表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

1.夜会

 「……疲れましたか、姫君」

 ダンスを踊り終えて、エドガーが小さな声で問いかけてきた。

「いえ。大丈夫です」

 薔薇色に塗った唇でにっこりと笑みを作り、エリーゼは答えた。だが心の中では、

(姫君って誰よ!)

 と即座に突っ込みを入れていた。


 そんなエリーゼだったが、頬からは赤みが失せ、疲労の色がにじんでいた。踊り慣れないダンスのせいでもあり、久しぶりの夜会に気疲れしたせいでもあった。

「あちらで休みましょう」

 エドガーは、エリーゼをダンスフロアの端に連れて行くと、アルコールではなく水の入ったグラスを持って来させてエリーゼに差し出した。

「ありがとう、ございます」

 酒が飲めないエリーゼにとって、この気遣いは有り難かった。なので、素直に感謝の言葉を述べた。


 エリーゼは、グラスを口に運びながら、隣に立つエドガーをちらりと見た。

 背が高く、精悍な顔立ち。年齢は、十六歳のエリーゼより十以上も離れた、二十七歳。

「……他の方の夜会では、あまりお見かけしませんよね」

 ふいにエドガーが口を開いた。

 エリーゼは、曖昧に微笑みを作った。社交が苦手なエリーゼは、あまりこういった場に参加していなかった。今日は、父の古い友人が主催の夜会だったため出席したのだった。


「実は以前から、貴方にお会いしたいと思っていました」

 エドガーに言われ、エリーゼも社交辞令として、わたしもですわ、と微笑んで答える。 

「……貴方のような方が、私のパートナーになってくださると嬉しいんですが」

(へっ?!)


 女性に対してのリップサービス? でも、それにしては少々軽すぎない? エリーゼはとっさに何と返答していいか分からず、口を開けたままになっていると、ちょうど広間で演奏されていた音楽が終わり、二人に静かな間が落ちた。

 そのタイミングで、今日の招待客の一人が、エドガーを見つけて近づいてきた。

 エドガーは、にこりと微笑んでエリーゼに礼を取ると、その客の対応に移っていった。エリーゼは、彼の真意が掴めないまま、しかしそのことに安堵して、一人で密かに大きく息をついた。





 翌日。

「疲れた……」

 自室の長椅子の上で、エリーゼは誰にはばかることなくつぶやいた。

 昨日の夜会での疲労が、まだ抜けていない。

 ーーこんなに疲れるとは思わなかった。

 エリーゼは、テーブルの上のティーカップを手に取った。そのそばには、一通の書簡が置かれている。それに目をやり、エリーゼはカップに口をつけないまま戻すと、かわりに書簡に手を伸ばした。   

 それは、今朝届いたエドガーからのものだった。

 ーー内容は、茶会への招待。

(昨日の今日で、早すぎない?)

 必死に結婚相手を探しているのだろうか? 

(独身の女性に、手紙を送りまくっているとか……)

 しかし、エドガーほどの富豪なら、女性の方から結婚の申し込みが引きもきらないはずだ、と思い直す。


 エドガーは、エリーゼの父と同じ業種の会社を営んでいた。

 同業とは言っても、傾きかけた父の会社とは比べるべくもなかった。エドガーの会社の業績は、今や業界のトップだ。 


 エリーゼの父、カール・ロードシュタインは、自動車の製造で財を成していた。

 今の時代、最新の乗り物は、やはり馬車よりも自動車だった。

 馬よりも力があり、長い距離を走れる。馬を飼い、世話をする必要もない。液体燃料の費用はかかるが、馬の維持管理の費用に比べれば、はるかに安くすんだ。


 馬車を所有できる上流階層の輸送機関として、自動車はもてはやされた。

 だが。

 人気のある商品であるぶん、競争も激しかった。


 エリーゼの父が、車の駆動機関に液体燃料のエンジンを採用していたのに対し、エドガーは、電気式の発動機を開発したのだった。

 自動車はまだ作られはじめたばかりで、ガス・液体燃料・電気など、その主流となる駆動力は、まだ定まってはいなかった。


 液体燃料のエンジンが黒い排気ガスを吐き、悪臭を出すのに比べ、電池を使用した発動機にはそれがなかった。また、騒音や振動の点においても、電気式の方が勝っていた。


 エリーゼの父・ロードシュタインの車は、次第に売れなくなっていった。ロードシュタインも、電気式の発動機を開発しようとしたが、うまくいかなかった。

 自動車の売り上げが芳しくなく、事業の負債は少しずつかさみはじめた。


 そんなときに出席したのが、昨日の夜会だった。

 エドガーからの書簡に、エリーゼは目を落とした。

 そこには『お茶でも飲みながら、車の話でもいたしませんか?』と書かれている。


(………)

 エリーゼは、眉間に皺をよせた。

 エドガーも父も会社で車を造っているのだから、車という言葉出てくるのは分かる。だが、普通は、女性にはあまり車の話は振らないのではないだろうか。いくら父親の会社の製品であっても、多分、会話がはずまないだろう。


 ただ、エリーゼはそうではないが。

 エリーゼは、車の話をするのが好きだった。

 本が好きなエリーゼは、父の持っている技術書もよく読んでいた。活字中毒のエリーゼは常に活字に飢えていて、自分の本だけでは物足りなかったからだ。

 技術書に目を通していたせいで、ものづくりに興味があった。だが、そのことを知っている人間は限られている。

 このことを、ひょっとしてエドガーは知っているのではないか。だからわざわざ、エリーゼへの書簡に書いて送ってきたのではないのか。


 ……ただの推測でしかないのだが。

 車の話をするのは楽しそうだ、とエリーゼは思う。ただ、同業者であるので、技術の発明に関わるような詳しい話はしないだろうが。

 気になるのは、エドガーが自分のことを知っている感じなのに、自分には何の心当たりもないことだ。

 そもそもエリーゼは、エドガーのことを何も知らない。父の同業者だから、名前を知っているくらいのものだ。


(こんな書簡を、この私が、まさか現実に受け取るなんて……)

 ふと、これが小説の中の出来事だったら、とエリーゼは考える。

(この人が、実は幼い頃の初恋の相手だった、なんて展開ね……)

 あいにくエリーゼは、そのような麗しい思い出は持ち合わせていなかった。


 書簡を手の中でもてあそんでいると、部屋のドアがノックされた。

「エリーゼ、いるかい?」

 父のカールの声だった。

「ええ、いるわ」

 ドア越しに、エリーゼは返事をした。

「今、注文していた本が届いたと連絡が来たんだ。早く読みたいから、すまないが、受け取りに行ってもらえないかな」

「本当? 行くわ!」


 こんな気分のときは、家でじっとしているより、どこかに出かけて気晴らしするに限る。エリーゼは、父の頼みに飛びついた。

「じゃあ、頼んだよ」

 ドアを開けずに父が立ち去ると、エリーゼは、書簡をテーブルの上に戻して長椅子から立ち上がった。


 上流階級の令嬢が一人で出かけるなど、普通なら考えられないことだが、そもそもエリーゼの家には、すでに使用人はいなかった。大木な館は売りに出しているものの未だに買い手はつかず、手入れが行き届かずに荒れ放題だった。

 そんな館の外に出ると、爽やかな風が吹きつけてくる。漆黒の髪を風に遊ばせるままにして、エリーゼは館の傍らに建つ車庫へ行った。


 中には、鮮やかな緑色の、丸みを帯びた形の自動車が停められていた。

 普通の車より一回り小さく、座席は二つしかない。座席はイエローブラウンの革、屋根は同色の布製の幌で、開けて走行することも可能だ。

 外の光を受けて、こじんまりとしたボディは誇らしげに緑色に輝いていた。それをエリーゼは可愛いらしいと感じ、思わず笑みが浮かんだ。


 車は、少し前に父の工場で作った試作品を、譲り受けたものだった。もう型は古く、今の流行からは遅れている。

 だがーー父や工場の技術者たちが丹念に手作りしたこの車が、エリーゼはとても好きだった。

(今日は天気がいいから、幌はいらないか……)

 屋根の幌を、座席の後ろに畳む。 


 運転席に座ると、エンジンをかけ、エリーゼは静かに車を発進させた。父に習ったので、一人で運転することができた。

 屋根がないせいで、風が直に身体に吹きつけてくる。

(いい天気だなあ……)

 日差しが暖かい。こんな日は、どこかにピクニックに行って、木陰でお茶を飲みながら本を読んだら最高だろう。


 と、ふいに。

 あたりが急に暗くなった。

(?)

 エリーゼは、ちらりと視線を上に向けた。日が陰ったのかと思ったのだ。

 だが、違った。空に雲はない。

「何……?」

 エリーゼは思わず声に出していた。次第にまわりの暗さが増した。日食のときに似ている、と思ったが、日食なら、こんな短時間に急に暗くはならないはずだ。


 車の周囲の景色が、闇に沈んで見えなくなる。エリーゼは、あわてて車を路肩に停めた。

 が、しかし。

「えっ!」

 一度は停止した車が、突然、急加速した。エリーゼの身体が、シートの背に叩きつけられる。

 驚いてブレーキを踏んだ。ブレーキペダルはいつもの踏みごたえだったが、車は止まらない。

 エリーゼは急いで前照灯を点けた。車の前が二つの灯りに照らされるが、そこには何も見えない。まるで真っ暗なトンネルの中のように。


 前照灯に連動して、車のコンパネが明るく光った。速度計と回転計が見える。 

「……!」

 そのどちらも、針は0を指していた。

 このスピードは、車の動力ではない。何かの力が車に働いているのだとエリーゼは気がついた。

  漆黒の闇の中を、濁流に飲まれた小さなボートのように車は疾走していく。

 ふいに、前方から突風が吹きつけた。

 エリーゼは反射的に目を閉じた。


 そのとき。

 白い光が、エリーゼの瞼を射した。あわててエリーゼが目を開けると、車のすぐ先に、小さな白い光の渦があった。

「何……?」

 そのケーキ皿ほどの丸い光の渦は、エリーゼの見る間に膨れ上がり、視界を埋めつくした。

「……!」

 エリーゼは、声にならない悲鳴をあげた。疾走する車ごと、エリーゼは白い光の中に飲み込まれていった。 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ