ー第8話交渉 負けるな私!
ー第8話交渉 負けるな私!
ベリー ペット グットレストラン21号店の前の、国道を走っている車の流れがピタッと止まった。何かが起こる前兆だ。
その国道に、パトカーがサイレンを鳴らさず集まってきた。そう私達は、中国 日本 アメリカを敵に回している。レストランのお客さんと犬達。そして社長さんと従業員さんを巻き添えにしている。
「おとうさん。ここから移動しないと…お店やお客さんに迷惑がかかるよ。」
「そうだな。何か考えよう。」
夫は手を伸ばして、私の手を握った。気づかなかったけど、みっともない位に手が震えていた。夫の手も。でも、手を握り合うと…震えが止まった。
パトカーからは誰も降りてこない。2部もこない。全員殺されると私は思った。
「死んじゃう私達?。」
「ユウ。これが終わったら何する?。」
夫は的はずれの事を言った。
「何をって?。」
「ユウ。何する?もう1人子供つくるか?。」
「…何言ってるの?。」
「考えて。明日はどれだけ素晴らしいか考えて。そんな素晴らしい未来が待ってるのに…死ぬわけにはいかないだろ?。」
ーそうだ。死ぬなんて 死ねるわけない
私は涙をぬぐって、髪を横に払った。
「コーギーを飼う!。一匹が限界だけど。」
「よし!。終わったらコーギーを飼おう!。」
「子供達とね!。」
「もちろんだ。子犬を連れて下に行こう。」
レストランのお客さんに手伝ってもらって、10匹の子犬をレストランに下ろした。
ー頑張って。
ー負けないで。
ーやれるよ。
と声が掛かる。
私達に気づいた直が、振り返って走りより、私の足に抱きついてきた。
「こわいよ。こわいよ。」
「おかあさんの足に抱きついてて。そこなら大丈夫だよ。神様はきっと見ている。正しい努力をしている人間を見捨てたりしない。」
私はそう言うのが精一杯だった。
やがて遠くから、パタパタと音が近づいてきた。夜の闇の中から、迷彩色の双発ヘリコプターが現れて、国道の上に着陸した。やがて、10人程の護衛に囲まれて、テレビでよく見る背広の人物が近づいて来た。
「富樫総理大臣?。」
その横に、もう1人黒い背広の人物を伴っていた。その黒い背広に向かって、洪少平が敬礼した。そして、その人物を先導し始めた。ヘリの音で会話は聞き取れない。一行は、私達の前に来た。
小谷師範が私に向かって言った。
「長沼さん。総理大臣と、こちらは唐嘩嶺中国国家主席です。洪が通訳します。」
まず総理が口を開いた。
「長沼さん。さっそくですが、中国全権代表が交渉をしたいと言われていますが。その用意はございますか?」
一般市民に対して、その言葉使いは丁寧だった。夫が私の背中を突っついた。
「はい!。有ります。」
小谷師範が小さな声でー頑張るのですーとささやいた。
レストランのお客さんも獣医さんも社長も従業員さんも見守ってくれている。
「では。そちらの要求をお願いします。」
「まず、この10匹の子犬の命の保証をお願いします。」
洪が通訳した。唐国家主席はうなずいた。
「ナノマーク犬を造る事を中止して下さい。犬は私達と同じ命です。道具にしないで下さい。」
唐国家主席がうなずくのを待った。
「アメリカのウイルス兵器が使われないように、条約を作るよう世界に働きかけて下さい。」
洪は通訳した。唐国家主席はなかなかうなずかなかった。
しばらくして、北京語で口を開いた。洪が通訳した。
「それに関しては、本国に打診しなければ返事はできない。しかし。一刻も早くウイルスのデータを入手する必要があります。我々のつかんだ情報では、明日の朝7時にウイルス攻撃が始まるとしています。長沼さん。助けて下さい。子犬は決して殺したりしません。」
富樫総理が言った。
「条約は国内の批准が必要です。日本政府も中国政府と努力する事をお約束します。妥協して下さい。」
私は唐国家主席と富樫総理大臣をかわるがわる見た。
「ひとつお聞きしたいんですが?。」
「どうぞ。」
「私みたいな一般市民と、どうして交渉して頂けるんですか?。無視する事だって、できるはずです。」
洪少平の通訳を聞いていた唐国家主席と、富樫総理、洪少平、小谷師範が顔を見合わせて笑った。ー何?
総理が言った。
「この3人は、すべて小谷師範の弟子なのです。付け加えれば、長沼さんの娘さんもですがね!。」
少し気が遠くなった。私達が無事だったのは、単に小谷師範のおかげだったとは…。
「それに、このレストランは、妻がよくパピヨンのアキと来る店でね。店を壊したりしたら、妻に怒られますよ!。」
富樫総理は笑わせようとしてくれたが、笑えなかった。
洪少平が言った。
「長沼さん。犬をお預かりしたいのですが?。よろしいですか?。」
私はうなずいた。
洪少平の部下が10人来て、一匹づつ抱いてヘリの中に入ってゆく。見送りながら、涙が出た。
「子犬達。精一杯生きて!。」
と叫んだ。10匹の内4匹は成犬になれないのだ。
ーエピローグ
1ヶ月後 長沼家
私達は何とか通常の生活に戻った。
夫はコーギーを飼おうと言ったけれど…私はあの10匹を渡した事で、そんな気になれなかった。もし中国政府が約束を破っても、私にはどうする事もできない。やはり、断るべきだったのかも…と思ってしまう。
しかし、ウイルス攻撃についてはテレビニュースでも新聞でも大きく報じられ、最終的にアメリカ政府は、軍の独断による暴走であったとして謝罪した。
日本と中国は、こうしたウイルス兵器の使用禁止を求める声明と、禁止条約の締結を目指すと発表した。
ナノマーク犬については、ニュースに出てこない。しかし、ベリー ペット グットレストランの獣医の先生は、動物愛護団体の情報として、中国は縮小をし始めていると教えてくれた。期待していなかったけれど…小谷師範の手前、唐嘩嶺国家主席も努力せざるおえなかったようだ。もうひとつ、ブリーダーの鳥居さんの話がある。事件の翌日に岐阜保健所の職員さんから、メールが入っていた。
:Message
先日は、子犬を引き取って頂き有難うごさいました。本日、犬の譲渡会を行い、163匹の持ち込みに対して200名の希望者におこし頂きました。これは、言わないで欲しいとの事でしたが、ブリーダーの鳥居さんもお見えになっていました。事情をお聞きした所、長沼さんの涙を見て、自分が間違っていると気付いたそうです。鳥居さんはジャンケンに負けて、犬を引き取れませんでしたが、もう処分に持ち込まれる事はないと思います。お怒りとの事と思いますが、どうか許してあげて下さい。頼まれた訳ではありませんが、こうしたブリーダーの方は稀です。私から長沼さんにお願いしたい。過ちを正す事はばかる事無かれと言う言葉もあります。怒りと共に許す事も大切です。余計な事であったかも知れません。そうであったなら、お許し下さい。
岐阜保健所職員 野犬担当官
ーEND
あの時は、自分のしたことは無駄かもしれないと思ったけれど、やれば報われるものだなと…。
そんな事を台所で思っていると、一番下の桜が何やら持って歩いて来た。重そうだ。
「桜?。何それ。」
「コーギーちゃん!。」
見ると…見た事の有るようなコーギーだった。
ー夫だな。
「何?。おとうさんが買ってきたの?。」
「ウゥン。ヨコヤンのおじさんだよ!。」
「ヨコヤン?横山さんじゃない?。」
「そっヨコヤン!」
私は桜から、コーギーを抱き上げた。
ーこの顔…見覚えがある。まさか…
桜を連れて、玄関から外に出た。夫と、直と歩がいる。そして、9匹のコーギーが元気にまわりを歩いている。一匹が私のカカトをカプッと噛んだ。
横山さんが立ち上がった。
「長沼さん。これはあの10匹のコーギーです。ナノマーク犬が成犬になれない理由が判明したそうです。対策は、睡眠薬だそうです。…」
私は知らない内に、10匹の顔を全部覚えていた。
間違いない。
「…それに、DNAの凸凹を消す技術も発見されて、もうこの犬はナノマーク犬じゃありません。」
「おかあさん!。コーギー飼ってもいいでしょ?。」
直がイタズラっぽく言った。
「いいでしょ?。いいでしょ?。」
歩と桜も合唱する。
「10匹は無理よ。」
「長沼さん。小谷師範と竹山さん、中島社長と獣医の先生にスタッフ、富樫総理、あわせて9人。よろしければ、飼いたいとの事ですが…どうします?。」
「横山さん!。お願いします。」
夫が振り返った。
「良かったな!。おかあさん!。」
「ウン。色々ある。色々あるけどさ。やんなっちゃう事もあるけどさ。見て…世界は未来は、ホラこんなに素晴らしいよ!。」
犬達とたわむれる、子供達が見える。
夫は近付いて、優しく抱きしめてくれた。
ー後書きにつづく