人類なんて、どうでもいい
その動きを目で追えたのは、恐らくこの中で、我だけである。地を蹴り、飛んでくる、そのあまりのスピードに、誰もついていけていない。恐るべき、身体能力だ。やはり我の感じた威圧感が、本物である事を証明している。
勇者は我をじっと睨みつけながら、手にしたその聖剣を──捨てた。投げ捨てて、我が座る、魔王の玉座の前に突き刺して立たせると、我の横を通り過ぎて、巨大な玉座へと降り立った。
「さすがに、勇者と呼ばれるだけの事は、ある。見事な身体能力だ。しかし、何故聖剣を捨てたのだ?」
我は、背後に降り立った勇者に、淵に座ったまま目を向けて、尋ねた。
「……殺し合いは、趣味じゃない。そこで、提案がある」
間近で見た勇者は、どこか表情が欠落しているように見える。リリのように、ただのクールなタイプかと思いきや、何かが違うようだ。
「言ってみるが良い」
「相撲で、勝負しよう。この大きなイスから落ちた方が、負け。武器の使用は禁止で、純粋に押し合って、勝敗を決める」
「ほう……」
「クルス!」
勇者を追い、魔術師もイスの上へと降り立った。杖を使い、空を飛ぶ魔法を使用しているので、杖の先端についた魔石が光を帯び、魔術師自身も、魔石と同じ、青色に包まれている。
「ロゼ。私は今から、魔王と相撲をする。このイスから落ちた方が、負け」
「いやいや、私たちの目的は、魔王を打ち滅ぼす事なのよ!?いくら、この魔王が偽物だからと言って、そんな生ぬるい事を言ってたら、隙を突かれて殺されてしまうかも。そもそも、偽魔王がそんな勝負を受けてくれる訳が──」
「良かろう!面白そう!」
「受けるんかーい」
我も、殺し合いとか趣味じゃない。武器で戦うとか、危なくて、怖いし、嫌いだ。だから、勇者のその提案を、断る理由がない。むしろ、面白そうでちょっとわくわくしてきたぞ。
「じゃあ、早速やろう。ルールは、武器の使用禁止。落ちたら、負け。床に手はついていいけど、殴ったり蹴ったりとかの、暴力行為は、なし。以上でいいかな」
「うむ!それで良いぞ!」
我は立ち上がり、勇者の前に立った。
勇者の胸下あたりまでしかない我は、勇者を見上げる形となり、ちょっと悔しくなる。しかし、もう慣れた。我は基本的にいつも、誰かを見上げているからな。見下げるのは、玉座に座った時くらいだ。
だからこうして、上目遣いで勇者を見上げる形になったとしても、いつも通りなのだ。
「か、可愛い……」
「ふぇ?」
勇者が、我を見て何かを小さく呟いて、その無表情が崩れるのを、我は見た。
「ちょっと、勇者……!本気なの?本気で、コレと相撲するの?腐っても、相手は魔王の関係者なのは、間違いない。拷問して、本物の魔王の居場所を吐かせましょう」
我と勇者の間に入った魔術師により、勇者の顔は、その背中に隠されてしまった。魔術師を避け、横から覗いてみてみるが、勇者の表情はキリッとした物だ。どうやら、気のせいのようである。
「あの魔王は、本物。私には、分かる。魔王と私が本気で戦ったら、もしかしたらロゼが怪我をしてしまうかもしれない。それは、嫌。だから、魔王がそれで良いと言っているのだから、ここは相撲で勝負をすべき」
「クルス……いや、待って。百歩譲って、アレが魔王だとしても、相撲で勝負する必要は──」
「ある。絶対に、相撲じゃないと、ダメ」
勇者はそう言うと、魔術師の肩に両手を置いて、炎の宿った目で迫った。こやつの目は、本気だ。本気で相撲に挑もうとする、真剣さが伺える。
「何なのよその、相撲に対する絶対的な拘りは!あー、もう、分かったから!相撲でいいから、早く勝負をつけちゃって!」
「任せて」
魔術師が退いて、我と勇者が、再び対峙する事になる。
相手は、大きい。そして、その力は間違いなく、我と同等……いや、もしかしたらそれ以上かもしれん。そんな相手を前にして、怯えるなと言う方が、無理である。
「──魔王様!」
そこへ、リリもイスの上に、ジャンプをして上って来て、静かに着地した。本来であれば、魔王以外が乗る事を、許されぬ場所である。我にとってはどうでもいいルールなのだが、堅物のリリにとって、それは尚更破る事のできない、絶対的なルールのはずだ。
勇者と、魔術師が乗って来たのをみて、そのルールを破ってしまうくらい、心配になってしまったようだな。
「うむ。我と勇者は、これから相撲をして、この玉座から落ちた方が負けとする事になった。丁度良い。魔術師と、リリの二名には、審判になってもらおう」
「相撲、ですか。……分かりました。では、審判を務めさせていただきます」
「よろしく頼むぞ」
リリが、傍にいてくれる。その事が与えてくれる、安心感だけで、不思議と怯えは消え去った。
「分かったわよ、引き受けるわ」
「よろしくね。ロゼ」
リリと、魔術師。双方の同意も、得られた。あとは、我と勇者が戦い、どちらが先に、イスから落ちるかだ。
「では、開始の合図はリリに任せよう。リリ。頼む」
「始め!」
我が頼むと、間髪入れずに、リリが合図をした。確かに、我は合図を頼んだ。しかし、何かこう、もうちょっと間をいれてから、始めるべきではないか。我は、そう思うのだ。
しかし、相手はそんな事を考えるより先に、合図と同時に、我に襲い掛かってきていた。
「むぅ!」
我の胸に飛び込んできた勇者は、我の身体に飛びついて来た。そのまま押し込まれて、我は後ろへと下がっていく。背後にあるのは、手すりだ。しかし、手すりには隙間があり、正面以外に、そこから落とす事も十分可能である。
徐々に、そんな手すりに追い込まれていく我だが、我とて魔王だ。足に力を入れて、踏みとどまる事に成功した。
「……さすがは、魔王。まさか、隙を突かれて踏みとどまれるとは、思わなかった」
「ふ、ふん。貴様こそ、なかなかやるようだな……!そういえば、名を聞いていなかった。名乗るが、良い……!」
「ベルクルス・エッジボルト」
「ベルクルス。良い名だ!」
「ありがとう。アーティア!」
我に名乗った勇者は、我の名を叫んで、答えた。同時に、勇者の力が、強まった。我を締め付ける力が強くなり、更に押す力も強くなる。
「くっ……!?」
相手の力に合わせて、我も力を振り絞って抵抗するが、しかし、次の瞬間であった。我の足が、地につかなくなった。我を抱き上げた勇者により、足がつかなくなったのだ。抱き上げられてしまい、あっという間に抵抗ができなくなり、しかも抱きしめられて拘束されているという状況に陥ってしまった。
このままでは、まずい。暴力行為は禁じられているので、勇者を蹴り飛ばす訳にもいかんし、抵抗の手段がない。
「……子供相手に、遊んであげているようにしか、見えないわ」
「はい。魔王様、凄く可愛いです」
「で、貴女はどうして、ビデオなんか撮ってるの?」
「魔王様の雄姿を、後世に残すように、記録をしているのです」
「雄姿って言うより、これじゃあただの、ホームビデオよ……」
我と勇者は、本気で、真剣に戦っているのに、審判の2人はそんな呑気な事を話しているのが聞こえてきた。
魔王と、人間の、頂上決戦を前にしていると言うのに、呑気な者達である。
「魔王……コレで、終わり!」
「くぅ!?」
手すりに追い込まれ、隙間となっている部分を前に、勇者はそう宣言した。我は、抵抗できる状況にない。その手を離され、落とされたらお終いだ。身をよじり、足をばたつかせても、手の拘束を緩めようとしても、効果がない。やはり、この対格差は不利であった。すまん、リリ。我は、お前の前で、こんな無様な姿をさらすことになってしまった……。
「……」
しかし、一向に、敗北の時は訪れない。気づけば勇者は、我の胸に顔を埋め、深呼吸をしているではないか。服の上からとはいえ、息がかかって、ちょっとむず痒いぞ。
「すーはー……すーはー……」
「な、何をしているのだ……?」
「お気になさらず」
答えた勇者は、我の胸に包まれているので、声が少しくぐもっていたが、聞き取る事は可能だ。
「我の胸に顔を埋めている者を前にして、気にするなと!?どういう事だ!?何をしている!?いや、何がしたいのだ!?」
「ちょ、ちょっと、クルス!本当に、どうしたのよ!早くそいつを落として、勝って──」
「もう人類なんて、どうでもいい!!」
魔術師の言葉を遮り、我の胸に顔を埋めたまま、勇者はそう叫んだ。声の振動で胸が震えて、妙な感覚を送られるが、抵抗はできない。勇者は依然として、我を力強く抱きしめたままだからな。
「ど、どうでもいいって、どういう事よ!」
「こんな可愛い魔王を前にしたら、戦うなんて無理だよ!人類なんて、もう知らない!魔王討伐とか、する価値も必要もない!むしろ、そう……!魔王は、守られるべき存在だよ!」
「な、何をバカな事を言って……冗談は、よして!早くそいつを落として、勝っちゃってよ!」
「冗談じゃないし、バカな事も言ってないよ。私はもう、決めたんだ。この胸に……魔王の柔らかなおっぱいに包まれたその瞬間から、私の心は魔王のおっぱいの中に奪われた。私は今この瞬間から、魔王の部下になる!そして、魔王を一生守る騎士になる!そのためなら、人間たちも滅ぼすっ!」
「勇者が、我の騎士!?何を言っているのだ、貴様は!それに、人間、どうでもいいのか?よくは、なかろう。勇者とは、人間を守るべき存在だ。落ち着いて、考え直せ。な?」
「嫌!魔王の騎士にしてくれるまで、離さない!私は、魔王の騎士になる!」
勇者はそう言った。文字通り、我の胸の中で力強く宣言し、言葉が本物であると証明するかの如く、一際強く我を抱きしめて来た。痛くはないが、とにかく胸に息がかかって、むず痒いぞ。
「──んな……何を言ってんのよ、このバカ勇者はあああぁぁぁぁ!」
そんな勇者に、魔術師が頭を抱えて、叫んだ。その叫び声は、心の底から出て来た物で、とてもよく響いたぞ。
我も、まさしく本当に何を言ってるのだと、尋ねたくなる。人間がどうでもいいとか、そんな事は絶対にないからな。勇者には、勇者としての自覚を、しっかりと持ってもらいたいものである。