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彼がドレスを纏うわけ

 佳佑には気付いたことがある。


 前回と同じように椅子に腰掛け、矢子が覆い被さる形でキスをしながら、念入りに自分の気持ちを確かめ、思う。


 矢子の細い腰に腕を回して、自分の腰が女より随分と逞ましいことに気付く。

 いくら華奢とはいえ、女より幾分も骨太だと気付く。

 唇の柔らかさも、頰の感触も匂いも違う。それらの違いに絶望しない自分に、なぜなのか問う。答えは簡単だ。


 自分はオスで、メスを求めていることに気付く。

 キスしていると、こう思う。入れたい、出したい。


 その渇望は自我を目覚めさせる。

 曖昧だったものが少しずつ縁取られてゆく。

 自分というものは、他者と交わることにより形作られていくのだ。


「ん……あぁ、もっと……」


 矢子が唇を離そうとするたび、ねだって引き戻す。

 離れたくない、離したくない。もう長いこと絡ませ合っているので、舌がつりそうだ。

 いい加減、矢子が面倒臭くなっているのが伝わってくる。


「も、終わり……疲れたので、終わります」

「……うん。ありがとう」


 ちゅっ、と音を立てて唇を引き剥がす。

 前回の甘酸っぱいキスと違い、今回はほろ苦いコーヒー味だった。

 余韻に浸りながらぐったりと矢子の胸元に顔を埋めると、柔らかく抱きしめられ髪を撫でられる。息を整える間、ふたりはそうしていた。


「勇気をもらいました」


 ややあって、冷めたカフェオレを飲みながら佳佑がそう呟いた。

 飲み干したカップを奪って、矢子が2杯目を注ぎながら首を傾げる。


「そんなもの、差し上げた覚えはありませんが」


 すっかりに戻った矢子に、佳佑は微笑む。


「でも、もらったんです。オレが勝手に。だから、勝手に、いつか恩返しします」

「そう。ありがとう」


 よくわからないが、佳佑は少しスッキリとした顔をしていた。


 洗濯は終わって、浴室に乾燥をかけて干してある。冬場では乾くまでに時間がかかった。

 手持ち無沙汰になり、ふたりは黙ってコーヒーを啜った。


「もしよかったら、後日お届けするか、取りにいらして頂いても大丈夫ですよ。今日中に乾くかわかりませんし」


 矢子がそう提案すると、佳佑はうーん、と唸った。


「今日、ヒールなんですよ。この格好にコート羽織ってヒールは、ちょっとオレでも難易度高い」


 ウィッグをしても、バッチリメイクする道具を矢子は持っていない。中途半端な女装で、男だと疑われながら帰路に着くのは嫌なのだろう。


「では、泊まっていかれますか」

「えっ!」

「ご予定が無ければ、ですが」

「ないです!」


 思わず即答してしまったが佳佑だが、明日も大学があることを思い出す。講義の時間を確認するため、携帯のスケジュール帳を開いた。


「ああ、2限目!」

「早いですか?」

「そこそこ。でも朝一じゃないし、家近いので、すぐ帰れるし」

「ほう……佳佑さんは、お家はどちらですか?」

「駅の、反対側です」


 それは近いな、と矢子は思う。最近開発が進んでいる、新しい駅ビルのある、綺麗なあちら側(・・・・)。綺麗な佳佑には相応しい。


「矢子さんとパジャマパーティー、素敵です!」


 そう言って身を乗り出し、瞳をキラキラ輝かせた佳佑は、『ユカ』の顔をしていた。


****


 パジャマパーティーとは名ばかり。

 灰色のトレーナーを着たネズミみたいな矢子と、黒いダボダボのトレーナーを着た野良猫みたいな佳佑は、並んで冷凍食品をモソモソと食べ、同じ布団に横になった。


「すみません、余計な物が一切ないので、何のお構いもできなくて」

「いえ、押しかけて無理矢理泊まって、こっちこそごめんなさい」


 そう言って、佳佑は枕がわりに丸めた座布団に頭を乗せ横になった。

 矢子の布団は矢子の香りがした。座布団は、ちょっと畳くさい。隣に横になった風呂上がりの矢子からは、なんとも言えぬいい匂いが漂ってきた。

 首をもたげた欲情を隠すように、佳佑は声を張り上げて矢子に話しかける。


「なんか、お話しません? 恋バナとか」

「恋バナ……」

「ズバリ、矢子さんは好きな人いる?!」

「好きな人、いません。いたことがありません」

「えっ」


 張り上げたテンションが、一気に萎む。


「佳佑さんは、好きな方は?」

「いません……いたことないです」

「おんなじですね」


 おんなじ、かなぁ……。

 好きな人はいなくても、矢子は随分と経験者のようである。自分はまるで正反対だと、佳佑は思う。


「好きな人いないのに、矢子さんは男の人と、その、たぶんたくさん、経験ありますよね」


 ポツリと、佳佑が呟いた。

 矢子は仰向けになり、目だけで彼を見ると答える。


「……男の人だけじゃないですね」

「え……」

「男も女も、すごく年上も年下も、たくさん」

「…………マジ」


 上体だけ起こして、佳佑が矢子を見下ろす。泣きそうなような複雑な顔をして、無表情な矢子を見つめている。


「矢子さんは、バイってやつなの? それとも、誰だっていいの?」


 なぜか大学でサセ子と呼ばれている女の顔を思い出した。湧き上がる嫌悪感に、佳佑の顔が歪む。

 胸がざわついて頭に血が昇るのがわかった。

 この人は、自分の最も嫌うタイプの人間かもしれない。


「誰かを愛したことはないの? なんで、好きでもないのにそんな事するの?」


 気持ち悪くないのか。

 自分はこの人に、好きでもないのにキスや、手でされて、あげく嫌じゃなかった。ずっと抱いていた疑問や嫌悪感を飛び越えて、それは恋なんじゃないかと、自分の中を探りながら期待していたのに。

 結局、女なんて皆、サセ子と同じなんだ。


「……私にとって、行為は癒しです」


 呟いた矢子の声は静かで小さく、けれど狭い部屋に確かに響く。


「施術と同じ。目を閉じて、相手を気持ち良くする。機械的に快感を高めながら、心は一緒に昇っていく。誰でもいいわけじゃない。その日、その人が良くて、その人と寝るんです」


 佳佑は少々憮然とした。

 こんなにキッパリと、真っ直ぐに、老若男女との奔放な行為をカミングアウトする奴はいないだろう。矢子の言っていることはよくわからない。よくわからないけれど、彼女なりの理論と信念がそこにあることはわかる。


 納得できはしないけれど、矢子の静かで無感動な物言いに、佳佑の昂った気持ちが少しずつ萎む。そして今度は逆に悲しみへと落ちて行った。

 佳佑が沈み込んだのを見て、矢子が理解したように頷く。


「佳佑さんは、誰とでも寝る人がお嫌いなんですね」

「……うん」


 佳佑は大学の友達、サセ子と呼ばれ誰とでも寝る女の子のことを話した。彼女を見るとイライラした。

 もっと根本的に、彼女を通して、自分は思い出したくないことを思い出している。

 思い出の中でくすぶっている、自分というものの根幹にある、その人物。


「母親です」

「……お母様が、そういう方なのね」

「ええ。母がそういう女で、オレには種違いの妹がいます。妹は母そっくりで、特に可愛がられて、オレは母にも父にも、誰にも見向きもされなかった」


 うつ伏せに布団に倒れると、矢子の首元に顔を埋めた。

 美しい母の顔を思い出す。優しい笑顔は、常に妹と、横に立つ様々な男へと向けられていた。父は母の気を引くのに必死で、奴隷のようにかしずいていた。


 一見、楽しく幸せそうな家族団欒。その本質は破壊されていたけれど、表面上繕われたその輪の中にすら、自分は入れてもらえなかった。

 いつも部屋の隅で怯えるようにうずくまり、残り物の食事を分けてもらっていた。なぜそんな差別を受けるのか、理由はわからない。


 呻くように弱々しく言葉は続く。


「妹みたいに可愛くなれば、女の子になれば、愛されると思ってた。でも、全寮制の男子高に無理矢理入れられて、ヤケクソになった文化祭で、女装して目覚めた。みんなが可愛いって言ってくれて、チヤホヤしてくれて。調子乗ってオッサンとデートしたらお金くれて、それが当たり前になってった」


 矢子の首元はじわじわと湿った。生温い涙が肩まで濡らしていく。


「大学行きたくて、でもお金無くて、バイトじゃ追っつかなくて、オッサンたちに出してもらった。大学入ったら、2年になったら、卒業したら、就職したら、やめよう、やめようって思うけど──特にさ、パパが……オレの父親が、オレを見て可愛いって言って、一緒に出掛けてくれるの。それがやめられない。客も、パパの友達とかだから」


 声が昂ぶり、震え、嗚咽が混じる。

 矢子は黙って佳佑の頭を撫でた。その矢子の手も僅かに震えていることに、佳佑が気付けるはずもなかった。


「愛されたい、愛されたい、誰でもいい。オレの心の底はすごく汚いんだ。でもサセ子よりマシだ、オレのがずっとマシなんだって……」


 ぐっ、と何かを飲み込む。

 一息吐いて、とてもとても小さく、呟く。


「安心するんだ。あいつを嫌える自分に」


 認めたら、溶けるように大量の涙が溢れ出した。

 そんな佳佑の頭を優しく撫でながら、矢子は耳元で囁き続ける。


「あなたは大丈夫、可愛い子、もう大丈夫。だから、オジサン達とはちゃんと手を切るのよ。そして、ちゃんとした男女の恋愛をしなさい」


 ────翌朝、佳佑は目を腫らして目覚めた。


 なぜか抑えきれずに心情を吐露してしまった事が恥ずかしい。

 けれど、泣きじゃくった後のなんとも言えぬ安堵感と気怠さが心地良かった。


 一晩中付き合わされた矢子は、横でボーッとしている。

 佳佑は気まずそうに笑いながら、矢子に話して良かったと思った。どうにもならない気持ちは、ただ聞いて欲しいものなんだと知った。


 佳佑は布団の上で大きく伸びをし、屈託無く笑いながら叫ぶ。


「あー、昨日は楽しい夜にするはずだったのに、なんでこーなった!」


 胸でもひと揉みさせてもらえばよかったと内心思う自分が、非常に滑稽なほどオスだった。




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