第11話 手術。
手術の予定も決まり、年末も近づいてきました。
例年ですと友人の家に遊びに行ったりするのですが、
その年のクリスマスは家族でゆっくり過ごしました。
子供もたくさんプレゼントがもらえて、
クリスマスの朝は大騒ぎでした。
その間私は年末のレポートなど、
いろいろな仕事をこなしていた、はずなのですが、
正直全く覚えておりません。
年末から栄養士さんの教えてくれた栄養剤とサプリを飲み始め、
年が明けて1月3日、
私たちは再び飛行機に乗り、
CTCAへと向かいました。
まずは病院から徒歩5分ほど離れた
病院の経営するホテルにチェックイン。
病院内にもホテルはあるのですが、
どうもそちらは短期の入院や
再診の患者さんに優先的にあてがわれるようで、
長期の入院になるときは
いつもちょっと離れたホテルになります。
病院内のホテルの方がカフェテリアが近かったりして便利なのですが、
すこし離れたこのホテルには小さなジムなどがついていたりして、
一長一短という感じです。
続く1月4日は手術に向けての準備期間。
採血をされたり、
胃瘻(胃袋に直接繋がっている管で、こちらから栄養をとります)
を取り付ける準備をしたり、
前もって勧められていたカイロプラクティックスに行ったりしました。
頭や首周りの手術は患部に上手く施術するために
普段ではありえない方向に首を曲げることが多いらしくて、
せめてもの対策で、
手術の前日に整体にかかっておくと良いとのことでした。
胃瘻は本来ならこの日に取り付けるはずだったのですが、
連絡の不備で私が朝食を食べてしまったので、
手術の日につけることになったのです。
執刀医が最後まで胃瘻をつけるかどうか迷っていたので
この結果になってしまったのですが、
結論から言うとつけなくても良かった。
まあ、こればっかりは手術が終わってみないと分からないので、
判断は難しいですけど。この事についてはまた後ほど。
そして来る1月5日。
ついに手術の朝がやってまいりました。
当日は朝の6時に病院へ。
入館証を忘れるも問題なく待合室へ。
待合室ではすでに数名の家族が待っていて、
呼ばれた順に手術準備室に入っていきます。
どの家族も独特の緊張感を漂わせていました。
どうやって舌の裏側の患部にメスを届かせるのかを聞いていなかったので、
嫁さんとしばしそのことを話したのですが、
最悪頬にも傷ができることを覚悟しました。
今まで大きなけがをしたこともなかったので、
傷ができたらどうかなあ、などと考えてみたけれど、
思春期の子供ではない、44歳のおっさんは
いくつか傷ができてもあまり気にはならないかなという結論に達しました。
逆に若い人だとこのようなこともストレスになると思います。
準備室には一人で行き、
血圧などを計ってから、ガウンに着替えます。
点滴の針がうまく刺さらず、
看護師さんが落ち込んでいました。
(不備もしくは下手のまま手術室に送ると怒られるらしい)
着替えを済ませたころに家族を呼び、
さらに担当の先生方が挨拶と簡単な再説明のために来てくれました。
執刀医、胃腸科、麻酔科、整形外科。
2-3分の簡単な面接で、
2週間前にも聞いた話ではあるのですが、
手術を受ける患者、そして家族にとっては
これから起こることを丁寧に説明していただいて、
とてもありがたい時間でした。
うちの場合はLiving Will(遺書)と呼ばれる書類を作成したものの、
嫁さんが読んでいなかったので、
結局最後にドタバタした挙句、
証明のためのサインがもらえなかったのが、
唯一上手く行かなかったことでした。
7時半に準備室から手術室へストレッチャーで運ばれます。
手術室はすごい数の機械と人で、
思わず声が出てしまいました。
今更ながら、この人たちに助けてもらうんだなと感じます。
麻酔が効き始めてハイになっていたのか、
皆に感謝の言葉をかけたところで昏睡。
目覚めると当然の様に手術は終わっていて、確か5時過ぎ。
なんと11時間弱の大手術でした。
待っていた嫁さん曰く私の手術が一番長かったとのことです。
ちなみに看護師さんから数時間おきに連絡が入り、
手術の状況を知らせてくれたので、
子供を連れてホテルで待っていたそうです。
子供がいるとずっと待合室にいるわけにもいかないし、
かなり助かったと言っていました。
身体の三ヵ所を結構大きく切られていますし、
あちこち痛いのかなとも思っていたのだけれど、
そんなこともなく、
麻酔でぼーっとしたまま集中治療室(ICU)の病室へ運ばれ、
ここで家族と再対面しました。
しばらく嫁さんの話を聞いて、
話せないので少しだけ筆談をしました。
と言っても麻酔がまだ効いているので、
ミミズののたくったような字しか書けないのですが。
思ったよりも広い個室だったので、
嫁さんは一緒にいてくれるつもりだったようだけれど、
子供が飽きちゃってうるさかったので、
ホテルに帰ってもらいました。
結果的にはこれが正解。
集中治療の言葉通り、毎時間体温や血圧を計ったり、
血液の抗凝結剤を注射されたりで落ち着かないのです。
(そういえば点滴の針は全て新しい場所に刺し直してありました。)
集中治療室に入っている間は
1時間おきにバイタルサインを取るのが決まりらしいのです。
更に舌の患部の血流をドップラー心拍計で
二時間おきに測るのですが、
ICUには他の患者さんも居ますし、
毎時間同じタイミングで入ってこられるわけでもないので、
3−40分おきに違う看護師さんが部屋に入ってくるのでした。
この夜苦しかったのは目まいと吐き気。
貧血を起こしたようになってしまっていて、
本人的には足を少し持ち上げて血液を頭に持っていきたい感じでしたが、
足にも傷があるので、当然止められました。
結局その旨を伝えて薬を入れてもらったのですが、
明け方までずっと目が回っている感じでした。
帰る前に嫁さんが額に濡れタオルを乗っけてくれて、
それが目眩には気持ちよかった。
幸いその夜の担当の看護師さんは来るたびに
タオルを洗って乗っけ直してくれて、
とても助かりました。
(スパニッシュ系の方だったので、
おそらくあちらでもそういうことをするのではないかと。
アメリカでは額にタオルを乗っけるのかなあ。)
気持ちが悪かったのが尿管カテーテル。
うまく高低差が取れなかったのか、管の場所が悪かったのか、
尿が出てきているのに、
バケツにたまっていないということになりまして、
看護婦さんが数時間おきにチューブの部分を上げたり下げたりして
尿を移動させていたのですが、
そのたびに何とも言えない不快感が。
尿は出すもので、吸われるものではないですね。
さらに気管カニューレの影響で、
つばがうまく飲み込めなくて、とても苦しかったです。
初日はなにがなんだかわからないままでしたが、
こちらはその後も苦しめられる結果になります。
毎時間のように痛みのことを聞かれるのだけれど、
痛いのは首、それも手術部位ではなくて、
おそらくカイロプラクティックの先生が言っていたように
手術中に無理な格好をさせられていたためと思われる
首と肩の痛みがひどいだけで、
特に大きな問題はなかったのです。
これはすごくラッキーな事だと思います。
そして定期的にあちこちをいじられ、
ほとんど眠れないまま二日目の朝を迎えるのでした。
この手術からもう一年になろうとしています。
明後日から再び検診で病院を訪ねます。
結果が良好だと良いなあ。