ー第2話深夜の帰宅
ー第2話 深夜の帰宅
なんとか奥さん達には笑顔をつくって、お礼を言う事ができた。
子供達に食事をさせ、直に弟と妹を風呂に入れさせてと…やっている内に夫の帰りが遅いのに気付いた。昼過ぎから大学に出勤だった。もっとも、研究室では日によって時間を忘れてしまう人ではあったけれど…それなら電話が有るはずだった。携帯に着信もメールもない。代わりに清美からメールが入っていた。
:Message
まだ凹んでるかな?。ユウはさ、手が2本で体がひとつじゃない?。千手観音はさ、全ての人を救おうとして千本の手を持ったんだって!スゴスギ。でも救いきれないんだって…。そんなスゴイ観音様が全部救えないのにさ、ユウが全部救おうとして悩んじゃダメ!。そのズングリムックリの二本の手で5匹の命を救ったじゃない!。その事を否定しちゃうなんておかしいよ。あの保健所の他にも、同じ運命の犬達が世界中に居るはずでしょ?。ユウは世界中の犬を1人で救うつもり?。…無理だよね。5匹でユウの責任は果たせたよ。後は同じ気持ちを持った人達に任せましょ。いつか世界中の全ての犬達が処分されない日を信じようよ。元気だせ!。ナガヌマ ユウ!。
竹山 清美
ーENDー
「そうだよね…ありがと。」
返信を打って、子供達を寝かせると11時になった。
さらに。12時を20分過ぎた所で、玄関のチャイムが鳴った。夫は鍵を持っているのでチャイムは鳴らさない。時間が時間だけに、警戒しなければ。インターホンはない。ドアを閉めたまま、私は聞いた。
「どちら様でしょうか?。」
「警視庁生活安全課2部の横山と申します。ご主人をお送りしました。長沼はじめさんのお宅ですよね?。」
「はい。はじめは夫ですが…。夫が何か?。」
「かなり酔っておられまして。車で帰るとおっしゃられるので、私が運転してきました。」
夫は酒を飲めなくはないが、自分から飲みに行って酔っ払う事はない。
「夫とは、どういうご関係でしょうか?。」
「ご主人とは、たまたまバーで隣りに座っただけなんですが、竹山透さんと清美さんを私が知ってまして。雨屋事件とメモリアルの事件で。」
ハタと思い当たった。
「2部の白根さんの所の横山さん?。」
「良かった。そうです。」
「学生会館で延長コードを見つけた人物と、それを持ってきた人物を答えて下さい。」
「…いいですよ。見つけたのは竹山透さん。持ってきたのは清美さんです。」
私はメモリアルセンター事件(君はあの日のまま帰ってきた小谷編参照)の話を清美から何度も聞かされていた。清美は透くんから。透くんは小谷利治刑事からの聞き伝えではあったけれど…。
私は玄関のドアを開けた。
20代後半の背広を着たイケメンの青年に、ほぼくたびれた40代の大学教授が肩を担がれていた。
「すいません。横山さん。疑ってしまって…。」
「いや。それ位慎重じゃないと、今は危険です。今の対応は100点満点です。…ちょっとご主人、ご自身では立てないようなので、寝室まで運びます。」
華奢に見えるものの、180cmでメタボリック検診ギリギリの夫を、軽々と支えて横山さんはドンドン入ってきてしまった。何故か間取りを知っているかのように、寝室に音も立てずに真っすぐ運んで出て行こうとした。
「あっあの横山さん。ありがとうございました。わざわざ送って頂いて。」
「問題ありません。これ名刺です。2部にご用があれば、私の携帯でも2部の代表電話でもお掛け下さい。」
この時は疑問に思わなかったけれど、ここで名刺を出してご用が有ればと云うのは奇妙だった。2部は一般市民のご用を承る機関なんかじゃない。夫も私も、すでにこの時事件に巻き込まれていたのでした。
翌日。
子供達を送り出しても、夫は起きて来ない。8時半くらいに、這いつくばるようにリビングに現れ、大学に自ら電話して、休む事を告げた。
私は昨日の事を夫に話したかった。出来れば慰めて欲しいと期待した。ところが…。
「聞いてくれ。ユウ。」
と…お母さんではなく、ユウと切り出されてしまった。
「俺は無力だ。」
と言われて、慰められるどころか、慰めなければならない事を覚悟した。今日の家事の予定はメチャメチャになりそうな事も…。
前日。長沼はじめ物理学教授は、自分の研究室で論文を書いていた。研究室は遺伝子工学研究棟の中に臨時に部屋をあてがわれていた。物理学研究棟はまだ建設中で、2ヶ月先が完成予定だった。
どうゆう構造なのか、臨時の研究室は独立した入口を持っていて、遺伝子工学研究棟とはドアが無かった。長沼教授が研究室に出入りしても、遺伝子工学の方ではまったく分からなかった。しかし、音や会話は壁を通して丸聞こえだった。長沼教授はしゃべる必要もないし、音が出るような実験もとりあえず無かった。その為、遺伝子工学研究棟では長沼教授の存在にまったく気付いていなかった。
そして夕方5時を過ぎて、長沼教授は本業を終え帰ろうとした。しかし、SF小説のアイデアを思いつき夢中でメモを取り始めた。
6時前後に、遺伝子工学教授の陳教授と孫助手の会話が、壁越しに聞こえてきた。名前からも判る通り2人とも在日中国人の2世で、会話は北京語ではなく広東語だった。彼らは普段は日本語しか使わない。
長沼教授は広東語を理解できた。学生の頃に気まぐれから広東語を話す留学生と親しくなり、完全に習熟していた。さらに、SF小説のネタにするために遺伝子工学の論文も読んでいた。陳教授はDNAに情報を書き込むナノマークと云う分野が専門で、その論文も読んでいた。そうした人物が聞いているとも知らずに、2人はとんでもない事を大声で話し始めた。
(以下は広東語の会話)
ー明日。アメリカ班から設計図が届く。
ーボリュームは?
ーハード部分の他に、火器管制 操縦系 レーダー系 通信系のソフトウェアだな。ラプターの次の主力戦闘機らしい。まだコードネームもない。
ーじゃあ、そのまま使われないかもしれませんね。
ーバージョンは当然アップしてゆくだろな。…とにかく、明日の9時から始めて…4時には全て読み取る。
ー子犬のDNAに1と0で書き込んであるんでしょ?4時に終わりますか?。
ー日本の公安関係が動き出したらしい。4時に終わらせて…子犬を処分して…東京の中国大使館に逃げ込む。出来なければ、カプセルを噛んで自決する。
ー子犬自体を本国に送れないんですか?。
ーそのルートは2部に潰された。他にDNAを読み取れる施設が使えるのはここだけだ。
ー処分って、射殺するだけじゃ駄目でしょ。
ー焼くしかない。車に乗せて、車ごと焼く。
ー派手過ぎませんか?。
ー焼夷火薬を使う。3分で完全燃焼させられる。消防車が来る前に証拠は消えるはずだ。
長沼教授は手が震えるのを必死で押さえていた。
気付かれたら殺される。
壁の向こうの2人が去るまで1時間。身動きもせず長沼教授は待った。
おぼつかない足取りで研究室を出て、車に乗った。安心感と共に、明日の子犬の運命が頭に渦巻き始めた。
見て見ぬ振りもできる。
だが…。
長沼教授は、車を歓迎会やら打ち合わせに使っていたメンバーズクラブに向けた。
アルコールが必要だと、長沼教授は判断を下した。
そして、その後ろを横山刑事が単独で尾行していた。メンバーズクラブで隣りに座ったのは、けっして偶然ではなかった。横山は広東語が解る長沼教授から、その夜…全てを聞き出す事に成功した。
夫から事情を聞いた私は。
「忘れましょう。」
と普通は言う所だった。でも、私はすでに人間の都合で命が失われる現場を見てしまっていた。私の口から別の言葉が出た。
「絶対に違う。」
「それは何に対してだ?。ユウ。」
「人殺しの戦闘機の為に、子犬が焼かれるなんて絶対に違う!。」
「そうだ。その通りさ。」
「救い出す。4時に焼かれる前に。」
「誰が?。仮面ライダーか?なんとか戦隊か?。ゼブラーマンか?。」
夫はまだアルコールが残っている。
「長沼ハジメと長沼ユウの長沼レスキュー隊がやるの!。」
「ユウ…お前も酔っ払ったか?。俺の酒臭い息で。」
「私はシラフよ。」
夫の目が冷たく光った。
「2人共、殺されるかもしれないぞ?。」
「直が居るわよ。」
壁の小学生全日本合気道大会優勝のメダルと賞状を私は見た。
「待て。小学4年生を巻き込むな。」
「小谷のお母さんが認めた達人よ。グリーンベレーでも敵じゃないって。」
「そりゃ物の例えだ。ルールに則ってグリーンベレーと戦えば勝てるかもしれん。ルール無用の中国人では訳が違う。」
「お父さんが行かないなら、私だけでも行く。」
「待て。行かないわけないだろ?。ユウを見捨てられると思うか?。幼稚園の頃から愛してるのに。」
「まさか。冗談はやめて。」
「ファーストキスは入園式の後だったのを覚えてないのか?。」
「ウソ言わないで。しつこいから叩いたのは覚えてるけど。」
「思い出せ。歯と歯が当たったから、ユウが怒ったんじゃないか。」
私は何となく、そんな事だった気がしてきた…。
あ〜でもそんな事思い出してる場合じゃないよ!!。
救える命は全て救う!。泣いてる場合じゃないぞ、長沼ユウ!。
次話。
ー作戦計画
に期待せよ!!