ー前書き
献辞
管理者のウメさんに
守り育てる人が居なければ
生きられない小さな命に
自分の全てをそそぐ
全てのお母さんに
そして
その全てのお母さんの気持ちを
土足で平気で踏みにじる事のできる
愚か者達に
涙を流すしかない
お母さん達に代わって
渾身の怒りを込めてこの作品を捧げる
ー神様はきっと見ている
ー前書き
まず、この物語を書く事になった経緯を書こうと思います。
メッセージ欄に届いた読者さんの文章が、最初のきっかけとなりました。
犬を繁殖するブリーダーと云う職業があります。繁殖させ、子犬を売る商売ですが、商売である以上売れ残りが発生します。この売れ残りをどうするかと云うと、引き取り手が無い場合…読者さんは処分と云う言葉を使われていましたが…事実は保健所に持って行き、容器の中で炭酸ガスにより窒息死にされると云う事です。
引き取り手の無い子犬は処分すると云う言葉に、読者さんは一匹を引き取られました。一匹が読者さんにとって精一杯でした。しかし、残りの犬達を思って、その無力さに落ち込まれてしまいました。
この読者さんに対して、武上渓が発したのは月刊武上の臨時増刊号になります。その後のやり取りの中で、武上渓が何が出来るかを考えました。アマチュアであっても作家である以上は、物語でと思いました。
では、どの部分からこの事実に対してアプローチしてゆくのか考えました。
ブリーダーが、ペット業者が、ペットブームが、ペットを買う人達が悪い…なら、こうすれば良いと云うようなアプローチには意味がないと云う結論に達しました。
武上渓が本作で採るアプローチは次の物です。ペット業者や保健所にいかなる正当性や法的根拠が在ろうとも、こうした事実に対して「違う。」と文章でも言葉でも発しなければならない。この問題に有効な解決手段が無かったとしても、どんなに無力でも「違う。」と言い続けなければならない。
何故なら。
何の見返りも求めず。自分の全てを捧げて子供達を守り育てている、お母さん達の気持ちを踏みにじる事になるからです。
「犬じゃないか。」
と思った読者さんもみえるかもしれません。お母さん達にとっては同じ命です。守り育てる事を放棄すれば、死んでしまう小さな命に犬も人間もありません。全ての大人達は、お母さんが守り育てる事を放棄しなかったから、赤ん坊と幼児期を死なずに生きて行けたのです。今、育児を放棄したり、虐待によって殺してしまうニュースを目にしていると思います。それ程、お母さん達を限界にまで追い込んでしまう程に育児はギリギリの仕事なのです。
毎日ギリギリの所で命を守っているお母さん達に
「引き取り手が無いから処分します。」
と云う言葉がどれほどヒドい言葉かを、私達は思わなければなりません。武上渓は、ペット関係者も保健所の方にも、お母さん達に対してこう言う義務が有ると思います。
「救える命は、全て救います。」
そして、実際に救える命は全て救って頂きたい。もし、お母さん達が、あなたを育てる事を放棄していたなら、今あなたは死んでいた事を思って頂きたい。
そのお母さん達の気持ちを踏みにじる行為に対して、人の子として
「違う。」
と言わなければなりません。
こうした気持ちを、長沼 優に託して
平井七丁目第4アパートより、岐阜県岐阜市下土居に引っ越しを終えた長沼家の前から物語を始めます。
次話。
ー第1話生まれた街につづく