ー第4話突入
ー第4話突入
夫は岐阜環状線を繰舟橋に向かって右折した。橋を渡ってすぐに、職人の店と云うのがある。そこで、中国スパイを縛り上げるロープやら、作業着やらスコップやらを買った。レスキューはやっぱりオレンジだと云うので、全員がオレンジのニッカポッカと作業着に着替えて、気分を盛り上げた。ようするに、3人共びびっていたのでした。
職人の店を出て、コンビニと農協支店のある交差点を右折する。まっすぐ行くと、警備員が居る大学のゲートに突き当たった。
夫はIDカードを警備員に差し出した。
「長沼教授。その格好は何です?。ビルでも建てる実験ですか?。」
変だと思うのは、至極もっともな事に3人とも気付いたが…どうしようもない。
「いや…今日は休みで、穴掘り大会のイベントに家族で…財布を研究室に忘れてきたんでね。」
「あ〜なるほど…こちらは奥様と娘さん。どうもはじめまして。」
警備員は不審な顔から笑顔になった。
私と直は笑顔で会釈した。
「…よろしいですな!。家族でイベントとは。うらやましい!。」
「いえ。娘がどうしても出たいと言うものですから…。」
そう言う私を直が睨んだが、無視した。始まってしまった芝居にはノルしかない。
「そうですか。頑張って穴掘って下さい!。」
仕方なく、直は買ったばかりのスコップを持って、愛想笑いをした。
車がゲートを抜けると、直は即座にクレームを付けた。
「どうやったら。私が穴掘り大会に出たくなるわけ?。」
「お父さんとお母さんが、穴掘りたいなんておかしいでしょ?。」
「私だって、おかしいよ。おしとやかな女の子なんだから!。」
夫が左手を挙げた。
「ストップ。すぐに戦場に着くぞ。その場しのぎのお芝居に、整合性を求めるのは無意味だ。直。」
「私の人格をゆがめるような展開には、否定する権利があります。教授。」
「その権利は、作戦終了まで行使するのは停止する。…着いたぞ!。」
全員が遺伝子工学棟と書かれた入り口の前で、ツバを飲み込んだ。
夫を先頭に直を真ん中に挟んで、ドアを開けた。スコップは入り口に置いておく。
5m程の廊下があり、その一番奥に遺伝子工学研究室のドアが見えた。夫がノックする。
「物理の長沼です。陳教授いらっしゃいますか?。」
何か床に落ちる音が聞こえてきた…中の2人は、かなりイッパイイッパイらしい。
すぐにドアは開かなかった。時間は15時40分…中では作業が最大の山場を迎えているはずだった。
「陳教授?。警察の方がお話しを伺いたいと…。」
夫は挑発に出た。そしてそれは、見事に引火した。
陳教授と孫助手は、かなり頑張って読み取りを終わらせていた。孫助手が読み取ったディスクを持ち、陳教授が犬のゲージを持って、突破を試みようとした。
ドアが思いっきり内側に開かれて、孫助手が体を低くして飛び出してきた。私と夫は右に身をかわした。直は孫助手の背中を飛び越え、陳教授の鳩尾に当て身を見舞った。大きく後ろにのけぞりながらも、体勢を保ちながら後退する。直は四つん這いで逃げようとする孫助手に向き直って走り、もう一度飛び越えて進路を塞いだ。その背中に、ヒジで当て身を入れる。孫助手は呼吸ができなくなって、床に這いつくばる。
その間に、陳教授は廊下に出てゲージを床に置き、38口径の拳銃を直に向かって構えた。そのゲージを夫がさらって、研究室の中に飛び込む。あわてた陳教授の銃口が直から外れて、一気に間合いを詰めた直の当て身が、振り返った陳教授の眉間に炸裂し、陳教授は視界を失った。
私が孫助手と陳教授の手を背中に回し、夫が縛った。直がゲージを持って車に向かう。この上なく快調だ!。私と夫が遺伝子工学棟の入り口を出ると、直がゲージを下に置き、右半身で仁王立ちしていた。
快調なのはここまでだった。
「出るもんが出たか…。」
夫が口にした先には、2m近いマッチョな中国人が、直に対して右相半身の構えで立っていた。
「直っ!。」
夫がスコップを直に投げた。振り向かずに直はスコップをつかんだ。完全に命を守るモードに入ったようだ。
「子犬は渡さないんだから!。」
マッチョな中国人はTシャツにゆったりとしたズボンを履いていた。靴は明らかにジャングルブーツだ。彼は普通の日本語をしゃべった。
「一般市民が、こうした事に首を突っ込まない方がいい。去りなさい。」
筋肉馬鹿では無さそうだ。紳士的だ。
「去るのはあなたです!。」
直は一歩も引かない。私はゲージを直の横から後ろに下げた。ものすごく重い…見ると2つのゲージに5匹づつが身動き出来ないで入れられていた。眠らされているようだ。
私も夫もスコップを構えて、ゲージをガードする。
「これは同志の為です。お許し下さい。」
マッチョな中国人は、構えを解いて合掌して見せた。
今まさに、マッチョな中国人が間合いを一気に飛ぼうとした時…その気合いをくじくタイミングで声が飛んだ。
「洪少平退きなさい!。」
声のする方を全員が見た。3輪自転車に乗った老婦人がこちらに向かってくる。直とマッチョな中国人が同時に叫んだ。
「小谷師範!!。」
小谷佐恵子師範は、直とマッチョな中国人の間に自転車を止めると言った。
「洪!。直と戦ってはなりません。」
洪は困惑した顔で言い返した。
「師範…。これは故国の人々の命が掛かっています。どうか…見逃して頂きたい。」
「アメリカの人殺しの機械の設計図が、どう命に関わるのです?。洪?。」
洪少平は言い澱んだ(よどんだ)。
「…言えません。ただ退けませんと言う他ありません。」
「ならば。私が相手をしましょう。どれほど精進しているか、見てあげます。来なさい。」
小谷師範は構える事なく立ったが、完全に洪少平を圧していた。
「来なければ。行きます。」
この老婦人は、いつも道場に座って見ているだけで、もちろん指導もするが、手合わせを見た事がない。この老婦人が、2mの距離を一気に詰めて、突きを繰り出した。明らかに手も足も出ない洪は、防戦一方で、短刀取りで手を取り肘を決めようとするが…魔法のようにかわされてゆく。7発目の突きが体に吸い込まれた時、膝をついて崩れた。
「この場は、師範に免じて退きます…。」
洪少平は、後ろに飛んで走り去った。
小谷師範は追う事なく、私達の方に振り返った。
「長沼のお母さん。横山さんから電話を頂いて、駆けつけましたが…。不用意ですよ。」
「はい。…すいません。ありがとうございます。助けて頂いて。」
小谷師範の目がピクリと動いた。
「それは違います。私は洪少平を助けに来たのです。」
「はぁ?。」
「もし。洪が直と戦ったら、洪が死んでいる所でした。」
「……。」
「洪は6才から17才まで、私の道場に来ていた一番弟子です。レベルは最高レベルです。最高レベルで洪が戦ったら…自らの力をコントロールできない直は、合気道における神の域の力を使ってしまうでしょう。そうなれば、洪は即死です。長沼さんのご両親。娘さんを殺人者にする所だったのですよ?。」
「………。」
「事は収まりました。それは良いでしょう。その犬達は横山さんにお渡しなさい。一刻も早く。洪はまた闘いを挑んできますよ。」
夫が唖然として開いたままの口を動かして言った。
「小谷師範。しかし、私も妻も娘もこの子犬の命を見捨てる事ができません。横山さんに、このまま渡せば殺されるのはわかっています。殺されない保証を得るまでは…私達は逃げ続けるつもりです。」
「子犬の為に、洪を殺す事はなりません。」
「……師範。ではご一緒に来て頂けますか?。自転車は、私の研究室の中に。」
小谷師範はしばらく夫を見つめた。
「…良いでしょう。私と直がいれば、何人たりとも寄せつけません。」
こうして。長沼レスキュー隊に小谷佐恵子師範が加わった。
次話!。
ー第5話 説得
につづく!