表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アメリカ在住、40代のガン闘病生活。  作者: 黄色い万年筆
3/17

第2話 宣告を受けて:私のことなどを少々。

必要ないかもしれませんが、

私のことを少し書きました。

お前さんのことはどうでも良いよ、

という方は次の話に進んでも

問題なく読めると思います。

2016年の師走。舌の裏の出来物を専門医に診てもらった私はガンの宣告を受けました。


宣告を受けたときにパニックにならなかったのにはいくつか理由がありました。

まず第一に腫瘍が目に見えるものであったために、

自分でも確認ができたという事。


仮にも研究者ですからね。疑問に思ったらすぐ検索です。


いくつか信用できるサイトの写真と自身の症状を見比べた結果、

宣告を受ける前におそらくガンだろうなと言うことは頭の中に入っていました。


そしてパニックにならなかったもう一つの大きな理由は

それまでに培ってきた考え方とそれまでの現実でした。


学士号の後日本で三年間働き、

修士課程に入ってからも、

一年目に担当教授から見捨てられ、

(ものすごく忙しかった教授だったので

仕方はなかったとも言えるのですけどね、

今その立場になって考えてみると、あり得ないですけど。)

研究者としては何年も無駄に過ごしてしまったので、

博士課程の途中ですでに30歳。

もし日本に帰って正規に採用されようと思ったら、かなり厳しい歳です。


さらに学歴というのは不思議なもので、

上に行けば行くほど仕事の枠が狭くなります。

専門職にしか就けなくなるからです。

卒業まで目処が立った時期に30過ぎで彼女も無く、

先の仕事の見通しも立っていなかった私は、

どうせならとことんやってみようと覚悟を決めます。


元々勉強家というわけでもありません。

色々な仕事を経たお陰でずっと大学にしがみついていた人達よりも物の見方が違う、

と言うことが有利に働くことがあることは自覚していましたが、

四六時中研究論文を読んでばかりいるような人種と

競い合って行かなくてはいけないのです。

ならば恥も外聞も捨てて、出来ることはすべてやっていこうと。


幸いプライドが高い方ではないので、

今の仕事に就いたときは給料が低くても

とにかく好きな研究ができる環境をと言うことで、

博士号が必要とされていない専門職と言う形で就職しました。

同級生達にどう思われたか知りませんが、

その時は景気がとても悪かったので、

仕事があるだけで大満足でした。

そして三年ほど実務を経験して、順当に昇格したのです。


昇格してから仕事の忙しさは増すばかりです。

こちらの大学は日本と違い、

大学院生も教授がお金を出します。

学費だけではなく研究を手伝ってもらうという名目で給料も出します。

そのお金は大学から出るわけはなく、

色々なところから研究費用として引っ張ってこなくてはいけません。

大学から貸せられた目標は年間生徒二人。

学費と給料をあわせたら二人併せて年間一千万円です。


年間のバカにならない時間を研究助成金の請求の書類づくりに費やし、

その上に研究とその発表、講義、大学の業務、学会の雑用、生徒の教育、職員の給料の心配、ラボでの人間関係の心労。

毎日お金や従業員、生徒のことばかり考えていて、

中小企業の社長さんみたいです。


そして40歳で結婚もしたので家庭のこともあります。

長くなってしまうのでここでは書きませんが、

ストレスという意味では家庭の方が大きかったりしました。


さすがに徹夜や無理な残業をして続けられる仕事ではないので、

そういった形での無理はしませんでしたが、

残業は普通でした。

家に帰ってきてからも仕事をしていましたし、

週末も全く仕事をしない日はほとんど無し。

そんな生活を大学院時代から二十年。


でも、それでも良いかなと思っていたのです。

自分の実力以上の職に就かせてもらって、

楽しく仕事をさせてもらっているのだから、

全力出して当たるのは当然ですし、

出来うるならば、倒れるときには前のめりにと。

中二病でも、かっこつけでもなく、

余裕が無くて、そう思うくらいしか出来ないのです。


そんな毎日でしたので、

そのうち何かあるだろうなと感じていました。

どこかで歯車が狂うのではないかと思いながら生活をしていました。


そして今思えば、2016年はその兆候が大きく出た年でした。

2015年には毎日のように自転車通勤(片道16キロ有るのでいい運動です)をしていたのに、

2016年は一度もまともに自転車に乗れなかったのです。

体調が悪いというわけでもないのに乗る元気がない。

さらに何年もひいていなかった風邪になって仕事を休んだり、

急に貧血になって風呂上がりに倒れたり、

胃腸の調子がおかしくなって胃カメラを飲んだり、

肩が上がらなくなってカイロプラクティックスにかかるなど、

常に体調がおかしいなと感じて過ごしていました。


そんな調子でしたので、

宣告を受けたときには妙に納得してしまったというか、

それほど不思議には思わない自分がいました。


さすがに親族に癌患者が居なくて、

自身も多少お酒は飲むものの、

タバコも吸わないし、

運動もまだそれなりにはしていたので、

リスクは低いのではないかと思っていました。


元々胃腸が弱く、胃潰瘍のほうが先なんじゃないかと思っていたので、

癌であるということにはびっくりしましたが、

大病をするということに関して言えば、

とうとうこの時が来てしまったのだな、

と漠然と感じたのでした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ