第一話
随分前に思いついたアイデアが今日の午前中に転がり始めたので新鮮な内に書いておきます。現在書いてる「サンクテュエルから望む短命の星々」と異なり今後の展開が全く見えてないのでまた違うタイプの頭の体操だなーと思いつつ完結目指してがんばります。
第一話
突然、ガスバーナーを直に頬に突きつけられたかのような熱い痛みを感じて前後不覚に跳ね起きる。目を開けてもしばらくは何も見えなかった。暗闇を貫いた日射があまりにも苛烈で、ひたすら白い。ここはどこなのか、いつから、どのくらい眠っていたのか、目を慣らしている間中そんな疑問はついぞ浮かばなかった。寝起き直後の人間の理性はゴリラ同然だと聞いたことがある。しわしわな人間の脳はつるつるな魚の脳の機能を拡張したバージョンアップ版に過ぎないと聞いたことがある。生きている間に何かでかいことを成し遂げられそうにない俺でも人間としての尊厳は持ち合わせているつもりだ。だがその時の状況を持ち出されたなら、もはや認めるしかあるまい。その時の俺は、まさに陸に打ち上げられた魚だった。ただ呼吸に不自由しなかっただけの違い。
「あ……ああ……」
両目を押さえていた手の片方で砂を掴むと――地面はさらさらの砂に覆われていた――次の瞬間にはそのあまりの熱さに手を離した。地面の熱を認識すると屈んだ両脚もいてもたってもいられなくなってしまった。だがそこは、見渡す限りの黒い砂漠だった――
そう、ようやく視覚を取り戻した俺はそこが砂漠であることを知ったが、最初に目に飛び込んできたのはもっと別のものだった。
地獄で仏に出会うとはこういう場合に使うのだろう。厳しい日射から肌を守るために全身にぼろきれをまとっているものの、すらりとした細身のシルエットがはっきりと見て取れる。長い黒髪にぷっくりとした唇、褐色の頬……さもありなん、太陽に熱烈な祝福を受けた土地の美女は健康的に焼けていなければならない。置かれた状況も忘れて、俺は隠された美の正体を覗き込もうと這いつくばった。そうして愚かにも、こちらが覗く時、向こうもこちらを覗いていることまで忘れていたのだ。だがこれについては弁解も許されるのではないだろうか。今冷静に考えても、助かったと思って何がいけないのか、俺には分からない。
背丈がそう高くないことはすぐに気づいた。俺より二周りは小さい。自分がどれだけ無様な姿かという肝心な問題には気づきもせずに、俺は彼女の眼が何色かを確かめるべくおずおずと起き上がった。その時だ、褐色の顔を覆うガラス製と思われる分厚いゴーグルの奥で、地平線まで広がる砂漠の砂のような漆黒の瞳に軽蔑の光が灯っていることに気づいたのは。
「硝喚。」
小さな唇が冷ややかに囁く。かつてない痛みが胸に走る。全身に滞留していた熱が一気に氷点下に引き下げられたかのような鋭い痛み。恐る恐る視線を下げると、彼女が右手に持ったガラスのナイフが俺の心臓を、肺を貫いていた。一歩、二歩と下がってようやくナイフは抜け、再び砂漠に崩れ落ちた。そうして意識を失う直前まで感じていられたのは目覚めた時最初に感じた頬に焼けつく熱だった――
「ずいぶん長い回想ですね。あくびが出そうです。」
言いながら褐色黒髪の少女があくびする。
「とは言えわたしに好意を抱いて頂いてることには感謝します。」
「中途半端に中世の宮廷詩人の散文詩を読んだ成果だよ。俺の青春をばかにするな。」
「それで、記憶の整理はつきましたか?確かにわたしも生きたままグリルの上で焼かれる豚のように跳ね回るあなたに何の弔いの言葉も与えず心臓を一突きしたのはこれ以上ない快感……もとい心苦しい思いに苛まれたのでこうして多少の時間を差し上げたわけですが」
愛らしい目尻に歪んだ笑みが浮かぶ。背筋がぞくぞくとしてつっこみの言葉も出ない。短いやりとりで完全に理解したが彼女は正真正銘のドS。そしてSはサイコのS!
「どうしました?なにか言いたそうですね。」
どういう意味だ?つっこみ待ちだとでも?冗談じゃない。こっちにドS発言を喜べる余裕はないぞ。一度殺された相手にあの瞬間を思い起こさせるジョークを言われたところで身の毛がよだつだけ。
「いや、特に何も。だが教えて欲しい。心臓を刺されて無事な訳がないはず。でも生きてる。これはなぜだ?」
「まあ、まずはそこですよね。ご説明させていただきます。二度生き返ったあなたには全てを知る権利がありますから。」
二度、生き返った……?何を言って……?
「硝喚。」
再び背筋が凍る。寝台に寝そべりつつも思わず身構える。
「いいですね、その怯えた目。」
「お前っ、ほんッとにどうかしてるぞ?!」
「大声を出したところで力関係は変わりません。生殺与奪の権利はわたしの手に握られているのです。」
どうにも得心がいかないが、このそう広くもない寝室、あるいは病室はガラスでできているらしい。乳白色の氷のような表面が彼女の言葉に応じて水飴のように溶け、座ったまま壁に差し伸べた右手に向かってゆっくりと延びていく。そうしてあれよあれよと言う間に彼女のほっそりとした手にはあの時のガラスのナイフが握られていたのだった。
「ガラスの刃物は、脆い。軟らかいものを刺すのでもない限り一度使えば大抵割れます。」
軟らかいものって、俺の内臓のことだよな……
「ですがだからこそ便利な使い道もあるのです。」
重要な説明を三、四個すっ飛ばしていきなり核心に迫る解説を始めたぞこの美少女。繊細な顔のつくりに反して性格は雑だな?
「ある種の安全装置のようなものと考えてください。わたしたち異邦人審問官は業務の一環として人を殺す際誤って死すべき定めでない人物まで殺めてしまわないよう呪いをかけられているのです。あなたを裁くギロチンの刃は落とされた。それでもあなたの首は再び胴体にくっついたのです。
以上で説明を終わります、ご理解頂けました?」
「ぜんッぜん説明になってねぇーッ!!」
天使のような屈託のない笑顔で物騒な単語の連呼を終えた少女に俺は初めて心からのつっこみをかました。