第一章四話 『南蛮屋敷』
何処までも続いているような澄み渡った青空の下、タケルは竜吾に連れられて、彼の職場への道を歩いていた。いつも通り朝食を摂って家を出たのだが、昨晩から話してくれた内容以上の話はまだしてくれていなかった。少し不安げに、自分の一歩前を歩く竜吾の横顔を見るが、その視線に気づいて微笑んでくれただけだった。
職場というので住宅街を抜けて、街中に入っていきそうな気がするのだが、街に行くどころか、同じ住宅街を抜けるにしても、どんどん人気のないところに入っていくようだった。最初は家々がたくさん並んでいたのだが、やがて空き地が目立つようになり、とうとう周りに木々が現れ始め、林へと変わっていった。どこまで歩いていくつもりなのだろうかとタケルが思い始めた時だった、竜吾は歩みを止めた。
「ここです」
そう言って、林の中を指差した。そこには建物らしきものは見当たらなかったが、鳥居が一つ立っているのが見えた。木製の、色は塗られておらず丸太をそのまま使って作ったものらしい。しかし、作られてからかなりの年月が経っているのか、ところどころ苔むし、表面が剥げかけているようだった。だが、その鳥居を見て、昔聞いた噂話を思い出した。
南蛮屋敷、確かそう言われていたはずだった。小学生の時、同級生が話していたという記憶がある。といっても、自分が話している時に聞いたものではない、噂話をしている同級生たちの話が、に耳に入った程度のものだった。
町のはずれには南蛮屋敷という、大昔にこの国に来た外国の人々が暮らしていたとかいう屋敷があるようだった。その屋敷の入り口には古びた鳥居があるという話だった。そもそも存在があるというのが定かではないのだが、その後に続く噂は小学生らしく外国の人々の幽霊が出るというものだった。タケルも幼心ながら、幽霊などという存在は信じていなかったし、その南蛮屋敷というものが使われていた時代というのは、学校で教わったもので五百年も昔の話である。そんな時代の建物が残っているなど到底思えなかった。
そんな昔の噂話に出てきた屋敷と思わしきものが、伝説などではなく存在しているかもしれないと思うと驚いたのだが、その名前を口にした時に「そうとも呼ばれていますね」と返ってきた竜吾の言葉にもっと驚かされた。その言い方をされると本当にその屋敷が実在するようだった。
タケルが呆気にとられていると、鳥居の方に竜吾が歩いていくところだった。慌ててそれを追いかけて鳥居を潜ると突然目の前に大きな建物が現れた。三度驚いたタケルは今潜ってきた鳥居を振り返った。鳥居の目の前にいた時は建物などは見えなかった筈だ。元に直って建物を見上げたが、あまりの大きさに圧巻された。五百年前の建物だというが、二階建ての木造建築で、まるで時代劇に出てくる殿様が住んでいるような大きな屋敷のようだった。
入り口、というより現在の建築でいう縁側のような場所に上がった竜吾が手招きをしていた。慌ててそちらに上がっていった。靴はどうするのかとおもったのだが、上がってすぐの場所に靴を入れる場所があった。その靴箱には既にいくつかの靴が入っていた。
「この場所には結界が張られていますからね、招かれざるものはここに入ることも見ることもできません」
そう言って、屋敷の中を歩き出した。大昔の建物だからかなりガタがきていて、床が壊れていたり、壁に穴が空いたりしているのだろうかと思ったのだが、案外そうでもないようだった。南蛮屋敷とはいうが五百年前の建物は昔のままではなく、何年か前に建て替えられたのだろうかとそんな事を考えながら歩いていると、目の前から歩いてくる人影があった。その人は二人を見つけると、よぉと片手を上げた。
「やっと来たな寝坊助、こっからは俺が案内しよう」
「よろしくお願いしますね、龍太郎」
そう言って、龍太郎に引き渡されたあと、竜吾は自分の仕事をしてきますねと言って元来た道を戻り始めた。
「ああ見えて竜吾は実戦担当なんだ、実は俺より強いぞ」
道すがら龍太郎はそう説明してくれた。彼より大人しい見た目の竜吾が実戦担当だとは驚かされた。そんなことを呑気に考えているうちに、一つの大広間らしき襖の前に着いた。
「さあ着いたぞ、ここでお前が知りたかったこと全てを話してやる」
そう言って襖が開け放たれた。
襖の向こう側には多くの人間がいた。座卓の上に書類を広げて文字や数字を書き付けている者、和綴じの本を開いて何やら調べているらしき者、その周りの壁や襖にまで地図のようなものがたくさん貼り付けてあるようだった。その地図の周辺にも、印をつける者やその前で話し考え込んでいる者がいた。
その人々の間を抜けて、時代劇で将軍が座っているような一段上がっている場所に着いた。そこには、腰ぐらいまである高さで天板が五角形の机が置いてあり、上には一枚の紙が広げてあった。その横に一人の人物がいた。その人物は二人が近づいてくるのを目の端で見つけたようで、こちらを向いて上品そうに微笑んだ、ように見えた。
「やぁ!君がタケル君だね!」
と言って、上品な微笑みから一変し、これ以上ないと言わんばかりの満面の笑みを浮かべ、タケルの手を取り激しく上下に揺さぶった。
タケルはその人物をまじまじと見つめた。口調だけ聞くと男性のように思えたのだが、妙齢の女性だった。黒髪で腰まである髪を高いポニーテールにし、光の加減によって赤く見える黒い瞳をしていた。スーツのような服装をしていたが、その上に美しい桃色に桜の花が映える着物を羽織っていた。そして何より印象的だったのは、左目の下に遺された濃い濃い傷痕だった。
呆気にとられていたタケルを見つめて彼女はまた楽しそうにニコニコと笑った。
「…そこら辺にしといてください、副長」
龍太郎が少し呆れたように頭を抱えながら言うと、ああすまない私したことが!と言って手を離し、一息置いて、改まったように自己紹介をしてくれた。
「初めまして、私は後藤景虎、ここの副長をしている者だよ」
そう言って再び手を差し出してきた。その手を握り返し、必要はないと思うが念のため自己紹介をした。
「お名前聞いていらっしゃるかもしれませんが、錦小路タケルです」
景虎は楽しそうに頷いた。女性なのに男の人の名前をしていることに驚いたが、それ以上にこの時世に戦国武将のような名前を持つ人がいることに驚いた。…ここに来てから驚きっぱなしだな、今日は疲れそうだと密かに考えた。
「副長ってことは、ここは何かの組織なんですか?」
先程からの疑問を、辺りを見渡しながら投げかけた。職場とだけ聞いてきたため、会社のようなものを想像していたのだが、自分の中にあるイメージの会社とは全く違うものだったからだ。パソコンのようなものはおろか、電子機器が全く見当たらなかった。神様相手の仕事の職場なのだから、なんとなくそういった機器が見当たらないのには勝手に納得してしまった。
景虎は少し考えた後に答えてくれた。
「正式名称、というものは存在しないが、強いて言うなら人々は私達の事をこう呼ぶな、神守衆と」