は、顔を伏せ、まだ怒っているようではあるが、怒鳴るのはやめた。
「魔王は、確かに倒すべき存在。だけど、こんなに可愛い魔王を倒す事は、私にはできない」
「だ、だからって、配下になる事はないでしょう!?」
「ある。だって、魔王が可愛いから!」
「どういう理屈よ!私がおかしいの!?それとも、あんたがおかしいの!?私、分からなくなってきたわ!」
「落ち着いてください、魔術師様」
平行線をたどる、勇者と魔術師に口を出したのは、リリだ。頭を抱える魔術師と、勇者との間に入り、双方の意見をまとめる役を、買って出た。
「お二人とも、おかしくも、なんともありません。勇者様は、魔王様が可愛いと言う。それは、事実です。一方で、勇者様が魔王様の配下になる。これは、おかしな事」
「そ、そうよね。私、おかしくないわよね。勇者が魔王の配下とか、絶対おかしいわよね。良かったわ」
魔術師は、リリにすがるように言って、喜んだ。自分の意見がおかしくないと言われ、嬉しかったようだ。
「はい。ですが、勇者様は魔王様の配下に入りたいと、そうおっしゃっています。こちらとしては、歓迎です。勇者様のお力があれば、魔王軍は更に強大な物となるでしょう」
「そ、それは──」
「──困りますよね。人間側にとって、それは許容できない事でしょう。そこで、ご提案があります」
「提案……?」
「はい。お二人には、魔王軍に入るためのテストを受けていただきます。そして見事に合格した暁には、魔王軍の一員として働いていただき、魔王様のお役にたっていただきます」
「それじゃあ、魔王軍が強くなっちゃうじゃない!あんたの言う通り、魔王軍が強くなってしまう事を、私は許容しない!それ以前に、勇者だけならまだしも、いや、それもおかしいんだけど……どうして、私まで一緒に魔王軍に入らないといけないのよ!」
「簡単な事です。お二人には、敵性勢力の調査……つまり、スパイとして、魔王軍に入っていただくのです」
なるほど。確かに、スパイとして入るのなら、勇者やその仲間の魔術師が、魔王軍に入るのはおかしくない話だ。情報は、重要だとママも言っていたしな。
考えたな、リリ。それなら、魔術師もきっと、納得してくれる事だろう。さすがは、我の側近だ。
「いや、スパイだと分かってて、魔王軍が私たちを受け入れるとか、そんなのってある?」
「あります」
「いや、ないでしょ、どう考えたって……」
「あります」
「いや──」
「あります。もちろん、テストの結果次第ですが。それで、いいですよね、魔王様」
「うむ。構わんぞ。その理由があれば、勇者と魔術師が我が軍に入るのも、うなずけるからな!」
「私、頑張るよ!」
「……」
気合を入れる勇者の一方で、魔術師はまだ、納得していないようだ。頭を抱えて、考え込んでいる。
「まぁ、何事も経験だ。とりあえず、テストを受けてみるだけ、受けてみるが良い。受けるだけでも、こういうのは経験として活かされるものだ。魔術師も、我が推奨してやるから。だから勇者と共に、頑張れ!」
「魔王……」
我は、魔術師に向かい、笑顔でそう言った。すると、顔を上げて、我の前に立った魔術師が、我を見下ろしてくる。
「魔王様の言う通りです。テストは、簡単な物ではありますが、己の実力を知る機会になるでしょう」
「そうだね。ロゼは、頭が良いから、きっと受かるはず。でも、ここで逃げたら受からない。一緒に受けて、合格して、魔王の配下として働こう!」
リリと勇者も、そう言って我に続き、魔術師を説得した。
「……分かった。受けるだけ、受けてあげる。ただし、評価は平等にしなさい。スパイだからといって不合格にしたりしたら、私は貴女達を許さない」
睨みつけてそう条件を出してくる魔術師だが、そんな事をする訳がない。テストとは、その人物の個性であり、それを誤魔化す事は、相手の価値そのものを否定する事になる。絶対にしてはいけない事なのだ。
「当然、平等に評価するぞ」
「ふん……。いいわ、受けてあげる。魔王軍のテストなんて、この私にかかれば朝飯前よ!」
高らかにそう言う魔術師も、勇者のようにやる気が出たようで、何よりだ。