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3.追跡

 ……あれは、いつのことだっただろうか。

「エリーゼ、また出かけていたのかい?」

「お父様」

 自宅の車庫に車を入れようとしたとき、父のカールに声をかけられた。

「ブレイズの森まで行ってきましたの」

「あんなところまでかい?」

「この車で行けば、すぐでしたわ」

 上機嫌でエリーゼは答え、車を停めて運転席から下りた。


「お父様、坂道を上っていたときのことなのですが……低速時の力が足りなくて、少し難儀いたしました」

「そうか、それは改善した方がいいな」

「それと、シフトレバーがちょっと硬くて。もう少し軽いと助かります」

「分かった、それも直そう」

 父の言葉に、エリーゼは微笑んだ。そして、緑色の車体にいたわるように手を添えた。


「本当にきれいな色。今までの車は、黒ばかりでしたでしょう?」

「黒以外の塗料は、すぐに剥がれたり褪せたりして、車には向かなかったからね。その緑色の塗料は、技術の若い子たちの努力の賜物だよ」

「見ていると気分が明るくなって、出かけたくなりますわ」

「本の虫のエリーゼを家の外に引っぱり出すんだからたいしたものだな」

 父のカールはおかしそうに笑った。

「疲れただろう。お茶にしようか」

「はい、お父様」

 エリーゼとカールは、車庫を後にして家の中に入っていった。




 そして、今ーー。

 ……エリーゼは、大きさは違うが、自分の車とそっくりの緑色の車の助手席に座っていた。運転席には、見知らぬ青年。

「【門】に行くには、どれくらいかかるのですか」

「丸一日走れば着くと思う」

 車で一日。それなら、さほど遠くないはず……と、エリーゼは顔を横に向けて窓の外に目をやった。


(……速っ!)

 高速で後方に駆け抜ける景色に、エリーゼは目を見開いた。

 外は漆黒の闇で、かろうじて月明かりがあるだけなので、今自分が乗っている車の速さに全く気づかなかった。

(このスピードで一日なら、かなり遠いのかも……)

 自分の車での一日とは、きっと距離がかなり違う。エリーゼは予想を修正した。


 外が暗くて見えないことに加えて、この車は音や振動がほとんどなく、スピードが実感できなかった。まるで、別種の乗り物のようだ。 

 別種と言えば、この車内の暖かさもエリーゼは不思議だった。一体どうやっているんだろう……と、エリーゼは好奇心を抑えきれず、シートベルトをした身体を無理矢理動かして、車内のあちこちを見回した。


「……どうかしたのか」

 その動きに、すぐに青年が気づく。

「いえ、どうやって暖めているのかと思って…」

「暖める?」

「車内を、です…。ここから、暖かい風が出ているのは分かるのですが」

 エリーゼは、ダッシュボードのすぐ下にある送風口に手をかざした。


 外は雪景色だというのに、車内は上着もいらないくらい暖かい。まるでストーブの前にいるように。だが、車にストーブを積むなど危険すぎる。一体なぜ暖かいのか、エリーゼはずっと不思議だったのだ。

「ここに、風を送る装置が入っている」

 スカーレットは、ダッシュボードを軽く叩いた。


「まあ、そうなのですか」

 エリーゼは、少し首をかしげてダッシュボードに目を近づけた。だがもちろん、装置が見えるわけではない。今すぐダッシュボードを外して中のそうを見てみたいーーとエリーゼは思ったが、さすがに人様の車なのでそれはできない。

「その装置は、どうやって暖かい空気を作っているのですか? 石炭が入っているわけではないですよね?」

「電気の力を使っている」

「電気……」

 エドガーの電気式のエンジンを思い出し、エリーゼは表情を曇らせた。やはり、電気の方が優れているのかもしれない……。


「どうした?」

「あ、いえ、なんでもありません」

 青年に問われて、エリーゼは話題を変えた。

「あの、先ほど、タイヤを変えたのはどうやったのですか?」

「タイヤ?」

「黒い車に追われたとき、斜面で滑らないようにしてましたよね?」


「…分かってたのか。席からは見えなかっただろうに」

「何となく、車体から伝わってくる感じで。あのあとで、屋根を作ったり、車の形が変わったりしていましたけど、あれも、同じ仕組みなのですか?」

「…悪いが答えられない」

「そうですか……」

 残念に思いながら、エリーゼは、青年が答えることと答えないことの境界線は何なのだろうと考えたが、何も思いつかなかった。


 ふう、と小さくため息をついて、エリーゼはシートに身を沈めた。

 シートはふかふかで、車のシートというよりは、家に置くソファのようだった。車が音も振動もほとんどないので、走行中であるのが信じられないくらいだ。車って、こんなに快適な乗り物だったっけ……と、エリーゼは座席の上で、こわばった身体の力をそっと抜いた。

「いい車だなあ……」

「え?」

 青年に聞き返され、エリーゼはつい思ったことを口に出していたことに気がついた。


 一人言を聞かれたような気恥ずかしい気持ちになったが、言ったことは本心だったので、そのままを伝えた。

「……いい車ですね」

 エリーゼがそう言ったとたん、青年の頬にぱっと赤みが差した。

「そ、そうか?」

 青年の声は上ずっていた。

「ええ。静かだし、揺れないし、排気の匂いはしないし……わたしが知っている車の中で一番だと思います」

「あ、ありがとう……」 


 青年が小さな声で礼を言い、それでエリーゼは、彼が照れているのだと気がついた。これまで、ほとんど表情を動かさず、感情を表に出さなかった青年は、少し狼狽したような顔になっていた。彫像めいた、冷たい作り物めいた美貌が、柔らかい印象に変わっていた。

 車の持ち主らしい反応だな、とエリーゼは微笑ましい気持ちになった。

 だが、柔らかかった青年の表情は、そのすぐ後に、緊張したものに変わった。


「寛いでいるところをすまないが、座席とベルトの形を少し変える」

「えっ」

(あ、伸びしてるの見られてた……?)

 ソファの上の猫のように、手足を小さく伸ばしていたエリーゼは、あわててそれをやめた。

 その瞬間、エリーゼの座席が、それまで座っていたふわふわのものから、座り心地は悪いが身体がすっぽりと埋まりこむような形状のものに変わった。座席のベルトも、今までベルトがなかった方の肩からもう一本伸びてきて、身体の中央でそれらが結合した。エリーゼは何だか、座席に縛りつけられているような気分になった。


「あの、どうして……」

「後ろから追手が来た」

「!」

 エリーゼは、ベルトに引っ張られながらも身体をひねって、助手席と運転席の間から後ろを見た。

 だが、そこには何も見えなかった。

「まだ、少し距離がある」

「どうして分かるの?」

「車の後ろに、カメラがついてる」

「カメラ?」

 写真でも撮るのだろうか……と、エリーゼは青年の言葉の意味がよく分からなかった。

「……このまま振り切ろう」

 青年はそう言うと同時に、アクセルを全開にした。


「―――!!」

 エリーゼにとって、それは考えられない速度だった。すぐ目の前にはカーブが迫っているのに。

 山中の道はカーブが多く、直線が短い。

 車は、スピードをまったく落とさないまま、カーブに突入した。

(ギャー!)

 歯をくいしばったまま、エリーゼは心の中で絶叫した。次の瞬間、横から強い圧がかかった。フロントガラスから見える風景が、猛スピードで真横に流れていく。


(何、これ……!)

 カーブを曲がるその速度は、エリーゼは経験したことがなかった。エリーゼが知る車は、馬車よりも多少速いくらいだ。

(こんなの車じゃない……!)

 なぜこの車は、こんな走り方ができるのか。連続するカーブを、まるでレールの上を走っているかのように、車は躊躇なく通過していく。そのたびに、エリーゼの身体は右に左に遠心力を受けて、座席から振りとばされそうになる。ベルトで固定されていなければ、車の内側に叩きつけられていただろう。


(シートの形を変えたのは、このためだったんだ……)

 エリーゼが顔をこわばらせていると、青年がつぶやいた。

「引き離せないな……」

(えっ?)

 エリーゼは耳を疑った。この速さに、後ろの車はついてきている?

 カーブとカーブの間の短い直線で、エリーゼはバックミラーを見た。その中に、小さな光の点が、ちらちらと見え隠れしている。


(嘘……)

 信じられない思いで何度もミラーを見る間に、その光は、次第に距離をつめてくる。

「もしかして、また森に入りますか……?」

 今の走り方も怖いが、斜面を駆け下りるのも同じくらい怖い。心の準備をしようとエリーゼは訊いたが、青年は簡潔に答えた。

「いや、ここでは無理だ」

 その言葉に、エリーゼはあらためて周囲の様子に気がついた。

 運転席側は切りたった崖で、エリーゼの座る助手席側は、下に川が流れている深い谷だった。 


(……!)

 エリーゼは、呆然と眼下に広がる谷を眺めた。

(どこかに逃げる場所があれば……)

 対岸にも道はあるようだが、橋はない。渡る方法はない。

(橋が、ないのなら……)

 突然エリーゼは、青年にむかって声を上げた。

「飛びましょう! 向こう岸に!」

「えっ?」

 青年が、フロントガラスの先を凝視したまま訊き返した。


「あんな距離を跳ぶのは無理だ」

「普通に飛ぶんじゃなくて!」

 エリーゼは必死に説明した。

「変形してたでしょう、この車! だから、羽根を作って、飛んでください!」

 エリーゼの言葉に、青年は一瞬考えたようだった。が、すぐに心を決めたようで、

「やってみよう」

 とはっきりとした声で同意した。

 山の斜面にそって曲がりくねった道の途中、谷に向かう方向に、わずかな距離の直線があった。

「ここで加速しよう」

 直線に入ると同時に、青年がアクセルを踏み込んだ。


(ーーー!!)

 エリーゼの身体が、加速の反作用に押されて座席の背もたれに押しつけられる。

 次の瞬間、車は陸地から飛び出していた。

 フロントガラスから見えるのは、真っ黒な虚空だけ。

 そのとき、ばさっという音が頭上から聞こえた。

 空中にいるはずなのに、そこから車がふわりと浮き上がる感覚があった。


(……?)

 エリーゼは、身体を乗り出してフロントガラスから上をのぞきこんだ。 

(あ……)

 車の上に、布のセールがあった。

 金属のパイプでできた骨組みに、屋根に水平に、三角形の大きなセールが張られていた。

 そのセールにぶら下がるような形で、車は空を飛んでいる。

 車は安定した姿勢を保ち、谷の上空に吹く風に乗って滑空した。

 すぐに対岸が近づいてきた。車はそのまま着地すると、セールをボディへ吸収しながら、再び道路の上を走り出した。

 エリーゼは座席から身体を浮かせて後ろを振り返った。


「…心配ない、逃げきれた」

 エリーゼの様子を見て、青年が言った。

「この車のように、変形して追ってくる、ということはないのですか?」

「いや、それはない。この機能が搭載されているのは、この車だけだ」

 青年の声には、車に対する信頼がにじんでいた。

「そうですか、良かった……」

 エリーゼは大きく息をついて、力を抜いて座席に身体をあずけた。


「……ありがとう」

 青年は、エリーゼの方を少し見て言った。

「あんた……君のおかげで助かった」

 青年の、自分への二人称が『あんた』から『君』へ変わったことに少し微笑みながら、エリーゼは答えた。

「いえ、この車の性能のおかげです」

「……ありがとう……」

 エリーゼが褒めると、青年の顔に、再びはにかんだような笑顔が浮かんだ。

「俺はスカーレット」

「エリーゼ・ロードシュタインと申します」 

 青年とエリーゼは、初めて互いの名を知った。

「スピードで振りきれると思ったんだが……申し訳なかった」


(あ、ちょっと悔しそう……)

 青年ーースカーレットの声のトーンにそう感じ、エリーゼは心の中で少し笑った。

「いえ、わたしも乗っていますから、一人分重くなっていますし……それにわたしの車も、乗せてもらっているようなものですから」

「いや、これくらい、何でもないと思ったんだが……そうだ、君の車は」

「え?」

 突然言われて、エリーゼはどきりとした。スカーレットの車に吸収されてしまった自分の車のことを、今まで聞けずにいたからだ。


「エリーゼ、君の車はあとで元通りにして、きちんと走れる状態にして返すから、心配しないでくれ」

「えっ?」

 思いがけないことを言われ、エリーゼはスカーレットを凝視した。

「元通りに? 元の車の形にできるのですか?」

「ああ。ちゃんと走れるようになる」

「よかった……!」

 エリーゼは、ここに来てから初めて笑顔を見せた。


「古い車ですが、わたしにとっては、とても大事な車なんです」

「ーーそう言ってもらえて、君の車は幸せだな」

 スカーレットの言葉に、エリーゼは微笑んだ。 

「エリーゼは、さっき俺をーー俺の車を褒めてくれたけど、君の車もいい車だな」

「え?」

「丁寧に手作りしてあって。よく手入れもされてる」 

「……分かるのですか?」

「分かる。いい仕事だな」

 自分の父や、工場の職人たちの顔が、エリーゼの脳裏に浮かんだ。

「……わたしの父と、工場の人たちが作った車なんです」 

「そうだったのか。ーーじゃあ、君も車も、早く送り届けないとな」

 早く、とスカーレットは言うが、もうすでに、車はかなりのスピードで走っていた。エリーゼが驚くくらいに。 


「……ありがとう」

 自然に、感謝の言葉がエリーゼの口から転がり出た。

 こんなスピードで、スカーレットは怖くないのだろうか。道は直線ではなく、カーブが続いている。車は、その曲線をなぞるようにテンポよく走っていく。が、もっとゆっくり走った方が安全に違いない。

「……あなたまで危険な目に合わせて、ごめんなさい」

「君はずいぶん真面目なんだな」

 スカーレットがちらりとエリーゼに目をやり、口もとを緩めた。


「俺は平気だ。……エリーゼが怖くないなら、もう少しスピードを上げたいんだがな」

「わたしは平気です。ーーでも、この車は、そんなにスピードを出して大丈夫なのですか?」

「大丈夫かどうか、見てみるか?」

 スカーレットはアクセルペダルを思いきり踏みこみ、少しどころか、大幅に加速した。

 車の挙動は安定していた。そのスピードでも問題なく走行できるように作ってあることに、エリーゼは目をみはった。そして、スカーレットの運転技術も、そのスピードを制御できるほど熟練しているのだと、エリーゼはただただ驚いた。

 緑色の車は、危なげもなく、スカーレットの望むスピードで走っていった。


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